FILE.26 散華
千代田区211-国防省本庁舎。
21:16。
中央省庁には"夜"というものが存在しないらしい。日は落ちているはずだが、光量的には夕方のように明るかった。
現場検証を終えた陽菜と愛華。待っていたのは、警務車では無かった。
「公安庁刑事課捜査官だな? 大人しくご同行願おう」
短機関銃は2人を囲むように向いていた。
「何のマネですか? 公安に対する明確な越権行為ですよ?」
愛華が反論する。
「国防法第3条に基づく、強制連行指示書だ。従わない場合、執行許可も出ている」
国防軍の男は、デバイスから礼状を展開した。これも、反戦同盟会の襲撃と同じく、命令で動いているだけで、本質は知らされていないのだろう。
「愛華ちゃん」
陽菜は、愛華の肩をポンっと叩くと、両手を上げた。愛華も、不服ながらも続くように両手を上げた。
「確保!!!」
数人がかりで女性2人を取り押さえる光景は異様だった。
冷たい手錠は、2人の手首を締め付けた。
千代田区356-国防省臨時庁舎 大佐執務室。
「お前にそれを知る権利は無い」
怒号は室内全体に響き渡る。
「何故です? 今回のテロは、『ネックブリーカー作戦』に関わった者がターゲットにされている可能性があります。あの作戦のミーティングで、関係者の名前を見たが、今回のテロで犠牲になった者と一致しているんです。それに、テロの被害は空軍関係者しか出入りしないフロアーだった。明らかに内部事情を知っている者の犯行です」
机に両手を強く付くように前のめりになる、木戸章平。村西は、訝しそうに睨んだ。
「それで、"生きていた岩城"の犯行だとでも言うのか? 馬鹿馬鹿しい。奴は、岩城祥一 少佐は、軍人として立派に死んだ。これ以上でも以下でも無い 」
村西が何かを知っているのは明白だった。知っていて、有耶無耶にしようとしているのだ。
「だったら、どうして岩城さんはスキャナーに検知されるんですか? 大佐は、岩城さんが生きていた事を知っていたんじゃないですか? 認知の上で、国家に不都合な存在だったから捜索を打ち切り、行方不明扱いにした。 『ネックブリーカー作戦』を隠蔽する為に」
木戸の追求とほぼ同時タイミングで、ぞろぞろと数名が入ってきた。
「木戸章平 大尉。国防法第3条に基づき、ご同行願います」
部隊長らしき男が同行を求めると、木戸はキッと睨んだ。
「断る。俺は公安が捜査する、テロ事件の容疑者でもある。そういう訳にはいかない」
キッパリと断る、木戸。
「つべこべ言わず従え」
軍人5人掛かりだ。あっという間に抑え込まれ、首に何かを打たれる。直後、視界が歪み、ブラウン管テレビのようにプツりと真っ暗になった───。
***
ハッと夢から覚めるかのように意識が戻ると、見覚えの無い場所にいた。身体は、歯科医院にあるような椅子に拘束され、頭と瞼が何かの器具で固定されている。状況把握ができていない中、視界に数人の影が映る。
「何故、国家を裏切った?」
村西 大佐の声だ。必死に視線を声の方向に動かす、木戸。
「裏切り? 何の事です?」
まだ、打たれた薬が身体に残っているのか、全身だけでなく、声にも力が入らない。
「とぼけるな。お前は、国防省の機密にアクセスし、一部を漏洩した。これは容疑では無い。お前のデバイスにはその形跡が残されていた」
村西が持っていたのは、紛れもなく木戸のデバイスだった。
「身に覚えがないと言ったはずです!」
「あくまで白を切るか」
村西は鼻で笑う。
「情報の流出先は7ヶ月前に特定し、対処している。お前は、岩城華恋に情報を流していた」
村西が口にした、岩城華恋の名。点と点が線で繋がった気がした。
