FILE.21 立方体の神
新東京庁舎タワー 地下施設。
「うっ…ハァハァ…」
広大な空間にもかかわらず圧迫感があり、僅かな薄灯りが差す様は、まるで酸素と光が届かない深海のようだった。ただ、そうした空間だからという訳でではなく、苦痛から絶え絶えの呼吸音が聞こえる。
「痛いだろうが我慢しろ」
宮下直也は、結城巧の腹部を抑える。抑える手の隙間からは血が流れ、想像を絶する痛みで声すら出ず苦しむ、結城。
出血は止まらず、次第に眼の光が消えてゆく。
「くそっ」
宮下は血まみれの手を、抑えていた患部から胸に移動する。一刻一刻、失われる光を取り戻そうと焦り心臓マッサージに力が入る。
5分。10分。時間は動き続けるが、一人の命が再び動くことは無かった。
宮下の肩に手を置いた、木嶋丈太郎。沈痛慷慨の表情を隠すように、顔を上げた。
「行くぞ。宮下。結城の想い、俺達が背負ってやんねぇと。それが弔いになるはずだ」
木嶋は、歩を進めた。左足を引き摺りながら。二人もまた、重傷を負いながらもテロリストを追い詰めるべく、連戦を繰り返して来た。
宮下はゆっくりと立ち上がり、ジャケットを脱ぐと、結城に掛ける。そして、何かを言う事もなく、木嶋の後を付いていく。ただ一心に刑事として。
新東京庁舎タワー65階 屋上。
「梓、愛華!」
叫ぶように呼んだのは、深月だった。真っ直ぐ梓の下へ駆け寄る。梓は声の方向に顔を向けるので精一杯だった。
「全身ボロボロじゃん」
そう言うと、ハニカム深月。
直後に見えた陽菜は、愛華の下へ駆け寄る。悔しさを堪えるように泣く愛華。そして、手錠をかけられ倒れている、新宮。この場で起こった事を把握し、静かに愛華を抱きしめた。
「終わったんだね」
肩を支え合う、空と遼子も合流する。
「ごめん、みんな。ごめん、愛華」
唇を噛む、梓。新宮を執行する目的が達成出来なかったこと、そして、それを愛華に強要させたこと、二つの後悔が梓を押し潰そうとしていた。
「いや、きっとこれが今の四課にできる最大限の結果だよ」
空は、遼子の肩から腕を外し、足を引き摺りながら梓の下へ寄る。そして、梓の前で座り込むと、
「俺達みんなの結果だよ。全部一人で背負い込むなよ」
と微笑み、梓の肩を小突いた。
東雲色は、長い夜に終わりを告げる合図のように感じられた。
四課が揃い、どれだけの時間が経ったかは分からないが、ようやく十数台の警務ドローンが入ってくると、新宮取り囲み、ストレッチャーに乗せると、手柄を横取りするかのようにそのまま連行していく。新宮は抵抗しなかったが、四課の前を通る瞬間に一言呟いた。微笑みながら。
「またね」
その意味を深く理解する者はいなかった。ただ、一旦の終止符が付いたこと、その事実に一同の緊張感は溶けていった。
新東京庁舎タワー 1階入口。
時刻は午前6時18分。
薄っすら霧がかり、朝特有の匂いは、夜間の暴動を掻き消すように硝煙を薄めた。
重傷を負った、梓、空、遼子は次々と救急車に乗せられ搬送された。
比較的軽傷の陽菜、深月、愛華は3人を見送り、事後処理と地下に突入した一課3名の帰りを待っていた。
「どうした? 陽菜」
デバイスから展開したホロ情報を睨む陽菜に気付いた深月は、情報を覗き混んだ。そこには地下のマップが表示されていた。
「うん。一課が潜った地下なんだけど、最後に応答のあった地下6階で突然信号が途絶えて、一切の応答が無くなったの。しかも、応答が途絶える直前、地下6階フロアは、大規模偽装ホロが展開されていた。"何か"を隠すようにね。私がホロを解除したから、可視化されたその"何か"を3人は発見したんじゃないかな。そして、新宮が自身を囮にしてまで暴きたかったモノが、"何か"の先にあるんだとしたら、国家レベルの秘め事って事になる。実際、誰が、何の意図で展開したのか分からなかった、地下フロア全体に展開した偽装ホロ。これも、国家規模の秘匿の為だとしたら合点がいくわ」
唾を飲み込む、陽菜。パンドラの箱を開け、その中身を見てしまうであろう一課の3人の事を考えると、きっかけを作った陽菜としては気が気にならなかった。
「安否が気になりますね。今からでも応援に行きませんか?」
陽菜の不安を察知してか、愛華は提案する。
「だな。私達はまだまだ動けるし、ここで第一課に貸しを作るのも悪くないよね」
シシッとシニカルに笑う、深月。
3人の覚悟が決まった、その時。
