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公安四課  作者: やん
21/52

FILE.20 鉄音

「何だと? 」

背凭(せもた)れに深々(ふかぶか)と背を(あず)け、目を閉じていた、局長 天宮碧葵(あまみやみき)(つぶや)く。天宮(あまみや)(おお)い隠すかのように展開された無数のホログラム。映し出されているのは、都内全域の中継映像だった。


「それが本当であれば、理論上(りろんじょう)の存在ということになる。いや、待て。システムの結論を一端末(いちたんまつ)の処理能力で把握するのは困難(こんなん)だ。一度、セントラルで同期したい───」

天宮(あまみや)は静かに目を開けると、部屋の機能が失われたかのように、展開されたホログラムは次々と閉じられ、最後には部屋の電気も落ちた。


人の気配が消えた室内。公安庁の中枢(ちゅうすう)は眠るかのように静かに息を潜めた。



新東京庁舎タワー 地下施設。


巨大な地下空間が広がり、延々(えんえん)と続く階段はまるで、奈落(ならく)へと繋がっているようだった。広大(こうだい)な空間にも関わらず、階段を駆け下りる音が反響(はんきょう)せず、大きな力に阻害(そがい)されるかのような圧迫感は、"異様"と呼ぶに相応(ふさわ)しかった。


「おい、立華(たちばな)。ここはどうなってんだ?」

マッピングに無い空間。あるのは下に続く階段のみ。木嶋丈太郎(きじまじょうたろう)は嫌な予感がしていた。少しだけでも情報があれば、その思いで陽菜(ひな)に無線を飛ばすが、応答が無い。

「………聞こえてないのか? 立華(たちばな)! 応答しろ!」


木嶋(きじま)さん、通信が切れてます」

(あわ)てた様子の結城巧(ゆうきたくみ)


「ただ単に通信が切れたわけじゃないな。この空間全てが電波暗室になっている。奴らが狙う社会秩序の根幹たるモノは、完全に外部と切り離さなきゃいけない程、秘匿(ひとく)すべき代物(シロモノ)ってことだ」

宮下直也(みやした なおや)は考えていた。テロリスト達が求める、事件の先に何があるのかを。


もうどれだけの階段を()け下りたのか。階数で言えば何階になるのか皆目見当(かいもくけんとう)も付かない。()えること無く現れる踏み板にも見飽きていたが、見納めは突然訪れた。うんざりする程の階段を(くだ)りきったのだった。

3人はようやく平坦(へいたん)な道に足を付けたが、やがて再びうんざりする。先が点となる程、通路が続いていたのだ。


「ようやく…」

結城(ゆうき)が声を(はっ)した直後、宮下(みやした)は慌てて結城(ゆうき)の口を抑える。


木嶋(きじま)が人指し指を口に当て、"喋るな"というジェスチャーを取ると、手信号を2人に送る。一見(いっけん)、見通しが良い直線に見えて、その側面にはパイプ管やら非常口のような扉があり、敵からの奇襲(きしゅう)があった場合、完全な(まと)だった。


なるべく壁際に肩を付け、いつでも応戦できるように進む3人。油断(ゆだん)(すき)も無く進む中、状況が一変する激しい金属音が鳴り響く。


「ンッッッッーーーーーーーーーー!!!!!!!!!」

声にならない悲鳴でしゃがみ込む、結城(ゆうき)。その右足は、狩り用の古風な罠が肉を(えぐ)り掴んでいた。木嶋(きじま)宮下(みやした)が驚く()もなく、どこかに仕掛けられているであろうサイレンが鳴り、真赤な警光灯(けいこうとう)が周囲を照らす。


(わな)か!?」

木嶋(きじま)は舌打ちをした。


木嶋(きじま)さん!上だ!」

宮下(みやした)の掛け声とほぼ同時に何発もの発砲音(はっぽうおん)が鳴り響く。その音は、アネスシーザーから(はっ)せられる音では無かった。



国道環線695-新東京庁舎タワー前通り。


ガソリンの匂いが立ち込め、道路上には所々に火が上がっていた。


気息奄奄(きそくえんえん)と漏れる息。()には炎、そして一人の男が映っていた。井川空(いがわそら)左膝(ひだりひざ)を付き、スタンバトンを地面に突き付け支えとしていた。


