FILE.16 死を持て余す者達へ
渋谷区144 ハチ公広場。
闇が街を覆い始める、夕方の渋谷。普段であれば賑わう時間だが、完全に一変していた。混沌と化した広場は、人々の悲しみ、怒り、恐怖で渦巻き、"日常"は消え失せていた。
混乱の中、真っ赤な光で広場を染めながら、一台の警邏車が入ってくる。警邏車は、広場の入り口で停車した。
運転席から出てくる細い足。竹内梓は周囲を見渡す。そこに広がるのは、呻きと悲歎の声が入り混じる、地獄絵図のような光景。
「あなた、公安? どうして…どうしてもっと早くに来てくれなかったの。今さら来たって遅いのよ。あなた達のせいで…」
地面に座り込んだまま泣き崩れ、梓に縋り付こうとする女性。警務ドローンがそれを阻む。
梓は無言のまま、その女性の泣くしか無い姿を見ていた。女性の後ろには、殴打による頭部陥没が致命傷となり横たわる男性がいた。その左手薬指には指輪が光っていた。
「陽菜。追跡は?」
目を逸らすように視線を変え、デバイス越しに問い掛ける、梓。
「ダメね。スキャナーに反応しない限り、防犯ドローンの映像を頼りに追うしかないわ。データ集計に少しかかる。せめて、目印でも付けてくれてたら分かりやすいんだけど」
陽菜は、警務車内でホロキーボードを叩きながら吐露した。
「目印…」
呟き、考える梓。
「そうよ!目印はあるじゃない。陽菜、逆よ!防犯ドローンに映って、スキャナーに生体すら認識されない映像を割り出して、追跡して」
梓の言葉に、ハッとした表情で陽菜の指が動く。
「普通、防犯ドローンと識別スキャナーの情報を基に100%の位置として割り出してるけど、今回は識別スキャナーの情報が記録されない。逃走中に仮面を外せば、スキャナーに検知されちゃうから、付けたまま逃げてるはず。だから逆に情報不足の人物を上げればいいってことね」
陽菜の指と連動するかのように、ホロ情報が数多に表示され、次々と精査されていく。
「見つけた。20区画、原宿・神宮方面に逃走中よ。ドローンで逃走経路を封鎖して、袋小路に追い込む。梓、急いで」
「了解」
位置を確認すると、悲憎溜溜の場を後にした。
足立区266-丸山議員事務所。
「しっかし、戻ってきて良かったんすか。新首都高で姿を消したのは、利花さん、あんただけだ。公安も無能じゃねぇ。捜査の手が回るのも時間の問題だ。せっかく仮面で、撒いたんだ。今のうちに海外に出たほうが…」
仮面を外し、手に持つ男は必死に説得するが、それを遮るかのように、前藤利花は言葉を被せた。
「今日はお喋りね。福蔵くん。急ぐ気持ちも分かるけど、あの男は私達にただ復讐をさせる為に仮面を渡したわけじゃない。私達の情報は全て消さなきゃ、公安の手が及ばない海外に逃げても、あの男からは逃げられないわ」
必死な表情でモニターを凝視する、前藤の目には、内閣府の情報が映っていた。机にはピエロの仮面が置かれている。
二人は事務所に入る際、仮面を外していた。理由は二人の足下にあった。事務所で勤務する数人が倒れている。全員、同僚の二人を誰も疑うことなく、頭を一発で撃ち抜かれていた。
「終わったわ。出ましょう」
前藤は、モニターに接続していたマイクロチップを取り出すと、拳銃でモニターを破壊した。
福蔵潤也は、事務所前に停車していた車のロックを解除すると、その場から一刻も早く去りたそうな顔で、前藤を呼んだ。せっかちな福蔵に溜息をつきながらも小走りで車に向った瞬間、目の前がパッと明るくなる。
「公安庁です。手を頭の後ろに組み、地面に打つ伏せなさい」
警務ドローンを従え、エンフォーサーを向ける、遼子。
「やっぱり、さっさと逃げれば良かったんだ」
福蔵は、責めるように前藤へ言葉を吐き捨てると、遼子と愛華に向って発砲する。
それを警務ドローンが防ぎ、遼子と愛華は警務ドローンを盾にエンフォーサーを向け牽制する。
前藤と福蔵も車に身を隠し、警務ドローンの隙間を狙い発砲する。
「だから、確実に逃げる為の算段をさっきまでしてたんでしょ」
前藤は、余裕そうな表情を浮かべると、デバイスを操作した。
銃撃戦の中、遼子と愛華と愛華の背後から大きな音がする。そして、頭上から落ちてきた警務ドローンが、目の前で潰れ、炎上する。理由はすぐに分かった。