「華恋…。」
ハッとする、木戸。そう、村西は"7ヶ月前に対処した"とそう言ったのだ。
「彼女は…。岩城華恋は、自殺…だった…そうですよね?」
木戸自身、恐ろしいことを聞いている自覚があった。その質問の回答は無い。
「大佐は、"岩城華恋は飛び降り自殺だ"と言っていたじゃないですか!」
嫌な予感は過ぎっていた。噂を耳にしたことがあった。
7ヶ月前。岩城華恋が"自殺"した、一週間後に出回った噂。身元不明の遺体が空軍基地内で発見された、というものだ。遺体の損傷は激しく、内蔵破裂、筋肉断裂、骨折箇所多数。もはや人間としての形を保っていなかったという。軍関係者の可能性が高いということで、捜査は国防警務官が担当。その後の捜査がどうなったかは誰も知らない。ただ、発見者の公表も無く、遺体発見の事実でさえ曖昧なものであった為、誰しもが都市伝説だと思っていた。
「まさか…」
疑惑は確信、そして不信へと変わる。
「こんな事は許されない」
抑えきれない怒りと悲しみを理性を破ろうと沸き立つ。しかし、動かない身体でできるのは睨む事だけだった。
「許されないのはお前のクーデターだ。現時点においても、デバイスから外部に音声情報は送信されている。どこに送っている? 公安か?」
「まぁ、良い。答えないのであれば吐かせるだけだ。頭に着いているその機械、マイクロ波を流す装置だ。微弱なマイクロ波を大脳皮質前頭前野を絶えず流すとどうなると思う。精神機能を犯し、自制心が崩壊する。電子レンジに脳を入れて加熱するのと同じだ。長時間であれば脳全体への障害もままならないだろう。だが、感謝してほしいものだ。お前は廃人となってこれからも生き続けるんだからな」
村西から狂気を感じた。その直後、頭部への生温かさとキーンという強い耳鳴りが襲う。
木戸が、恐怖で叫びをあげた瞬間、全ての機能が停止したように、室内は真っ暗となった。
耳鳴りが止まると同時に、視界が明るくなる。明順応により、視界がぼやける中、聞き覚えのある声が聞こえた。
「こいつらを通したのは誰だ」
村西の怒号が飛び交う。
「国家公安法34条第5項、強制執行プロシージャの行使が認定されました。村西鉄二 空軍大佐及び、以下2名を執行します」
梓はエンフォーサーを向ける。
「ふざけるな。厚生省風情が!!!」
村西が怒鳴ると、背後から拳銃を向ける、軍人が現れた。
室内は、村西と部下2人だと思っていた。しかし、扉の影に1人隠れていたのだ。
梓に向けられた拳銃。引金の指に力が入る。
パンッ。
銃声が響く。
銃弾は、天井にめり込んでいた。
梓に向けた拳銃を持つ右腕は、深月によって天井へと向けられ、身体は床に抑え込まれいた。身動きが取れないよう、顔は足で踏みつけられていた。
「反逆行為により、執行する」
深月は、足を少し首側にずらすと、一発、エンフォーサーの引金を引いた。
それに続く形で、雫が部下2人にエンフォーサーの引金を引いた。銃弾は部下2人の頭に直撃し、風船のように割れ散った。
真横で肉片となる部下。村西は、恐怖で引金に掛けた指に力が入らない。
「き、貴様らは、平和が一体誰に齎されているのか知らんから、そう簡単に踏みにじれるのだ。私達の作戦は全て、国益のため。国家のためだ」
大声を荒げる村西を、梓は冷めた目で見ていた。
「だったら、あなた達の行動は大臣に保証されていたはず。プロシージャには、大臣が認可しているわ。あなた達の行動は犯罪なのよ」
梓の糾弾に、悔しさを滲ませると、入口へと逃げる、村西。
梓は、溜息混じりに数秒間目を閉じた。直後、一発の銃声が響く。
そこには、国益を勘違いした、憐れな権力者が、肉片となって散っていた。