「まさかこんなんで終わりじゃないだろう? まだまだ(うたげ)の真っ最中じゃないか」

"JOKER"こと、ピエロのメイクをした男は、燃え(さか)る街を披露(ひろう)するかのように両手を広げ、満面(まんめん)()みで(おど)けてみせた。


(うたげ)だと? 勘違いするなよ。殺人狂(さつじんきょう)。お前は、崩壊(ほうかい)した社会秩序を見て、自分が世界を(つく)り変えたのだと勘違いしている、ただのイカレ野郎ってだけだ」

(そら)は立ち上がると、左手で(くちびる)から出る血を(ぬぐ)った。


「イカレてるのは俺じゃない。この社会さ。お前だって感づいているはずだ。この社会の違和感に。それを見ないふりして、一般人を(よそお)っている。言ったろう? お前は俺と同類だって。ほーら。銃声(じゅうせい)撲殺(ぼくさつ)の音が、まるで音楽のように聞こえるだろう?」

JOKERの表情は、クラシック音楽を聴き入るような、()()れとしたものだった。


「音楽だと? 馬鹿(ばか)言うなよ。本来、人が人を殺す音なんて()みたいなもんだ。『ご迷惑をおかけして申し訳ございません』と赤面(せきめん)すべき、(はじ)の音だ。至る所から聞こえる(こと)事態、異常なんだよ。そもそも音楽に例えるお前と同類扱いされても虫唾(むしず)が走るだけだね」


「いいや、やっぱりお前も同類だ。その()には、俺を殺すことしか映っていない。倒れている仲間そっちのけで、殺し合いに(きょう)じている。破壊(はかい)の先にある快楽(かいらく)を前に、他人の状況などに興味は無いんだろう?」

狂気を(にじ)ませた笑顔を見せながら、指を差す、JOKER。指先には、うつ伏せに倒れている遼子(りょうこ)がいた。


空は尻目(しりめ)に遼子を見ると、すぐに視線をJOKER戻し、(にら)みつけた。


「一歩踏み出せよ。こちら側は楽しいぞ?」

終始ケタケタと嘲嗤(あざわら)っていたのが嘘だったかのように、急に笑顔が消え、真面目な表情で誘うように手を差し伸べる、JOKER。


異様な()が空く。二人とも微動だにしないまま一刻一刻が過去に流れていく。実時間は数秒だったが、感覚は数時間のようにゆっくりと流れていった。


その沈黙を破ったのは、空だった。

「お前、寂しいのか?」


その一言が空気を一変させた。

(なに)?」

間髪(かんぱつ)入れず問う、JOKER。先ほどまでとは異なる狂気を目に宿(やど)し、空を睨んだ。


「寂しいんだろ? 一人ぼっちが。だから、自分の価値観を押し付けて、俺を仲間にしようとしてるんだろ?」

表情を崩さず、冷めた目で問いかける、空。


パンパンパンパン


怒りを抑えるかのように、数発の銃声(じゅうせい)を響かせ、声を上げるJOKER。

「違う」

天に向かって()った薬莢(やっきょう)がカラカラと音を立て落ちる。


しかし、空は一切引かず、問い詰めた。


「お前は一人ぼっちだ。生まれた時からずっと。孤独の中で、愛を知らず、自己妄想(じこもうそう)の中だけで脚光(きゃっこう)を浴びてきた」


「違う違う違う!!!!」

空の指摘を掻き消すかのように、大声で否定する、JOKER。焦りと怒りは限界に達していた。


「違わない。妄想(もうそう)の中でしか、お前の願望を叶えられない。妄想(もうそう)こそが、社会から孤立した、お前の精神を生かす最後の(とりで)だからだ」

現実を辻褄(つじつま)合わせで理解していた。しかし、空の指摘が、噛み合っていた辻褄(つじつま)に狂いを生んだ。


そして、JOKERの視界は突如、真っ暗闇のようにプツリと切れた。




石原丈(いしはらたける)が目を開けると、いつものように(おだ)やかな世界が広がっていた。両親からの愛を受け、友人との思い出を(はぐく)み、社会や他人から常に必要とされる人生の記憶。どれを思い返しても温かく、この上ない幸せを送る人生。