背後には大型の作業ドローンがアームを振り回し、警務ドローンを薙ぎ払っていた。そのアームは叩き付けるように、遼子と愛華を襲う。二人とも間一髪で躱すが、その隙に、前藤と福蔵の逃走を許してしまう。
「遼子さん。ここは私が引き受けます。二人を追ってください」
愛華の目には強さが宿っていた。
「分かった。陽菜が遠隔で停止させるまで、無茶はしないで耐えて」
遼子は安心した表情でそう言うと、路地に走っていった。
「無茶せず耐えて…か。無茶言いますね」
苦笑すると、自分の何倍にもなる大きさのドローンを見上げた。ドローンは愛華に向って勢いよくアームを振り下ろした。
大宮区006-新東京MUM銀行。
生々しく肉が音を立てて潰れ、真っ赤な血が飛び散った。
「俺は完全に感知されないはずなのに、どうやって分かった」
歯軋り混じりに、悔しそうに声を震わせる、ピエロの面をした男。その手に握られた、血塗れの丸椅子は、遺体の頭を原型も分からないほどに潰していた。
「たしかに、その仮面をしていればスキャナーには引っかからないが、お前は存在している。存在しているお前が、それだけの殺気で背後に立ったら誰だって気づくさ」
左膝を床に付き、倒れた椅子の影からエンフォーサーを向ける、空。だが、仮面のせいかエンフォーサーは反応しなかった。
「知ってるよ? その銃、反応しなくて撃てないんだろ?」
仮面の男は、戯けるように手で拳銃の形を作り、"バンッ"と撃つ真似をしてみせた。
「エンフォーサーがスキャナーと同じく、生体認識っていうことを、仮面の持ち主から聞いたな? それさえ付けていれば、公安なんて怖くないってか?」
静かに立ち上がりながら、エンフォーサーを下ろすと、右足のフットフォルダーに格納った。
「あぁ、怖くないね。丸腰の公安なんてな」
語尾を強めると、拳銃を向け、空に向け発砲した。
空は足下に転がる椅子を、仮面の男に向って蹴り上げる。重さを加速に変え、椅子は真っ直ぐに仮面の男に向って飛ぶが、銃弾が貫通したことにより、勢いが殺され、落下する。
その一瞬に目を奪われ、椅子が落ちたときには、敵である公安捜査官の姿を見失っていた。
次に捜査官の姿を見たのは、何故か自分が仰向けになり、天井を見ている時だった。
空は、椅子が宙を舞った刹那に、仮面の男の懐に入ると、拳銃を持つ右腕を抑え、胸倉を引きながら投げ飛ばしたのだった。
仮面の男はハッと顛末を思い出す。しかし、悠長に構えてもいられなかった。仰向けに倒れる仮面の男の真上から、空はスタンバトンを突き下ろす。仮面の男は、咄嗟に転がり躱すと、拳銃を向ける。
構える動作を待たず、間髪無く、空の蹴り上げる右足が、仮面の男の右手を襲うと、勢いよく拳銃が弾け飛んだ。
「クソがぁぁぁぁ」
仮面の男は、胸ポケットから取り出したラガーナイフで、下から突き上げるように空を襲うが、空は左手で、ラガーナイフごと仮面の男の左腕を去なす。
仮面の男は、完全に立ち上がり、空に何度もラガーナイフを突き刺すが、空は得意のシラットで全てを防ぐと、隙を突き仮面を右手掌で押し突いた。
ガランという落下音が響く。
「あぁ、あ、ぁあああああああ」
男は必死に顔を手で確認すると、仮面付いていないことに気付き発狂する。そして、手で顔を抑えたまま、背を向けた。
「御愁傷様」
空はエンフォーサーを向けて、男に放つ。運良く男は躓き、弾丸は男の左肩に命中した。
痛みから意識が途絶えそうになるになるが、這いながらも必死に逃げ道を探す、男。
「死ね!クソが」
這いつくばる先に、蹴り飛ばされた拳銃を見つけ、必死の思いで手に取り、空に撃った。
空は、左に飛んで躱すと、再びエンフォーサーを向けるが、そこに男の姿は無かった。
新宿区117-神宮公園通り。
「梓。逃走中の男の正体が分かったわ。森山将暉。26歳。以前から過激めな動画を投稿していた人物よ」
デバイスから聞こえる陽菜の声に目を向けながら走る、梓。
「よく特定できたわね」
マップを見ながら、長距離選手のようにかれこれ30分以上走っているが、汗一つかかず、涼しい顔の梓。