千代田区356-国防省臨時庁舎 会議室。
雫は、ペンライトで木戸の目を照らし、何かを確認していた。
「反応も問題なさそうだな。これなら、マイクロ波による脳への影響も無いと思うが、念のため後で検査を受けろ」
雫は医師免許を持っていた。
「ありがとうございます」
天井を見上げたまま、呟く木戸。
「『ネックブリーカー作戦』ってのが相当ヤバかったようね。あいつら、急になり振り構わなくなった」
足を組み、椅子に座る、梓。
「別で動いていた仲間が、不当に抑えられてね。手錠まで掛けられちゃったものだから、公安庁の局長が動いたんだよね」
椅子でくるくる回り遊ぶ、深月。
「その人たちは? 」
心配するように聞く、木戸。
「ん? 2人とも───。」
深月は、遊んでいた椅子を止めた。
───1時間前。都内某所。
8人乗りワゴン車が大量の警務ドローンに衝突し、停車していた。警務ドローンの数台は、ボーリングピンのように倒れている。
「手を頭の後に回して、車を出なさい」
同乗していた5人に、エンフォーサーを向ける、愛華。
2人のエンフォーサーは拘束された際に、没収されたが、後を追ってきた警務ドローンが二丁分持ってきていた。これも、拘束の瞬間に陽菜が申請をしていたのだった。
並走していた他の車両からも、部隊の連中が次々と出てきては、警務ドローンに取り押さえられていた。
「どうして、、、ッ」
取り押さえられた、部隊の1人が苦しそうに聞いた。
「"備えあれば憂い無し"と言うでしょ? 備えただけよ」
陽菜は、手を上げた形で車体に抑えられている、部隊の男の腕を指差した。男が腕に着けているデバイスには、蜂のマークが表示されている。拘束されている中、できる限り周りを見渡すと、デバイスだけでなく、資料のナビシステムも蜂マークが表示されていた。
男はハッキングされていた事にようやく気付き、一言「くそっ」と呟いた───。
───現在。国防省臨時庁舎 会議室。
「国防軍がひた隠しにする『ネックブリーカー作戦』。独裁国家・中華大帝国*¹による石垣島及び宮古島への侵攻阻止を名目とした、武力での防衛作戦。この作戦にあなたと岩城は参加した。表向きは、国土防衛、侵攻勢力殲滅が目的だった。でも、本命は、逆侵攻作戦だった。その足掛かりとなる、石垣島は何としても奪還しなくてはいけなかった。例え、犠牲者を出したとしても。あなたの部隊は、最初から作戦成功の為の捨て駒だった」
梓の説明に、組んだ両手を額に当てる、木戸。上層部から明確に捨て駒だと言われた事は無い。しかし、捨て駒であることは、"あの命令"を受けた時から薄々気付いていた。その時から、何か後悔のようなものを背負った気がしていた。
「この事は、軍上層部でも一握りの者しか知らない、トップシークレットだった。それもそのはず。第二次世界大戦での敗戦をきっかけに、戦争放棄を掲げてきたからこそ、三大大国*²が崩壊した、第三次世界大戦においても、日本は災禍を免れた。そんな日本の武力侵攻が暴露されれば、国民の反発は計り知れないわ」
梓は敢えて"反発"という言葉を使用したが、起こりうるのは暴動にも等しい都市機能の麻痺だ。新宮那岐が起こした一連の事件を当事者として経験したからこそ、気軽に"暴動"という言葉を使いたくなかった。
「だから、岩城さんが"生きている"という事実を認知した上で、揉み消した」
国家の都合で、誇りも命も踏み躙られたのだ。木戸は悔しさを滲ませた。
「国防軍もまさか、離島から戻って来れるだなんて思ってなかっただろうしね」
この帰還に何かの裏を感じる、深月。