…そのはずだった。

何かが割れる、そんな音がした。まるで、ガラス扉を叩き割った音。

そして、足元から冷たい空気が入り込む。


異変に気づき、(あたり)を見渡すと、温かだったはずの記憶が次々と()り換わっていく。


母など生まれた頃にはおらず、父親から虐待(ぎゃくたい)を受ける日々。そこに、両親からの愛など無かった。


障害者であるが(ゆえ)に、好奇(こうき)の目に(さら)される日々。想いも伝わらず、不気味がられては誰一人とさえ寄り付かなかった。当然、友人と呼べる存在は無かった。


支援をまともに受けられず、社会や街さえも見捨てた。(すさ)んだエリアで、(せい)にしがみ付く日々。同じように社会から弾かれた不適合者にも序列(じょれつ)があり、そんな最低辺の中でも(しいた)げられた。


何度も現状を変えてみようと藻掻(もが)いてみた。自分なりのやり方で。


誰かノ温ヵさが欲シイ。だから、道を歩イテいる猫ニ触れて、直に温かさを感じタ。

誰かに振リ向ィて欲シい。だから、あっと驚くことをやって、目ヲ逸らさズにはいれなくスレバ良い。

誰かノ愛情が欲しイ。関わっタ瞬間ニ、命を取ってあげれば永遠ニ………


「そうだ、僕がこの世界のJOKERだ。」



JOKER=石原丈(いしはらたける)は静かに目を開く。心を精神世界に置くことで、彼にとって精神世界が現実=居場所であり、現実は夢だった。そんな彼が見続けた精神世界は、割れたガラスのように崩れ去り、二つの世界が入り交じる。いや、精神世界が現実を侵食していた。両手は(おびただ)しい程の血に()れ、心は光すらも呑み込む程の狂気で塗り潰されていた。


「お前は最低だ」

狂気を(まと)った言葉が、空へと向く。


「この俺を(おとし)め、(わら)いものに()とした。お前に喜劇(きげき)を話してやろう。心を病んだ孤独な男を(あざむ)くとどうなるか。社会に見捨てられ、ゴミ同然に扱われた男の末路だ」

一時は落ち着いていた感情が、再び(たか)ぶり大声を上げる、JOKER。


「次の言葉は『報いを受けろ。クソ野郎』か?」

空の言葉に(あわ)てて拳銃(けんじゅう)を取り出す、JOKER。勢いのまま拳銃(けんじゅう)を向けるが、いつの間にかほぼ0距離に近づいていた空に、照準(しょうじゅん)を合わせることはできなかった。


「映画の観過ぎだ」

空はJOKERに詰め寄り、拳銃(けんじゅう)ごと右手を掴むと、右手首を右回転させ、そのままJOKERに背を向ける体勢で、右腕ごと巻き込み、右肘(みぎひじ)関節可動(かんせつかどう)に沿って折った。

痛みは無い。しかし、関節可動(かんせつかどう)へ外部から力が加わると、瞬間的に(りき)みが奪われる。その身体の仕組みを利用した空は、あっさりと拳銃(けんじゅう)(はじ)き飛ばし、柔道の大腰(おおごし)のようにJOKERを地面に投げ飛ばした。完全なる見事な一本だった。


思い通りにいかず、歯軋(はぎしり)りするJOKER。(にら)みつけることで、辛うじての(あらが)いを見せていた。

「俺の喜劇(きげき)に入ってくるんじゃえねぇ」

起き上がった勢いのまま、(こぶし)を放つJOKER。空も(こぶし)で応戦。二つの(こぶし)はすれ違い、お互いの(ほお)にめり込んだ。二人とも倒れることなく、立ち止まっていたが、先に動いたのはJOKERだった。


左拳(ひだりこぶし)で空の(あご)を下から貫く。空は口から血を吐きながらも、殴られた勢いのままJOKERを頭突きする。


殴り合いは続き、お互いに限界を超えながらも、一進一退(いっしんいったい)の攻防を繰り広げた。しかし、攻防が途切れるのも時間の問題であった。


一発。

一発の(こぶし)虚空(こくう)(つか)むと、その決定的な(すき)を突くかのように、腹部へと強烈(きょうれつ)一撃(いちげき)が入る。(にぶ)い音と共に、(たき)のような吐血(とけつ)が地面を()める。


