FILE.22 嘘に塗れた朝
『昨日から都内全域で同時多発していた暴動は、一夜が明け、鎮静へと向かっています。公安庁の発表によれば、暴動での死者は231人、重体は394人、重軽傷者は合わせて4,560人に昇るとみられています。この暴動では、少なくとも56人が逮捕されており、公安庁発足以来、最悪の事態となりました。都民からは、「識別スキャナーが反応しなかった」、「公安が適切に暴徒を鎮圧できていなかった」といった声も上がっており、今後、公安庁の存在意義が問われる事態にまで発展すると予想されます。』
暴動関連のニュースは絶えることなく繰り返し流れ、事態の大きさを物語っていた。
通常であれば、通勤通学の人通りで埋め尽くす都心街。しかし今朝は帰宅困難者が浮浪者のように溢れかえり、一変した朝を迎えていた。まるで、大震災から一夜明けた朝のように、不安感と疲労が表情を蝕み、場の空気も重くしていた。
四課オフィス。
午後13時17分。
「これじゃあ、まるで震災直後だ。たった一人の首謀者によってこんなにも社会秩序が滅茶苦茶になるなんて…」
ソファーでニュースを観ながら溜息を吐く、愛華。
「目下のところ、国民を24時間、途切れることなく管理する、識別スキャニングあってこそ、社会秩序の維持が約束されているわ。そこに例外は無い…そのはずだった。だからこそ、『新宮』という有り得ないはずの例外に対処もできなければ、コントロールもできず、限りなく発生し得ないとされた『暴動』が起こった。これはもう"災害"と呼ぶに相応しい事件だったのよ」
開く扉から、ギプスで腕を固定した梓が入ってきた。
梓はキッチンでコーヒーを淹れると、ソファーに座る。
「もう身体は大丈夫なの?」
心配そうな梓。常に冷静且つ冷酷さを持っている印象があり、どこか人間味の無いクールビューティーさが近寄り難さを演出していたが、河下深月が銃弾に倒れて以降、実は第四課で最も仲間想いで人間らしい人なんじゃないかと思うほどに、梓の感情を感じていた愛華。
「大丈夫です!私は皆さんに守られてばかりでしたから。それより、梓さんこそ大怪我だったのにもう大丈夫なんですか? せめて一日くらい休んでも…」
愛華は笑顔で即答する。
「今回の暴動で、ただでさえ少ない人員に大幅な欠員が出ている。身体が動く以上、休むわけにいかないわ。それに、早急に新宮を尋問する必要がある」
新宮の名を口にした途端、表情は消え、眼には深く冷酷な光がちらついていた。
「そうですね。第一課の木嶋 警視と宮下 警部補の行方は未だに分かっていませんし、第二課は手塚 警視が一命を取り留めたものの意識不明の重体、課員は全員死亡。第三課と第五課も負傷者多数で今の公安には動ける者がいないというのが現状です…。」
俯く愛華。
「正直、一課の失踪については全てがきな臭く感じてるわ。地下6階フロア全域に展開していた偽装ホロ。突然の通信途絶。そして失踪。どれも納得のいく説明ができる程の正当性が無い。それに、擁護のつもりなんて無いけど、彼らだってプロよ。身の危険を犯す以上、生きて戻る手段を必ず用意するはず。それでも命を落としたというなら分かる。でも、生死も含め行方が一切不明っていうのは有り得ないわ」
机の上に展開された、新東京庁舎タワー地下6階フロアのホログラムを眺める、梓。早送りと巻戻しを繰り返すように、偽装ホロ展開時と解除後が切り替わり表情されていた。
「何者かに拉致されたという線はどうでしょう?」
愛華の疑問は最もだった。普通、生死不明の失踪となれば拉致を疑うのがセオリーだからだ。
室内空間には街中のドローン映像が次々と展開される。暴動が鎮圧して7時間が経とうとしていたが、帰宅困難者が溢れかえり、消火しきれずに割れたガラス窓から黒い煙が上がっている光景が映し出された。
「それも薄いと思うわね。『アメノヌボコ計画』の産物、新宮は体質により識別スキャニングが反応しなかった。彼が従えたテロリスト達は、生体波長をコピーして相殺電波を発する機械でスキャニングを欺いた。でも、2人はそんな体質でも無ければ、機械を持っている訳でも無い。仮に、暴動を起こしたテロリストの残党が、2人を拉致する際、機械付きの仮面を着けさせたとしても、街中には識別スキャナーと同じくらいの防犯ドローンが設置されている。機械で視覚情報まで欺けないのは実証済みよ。街中に張り巡らされた"目"に映って無いなら拉致の可能性は無くなるし、何らかの理由による逃亡の可能性もほぼ無いわ」