「岩城さんは、本当に生きていたんですね」
木戸の顔はどこか切なさを滲ませていた。
「だけど、どうして岩城はあんたを巻き込んだ? あんたが尊敬するように、岩城もあんたを信頼していたんだろ?」
雫の問に答えることができない、木戸。
「岩城は、妻・華恋の死の真相を知ったのかもしれないわね」
梓は呟いた。陽菜の調べにより、華恋の死が自殺ではない事は判明していた。
「国家の陰謀により最愛の妻と子どもの死は事実。だが、きっかけがこいつにあったのなら、恨まれるのは必然ってことか」
雫は木戸を見た。
「あなたが最後に投下した物資。こちらの調べでは、搭載場が基地では無く、軍事科学研究所だった。そうですね?」
梓の質問に、ハッとする木戸。
「はい。疑問には思っていました。何故、軍科研なのかと」
嫌な予感が木戸の脳裏に過る。
「それは投下したものがウィルス兵器だったからよ」
梓の眉間に力が入る。
「そ、そんな…。だってあれは救援物資だと…」
真実を突きつけられ、恐怖に手が震えだす。
「本来の作戦目的は、ウィルス兵器を使った敵軍の一掃だったのよ。そして、あなたこそが作戦の中軸であり、あなたは作戦通り、敵だけでなく、味方も殺した。岩城華恋は夫の死に違和感を覚え、真実を探るために国防省へ潜入。あなたのデバイスから情報を流出させていたのは、恐らく岩城華恋ね。だけど、彼女は潜入途中で殺された。自殺に見せかけてね。岩城は、生還後に一連の出来事を知ってしまった。だから、復讐の為に、国家が犯した罪を以て、罰を与えることにした」
梓が告げた真相は、木戸にとって耐え難いものだった。その場で泣き崩れてしまう、木戸。
「俺は、、、、俺はッ、、、」
悔しさと悲しみ、そして自分への怒りで床を殴り続ける、木戸。憐れなこの男もまた、国家に歯車を狂わされていたのだった。
軍事科学研究所。
扉の先には、凄惨な光景が広がっていた。見張りの軍人だけでなく、研究員や職員までも皆殺しにされていた。
ほぼ一直線の廊下を進むと、突き当りに東京ドームがすっぽりと収まる程の巨大空間が現れた。右には戦闘機が数機、左には吊るされた軍艦が一隻ある。そして、中央の巨大な制御装置の前に男はいた。
「よくここまで辿り着いたものだ。流石は公安の捜査官と言うべきか。意外なのはお前までいる事だよ。久しぶりだな、木戸」
男は振り向きざまに、笑みを浮かべた。
「岩城さん…」
木戸は呟いた。
「岩城祥一、国防省襲撃並びに生物テロ計画の容疑で拘束する」
梓、深月、雫はエンフォーサーを向けた。
「悪いが邪魔をされる訳にはいかない」
岩城が投げた筒状の物から閃光が放たれる。
光が消えたと同時に、岩城の拳が深月を襲う。咄嗟に取った防御体制で直撃は避けたが、エンフォーサーが弾かれた。
深月はエンフォーサーに目もくれず、蹴りを繰り出すが、岩城は左腕で防ぐ。その違和感に気を取られ、隙を突かれた深月は、右脚を引っ張られて投げ飛ばされてしまった。
梓と雫は、その間もエンフォーサーを向けていたが照準が定まらない。単に戦闘のプロというだけでは説明のつかない動き。
梓はエンフォーサーをレッグホルダーにしまうと、間を空けることなく、岩城の背後から飛び乗り、首を締める。しかし、人間離れした力に振り回され、梓も投げ飛ばされてしまった。
勢いに乗った岩城は、雫へと拳を放つ。そのパワーとスピードに圧倒されながらも、左手で去なすと、右手でカウンターを仕掛ける、雫。本来であれば、喉元へのカウンターが決まっているはずだったが、まるで時を止めたかのように反応し、躱す、岩城。
対して、雫も怯む事なく、突きをメインに手数を増やす。