倒れたのは、空だった。

まともな呼吸がままならぬ状態で苦しみながらも、視線はJOKERに向き、(にら)みつけていた。


空を見下ろすように立つJOKERもまた、息が絶え絶えの状態で立っているのがやっとだった。

「残念だったな。捜査官。見ろ。美しいだろ」

周囲各地で火が立上(たちのぼ)り、暴動はいつしか災害と呼べる状況に(おちい)っていた。その様子を"美しい"と表現する、JOKERは満足そうに(わら)っていた。


JOKERは胸ポケットからナイフを取り出すと、空に向ける。ニヤニヤと(わら)っていた顔は、急に無表情になった。そして、深呼吸し、ナイフごと大きく腕を振り上げた。


"死"の音が聞こえた。

それは一瞬。しかし、明確()つ決定的な。


JOKERは振り向く。そして考える()もなく、吐血(とけつ)した。

その視線には、遼子がいた。そして、その手には自らの所持していた拳銃(けんじゅう)が握られており、銃口(じゅうこう)からは煙が出ていた。


「まさに喜劇(きげき)…」

言い残すかのように一言。そして、JOKERは倒れる。その顔は、まるで全世界から注目を浴びているコメディアンが舞台上で()せる笑顔そのものだった。目を閉じることも無く、笑顔のままで、JOKERとしての人生に幕を閉じた。



「空!」

遼子は倒れている空に駆け寄る。


「大丈夫…それより、咄嗟(とっさ)の作戦だったのに合わせてくれてありがとう」

弱々しい声の空。(せき)混じりに吐血(とけつ)する。


全ては空が咄嗟(とっさ)に思いついた作戦だった。過去2度の対戦で、JOKERを正攻法(せいこうほう)執行(しっこう)するのは難しいと感じていた。だからこそ、確実に執行するために、JOKERが空に固執(こしつ)していることを利用した。遼子が真っ先に倒されたのも、JOKERの意識が空一人に向くためだったのだ。


「ううん。空が命懸(いのちが)けで意識を引きつけてくれたお陰だよ」

心配そうな表情の遼子。その腕に抱きかかえられ、安心の表情を見せる、空。


「まだ、終わっていない。行こう」

ゆっくり立ち上がると、倒れそうになりながらも一歩を進める。

その身体を支えるように肩を回す、遼子。二人は一歩一歩、(しん)なる深淵(しんえん)に歩を進めた。



新東京庁舎タワー65階 展望台。


停止中のエレベーターから顔を(のぞ)かせ、周囲を確認する河下深月(かわしたみづき)。そこには、天井(てんじょう)の無い空中庭園(くうちゅうていえん)と地上530m(メートル)四方八方360度の絶景が広がっていた。


目視(もくし)では人影を確認できず、深月は手信号を送る。深月を筆頭(ひっとう)に、(あずさ)陽菜(ひな)愛華(あいか)拳銃(けんじゅう)(かま)えながら庭園に進入する。


「何かがおかしい」

梓は違和感(いわかん)を覚えた。この65階が最上階。そして、新宮(しんぐう)らは確実に最上階に向かっている。それはドローン映像にも映されており、ハッキングによって映像が差し替わっていないことを、陽菜(ひな)解析(かいせき)で証明している。にもかかわらず、この階で刺客(しかく)の攻撃が一切無いというのは不自然極まりない。


ハッと気づき、大声をあげる。

散開(さんかい)して!!!」

4人が四方(しほう)に跳ぶと、全方からの射撃音が鳴り響く。一瞬で庭園の植木やベンチなどが粉々になり、無数の銃弾の跳ね返りが花火のように光った。


梓は瞬時(しゅんじ)に全員の安否を確認する。全員、物陰(ものかげ)に身を潜め、砲煙弾雨(ほうえんだんう)(しの)いでいた。幾多(いくた)の場を乗り越えてきた陽菜と深月は無事だった。しかし、愛華は右太腿(みぎふともも)を抑え、身を(かが)めていた。被弾(ひだん)し血を流していたのだ。出血の量を鑑みても、至急の止血が必要な状態。尚も弾雨(だんう)止まぬ中、陽菜は飛び出すと、愛華の(もと)へ滑り込む。


「愛華ちゃん。ちょっと痛いけど我慢してね」

そう言うと、医療パックを持ち出し、肉にめり込んだ弾を取り出し始める、陽菜。当然、麻酔の無い手術に激痛が走る。愛華は声にならない(うめ)きを必死に押し殺した。


「梓。こうしててもキリが無い。私が引きつける。だから、あんたは先に進みな」

急に入る通信の声主(こわぬし)は深月だった。


「だめよ。この銃弾の中での(おとり)なんて」

梓は即座(そくざ)に否定した。理由は明白だ。いつ弾切れするか分からない弾雨(だんう)の中、(おとり)となって飛び出せば命はない。しかも、一度は銃弾(じゅうだん)に倒れた深月を二度も同じ目に()わすわけにいかなかった。


