FILE.20 鉄音
「何だと? 」
背凭れに深々と背を預け、目を閉じていた、局長 天宮碧葵が呟く。天宮を覆い隠すかのように展開された無数のホログラム。映し出されているのは、都内全域の中継映像だった。
「それが本当であれば、理論上の存在ということになる。いや、待て。システムの結論を一端末の処理能力で把握するのは困難だ。一度、セントラルで同期したい───」
天宮は静かに目を開けると、部屋の機能が失われたかのように、展開されたホログラムは次々と閉じられ、最後には部屋の電気も落ちた。
人の気配が消えた室内。公安庁の中枢は眠るかのように静かに息を潜めた。
新東京庁舎タワー 地下施設。
巨大な地下空間が広がり、延々と続く階段はまるで、奈落へと繋がっているようだった。広大な空間にも関わらず、階段を駆け下りる音が反響せず、大きな力に阻害されるかのような圧迫感は、"異様"と呼ぶに相応しかった。
「おい、立華。ここはどうなってんだ?」
マッピングに無い空間。あるのは下に続く階段のみ。木嶋丈太郎は嫌な予感がしていた。少しだけでも情報があれば、その思いで陽菜に無線を飛ばすが、応答が無い。
「………聞こえてないのか? 立華! 応答しろ!」
「木嶋さん、通信が切れてます」
慌てた様子の結城巧。
「ただ単に通信が切れたわけじゃないな。この空間全てが電波暗室になっている。奴らが狙う社会秩序の根幹たるモノは、完全に外部と切り離さなきゃいけない程、秘匿すべき代物ってことだ」
宮下直也は考えていた。テロリスト達が求める、事件の先に何があるのかを。
もうどれだけの階段を駆け下りたのか。階数で言えば何階になるのか皆目見当も付かない。絶えること無く現れる踏み板にも見飽きていたが、見納めは突然訪れた。うんざりする程の階段を下りきったのだった。
3人はようやく平坦な道に足を付けたが、やがて再びうんざりする。先が点となる程、通路が続いていたのだ。
「ようやく…」
結城が声を発した直後、宮下は慌てて結城の口を抑える。
木嶋が人指し指を口に当て、"喋るな"というジェスチャーを取ると、手信号を2人に送る。一見、見通しが良い直線に見えて、その側面にはパイプ管やら非常口のような扉があり、敵からの奇襲があった場合、完全な的だった。
なるべく壁際に肩を付け、いつでも応戦できるように進む3人。油断も隙も無く進む中、状況が一変する激しい金属音が鳴り響く。
「ンッッッッーーーーーーーーーー!!!!!!!!!」
声にならない悲鳴でしゃがみ込む、結城。その右足は、狩り用の古風な罠が肉を抉り掴んでいた。木嶋と宮下が驚く間もなく、どこかに仕掛けられているであろうサイレンが鳴り、真赤な警光灯が周囲を照らす。
「罠か!?」
木嶋は舌打ちをした。
「木嶋さん!上だ!」
宮下の掛け声とほぼ同時に何発もの発砲音が鳴り響く。その音は、アネスシーザーから発せられる音では無かった。
国道環線695-新東京庁舎タワー前通り。
ガソリンの匂いが立ち込め、道路上には所々に火が上がっていた。
気息奄奄と漏れる息。眼には炎、そして一人の男が映っていた。井川空は左膝を付き、スタンバトンを地面に突き付け支えとしていた。
「まさかこんなんで終わりじゃないだろう? まだまだ宴の真っ最中じゃないか」
"JOKER"こと、ピエロのメイクをした男は、燃え盛る街を披露するかのように両手を広げ、満面の笑みで戯けてみせた。
「宴だと? 勘違いするなよ。殺人狂。お前は、崩壊した社会秩序を見て、自分が世界を創り変えたのだと勘違いしている、ただのイカレ野郎ってだけだ」
空は立ち上がると、左手で唇から出る血を拭った。
「イカレてるのは俺じゃない。この社会さ。お前だって感づいているはずだ。この社会の違和感に。それを見ないふりして、一般人を装っている。言ったろう? お前は俺と同類だって。ほーら。銃声や撲殺の音が、まるで音楽のように聞こえるだろう?」
JOKERの表情は、クラシック音楽を聴き入るような、惚れ惚れとしたものだった。
