FILE.19 魂の基準
「引き続き、市民の皆様にお知らせいたします。現在、都内全域に屋内待避命令が発令されています。解除まで、外出の自粛をお願いします。繰り返します───」
テレビを付けるとチャンネル問わず、暴動関連のニュースと公安庁から屋内待避命令のアナウンスが繰り返し放送されていた。CMも無く、繰り返し流れる緊急の情報に、都民は終わりが見えない不安と恐怖を募らせていく。
そして、それは捜査官も同じだった。
「キリが無い」
焦りを隠しきれず、舌打ちする、手塚鈴華二課班長。仮面の連中と暴徒と化した市民に取り囲まれた、手塚と3人の部下は背中を合わせ、対処していた。しかし、圧倒的な数を前に手数は減り、疲労と恐怖は増し、負の状況に陥っていた。
「う、うわあぁぁぁああああ」
一人の捜査官が腕を引かれ、暴徒の中へ引きずり込まれていく。そして、間もなく聞こえるのは悲鳴と何度も殴られるような鈍く、痛々しい物理音だった。仲間が殺される状況を目の当たりにし、捜査官達の恐怖はストレス異常値を記録するになっていた。
「全員、陣形を固め、各個に応戦よ。絶対に崩さないで」
恐怖を振り払うかのように手塚は大声を出す。それは自分が抱く恐怖を消すためでもあった。しかし、鼓舞が意味を成さないほどに、目の前に迫る狂気が彼らの心を蝕んでいく。
「も、もう嫌だ…」
ついに一人の捜査官の心が狂気に呑まれ、陣形を崩すと、瞬く間に狂気が捜査官を包み、暴徒の渦に引きずり込まれていく。
「ごめんなさい。ごめんなさい。もうしませんから。痛い。痛い。許して」
捜査官の悲痛な叫びはどんどんと弱々しくなる反面、未だ抗い続ける、手塚ともう一人の捜査官に植え付けられる恐怖は大きくなる。個々の狂気は集合的狂気となり、その場は途轍もないストレス禍と化していた。
「もういいわ。江藤君。ここまでよ」
手塚はアネスシーザーを静かに下ろす。その諦めの目には、涙が浮かんでいた。
「班長…」
江藤直樹もまたアネスシーザーを下ろすと、手塚を見て微笑んだ。
「俺は、最期まで班長と一緒です」
その一言に、手塚自身、肩に憑くものが降りた、そんな気がした。
「でも、俺は刑事ですから、せめてこいつらを」
そう言うと、引き抜いた栓の跡に、落ちていたであろうナイフを強く刺した電磁パルスグレネードを握り、暴徒へと突っ込んでいった。
「だめよ!待っ───」
手塚が静止する間もなく、閃光により視界が奪われると、直後、大爆発が起きた。刺したナイフがグレネード内の回路を短絡したことで、衝撃電流が発生、暴発し、熔融爆発に繋がったのだ。
一瞬で、焦土と化し、捜査官全滅、死亡者多数の結果は、公安庁始まって以来、最悪の事態となってしまった。
新東京庁舎タワー 44階-45階非常階段。
「クリア」
誰もいない空間で聞こえる小声。
「全員、解除していいわよ」
僅かな空間の歪みから姿を現したのは、梓だった。そして、陽菜、深月、愛華も続けて光学迷彩を解除する。
「40階までの物流エレベーターとここまでの経路に全く刺客がいないなんて。拍子抜けも良い所だよ」
苦笑いの深月は、困りポーズをしてみせた。
「たしかに、ここまでのフロアー、防犯ドローンにも刺客の姿はありませんでした。まるで、私達を本命から遠ざけたいかのよう」
深月に賛同するかのように感想を述べる、愛華。
「でも、テロリストが向かったのは、65階B棟展望フロア。そして、そこへ行くには、この扉の向こうにあるB棟への連絡通路を通らなきゃいけないわ。そして、肝心の連絡通路の防犯映像は、意図的に消されている」
陽菜はアクセスした映像をホログラムで空間上に出すが、どれも砂嵐が映るばかりであった。
「まず、間違いなく刺客は扉の向こうで待ち構えていると考えるべきね。ここからは命のやり取りになる。躊躇も同情も不要よ」