「ううん。これが最善だよ。この状況を打破(だは)するには誰がやらなきゃいけない」


「だったら、私が…」

深月が倒れた状況がフラッシュバックし、梓は冷静さを欠いていた。


「普段の冷静さはどこに行った? 深呼吸して、状況を見て。私は前陣特攻(ぜんじんとっこう)、あんたは指揮(しき)。ずっとそうやってやってきたじゃん。梓は新宮(しんぐう)仕留(しと)めて。それができるのはあんただけよ」

深月はいつにもなく冷静だった。冷静に梓の言葉を(さえぎ)り、道を示した。


梓は深呼吸をする。

「深月に指摘されたら、私も終わりね」

冗談交じりに苦笑すると、デバイスを操作し、(たちま)ち、梓の身体は透過し背景に溶け込んでいく。


「どういう意味だ(笑)」

深月がツッコミを入れると同時に、二人は左右に動く。一瞬、お互いを尻目に無事を祈り合うも、直後には視界が無くなるほどの銃弾が光学迷彩をしていない深月を(おそ)う。


無情なまでに響く銃声を背に、梓は正面の扉に真っ直ぐ走り、滑り込んだ。


「やれやれ、ついにここまで来るとはね」

どこかで聞き覚えのある、温かいと錯覚(さっかく)させるような声色(こわいろ)

梓はゆっくりと目を開く。空中庭園の扉の先にあったのは、数段の階段。そこを上がり広がったのは障害物の一切がない、屋上ヘリポートのような場所だった。


その中心で男は微笑(ほほえ)む。


「チェックメイトよ。神宮那岐(しんぐうなぎ)

エンフォーサーを向ける梓。しかし、やはりエンフォーサーは新宮(しんぐう)を識別すらしなかった。


「果たしてそう上手(うま)くいくかな?」

新宮(しんぐう)微笑(ほほえ)む顔を崩さなかったが、その奥に潜む禍々(まがまが)しき狂気を肌で感じていた。


「とはいえ、ここまで来ることができるのは君達、四課だと思っていた。常人(じょうじん)とは一線を(かく)す思考と行動。ある者は超直感(ちょうちょっかん)(すぐ)れ、ある者は高度な情報技術を(ゆう)し、ある者は人間離れした身体能力持ち、ある者は心理推察(しんりすいさつ)深淵(しんえん)(のぞ)く精神を兼ねた。そして、君だ。僕はね。このゲームに君達を組み込んだ時から、いつの日か来る直接対決を楽しみにしていたんだ。だから時間をかけてじっくり楽しみたいところなんだけど、あいにく僕は他の用事で忙しくてね」

少し寂しげな新宮(しんぐう)の表情は、楽しみにしていたプレゼントをクリスマス前に貰い、少しがっかりする子どものようだった。


「知らないわね。そんなこと。全ての元凶はあなたよ。ここで殺すわ」

エンフォーサーを収め、スタンバトンを取り出す梓。


「刑事の言葉とは思えない。以前、瀕死(ひんし)の仲間を(かか)えていた時にトドメを刺すことはできた。見逃した恩返しがあってもいいんじゃないか?」

不敵(ふてき)なまでの()みを浮かべる新宮(しんぐう)だが、心からの命乞(いのちご)いで無いことは一目瞭然(いちもくりょうぜん)だった。


「恩なんて無いわ。判断ミスを後悔するといいわ」

梓は一蹴(いっしゅう)すると、スタンバトンを振り(かざ)す。しかし、新宮(しんぐう)はそれを左手で(いな)すと、いとも容易くスタンバトンを弾き、右手で梓の顎下(あごした)から打ち抜く。梓もヒット瞬時に左手で防ぐも、身体ごと弾き飛ばされてしまう。体制を整え直し、突きを繰り出すも、その全てを新宮(しんぐう)(いな)すか(かわ)し、カウンターを仕掛けてくる。