「音楽だと? 馬鹿言うなよ。本来、人が人を殺す音なんて屁みたいなもんだ。『ご迷惑をおかけして申し訳ございません』と赤面すべき、恥の音だ。至る所から聞こえる事事態、異常なんだよ。そもそも音楽に例えるお前と同類扱いされても虫唾が走るだけだね」
「いいや、やっぱりお前も同類だ。その眼には、俺を殺すことしか映っていない。倒れている仲間そっちのけで、殺し合いに興じている。破壊の先にある快楽を前に、他人の状況などに興味は無いんだろう?」
狂気を滲ませた笑顔を見せながら、指を差す、JOKER。指先には、うつ伏せに倒れている遼子がいた。
空は尻目に遼子を見ると、すぐに視線をJOKER戻し、睨みつけた。
「一歩踏み出せよ。こちら側は楽しいぞ?」
終始ケタケタと嘲嗤っていたのが嘘だったかのように、急に笑顔が消え、真面目な表情で誘うように手を差し伸べる、JOKER。
異様な間が空く。二人とも微動だにしないまま一刻一刻が過去に流れていく。実時間は数秒だったが、感覚は数時間のようにゆっくりと流れていった。
その沈黙を破ったのは、空だった。
「お前、寂しいのか?」
その一言が空気を一変させた。
「何?」
間髪入れず問う、JOKER。先ほどまでとは異なる狂気を目に宿し、空を睨んだ。
「寂しいんだろ? 一人ぼっちが。だから、自分の価値観を押し付けて、俺を仲間にしようとしてるんだろ?」
表情を崩さず、冷めた目で問いかける、空。
パンパンパンパン
怒りを抑えるかのように、数発の銃声を響かせ、声を上げるJOKER。
「違う」
天に向かって撃った薬莢がカラカラと音を立て落ちる。
しかし、空は一切引かず、問い詰めた。
「お前は一人ぼっちだ。生まれた時からずっと。孤独の中で、愛を知らず、自己妄想の中だけで脚光を浴びてきた」
「違う違う違う!!!!」
空の指摘を掻き消すかのように、大声で否定する、JOKER。焦りと怒りは限界に達していた。
「違わない。妄想の中でしか、お前の願望を叶えられない。妄想こそが、社会から孤立した、お前の精神を生かす最後の砦だからだ」
現実を辻褄合わせで理解していた。しかし、空の指摘が、噛み合っていた辻褄に狂いを生んだ。
そして、JOKERの視界は突如、真っ暗闇のようにプツリと切れた。
石原丈が目を開けると、いつものように穏やかな世界が広がっていた。両親からの愛を受け、友人との思い出を育み、社会や他人から常に必要とされる人生の記憶。どれを思い返しても温かく、この上ない幸せを送る人生。
…そのはずだった。
何かが割れる、そんな音がした。まるで、ガラス扉を叩き割った音。
そして、足元から冷たい空気が入り込む。
異変に気づき、辺を見渡すと、温かだったはずの記憶が次々と塗り換わっていく。
母など生まれた頃にはおらず、父親から虐待を受ける日々。そこに、両親からの愛など無かった。
障害者であるが故に、好奇の目に晒される日々。想いも伝わらず、不気味がられては誰一人とさえ寄り付かなかった。当然、友人と呼べる存在は無かった。
支援をまともに受けられず、社会や街さえも見捨てた。荒んだエリアで、生にしがみ付く日々。同じように社会から弾かれた不適合者にも序列があり、そんな最低辺の中でも虐げられた。
何度も現状を変えてみようと藻掻いてみた。自分なりのやり方で。
誰かノ温ヵさが欲シイ。だから、道を歩イテいる猫ニ触れて、直に温かさを感じタ。
誰かに振リ向ィて欲シい。だから、あっと驚くことをやって、目ヲ逸らさズにはいれなくスレバ良い。
誰かノ愛情が欲しイ。関わっタ瞬間ニ、命を取ってあげれば永遠ニ………
「そうだ、僕がこの世界のJOKERだ。」
JOKER=石原丈は静かに目を開く。心を精神世界に置くことで、彼にとって精神世界が現実=居場所であり、現実は夢だった。そんな彼が見続けた精神世界は、割れたガラスのように崩れ去り、二つの世界が入り交じる。いや、精神世界が現実を侵食していた。両手は夥しい程の血に濡れ、心は光すらも呑み込む程の狂気で塗り潰されていた。