「その必要は無い」
現場で聞くことなどあるはずの無い、声。
「ど、どうして。ここに… 天宮碧葵 局長!」
一同が振り向き様に目を疑った。
「既に暴徒鎮圧の編成部隊が動いている。ご苦労だった。君達は身体を休めると良い」
相変わらず冷めた表情で淡々と口にする、天宮。
「ですが、まだ一課が戻ってきていません」
陽菜が珍しく真っ向から意見する。
「それに関しても別動隊が動く。テロリストが暴動を隠れ蓑に何を目的とするのかは知らないが、前代未聞の事態に、国家としてテロを排除しなければならない。したがって、全権を公安庁から移行というのが、上の指示だ。従う他無い」
天宮の表情に変化は無かったが、言葉の奥に威圧を感じた、陽菜、深月、愛華。別動隊の指揮は誰が取り、テロリスト鎮圧の過程で、第一課3名を救援する明言が無かっただけに、不安が残る。そして、何よりも"別動隊"の姿が見えないことに、陽菜は違和感を覚えた。
「しかし…!!!」
陽菜が反論しようとした、その時。深月が陽菜の肩に手を置き、遮るように前のめりに口を開く。
「分かりました。局長。それでは、立華、柚崎、河下の3名は本庁に戻ります。以降の引継ぎはお願いしますッ」
不安を感じていたのは深月も同じだった。しかし、間違いなく権力が働き、国家の闇を写している気がした。それを暴く準備もなければ、情報も無い中での反論は危険だと超直感が囁いている。多少強引ではあったが、陽菜と愛華の腕を引っ張りながら「失礼しましたー」と大声を上げて、警務車に入って行った。
3人が席に着くよりも先に動き出す警務車。無数の警光灯が朝焼けならぬ空を真っ赤に染めていた。
新東京庁舎タワー 地下施設。
二人の足はピタリと止まる。疲労と痛みが限界を超え、呼吸すら苦しくなっていた。儘ならぬ焦点を無理やりにでも合わせた先に、追っていた男はいた。
「ここまでたった3人でよく辿り着いたものだ。いや、2人か」
不気味な笑みを浮かべたまま、嘲嗤うかのように拍手する、劉睿泽。
挑発とは分かっていながらも、宮下は怒りを抑えきれず、掴みかかろうとするが、木嶋が止める。
「こんな所で何をしてるか知らんが、テロ計画、暴動計画、教唆、実行…上げれば足りんが、重要参考人としてお前を逮捕する」
木嶋はアネスシーザーを構えるが、識別しなかった。
「逮捕?」
劉睿泽は嗤う。
「君達は、この社会の成立ちについて考えたことはあるか? 国民が24時間、365日監視された社会。識別スキャナーによって収集された、個々人の出生から血液型、DNA情報、病歴などのありとあらゆる生体情報と、精神状況や身体負荷指数、思想、宗教などの精神情報はどう処理され、利用されているのか。まさか、性善説に則り、国家が国民の為に管理しているとでも? 仮にそうだとしても、それ程膨大な情報処理を現存の技術では賄いきれない。そうなれば必然的に開示されていない、次世代技術が利用されていることになるのだが、それを善意で使うとは到底思えない。であれば、国家がひた隠しする"何か"をこの手で暴き、国民の判断基準を開示したいというものだろう?」
まるで魅せられた信者のように、高揚感ある表情の劉睿泽。その後ろには、国家資産が眠っているのではないかと思うほどの頑丈な巨大扉があった。そして、扉にはいくつものデバイスが取り付けられ、デバイスの画面には解析をしているかのような0と1の数字が流れていた。
「たとえ国家が国民への背信をしていたとして、そんなものの証明は、お前を逮捕した後でゆっくり調べれば良いことなんだよ」
宮下はアネスシーザーを投げ捨てると、劉睿泽に殴り掛かろうと走る。
しかし、劉睿泽は余裕の笑みを浮かべると、一言呟く。
「時間だ」
心電図のフラット音のような甲高い音が反響を阻害される空間で鳴り響く。音は扉に繋がれたデバイスから発せられ、画面には『100%』表示されている。
急に発生したフラット音に、宮下の足は止まる。
次第に、軽微な地響きを伴って重機音が鳴り、扉が開く。その状況を誰よりも待ち望んでいた、劉睿泽は子供のような眼差しで見入っていた。扉の先から差す光量が視界を奪い、木嶋と宮下は堪らず両手を翳す。
ほんの数秒だったのだろう。しかし、数時間、意識を失っていたかの感覚だった。
そして、ゆっくりと目を開くと、そこにはまるで別世界にでも来てしまったと錯覚を覚える光景が広がっていた。