梓の判断に、ニヤリと笑ったのは深月だった。
「OK。なら、私が先陣切るね」
そう言うと、深月は扉を強く開け、光学迷彩を纏うことなく通路を真っ直ぐ走る。
梓の読み通り、通路の角ではテロリストが待ち構えていた。光る銃口。そして、次の瞬間には、連続した銃声と共にパラベラム弾が宙を舞う。しかし、弾丸雨注ですら、兎を捉えきれず、あっという間に間合いは詰まっていく。深月の右足がついに角に差し掛かると、滑り込むように顔を出し、向けられた銃口の死角に音も無く入り込んだ。テロリスト達が辛うじて動きを捉えられたのは視覚だけだった。深月は、一瞬の隙をも与えることなく、テロリストの右肩を掴むと、いつ、どこから取り出したのかが分からないMk3 Navy*¹で頸動脈を切り捨てた。真っ白な仮面が真っ赤に染まっていくのを目の当たりにし、テロリスト一同は理解する。相手にしているのは"兎などでは無い"ということを。
数分と経たずに、角から手招きの合図が見える。梓、陽菜、愛華が手招きの方へと向かうと、文字通り血祭り状態でテロリストが死んでいた。その中心には返り血を浴びること無く立つ、深月が立っている。愛華は、惨状に狼狽えながらも、平然を装うとしていた。
「どうだった?」
梓が深月に問いかけたのは、テロリストの戦力だった。深月は、対峙した相手の戦力を本能的に分析し、具体例に当てはめる特技を持っていた。
「これまでの素人とは全く別。あの動き、特殊部隊よ」
普段のおちゃらけた話し方とは別人のような雰囲気の深月。本気の深月。それはまるで、一狩りを終えた獣のようだった。
「見て。たぶん、これがスキャナーやエンフォーサーの識別を阻害してる装置よ」
しゃがんでテロリストの遺体を調べていた、陽菜。遺体から仮面を外し、裏面右、顳顬辺りに付着していた、1cm大の黒いチップを指差した。その装置にデバイスを向ける陽菜。空間に表示されたホロ画面には、オシロスコープのように波形が表示されていた。
「解析してみないと確証はないけど、装置から生体情報を相殺する周波数が出てる。しかも、限りなく誤差無くね。で、これは私の生体波長」
陽菜は、デバイスを装置から遠ざけ、自分を翳した。
そして、デバイスを翳したまま、仮面を自分の顔に被せると、陽菜の生体波長に合わせるかのように、装置から出る波長が逆相に動き、次第に相殺してしまった。
「やっぱりそう。この装置、街頭スキャニングの阻害してるんじゃないわ。この装置自体が識別スキャナーの役割を果していて、スキャニングした人間の生体情報を基に逆相波形を誤差なく生成して、生体情報を相殺している。だから、仮面を付けた人物から生体情報が検出できず、見える透明人間ができあがるってわけね」
陽菜は仮面から装置を取り外し、ハンカチに包んでポケットにしまった。
「タネは掴めましたね。こんなに小型なら、わざわざ仮面に付けなくてもいいはず。ペスト医師風の仮面を付けた男も、ピエロメイクの男も装置を隠し持っていた。だから、スキャニングできないんですね…」
愛華は自分で推理しながら、疑問が湧き上がった。
「ん?…でも、どうしてでしょう。ペスト医師風の男は私がエンフォーサーで執行しましたし、空さんと遼子さんの話だと、最初に交戦した時はエンフォーサーが反応していたって言ってました」
「たぶん、機能を意図的に停止できるのよ。理由は分からないけど、最初の交戦時は機能が切られていた。そして、それができるのは恐らく、アメノヌボコ計画により装置が無くても透明人間になれる、新宮、ただ一人。まぁそれも全て本人から吐かせるのが近道ね。陽菜、移動しながらでも解析できるよね?」
梓は通路の先をずっと見つめていた。今は、主犯にして、黒幕の新宮を執行することだけを考えているかのようだった。
「もちろんよ」