「うん。森山は今回用にアカウントを作成して動画を投稿していたけど、お粗末なことにIPが残っていたの。IPさえあれば、割出しは簡単よ。梓、森山をビル区画の路地に追い込んでる。その先左に曲がって」
マップには森山の現在地が赤の点滅で示され、最短ルートが矢印で表示された。
「ありがとう。陽菜」
マップを閉じると、思考音声による案内と、視覚に経路案内の矢印が見え始めた。梓はガードレールを軽々と超えると、さらに加速した。
梓、空、遼子がそれぞれ犯人を追う。仮面を付けていようがいなかろうが、もはや追跡に支障は無かった。陽菜によって、映像ドローンには映り、識別スキャナーには認識されない"透明人間"の仕分けは完了していた。
新宿区117-神宮オフィス街路地。
高層ビルが立ち並ぶ路地は、迷路上に入り組んでいた。そこで反響する二つの足跡。
「クソッ。なんで追ってくんだよ」
ピエロの仮面をした男は、必死に逃げまとうが、撒き切れずにどこまでも追ってくる捜査官に恐怖していた。恐怖は踏み出す一歩を重くし、次第に止めてしまった。
「森山将暉ね。執行します」
そう言うと、梓はエンフォーサーを向ける。当然、仮面を付けていたため認識はされなかったが、恐怖に支配された森山には、十分効果があった。持っていたバールを振り回し、梓に襲いかかる、森山。しかし、振り回したバールの隙を突き、梓は森山の胸倉を掴んで引っ張ると、肘で顔面を強打し、そのまま左腕を取り、地面に押さえつけた。
森山は往生際が悪く、ポケットから拳銃を取り出そうとするが、梓に蹴られ阻止される。
そのまま悔しそうに発狂すると、押さえつけられている最中ではあったが、なんとか左手を動かし、自らで仮面を取った。
「これが終わりじゃない。これからが革命の始まりだ」
そう言うと、狂気に満ちた目で梓を睨んだ。
「いいえ、これで終わり。あなたが残すものなんて何も無いわ」
そう言うと、梓は押さえつけていた左腕を離し、エンフォーサーを向けると、静かに引き金を引いた。
一発の銃声が静かに反響し、夜空へと消えていった。
足立区267-高架下。
人通りも無く、街灯も無い、高架下は身を潜めるのには十分だった。息を殺し、フェンス越しに遼子が見えるのを待つ、前藤利花。
「チェックメイトよ」
その声に、前藤は驚きを隠せなかった。背後は決して取られないよう、且、待ち伏せて奇襲できるように、高架下への入り方は気を付けていた。それなのに何故、背後を取られ、頭に銃口が突きつけられているのか、理解できなかった。
「どうやって」
前藤の額から冷汗が流れる。
「あなたは成人までをこの街で過ごした。高架下も庭のようなもの。だから、高架下に誘い込めば奇襲できるって思ってたんだろうけど、あいにく、ここは陽菜が作ったホロの中よ」
遼子はパチンと指を鳴らすと、街を形成したホロが次々と解除されていった。
どんどん変わる風景に息を呑む、前藤。
「誘い込まれていたのは私だったってこと…でも」
一瞬、ナイフを取り遼子の顔に一線を引く。
しかし、遼子はエンフォーサーを持つ腕で、前藤の腕を巻き込むように外へ捻ると、左手で強く叩いた。
前藤は転がり込むように倒れるも、すぐに立ち上がり、遼子にナイフを向ける。
遼子もエンフォーサーを右足のホルダーにしまうと、腰に着けていたナイフを取り出し、応戦。一進一退。どちらもナイフ戦術に長けていた。しかし、優勢だったのは遼子だった。遼子の刃が次々と切り刻み、前藤はついに片膝をついてしまった。
「どうして…どうして。どうして。どうして!!! 悪いのは全部あの男。私はただ復讐しただけなのに」
これまで冷静だった前藤は、追い込まれ、ついには取り乱した。
「復讐? それは母親の?」
遼子はエンフォーサーを向けて問う。