ドーム型の半球空間。その真ん中には巨大で真っ黒な立方体が浮いている。浮いているといっても、磁石の同極反発のような不安定さは無く、何か透明なもので固定されているかのようだ。
「な、何なんだ。これは」
木嶋は言葉を失った。これまでの経験はおろか、常識的に考えても理解できないものが目の前にあった。気が付けば、一歩。また一歩と、立方体に誘われるかのように、巨空間に足を踏み入れる、木嶋と宮下。
「これがこの社会の秘密さ。まさか、全国民の魂を分割し、AIとして機械的に宿主を監視し、裁き、操作しているとは。これでは、"魂の強制収容所"だ。人権などあったものじゃない。これを世の中に出せば、文字通り人も社会も大混乱だ。まさに革命だ」
劉睿泽は、興奮を剥き出しにするあまり、口を閉ざすことができずにいた。まさに、信者の前に、自らが信心する神が現れたかの如く。
立方体はよく見ると、無数の小さな立方体が集まっていた。その一つ一つには、国民一人一人の顔、名前、生年月日、死亡予定月日、血液型が常時表示され、その下には現在の状況がリアルタイムで記されては更新を秒刻みで繰り返している。
「あ、あれは…俺…なのか‥」
驚きよりも怯えに近い身震いをとめることができない状態で、一つの立方体を直視する、木嶋。その額から、脂汗が伝う。
『初めて魂の分割体を目撃し、恐怖を感じている。心拍数上昇。アドレナリン分泌。極度のストレスにより精神汚染レベル2検出。アネスシーザーでの制圧対象に登録。』
立方体に表示された、木嶋の情報が次々と更新されていく。
「これが、俺…だと」
宮下も驚きを隠せず、困惑した表情で木嶋を見る。
「さぁ、遊びはここまで。革命の狼煙を上げよう」
劉睿泽はデバイスに手を掛ける。既に独自に展開したネットワークがボタン一つで実行され、この巨大な立方体を全世界に向けてリークできるようになっていた。
しかし、そのボタンが押されることは無かった。
劉睿泽は、ボタンを"押した"のだと思っていた。だから、何かの間違いだと言い聞かせ、自己を納得させ、もう一度ボタンを押そうと試みる。だが、何度頭で左指に指示を出しても動かなかった。
そして気づく。
足下に左腕が転がっていることを。
真っ赤に濡れた、デバイス。肩から下にかけての無感覚。激痛。
劉睿泽は理解する。自分の腕は撃ち抜かれたのだと。だが、誰が撃ち抜いた? 木嶋と宮下は、立方体を前に立ち尽くしている。
入口…?
入口には、一人の男が立っていた。
「お前は…」
劉睿泽の最後の言葉は一言だった。一瞬で飛び散る頭。首から下の器は、宿主を失ったことで、支え切れずに倒れ込む。
何が起こっているのかが理解できず、思考停止する、木嶋と宮下。いや、理解はしていた。だが、考えたくなかったのだ。
なぜなら、入口から銃口を向けていたのは、死んだはずの結城巧だったからだ。
「ゆ、結城。お前生きてたのか」
目を大きく見開き、一歩。また一歩。結城巧に近づく。その違和感を覚えたのは、木嶋だった。
「宮下!そいつは結城じゃねぇ。近づくな!」
木嶋の声は届くことはなかった。
左肩、脇腹、右太腿に銃弾を受け、宮下は仰向けで倒れる。激痛から意識を失うこともできず、苦しみながら、寝返りをうち、血に身体を染めながら、手で床を掻いて結城の下へ進む。
「どうしてだ。どうして」
悲しさと悔しさと苦しみの中で、理解できない状況を言葉でぶつける、宮下。息も途切れ途切れになる中、刑事、そして仲間であった結城に訴え続ける。
しかし、想いは届くことはなかった。結城は、銃口を向ける。その直線上には宮下の頭がある。
パンっ。
大きな音と共に飛び散る赤は、無情にも命を散らした。
「何でだ。何でお前が、エンフォーサーを持ってるんだ…応えろ!結城!」
吼えるように怒鳴る、木嶋。
それに応えるかのように、結城巧は静かに顔へ右手をやると、顳顬部分を親指と中指で力を加えた。直後、顔にパズルのような線が入り、ボロボロと崩れていくと、ヒューマノイド型アンドロイドの素顔を現した。
「お、お前は誰だ?」
思わず後退りする程の異形な姿に、精一杯の言葉だった。
結城巧は木嶋にエンフォーサーを向ける。目の前の事実に背くように、刑事として育ててきた結城が走馬灯のように思い返される。瞬きすら、忘れていたが、静かに目を閉じる、木嶋。
「ったく…」
木嶋はいつものように、嫌味ったらしく舌打ちをした───。