どの映像をピックアップしても、捜査官2名の姿が映し出される事は無く、梓は不確定要素を消していくかのようにドローン映像閉じる。
「さっき、地下に行ったメンバーで唯一生き残った、結城に会ってきたわ。急襲を受けてからの記憶が無いそうよ。もちろん、2人が最後にどうなったのかも見ていない…」
梓は違和感を覚えていた。当然、2人の消え方が胡散臭いというのもあるのだが、引っ掛かっているのは消え方では無く別の"何か"。
「あ、それともう一つ。地下に行ったテロリスト達の行方も分かっていません。防犯ドローンの映像だと、ハッカーを先頭に24人いたはずなのに、地下フロアーで見つかったのはたった8人。数が合いません。彼らは機械を付けた仮面を身に着けているので、逃亡も考えられなくは無いですが…」
愛華は、周辺のドローン映像を再び室内空間に出す。机の上にホログラム展開された新東京庁舎タワー地下6階フロアは、小さなピクセル状となって崩れ、押し上げるように新東京庁舎タワーを中心とした周辺の航空図がホログラムで現れた。
「映像に全く映らないというのは難しいんじゃないでしょうか? たとえ凄腕のハッカーが、ドローン全機の位置を把握し、システムを掌握していたとしても、この街の目はドローン映像だけじゃない。公安の捜査官や厚生省が特別編成したという部隊の目からは逃れられません。そうなると、彼らは地下フロアーで姿を消したことになります。しかも、それは恐らく彼らにとっても想定外な事では無いでしょうか? 」
「有り得ない事象が同時発生していて、且つ矛盾している。なら、前提条件が違うということになる。新宮やハッカーの男は、国家最大秘匿の"何か"を狙っていると決め付けて捜査をしていた。でも、実際は逆で、全国民を支配している"何か"を暴こうと反旗を翻したけど、"何か"によって阻まれ、存在ごと消された…そう考えれば、街の防犯ドローンに映らず、まるで地下フロアーから忽然と消えたのにも納得がいくわ。まぁ、16人もの死体をどう処理したかは謎だけどね」
「そうですね。それじゃあ…」
愛華は思わず口を閉した。梓の推測が正しければ、第一課2名の生死は言わずもがなであるからだ。
暫く無言となる梓と愛華。
そんな中、梓は口火切って立ち上がると、
「まだ、推測にしかなってないわ。陽菜と深月には現地で検証させているし、僅かでも2人の足取りを追いましょう」
梓は、口元だけの笑みを見せると、スタスタと部屋を後にした。
庁内では、あんなにも嫌味を言い合い啀み合っていた梓も、2人が生きていることに賭け、動いていることが愛華は嬉しかった。
顔を両手で4、5回叩くと、自席に移動する。
「私だって公安庁の捜査官だ」
カタカタとホロキーボードを叩く音が部屋中に響き渡った。
新東京庁舎タワー 地下6階フロアー
「まるで機械室ね」
照明は点くが、それ以外に色味ある物が全く無い巨大フロアー。陽菜は、電気系統のようなアクセスプラグにデバイスを接続しながら、高速で指を動かしていた。
「こんな場所で、どうすれば木嶋と宮下は消えるのかな。毎回嫌味ばっか言ってくるけど、刑事としての誇りは持ってる奴らだよ。そんなあいつらが手掛かり無しで突然消えるかな? じゃあって、拉致の線にしたって、外には包囲網があった訳だし薄い…。」
壁を線続きでなぞり、歩き回る深月。
「そうね。でもそうなると、何らかの手段を持ちいた逃亡か、イレギュラーな第三者の介入による殺害…以外に考えられないわ」
陽菜の指は止まることなく、真っ直ぐモニターだけを見つめていた。
そして数秒間、時が止まったかのように間が開く。
「感情論だけど、やっぱり深月の言うように彼ら2人には刑事としての誇りがあった。逃亡は有り得ないよね」
陽菜は指を止め、深月に訴えかけるように言う。深月も同意するかのように足を止め、小さく頷いた。
「それにしても痕跡が無さ過ぎるよ。ここに偽装ホロが展開されていたのは、あの時、遠隔で解除した私が一番知っている。なのに、その記録も痕跡も消えて無くなっている。しかも、あの時なぜか通信が途絶えたのに、Ul-Diに異常は見られないし、通信エラーの要素が全く見当たらないの」
陽菜は、痕跡が全く無くなっていることに違和感を覚え始める。それと同時に、何故そんなにも徹底的に痕跡が消えているのにもかかわらず、"結城巧だけは生きていたのか"ということに疑問を持ち始める。
「ねぇ。変なこと言うんだけど…」
陽菜の疑心が大きくなる中、深月が意味深な面持ちで口を開く。
「私達が一課捜索に行こうとした時、何故か現場に局長が来たよね? しかもあのタイミングで。何か嫌な予感がするんだ」