陽菜はゆっくりと立ち上がる。
「この先の相手が何人いるか分からないけど、軍特殊部隊レベルの相手と殺し合いになる。エンフォーサーが使えない以上、こっちを使いましょう」
梓は、遺体から拳銃と銃弾を取り上げた。陽菜も深月も何食わぬ顔で拳銃を取り上げていたが、治安を目的としたエンフォーサーとは違い、殺人目的で製造され、テロリストが所持していた拳銃を奪い、所持することに、愛華の気持ちは複雑だった。
「急ぐわよ」
梓は言い終わる前に走り出していた。愛華も迷ってはいられず、慌てて拳銃を取り走り出した。
新東京庁舎タワー 地下6階フロアー 最深議事室。
「お前ら、大丈夫か?」
息を荒げて問いかけたのは、木嶋丈太郎一課班長だった。その足元には、仮面を付けたテロリストが3人倒れている。
「あぁ、だが、正直こいつら想像以上だ。間違いなく、軍か特殊部隊上がりだよ。動きに無駄が無さ過ぎる。おまけに着けている仮面のせいで、アネスシーザーがガラクタだ。こんなのがあと何人いるか分からないが、厄介だよ」
大きく溜息を吐くと、タバコを取り出し、火をつけた。
「ですね。それにしても、他の連中はどこに行ったんですかね? たしかにこのフロアのドローン映像には、テロリスト達が映っていました。それなのに姿が見えないないだなんて。マッピング上も地下はこのフロアで終わりのはずですし、他の部屋や通路も見ましたが、隠れるようなところなんてどこにもありませんでした。奴ら、一体どこに」
だらしの無い尻餅を付く、結城巧。
「共同溝か、もしくはマッピングに記録が無い場所…だろうな。宮下、どう思う?」
辺りを見渡す、木嶋。
「四課が掴んだ情報だと、奴らの本命はこの社会秩序の根幹に関わる"何か"だ。普通なら首謀者とハッカーが二人揃って、本命に向かうところを二手に別れた。たぶん、四課が首謀者を追うことも折込済みなんだろう。だから、敢えて自らを囮にして、手下のハッカーが本命に向かった。公安を撹乱する為もあり、目的を遂行させる為に四課には遠ざかってもらいたいからだ。奴らの本命はそういう代物ってことだ。もし、俺が奴らなら、当然マップ情報は当にしない。得ている情報全てに疑いを持つ…立華。聞こえてるか?」
壁を触りながら、陽菜を呼ぶ、宮下。
「聞こえてるよ。私もその線で、穴を探してたの。あと、2、3分で解析が終わるわ」
デバイスの向こうからは陽菜の声だけで無く、銃声が聞こえていた。
「まさか、そんな…」
陽菜の声が漏れる。
「どうした?」
宮下が聞き返した。
「得ている情報全てが怪しいって言ったわよね。その通りだったわ。映像はもちろん。今、見ている視覚情報もね」
陽菜の言葉が言い終わった途端、目の前の景色は展開させていた室内ホロがピクセル上に崩れていくように、次々と別の景色へと変わっていった。現れた景色は、巨大な機械室のような場所だった。
「おいおいおい。なんだよこりゃ。部屋だけじゃねぇ。フロアー全体がホロで偽装してるなんて可怪しいだろ」
全く違う景色に驚きを隠せない、木嶋。
そして、違和感に気づき、目を細めると、正面奥の壁に抉じ開けた傷のような見つけ、そこに向かい小走りする。明らかに強引に付けられた傷を前に、吸い寄せられるようにゆっくりと手を触れた。
ガチャン。
大きな音を立て、150cm四方のパネルが前に倒れ、下へと繋がる階段が姿を現した。
「おい。何なんだよ」
木嶋の額から一粒の汗が滴り落ちる。後から来た、宮下と結城も、深淵に深く繋がる階段を見て、息を呑む。
「お前ら。俺の感だが、この件は相当やべえ。テロリスト云々じゃなくて、それ以前に触れちゃいけねぇもんが下にある。こっから先は付いて来ようが、来なかろうが、キャリアに影響しないようにする。だから、今すぐに選べ」
ただの一度も二人を見ることなく、ただ真下を見つめて木嶋は告げた。