「私のこと調べたのね。ええ。そうよ。私の母は丸山の秘書だった。丸山が議員として初当選した時から秘書として仕えていた。14年が経った頃、学校法人建設の為に国営地が売却される際、大幅な払い下げがあった。当時、丸山は財務大臣で関与が疑われ、国会は紛糾したわ。でも、免れた。理由は、母に全ての罪を擦り付けたからよ。当然、国会に証人喚問され、罪を追求されたわ。当然、母は無実を訴えたけど、それを認められることなく地検も動き、罪を着せられたまま逮捕された。母は信頼していた、丸山の手により堕ちた。その事実に絶望し、自ら命を経ったわ。事実を捻じ曲げ、自己利益の為に母を殺した事すらわすれ、伸う伸うと生きている。許せなかった。だから、私は丸山に近づいた。でも、仕事振りを近くで見て、何かの間違いだったんじゃないか、そう思うこともあった。だからある時さりげ無く、母について聞いたわ。そうしたら完全に忘れていた。その時に確信したわ。私が始末しなきゃって」
強い怒りと狂気を滲ませ、前藤は言い放った。
「それが理由で、党のホームページをジャックしてまで殺害の中継をアップロードした。政治家と国民に汚職まみれの国家を晒し、国民感情を味方にするために」
遼子は、表情を変えることは無かった。
「そうよ。平和ボケした国民は誰の命を踏み躙って生活しているか知らなくてはいけない。欲に塗れた権力者は、欲望の先にある絶望を知らなくてはいけない。私が処罰を下すの。腐りきった国家を私が浄化するのよ」
前藤の醜く歪んだ表情は、狂気に呑まれ、堕ちた末路だった。
「いいえ。あなたがやったことは丸山と同じよ。都合が悪い人間をただ消しただけに過ぎない。人殺しで復讐を成そうと考えた時点で、国家の腐敗に同化したのよ」
軽蔑の表情で言い捨てる、遼子。
「お前に何が分かる」
前藤は、流血による痛みの中、振り絞った力でナイフを向け、襲いかかるが、一歩も踏み出すことなく、額から真っ赤な飛沫が飛んだ。
「バカね。ホントに」
遼子の視線には、立ち開かる前藤はいなかった。
大宮区006-新東京MUM銀行 屋上。
一階から屋上への階段には大量の血痕が落ちていた。
「ここで終わりだ。長廻卓眞」
エンフォーサーを構える、空。
唸り声を上げ、這いつくばる姿は生への執念だろうか、異様だった。
「俺の名前……公安、国家の犬が気安く呼ぶんじゃねぇ」
苦しそうに藻掻きながらも、声を振り絞る、長廻。
「俺はもっと、もっと、もっと…ゴミ共を始末するんだ。こんなところで逝ってたまるか………誰か、、、助けろ…お前ら、こいつを殺せ」
もはや支離滅裂だった。幻覚でも見えているのか、空と長廻以外にはいない屋上で、長廻は、"そこにはいない誰か"に助けを求めていた。
長廻は虫の息だった。空は静かに目を閉じると、エンフォーサーの引き金をゆっくりと引く。
まるで何かに取り憑かれたような長廻の最期は憐れと言うに相応しいものだった。死して尚、その死相は狂気に満ちていた。
足立区271-ドローン工場。
夜間で従業員は退社した工場は、広さゆえに不気味さもあった。
そこに息を切らし、逃げ込んで来たのは、福蔵潤也だった。工場に重機に身を隠すと、デバイスをコールをかけた。
「劉。劉睿泽。話が違うじゃないか。仮面を付けていたら見つからないってそう言ったじゃないか。助けてくれ。もうそこまで公安迫っている」
デバイスに向かって必死の表情で助けを求める、福蔵。
「残念だ。君の働きを期待して、その仮面を授けたんだけど、僕の見込み違いだったかな」
劉睿泽の声とは明らかに異なる声にハッとする福蔵。声の主が誰なのか、という疑問に答えが出る。
「あ、あんたは…し、新宮?」
怯えた表情の福蔵に、恐怖は足下まで忍び寄っていた。膝間付いた福蔵の上から影が覆う。
ふと振り返ると、ピエロのメイクをした男が両親指を口に押し当て、口角を目一杯に広げ、笑顔を作って見せていた。
「僕は、ワンサイドゲームが嫌いでね。君達はその仮面を使って、人々に一方的な恐怖を植え付けていると思い込んでいると思うけれど、そうじゃない。君達もまた、恐怖に晒された時、どう行動するかという歯車の一部なんだ。だが、君は恐怖を前に逃げるだけの選択をした。これは目的に反するんだ。だから、君には更なる狂気を目にしてもらおうと思うんだ」
新宮の優しくも冷たい声で発せられた予告が何を意味するのか、福蔵には容易に理解できた。恐怖で全身が震え、目の前のピエロに拳銃を向けることすらできなかった。
ピエロの男は、手品で注射器を取り出すと、目一杯に手を振り上げる。そして、ケタケタと嗤いながら、その手を振り下ろした。
その夜間、工場では絶え間なく、悲鳴が響きわたっていた。