この動きは間違いなく、シラットだった。


完全に新宮(しんぐう)のペースに呑まれ、梓の手数が減る。そして、体力が(けず)られる。一対一での対戦は、新宮(しんぐう)の方が何枚も上手だった。それでも、攻撃を止めない梓に新宮(しんぐう)は問いかける。

「君達が守る社会。その根幹(こんかん)を知りたいとは思わないのか?」


「興味ないし、そんなものはあんたを仕留めた後でもできるのよ」

梓の(けん)虚空(こくう)を掴むと、(ひじ)関節を抑えられたまま、投げ飛ばされる。地面に叩き付けられ、一瞬気を失いかけるが、新宮(しんぐう)の足が梓を踏み潰しにかかる。ギリギリのタイミングで(かわ)し、胸ポケットにあった拳銃(けんじゅう)を向けるが、銃口を向けた時には、蹴り上げられた足で拳銃(けんじゅう)は弾き飛ばされてしまった。梓は(くちびる)を噛むと、立ち上がる勢のまま左手で(けん)()く。しかし、それさえも届かず、手首を捻り上げられると、腹部を新宮(しんぐう)の左手膝が直撃した。狂気に満ちた顔でニヤリと笑う、新宮(しんぐう)


胃から血混じりの液を吐き出しながら、仰向けに倒れる梓。その意識は朦朧(もうろう)としていた。


「最後は呆気(あっけ)無い終わりに拍子抜(ひょうしぬ)け感は(いな)めないが、君達とのゲームは楽しかった。感謝するよ」

取り出した剃刀(カミソリ)を開き、ゆっくり近づく新宮(しんぐう)。その目には殺意(さつい)が満ちていた。


一歩一歩。死が近づく。梓にはそれを視線でしか(あらが)う力が残されていない。心拍数が高鳴り、死を覚悟した。


その瞬間。二発の銃声(じゅうせい)が鳴り響く。そして、倒れたのは新宮(しんぐう)だった。その左肩と左脚からは血が流れ出ている。


()ったのは、愛華だった。


「梓さん!」

一目散(いちもくさん)に梓に駆け寄る、愛華。

「怪我は? 他のみんなは?」

息も絶え絶えの梓。


「陽菜さんの応急処置で怪我は何とか。陽菜さんと深月さんも怪我はなく、あの場で応戦中です。二人が私を先に行かせてくれたんです」

愛華の説明、その背後で(うめ)くように苦しむ新宮(しんぐう)


「愛華。トドメを刺して」

梓の指示に、愛華は動揺(どうよう)した。


「奴はまだ生きている。でも、このまま生かしておくには危険過ぎる。全てに終止符(しゅうしふ)を打つことができるのは、愛華。あなただけよ」

何の覚悟も無かった。ただ、第四課の一員として、みんなを守りたい、その一心でここまでやってきた。だが、その手段は、"殺人"へと変わった。エンフォーサーでの執行ではなく、テロリストから奪った拳銃(けんじゅう)での"殺人"に。その事実を突きつけられ、頭は真っ白になった。


気づけば、新宮(しんぐう)拳銃(けんじゅう)を向けていた。引き金に指が掛かると、心臓の鼓動はさらに加速する。


しかし、ついに決心し指に力が入った瞬間、デバイスからコールが鳴る。


柚崎愛華(ゆずさきあいか) 捜査官。そちらの状況は把握している。(ただ)ちに神宮那岐(しんぐうなぎ)を保護しなさい」

その声主(こわぬし)は、公安庁局長・天宮碧葵(あまみやみき)だった。その言葉に決意が鈍る、愛華。


「だめよ。愛華。その男にトドメを刺して!」

絞り出すように声を出す、梓。


「これは勅命(ちょくめい)だ。柚崎愛華(ゆずさきあいか) 捜査官。君の冷静()つ聡明な正義をここで証明したまえ」

天宮の指示が梓の想いを()き殺す。


狭間(はざま)で押し潰されそうになり、思考は停止寸前だったが、ゆっくりと目を閉じ、何が正義かを自問自答する愛華。


「逮捕します」

愛華の決断だった。歯を食いしばり、悔しさも(にじ)ませた表情で神宮那岐(しんぐうなぎ)手錠(てじょう)をかけた。


殺害すれば悪。しかし悪を保護しても悪。何が正しい(おこな)いなのか、正義とは何なのか。それを問うかのように、手錠を締める鉄の音が響いた。


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