「お前は最低だ」
狂気を纏った言葉が、空へと向く。
「この俺を貶め、嗤いものに堕とした。お前に喜劇を話してやろう。心を病んだ孤独な男を欺くとどうなるか。社会に見捨てられ、ゴミ同然に扱われた男の末路だ」
一時は落ち着いていた感情が、再び昂ぶり大声を上げる、JOKER。
「次の言葉は『報いを受けろ。クソ野郎』か?」
空の言葉に慌てて拳銃を取り出す、JOKER。勢いのまま拳銃を向けるが、いつの間にかほぼ0距離に近づいていた空に、照準を合わせることはできなかった。
「映画の観過ぎだ」
空はJOKERに詰め寄り、拳銃ごと右手を掴むと、右手首を右回転させ、そのままJOKERに背を向ける体勢で、右腕ごと巻き込み、右肘を関節可動に沿って折った。
痛みは無い。しかし、関節可動へ外部から力が加わると、瞬間的に力みが奪われる。その身体の仕組みを利用した空は、あっさりと拳銃を弾き飛ばし、柔道の大腰のようにJOKERを地面に投げ飛ばした。完全なる見事な一本だった。
思い通りにいかず、歯軋りするJOKER。睨みつけることで、辛うじての抗いを見せていた。
「俺の喜劇に入ってくるんじゃえねぇ」
起き上がった勢いのまま、拳を放つJOKER。空も拳で応戦。二つの拳はすれ違い、お互いの頬にめり込んだ。二人とも倒れることなく、立ち止まっていたが、先に動いたのはJOKERだった。
左拳で空の顎を下から貫く。空は口から血を吐きながらも、殴られた勢いのままJOKERを頭突きする。
殴り合いは続き、お互いに限界を超えながらも、一進一退の攻防を繰り広げた。しかし、攻防が途切れるのも時間の問題であった。
一発。
一発の拳が虚空を掴むと、その決定的な隙を突くかのように、腹部へと強烈な一撃が入る。鈍い音と共に、滝のような吐血が地面を染める。
倒れたのは、空だった。
まともな呼吸がままならぬ状態で苦しみながらも、視線はJOKERに向き、睨みつけていた。
空を見下ろすように立つJOKERもまた、息が絶え絶えの状態で立っているのがやっとだった。
「残念だったな。捜査官。見ろ。美しいだろ」
周囲各地で火が立上り、暴動はいつしか災害と呼べる状況に陥っていた。その様子を"美しい"と表現する、JOKERは満足そうに嗤っていた。
JOKERは胸ポケットからナイフを取り出すと、空に向ける。ニヤニヤと嗤っていた顔は、急に無表情になった。そして、深呼吸し、ナイフごと大きく腕を振り上げた。
"死"の音が聞こえた。
それは一瞬。しかし、明確且つ決定的な。
JOKERは振り向く。そして考える間もなく、吐血した。
その視線には、遼子がいた。そして、その手には自らの所持していた拳銃が握られており、銃口からは煙が出ていた。
「まさに喜劇…」
言い残すかのように一言。そして、JOKERは倒れる。その顔は、まるで全世界から注目を浴びているコメディアンが舞台上で魅せる笑顔そのものだった。目を閉じることも無く、笑顔のままで、JOKERとしての人生に幕を閉じた。
「空!」
遼子は倒れている空に駆け寄る。
「大丈夫…それより、咄嗟の作戦だったのに合わせてくれてありがとう」
弱々しい声の空。咳混じりに吐血する。
全ては空が咄嗟に思いついた作戦だった。過去2度の対戦で、JOKERを正攻法で執行するのは難しいと感じていた。だからこそ、確実に執行するために、JOKERが空に固執していることを利用した。遼子が真っ先に倒されたのも、JOKERの意識が空一人に向くためだったのだ。
「ううん。空が命懸けで意識を引きつけてくれたお陰だよ」
心配そうな表情の遼子。その腕に抱きかかえられ、安心の表情を見せる、空。
「まだ、終わっていない。行こう」
ゆっくり立ち上がると、倒れそうになりながらも一歩を進める。
その身体を支えるように肩を回す、遼子。二人は一歩一歩、真なる深淵に歩を進めた。
新東京庁舎タワー65階 展望台。
