FILE.15 狂気の起源
渋谷区144 ハチ公広場。
ハチ公像の周りには人集りができていた。建像から170年。街の風景は変わっても、人々にとっては欠かせない、街のシンボルとして在り続けた。だが、その日の人集りは何かが違った。人の数と同じ数の光が浮かび、人々はそれに釘付けになっていた。
「は〜い★こんにちは!今日はココ、渋谷に来てまーす!今日は生放送でお届けなんですが、皆さんお気づきですよね? じゃーん!!! ついに、仮面をゲットしましたぁ(祝) これから凄いことするんで、是非チャンネル登録といいねお願いしますね」
ピエロの面をした男は、軽やかな足取りでハチ公広場に入ると、生配信を始めた。そしてカバンからバールを取り出すと、通りがかった40代程の男性を殴りつけた。
「あーあ、一撃じゃん」
つまらなさそうに呟く仮面の男。その手からは飛び散った血しぶきが雫となり、ポタポタと地面に落ちていた。
妙な静けさが辺りを包み込み、ひんやりとした空気が漂う。数分間、理解の追いつかない人々は発する言葉を忘れたかのように沈黙し、広場と思えぬ程に静まり返ったが、次第に悲鳴へと変わり、パニック状態となった。
「はーい★盛り上がってきましたよ〜♫ ということで、今から無差別に殺していきまーす」
そう言うと、躊躇なくバールを振りかざし、混乱状態にある人々に襲いかかる。
その映像はリアルタイムで配信されると共に、拡散され、不特定多数の閲覧者に恐怖を植付け、怒り、憎しみ、復讐心を駆り立てた。
ネット上では、審判=Le Jugementの画像がサムネイルとして使われ、"日常の審判"と題されていた。
同刻。新首都高速都心環状線。
片道4車線の巨大高速には似つかわしく無い程に乗用車の姿が無く、黒塗りの高級車一台と、それを取り囲むよう4台が走行していた。さらに、上空には大きな音を立て、プロペラ機が飛ぶ。分かりやすい程に要人を乗せた車だった。
「先生。あと、30分程で到着です」
秘書の女性は右手首のデバイスを見て、一言告げた。
ピビピピッ。
女性のデバイスが鳴る。
その直後、背後で大きな爆発音が鳴った。
慌てて振り向く、要人男性の目には、先ほどまで後部に付けていた護衛車では無くなり、別車両の窓から光る"何か"が映った。
「な、なんだ」
要人男性が思わず発した言葉とほぼ同時に、大きな遠心力が身体に負荷をかける。
要人男性は、節々の痛みと共に目を覚ますと、公用車はガードレールに衝突し、止まっていた。エアバッグが運転席を押し潰し、運転手はハンドルに押し付けられたまま息途絶えている。その車体からは継続した、クラクションが鳴っていた。
ガソリンが燃える匂いが鼻を劈く中、要人男性は、辛々の思いで潰れた公用車から抜け出し、顔を上げた。そして、愕然とする。ピエロの面をした2人組みが、銃口を向けているからだ。当然、要人男性を守る者はいない。
「先生。どうしてこうなったかお分かりですか?」
ピエロの面をした襲撃者の1人が問いかけた。それは女性の、それも聞き覚えのある声。その答えはすぐ目に映る。
女性は静かに仮面をずらした。
「先生。黙っていては分かりませんよ。まぁ黙っていても先生はこの場で死ぬんですけどね。ただ、私も先生に仕えた身。なので、誰の目にも映らず死ぬのは、不本意だと思うんです。なので、党のホームページにライブ中継を流しています。どうぞ、党員や国民の目に死に様を見せてください」
ニッコリと微笑むと、再び仮面を付け、要人男性の額に静かに銃口を押し付ける。
「ま、待ってくれ。何故だ。何故……何が望みだ?何でも言うことを叶える。だから─」
必死の抵抗を見せる、要人男性。しかし、命乞いすらも遮り、非情にも引き金に指がかかる。
「さようなら。丸山官房長官」
生々しく、肉の散る音が鳴る。
党ホームページには、地面スレスレのローアングルで、額に穴が空いた、丸山官房長官の死に顔が映し出されていた。
大宮区006-新東京MUM銀行。
次々とデバイスからコール音が鳴り出す。聞き慣れた音のはずなのに、何故か不安感を煽られる。
「ほぼ同時刻に渋谷と首都高。始まったわね。【SHINGU】の犯罪が」
梓は軽く舌打ちをすると、ネット上に中継された映像を空間に映し出す。
「たしかに、ピエロの仮面をした者達の犯行ですが、新東京MUM銀行を含めた3ヶ所も本当に【SHINGU】が仕掛けているんでしょうか?」
愚問であることは、自身で分かっていたが、【SHINGU】の存在に気を取られ、本質を見失いたくは無かった愛華は、納得の為に質問した。