「何でそうなるんだよ。俺達はあんたに育ててもらったんだ。あんたから学んだ刑事のイロハに、引き返すなんて文字は無かっただろ」
火の付いたタバコを握り潰す、宮下。恐怖はある。だが、覚悟を再確認しているようだった。その後ろで、結城は何度か首を縦に振っていた。
「後悔すんなよ」
一言口にすると、スタンバトンを手に階段を下りる、木嶋。続けて、宮下と結城も駆け下りる。
駆け下りる足音に掻き消されるように、通信エラーになる無線。外界との命綱を絶たれ、3人はまるで地獄へと落ちる囚人の如く、闇へと降りて行った。
新東京庁舎タワー 64階 大型ホロジオラマ広場。
最上階展望台を目前に、空気は張り詰めていた。一見、誰もいない空間で空気が光によって歪む。
一瞬だった。
空間を裂くように、深月が飛び出すと、前方から10人以上のテロリスト達が短機関銃を連射する。続けて、梓も飛び出し、右手に拳銃、左手にナイフを持ち、テロリストへと発砲しながら走る。
愛華は、2人をサポートすべく影から発砲するが、躊躇う気持ちで引き金を引く指が重く感じていた。それでも、仲間が銃弾によって倒れるのだけは見たくないという想いから、必死に気持ちを押し殺し、引き金を引いていた。
深月は先頭のテロリストの死角に入るが、中階層までの連中のように、瞬時に頸動脈を刈り取れないと判断すると、梓に指信号を送り、数歩ずつ跳ぶように下がりながら、拳銃で応戦する。
深月がジオラマの影に身を隠すと、梓も身を隠しながら発砲。テロリストもそれ以上、前に歩を進めることができず膠着していた。
「奴ら外国人だった。戦い方も傭兵のソレだよ」
深月は、ジオラマを背に銃弾を防ぎながら、梓に伝えた。訓練を重ね、統率された軍や特殊部隊には無い、実戦で培った技術は、紛れもなく人殺しに特化され一線を画していた。
「面倒だけど仕方がないわね。陽菜!」
梓がデバイス越しに名前を呼ぶと、陽菜は準備していたかのように返事した。
「準備はできてるわ!全員、IRIS PROTECTION*²を展開して!」
梓、陽菜、深月、愛華の瞳が数秒青く光る。直後、前方でテロリスト達が動転する声が聞こえた。
再び、深月が先行で飛び出し、その後を追い梓がテロリスト達に突っ込む。陽菜が仕掛けた幻覚ホロにより、テロリスト達の視覚は、床も天井も空間も歪み、視覚情報によって齎された誤認は、感覚さえも錯覚を招いていた。故に、平衡感覚が失われ、まるで回転棒の後のようにふらついていた。その隙に、深月はテロリストの足元から肉を削ぐように切り刻み、崩していく。梓も得意のシラットと拳銃を使い分け、テロリストを制圧していた。華麗且つ一切の無駄が無い、2人の動きによって、ものの数分でテロリストを制圧してしまった。
梓は倒れているテロリストに何発か発砲し、息の根を止める。躊躇も慈悲も無く、一方的に殺す様子を目の当たりにした愛華は、またも複雑な感情を抱き、今度は目を背けてしまった。
梓と深月は銃弾を入替え、すぐに走り始める。
「無理しなくて良いんだよ?」
辛そうな心情を察してか、陽菜は一言告げ、2人の後に付いていくように走っていった。愛華は頬を叩き、その場を後にする。気持ちの整理がつかないままに。
*¹ Mk3 Navy:正式名称はOntario Mk3 Navy(オンタリオ マークスリー ネイビー)。アメリカの特殊部隊専用に設計されたナイフ。
*² IRIS PROTECTION:陽菜が考案、開発した虹彩保護システム。特殊加工により、超マイクロチップが埋め込まれたコンタクトレンズで、空間ホログラムや視野角VRなどの情報をAIが解析し、視覚的に解除する。公安庁捜査官のみ使用が許可されているが、使用には視認訓練が必要とされ、現状、使いこなせるのは四課だけ。