停止中のエレベーターから顔を覗かせ、周囲を確認する河下深月。そこには、天井の無い空中庭園と地上530m四方八方360度の絶景が広がっていた。
目視では人影を確認できず、深月は手信号を送る。深月を筆頭に、梓、陽菜、愛華が拳銃を構えながら庭園に進入する。
「何かがおかしい」
梓は違和感を覚えた。この65階が最上階。そして、新宮らは確実に最上階に向かっている。それはドローン映像にも映されており、ハッキングによって映像が差し替わっていないことを、陽菜の解析で証明している。にもかかわらず、この階で刺客の攻撃が一切無いというのは不自然極まりない。
ハッと気づき、大声をあげる。
「散開して!!!」
4人が四方に跳ぶと、全方からの射撃音が鳴り響く。一瞬で庭園の植木やベンチなどが粉々になり、無数の銃弾の跳ね返りが花火のように光った。
梓は瞬時に全員の安否を確認する。全員、物陰に身を潜め、砲煙弾雨を凌いでいた。幾多の場を乗り越えてきた陽菜と深月は無事だった。しかし、愛華は右太腿を抑え、身を屈めていた。被弾し血を流していたのだ。出血の量を鑑みても、至急の止血が必要な状態。尚も弾雨止まぬ中、陽菜は飛び出すと、愛華の下へ滑り込む。
「愛華ちゃん。ちょっと痛いけど我慢してね」
そう言うと、医療パックを持ち出し、肉にめり込んだ弾を取り出し始める、陽菜。当然、麻酔の無い手術に激痛が走る。愛華は声にならない呻きを必死に押し殺した。
「梓。こうしててもキリが無い。私が引きつける。だから、あんたは先に進みな」
急に入る通信の声主は深月だった。
「だめよ。この銃弾の中での囮なんて」
梓は即座に否定した。理由は明白だ。いつ弾切れするか分からない弾雨の中、囮となって飛び出せば命はない。しかも、一度は銃弾に倒れた深月を二度も同じ目に遭わすわけにいかなかった。
「ううん。これが最善だよ。この状況を打破するには誰がやらなきゃいけない」
「だったら、私が…」
深月が倒れた状況がフラッシュバックし、梓は冷静さを欠いていた。
「普段の冷静さはどこに行った? 深呼吸して、状況を見て。私は前陣特攻、あんたは指揮。ずっとそうやってやってきたじゃん。梓は新宮を仕留めて。それができるのはあんただけよ」
深月はいつにもなく冷静だった。冷静に梓の言葉を遮り、道を示した。
梓は深呼吸をする。
「深月に指摘されたら、私も終わりね」
冗談交じりに苦笑すると、デバイスを操作し、忽ち、梓の身体は透過し背景に溶け込んでいく。
「どういう意味だ(笑)」
深月がツッコミを入れると同時に、二人は左右に動く。一瞬、お互いを尻目に無事を祈り合うも、直後には視界が無くなるほどの銃弾が光学迷彩をしていない深月を襲う。
無情なまでに響く銃声を背に、梓は正面の扉に真っ直ぐ走り、滑り込んだ。
「やれやれ、ついにここまで来るとはね」
どこかで聞き覚えのある、温かいと錯覚させるような声色。
梓はゆっくりと目を開く。空中庭園の扉の先にあったのは、数段の階段。そこを上がり広がったのは障害物の一切がない、屋上ヘリポートのような場所だった。
その中心で男は微笑む。
「チェックメイトよ。神宮那岐」
エンフォーサーを向ける梓。しかし、やはりエンフォーサーは新宮を識別すらしなかった。
「果たしてそう上手くいくかな?」
新宮は微笑む顔を崩さなかったが、その奥に潜む禍々しき狂気を肌で感じていた。
「とはいえ、ここまで来ることができるのは君達、四課だと思っていた。常人とは一線を画す思考と行動。ある者は超直感に優れ、ある者は高度な情報技術を有し、ある者は人間離れした身体能力持ち、ある者は心理推察と深淵を覗く精神を兼ねた。そして、君だ。僕はね。このゲームに君達を組み込んだ時から、いつの日か来る直接対決を楽しみにしていたんだ。だから時間をかけてじっくり楽しみたいところなんだけど、あいにく僕は他の用事で忙しくてね」
少し寂しげな新宮の表情は、楽しみにしていたプレゼントをクリスマス前に貰い、少しがっかりする子どものようだった。
「知らないわね。そんなこと。全ての元凶はあなたよ。ここで殺すわ」