「愛華の言いたいことも分かるよ。スキャナーに一切識別されない男、【SHINGU】が行う犯罪。"憶測"では無く、"事実"としての証拠が集まる中で、どうしても意識が向いてしまう。だからこそ、他への意識が希薄になる懸念をしているんだよね? 」
遼子は愛華の気持ちを組み、諭すように言う。愛華は静かに頷く。
「でも、これは事実を客観視した上での帰結よ。新東京MUM銀行も渋谷も首都高も、識別スキャンがまともに反応していない。この機に乗じて、そんな特異が急に何人も出現するとは思えない。仮面が原因かは分からないけど、スキャナーに認識されない、何か仕掛けがあるはずなの。でも、その仕掛けを作ったり、組み込んだり、作動したりすれば、その行為自体、識別スキャナーが見逃さないはず。見逃しがあるということは、つまり、元来、スキャナーに認識されない特異な人間が、識別スキャナーを欺く"何か"を用意し、それを用いて、他者に犯罪をさせているに他ならない。この街のでそれができるのは【SHINGU】。彼しかいないわ」
遼子の説明に、不安を払拭するように頷く、愛華。
「変なことを言ってごめんなさい」
申し訳の無い表情で俯く愛華に、梓は肩を軽く叩き一言。
「気にしなくていい。そういう気付きは大切よ」
そう言うと、髪をかき上げた。
「まずは、ピエロを抑える。3ヶ所に別れて、それぞれを追いましょう。特課権限により、現時点を以て即時執行を許可するわ」
梓はデバイス操作で、四課における無制限の武力行使規制を解除した。
「空、遼子は新東京MUM銀行。陽菜、愛華は首都高。私は渋谷の犯人を追う。識別スキャナーが役に立たない以上、映像による目視だけで犯人を追うことになるけど、奴らの犯罪はここで止めなきゃいけないわ。各自、お願いね」
梓の班分けに、陽菜が手を上げた。
「ちょっと待って。この捜査、足だけでは限界があるわ。バックアップが必要になると思うの」
「そうだね。ひーちゃんには各自の動きを把握して、的確なサポートをしてもらった方がいい。新東京MUM銀行は俺が追う。だから、ひーちゃんには全体のバックアップに徹してもらって、りょーちゃんには愛華ちゃんと首都高の襲撃者を追ってもらいたい」
良いよねと言うような表情で、梓を見る、空。
「分かったわ。それでいきましょう。移動中に【SHINGU】の情報を共有するわ。電脳ワールド*¹にリンクしていてね。では、各々、状況開始」
梓の一言で、それぞれが一斉に動き出した。
■■■四課 電脳ワールド■■■
静かに目を開く、愛華。眼前には、現実世界と寸分たりとも変わらない、四課オフィスの光景が広がっていた。視覚だけでなく、静かな場所でも意識さえすれば聞こえる微かな音や、匂い、口の中の味さえも感じる。驚いたのは、現実世界で、遼子と一緒に警邏車に乗り、首都高の事件現場に向かっている五感も、電脳ワールドと混在する事なく、明確に感じていることだった。
「愛華ちゃん、電脳ワールドは初めてだったよね? 変な感じでしょ? 民間には公開されていない技術なんだけど、現実世界の感覚も、電脳世界の感覚も、どちらかが阻害される事なく、明確に認識して、感じることができるんだ。最初は慣れないけど、次第に慣れていくよ」
空はいつもの優しい顔で声をかけると、ソファーに腰掛けた。
愛華の狼狽えっぷりが、現実世界にも投影されているようで、現実世界では、遼子がこちらを見て苦笑していた。
「愛華が電脳ワールドに慣れるのを待ちたいところだけど、時間が無いから【SHINGU】の説明をするわね」
梓は空間上に何重にもロックされた情報を出し、次々とロックを解除した。そして、少しの間を経て口を開いた。
「【SHINGU】は、人間ではないわ」
その一言は、衝撃だった。
「正確には、肉体は人間、思考演算能力はAIと人間脳のハイブリッドと言うべきかしら。かつて、日本政府が極秘裏にプロジェクトした、『アメノヌボコ計画』。それは、受精卵となる過程で形成される46染色体に、ピコテクノロジー擬似細胞*²を移植するという、神の領域すら侵す計画だった。1/20,000の確率で成功すると試算され、"思考の拡張"をテーマの下、計画は進められた。当時の政府が僅かな確率に掛けた理由は、量子コンピュータを凌ぐ演算力を獲得するため。ただ、自然受精した受精卵を20,000も用意するのは流石にできない。だから、150人の受精卵を元に、iPS技術によって20,000の受精卵を用意し、実験が開始された。