その一撃は次第に正確さを増し、岩城の急所を捉え始める。梓や深月も、対人戦闘のレベルは高い。しかし、雫の戦闘力は種類が異なると言うべきか。例えるなら、戦闘データをリアルタイムで蓄積し、学習するAIのようだった。
それもそのはず、本来、白羽衣雫は武術家である。
学生の頃から、同じ門下だった兄弟弟子の竹内梓と井川空にシラット指導をしてきた。その縁で、第四課を創設した、梓の要請で、専属の戦術顧問となる。
元々は戦術顧問では無く、刑事として勧誘を受けていたが、柄じゃないという理由で断っていた。
しかし、状況は変わる。新宮那岐が起こしたテロを切っ掛けに、エンフォーサーが使えない状況下における、対人戦闘の強化が公安庁としての急務となった。梓、空を始めとした、四課メンバーは、雫に刑事として第四課への加入を説得。当初は断っていたが、説得を重ね、半ば折れる形で2121年2月に入庁した。
加入した雫は、持ち前の武術に合わせ、刑事の素質も十分に持ち合わせており、検挙率、執行率の向上に貢献。史上最速での警視正拝命となった。
そんな武術家も一進一退の中、梓、深月と同様に違和感を覚えていた。
「なるほど。パワードスーツか」
ニヤリと微笑む雫。そして遂に雫の一撃が岩城を捉える。岩城の左腕を掴むと、右手で下から顎を穿いた。そのまま頭を右腕で巻くように回すと、掴んでいる岩城の左腕を引っ張り、柔道でいう大腰のように投げた。
岩城は、身体の正面を地面に叩き付けられるような形で転倒。雫に左腕を固められ、身動き取れない状態となっている。もっとも、岩城は抵抗するつもりが無いのか、大人しくしていた。
投げ飛ばされた、梓と深月も合流し、岩城へエンフォーサーを向ける。2人とも、落下地点にあった機材がクッションになり、怪我無く済んだようだ。
「道理で反応もパワーも人間離れしていた訳ね」
梓は溜息を吐いた。
「どうして…どうしてです。岩城さん」
木戸の問に、顔を上げた岩城。
「『ネックブリーカー作戦』。お前ももう知っていると思うが、あの作戦の目的は敵勢力の撃滅だった。そして、作戦成功を担う中核兵器は、木戸、お前が操縦する機体に搭載されていた」
岩城の告発に、顔を歪める、木戸。
「お前はウィルス兵器を投下したんだ。コロナウイルスの感染力とエボラ出血熱の致死性、インフルエンザの変異性を兼ね合わせた新型ウィルス。投下直後、空中で爆散したウィルスは、石垣島の全土に飛散。島にいた者全員が感染した。感染後1時間で発症し、3時間で感染者の97%が死んだ。敵対勢力は壊滅、ウルフ隊も俺を除く全員が死んだ」
岩城は一切視線を逸らすことなく、木戸を見つめていた。木戸は躊ぐ。まるで金縛りにでもあったかのように身体は動かなかった。
「捨て駒にされた事は怨んでいない。兵士ってのはそういうものだからな。だが、何故、妻と子どもが死ななくてはいけない? なぁ、木戸。お前に託したよな?」
初めて、岩城の表情が変わる。悲しみの表情に木戸は言葉が詰まる。
「お前は、復讐の為にテロを仕掛けたのか?」
岩城を取り押さえる、雫が聞く。
「刑事さんか。そうだな。復讐だよ。国民は知らなくてはいけない。国家が何を犠牲にして、この平和な社会を成しているのか。苦しみの中、友人、家族、恋人が目の前で死に、自分の死に恐怖してな」
国家に裏切られた男の狂気が溢れ出す。
「そんなことをして何になる? お前の愛した者達は戻ってこないんだぞ」
雫は、何とか狂気を押さえ込もうとするが、一度死んだ男の怨念は鎮まるどころか、煮え滾るマグマのように暴発寸前だった。