エンフォーサーを収め、スタンバトンを取り出す梓。
「刑事の言葉とは思えない。以前、瀕死の仲間を抱えていた時にトドメを刺すことはできた。見逃した恩返しがあってもいいんじゃないか?」
不敵なまでの笑みを浮かべる新宮だが、心からの命乞いで無いことは一目瞭然だった。
「恩なんて無いわ。判断ミスを後悔するといいわ」
梓は一蹴すると、スタンバトンを振り翳す。しかし、新宮はそれを左手で去すと、いとも容易くスタンバトンを弾き、右手で梓の顎下から打ち抜く。梓もヒット瞬時に左手で防ぐも、身体ごと弾き飛ばされてしまう。体制を整え直し、突きを繰り出すも、その全てを新宮は去すか躱し、カウンターを仕掛けてくる。
この動きは間違いなく、シラットだった。
完全に新宮のペースに呑まれ、梓の手数が減る。そして、体力が削られる。一対一での対戦は、新宮の方が何枚も上手だった。それでも、攻撃を止めない梓に新宮は問いかける。
「君達が守る社会。その根幹を知りたいとは思わないのか?」
「興味ないし、そんなものはあんたを仕留めた後でもできるのよ」
梓の拳は虚空を掴むと、肘関節を抑えられたまま、投げ飛ばされる。地面に叩き付けられ、一瞬気を失いかけるが、新宮の足が梓を踏み潰しにかかる。ギリギリのタイミングで躱し、胸ポケットにあった拳銃を向けるが、銃口を向けた時には、蹴り上げられた足で拳銃は弾き飛ばされてしまった。梓は唇を噛むと、立ち上がる勢のまま左手で拳を突く。しかし、それさえも届かず、手首を捻り上げられると、腹部を新宮の左手膝が直撃した。狂気に満ちた顔でニヤリと笑う、新宮。
胃から血混じりの液を吐き出しながら、仰向けに倒れる梓。その意識は朦朧としていた。
「最後は呆気無い終わりに拍子抜け感は否めないが、君達とのゲームは楽しかった。感謝するよ」
取り出した剃刀を開き、ゆっくり近づく新宮。その目には殺意が満ちていた。
一歩一歩。死が近づく。梓にはそれを視線でしか抗う力が残されていない。心拍数が高鳴り、死を覚悟した。
その瞬間。二発の銃声が鳴り響く。そして、倒れたのは新宮だった。その左肩と左脚からは血が流れ出ている。
撃ったのは、愛華だった。
「梓さん!」
一目散に梓に駆け寄る、愛華。
「怪我は? 他のみんなは?」
息も絶え絶えの梓。
「陽菜さんの応急処置で怪我は何とか。陽菜さんと深月さんも怪我はなく、あの場で応戦中です。二人が私を先に行かせてくれたんです」
愛華の説明、その背後で呻くように苦しむ新宮。
「愛華。トドメを刺して」
梓の指示に、愛華は動揺した。
「奴はまだ生きている。でも、このまま生かしておくには危険過ぎる。全てに終止符を打つことができるのは、愛華。あなただけよ」
何の覚悟も無かった。ただ、第四課の一員として、みんなを守りたい、その一心でここまでやってきた。だが、その手段は、"殺人"へと変わった。エンフォーサーでの執行ではなく、テロリストから奪った拳銃での"殺人"に。その事実を突きつけられ、頭は真っ白になった。
気づけば、新宮に拳銃を向けていた。引き金に指が掛かると、心臓の鼓動はさらに加速する。
しかし、ついに決心し指に力が入った瞬間、デバイスからコールが鳴る。
「柚崎愛華 捜査官。そちらの状況は把握している。直ちに神宮那岐を保護しなさい」
その声主は、公安庁局長・天宮碧葵だった。その言葉に決意が鈍る、愛華。
「だめよ。愛華。その男にトドメを刺して!」
絞り出すように声を出す、梓。
「これは勅命だ。柚崎愛華 捜査官。君の冷静且つ聡明な正義をここで証明したまえ」
天宮の指示が梓の想いを掻き殺す。
狭間で押し潰されそうになり、思考は停止寸前だったが、ゆっくりと目を閉じ、何が正義かを自問自答する愛華。
「逮捕します」
愛華の決断だった。歯を食いしばり、悔しさも滲ませた表情で神宮那岐に手錠をかけた。
殺害すれば悪。しかし悪を保護しても悪。何が正しい行いなのか、正義とは何なのか。それを問うかのように、手錠を締める鉄の音が響いた。