8割は拒絶反応で、擬似細胞の移植と同時に死滅、出産するに至ったのは僅か43人、その後も成長し、5歳を迎えたのは3人だった。3人はその後も成長し、関係者による予測計算を超えての知能指数を叩き出した、と記録されているわ。ここまでは成功。でも、予測を超えた成長を関係者はコントロールできなくなっていた。検体の1人が、描いた絵。一見、ただの絵に見えるソレは、国家転覆を主軸にしたテロ計画図案だった。それに気付いた関係者は、慌てて検体の殺処分と計画の無期限凍結を決定した。全てを闇に葬るつもりだったようだけど、検体の内1人が起こした事件により、打止めすら頓挫した。その1人こそが、【SHINGU】こと、神宮那岐。あの男よ。新宮は、映像ドローンと識別スキャナーの目の前で、他2人の検体を殺害し、その後、研究施設内の関係者を次々と殺害。研究施設を脱走し、消息を断った。その殺人は全て、識別スキャナーを前に行われていたけど、生体情報、精神情報だけでなく、存在すら認識しなかった、と当時の報告書には記録されているわ。当然、国家レベルでの捜索が行われたけど、未だ発見に至らず、その後新宮に表立った動きが無いことから、行方不明から5年が経った、8年前に"死亡"として記録上は処理されているわ」
梓の説明に、一同は言葉すら出なかった。国家レベルの人体実験で生まれた、神宮那岐が、国家へ反旗を翻す。まさに身から出た錆と言っても過言では無かった。
「それじゃあ、新宮の目的は、自分を散々モルモットにした国家への復讐ってこと?」
遼子の確認には理由があった。復讐とは、これまでの枠組みから外れた、云わば、イレギュラーな仕打ちや状況に対して行う行動である。生まれた時から当たり前だった、人体実験。その真相を知ったからといえ、これまでの"当たり前"に対し、恨む感情など芽生えない。例えば、生まれた時から1日2食の環境で育った子どもが、成長し、外部環境に出た時、1日3食が常識という真相を知ったところで、違和感に覚えるだけで、恨むことはない。これと同じである。基本的に人とは、6歳までの自我の形成時に置かれた環境が支柱となる。そう考えると、国家への復讐には違和感があった。
「いや、これまでの事件を鑑みても、復讐なんていう個人的な行動基準じゃない。彼にとっては、シュミレーションなんだ。今回の3ヶ所で起きた事件もそう。"善良な市民"は、突如として訪れる脅威に対しどう行動するのか、っていう。国家や社会の定める"善良な市民"として在り続けられるのか、それとも外れるのか。それを俯瞰して楽しんでいる。じゃあ、次に新宮が見たいものは何だ…」
顎を親指と人差し指で掴み、考え込む、空。
「新宮の目的と次の行動を時間を掛けて考えたいところだけど、目の前で起きている事件も見過ごす訳には行かないわ。各事件現場の状況、映像データ、犯行内容から該当人物をハニーに絞らせてる。あと、映像による追跡は掛けてるから、みんなに情報を送るわね」
陽菜のデバイスからは、手紙を持ったハニーに似たキャラクターが各々のデバイスに飛び込んだ。
「一旦、電脳ワールドを閉じるけど、無茶だけはしないこと。危険だと感じたらすぐに撤退してね。約束よ」
梓の言葉に全員が頷く。直後、足元から周囲が小さなピクセル状に崩れてゆき、意識が途切れるかのように視界を暗闇が支配した。
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空は、しゃがみ込み痕跡を探りながら、新宮が求める結末を考えていた。天井からの光を受け、影は真下にある。だが、その影は次第にゆっくりの長く伸びてゆく。空が違和感に気づいた時には、影は伸び切っており、狂気を纏った"何か"が背後にいた。
空が振り向こうとした直後、静かなはずのフロアーで鈍い音が鳴る。それは、何かが潰れるような、そんな音だった。
*¹ 電脳ワールド:情報化した精神がアクセス可能な空間。視覚や五感によって、情報世界への干渉と擬似体験を行うVR技術が進化し、精神を完全接続した、現実の同一体験が可能な技術。民間に公表されているのは、接続時、現実世界の意識は途切れ、電脳ワールドに接続される一方接続だが、公安庁では、現実世界の意識も保ったまま、電脳ワールドに接続する、双方向接続が可能。
*² ピコテクノロジー擬似細胞:遺伝子の構造すら書き換えることが可能な技術。感染症におけるウィルスや細菌、癌等の悪性腫瘍に対して治療として注目されている。