「分かっているさ。それでも、テロをきっかけに国家の醜悪を国民が知る。命と引き換えに。その前段階として国防省を襲撃した。お前のデバイスに妻が残したバックドアからクラッキングしてな。そして…」
岩城の腕に力が入る。異変を感じ、雫は締め上げるが遅かった。パワードスーツの力によって雫が投げ飛ばされた。
「作戦で使われたウィルス兵器は、既に国民へと向けられた。あと5分でウィルスがばら撒かれる。だが、解除できるなどと思うなよ。俺の生体情報とリンクして作動している」
「聞いてた?」
梓のデバイス通信先は陽菜だった。
「もちろん。愛華ちゃんがリバース・メジャーメントで見つけたウィルス兵器は、ここ国会議事堂だった。岩城の証言通り、生体起動式。止めるには岩城を殺すしか無い。でも、視認情報も付加されていて、誰でもいい訳じゃない。解除キーは…木戸章平よ」
デバイスから聞こえる陽菜の報告は、広い空間に響き渡る。岩城は、勝ち誇るかのようにニヤリと微笑んだ。
「俺が、岩城さんを…殺す…?」
理解が追い付かず混乱する、木戸。
「どうした? お前は選ぶだけだ。俺か、国民か」
尚も微笑み、選択を迫る、岩城。恐る恐る、木戸は、岩城へと拳銃を向けるが、手の震えが止まらなかった。
まるで走馬灯のように岩城との思い出が映像となり、頭を過る。その重圧に押しつぶされ、涙が流れ落ちる。身体の力が抜けゆくのが分かる。
握力の無くなった手から、拳銃が落ちかけた、その時。背中に強い衝撃が走った。まるで喝を入れられたかのような。木戸の瞳に映ったのは、深月だった。
「やればできるじゃないか。それでいい…」
優しい声が聞こえた。声の方を見ると、胸から血を流し倒れている岩城の姿があった。
「岩城さん!」
重い足を無理に前へと進ませ、岩城の下へ駆け寄る木戸。呼び掛けても返ってくる言葉はなく、人生を全うしたかような、清々しい顔で眠っていた。
木戸は、抱えるように、泣き崩れた。
泣き声に阻害されながらも響く、陽菜からコール音。無情にもウィルス兵器解除の知らせだった。
空軍基地 第三飛行場。
「逃げられませんよ」
空と遼子が追い詰めた先に、軍航空機を背にした、青木隆 空軍統合中将の姿があった。
「お前らには分からんのだ。我々国防軍が、平和な社会を実現するためにどれだけの犠牲を払っていると思う。私は国家の安寧の為なら手段を選ばん」
目は血走り、怒りのまま反論する、青木。国防軍を私都合のまま操っていた、男の狂気が溢れ出ていた。
「そんな事を言われても困るな。俺は刑事だ。犯罪者であるあんたを執行しなくてはいけない」
狂気を前にしても、冷静に一蹴した、空。
「図に乗るな。犬が!!!」
懐から出した拳銃を発砲した、青木。怒りというより恐怖が狂気となり、青木に纏わり付いている。銃弾は空の頬を掠めた。
「執行します」
空と遼子がエンフォーサーを向ける。青木は、恐怖から逃げるように拳銃を投げ飛ばし、背を向け走る。
パンッ。
2発の銃声と共に弾け飛ぶ肉片。
「拘束して背後を洗わなくて良かったの?」
遼子が尋ねる。
「それをしちゃあ、国防軍が潰れる。国家の為にはこの辺が手打ちだよ」
空はシニカルな笑顔を見せた。
「それもそうね」
地平線から覗く太陽が朝焼けを演出していた。まるで、事件の終わりを告げるかのように。
*¹ 中華大帝国:第三次世界大戦後、中華人民共和国が崩壊し成立した国家。共産主義国家で、国家元首は黎沢平。
*² 三大大国:アメリカ合衆国、ロシア連邦、中華人民共和国の三国。第三次世界大戦により国家体制が崩壊し、それぞれが新国家樹立となった。
・アメリカ合衆国→新連合アメリカ資本主義国
・ロシア連邦→新ソビエト連合国
・中華人民共和国→中華大帝国