深月は恐怖を感じた。それを誤魔化すように天井を見上げる。真っ暗で濃い闇が今にも堕ちてくるかのように感じた。
言いしれぬ恐怖に本能が叫ぶ。『逃げろ』と。
考える間もなく、足が動く。深月は陽菜の解析を中断させ、スタスタとその場を後にした。
公安庁局長執務室。
「どういう事ですか!」
梓の怒鳴り声は、広い局長室でも掻き消えることの無いくらいに大きく響いた。
「言葉の通りだ。竹内梓 警視長。公安庁は神宮那岐の捜査権を失い、一切を放棄。身柄を厚生省特務捜査チームに移送し、大臣の指揮下で適切に処理される」
机と水平に、椅子に凭れ掛かるように座る天宮は、視線を合わせることなく淡々と話す。その両手の間には、全面真っ黒なルービックキューブが浮いており、手を触れずにどう操作しているのか分からないが、梓の話など興味が無いとでも言うかのように遊んでいた。
「第四課が逮捕したテロリストですよ? 今回の暴動およびテロ行為は国家転覆を目論んだ事案です。さらには、これまで第四課が捜査したいくつかの事件背景に、神宮那岐の関与が濃厚です。それは公安で追求すべきです」
梓は納得できず、語気を強める。
「君達、第四課には特別権限である即時量刑判断権*¹が与えられている。その特課たる権限を行使し、犯人の逮捕、もしくは執行しているはずだが、過去の事件資料に神宮那岐の関与を仄めかす記述はされていたかな? 無いとするならば、報告不足か捜査ミスとして、第四課の管理体制を問わなくてはならない事案だよ?」
天宮はルービックキューブの動きを止めると、少し顔を向け冷たい目線で言い放つ。
「もし第四課の判断が間違っていると指摘するのであれば、第四課に特課権限を与えた、局長、あなたの判断が間違いということになりますが。」
掌に爪が食い込むほど、拳を握り締める、梓。売り言葉に買い言葉だが、自身の家族にも等しい四課への批判に梓は黙っていられなかった。
睨み合う2人。
「戯言だな。何れにせよ、神宮那岐は『アメノヌボコ計画』の最重要検体として社会に二度と出ることなく処分される。本来、国家プロジェクトにより発生した産物だ。国家が権利を有するものであり、省庁が権利を有することは無い」
「それより、君達、第四課にはある嫌疑が掛かっている」
事実上、第四課による神宮那岐の捜査打切りを明言した天宮は、摩り替えるように切り出した。
「嫌疑? 何の事だか心当たりがありませんが」
目を細める、梓。
「第一課捜査官、木嶋丈太郎と宮下直也が消息を絶った事案だ。2名の捜査官はテロリスト逃亡に加担し、自らも逃亡した疑いが持たれている。君達、第四課はその事実を知りながら、幇助したのではないか?」
蛇のような視線で、全ての不都合を改変し、都合良く第四課と消えた第一課に擦り付けようとする意図は、誰が見ても明白だった。
神宮那岐が暴こうとした"何か"は、第一課の捜査官を抹消しなくてはならない程に秘匿すべき国家の闇である事実を確信する、梓。
「逃亡幇助ですって? 言語道断。お話にもなりませんね」
鼻で笑い、吐き捨てる、梓。そして、くるっと背を向けると、怒りを堪えながらスタスタ入口へ歩き出す。
「疑惑の否定に最も有効なのは、愚にもならない弁解などでは無く、行動に基づく結果だ。せいぜい頑張りたまえ」
ニヤリと笑みを浮かべ、去る者に追討ちする、天宮。深淵すら慄く国家の闇が見え隠れしていた。
「ええ。あなた方がそうまでして隠したい、国家の汚点ごと、第四課が証明させて頂きます」
入口で一度止まると視線だけ向けて一言返す、梓。言い終わるとほぼ同時に部屋を出ていく。
扉が閉まる音は張り詰めた空間で響く。天宮は背中を背凭れに深々と預け、溜息と共に口を開く。
「あぁ。確かに厄介ではあるが、未だに利用価値はある。もう少し游がせておいても良いのでは無いだろうか」
一人しかいないはずの空間で、まるで何十人もの人数と会話をするかのように話す、天宮。
「所詮は、国家成し得る為の駒に過ぎない。使えなくなれば処分すればいいだけのことだ───」
右手中指で机をトンと叩き、ホログラムで情報が出した、天宮。それを見ることもなく、再度中指で机を叩くと情報が下から消えてゆく。
消えゆく情報には、木嶋丈太郎の写真が映っていた───。
*¹ 即時量刑判断権:特別捜査権保持課(特課)にのみ認められている権限。捜査の過程で、国民管理システムでは無く、捜査官が量刑を決定し執行することが可能な権限。現在は第四課のみに与えられている。