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公安四課  作者: やん
15/52

FILE.14 善と悪の境界線

「僕は、社会的弱者しゃかいてきじゃくしゃだ」


地方自治(ちほうじち)分散(ぶんさん)していた都道府県制度(とどうふけんせいど)廃止(はいし)し、社会全体が一極都市自治(いっきょくとしじち)へと変わった、新都市改革(しんとしかいかく)。今では、5つの都が日本国家を形成(けいせい)している。東京も例外(れいがい)ではない。2074年に始まった、関東地区改革(かんとうちくかいかく)皮切(かわき)りに、関東全土(ぜんど)合併(がっぺい)により、新東京都が発足(ほっそく)した。だが、急成長(きゅうせいちょう)急改革(きゅうかいかく)は、国民の戸惑(とまど)いを(まね)き、様々な格差(かくさ)を生んだ。混乱状態(こんらんじょうたい)は6年間に及び、(のち)に"氷河の改革"と呼ばれ、新社会体制への()一面(いちめん)として語られている。



───2104年5月。


「いっらっしゃいませ」

細々(ほそぼそ)(はっ)せられた言葉は、コーヒー豆の(かお)りと共に、(またた)()も無く(ただよ)っては消えていく。


変わりゆく社会に取り残されるかのように、寂しく(たたず)喫茶店(きっさてん)。レトロ風な店内は、近代的な洒落(しゃれ)は無いものの、日常を忘れさせてくれるかのような落着(おちつ)きを(かも)し出していた。常連客(じょうれんきゃく)足繁(あししげ)(かよ)い、店内は静かながらも(にぎ)わいを見せていた。


薄暗(うすぐら)い店内で、煌々(こうこう)と年代物のテレビが光る。福祉制度改革(ふくしせいどかいかく)に関するニュースがやっていた。


石原(いしはら)くんも最近大変でしょ」

話しかけてきたのは常連客の中年女性だった。


従業員の男は、視線を合わせることなく、只管(ひたすら)にコーヒーを()れていた。


「"生活の最適解(さいてきかい)を創造する新社会システム"って(こと)ある(ごと)(うた)ってはいるけど、これ以上、福祉が窮屈(きゅうくつ)になったら、貧富(ひんぷ)の差も開くし、何が最適解(さいてきかい)なのか分からなくなるわよねぇ」

中年女性の愚痴(ぐち)は、賛同(さんどう)を求めるかのような口調(くちょう)だった。


「あ、そうだわ。石原(いしはら)くん。生活も大変だけど、この(あたり)りも物騒(ぶっそう)だから気をつけてねぇ。昨日も野良猫(のらねこ)野良犬(のらいぬ)がバラバラにされてたっていうから」

恐怖を(あお)る中年女性の一言に、従業員の男は、ピタッと動きが止めたが、すぐに動き出す。


石原(いしはら)くん、休憩(きゅうけい)入っておいで」

初老(しょろう)の店長の声掛けに、無言のまま(うなづ)く、従業員の男。

そのまま事務室に入り、椅子(いす)に座ると、緊張が切れたかのように、脚が痙攣(けいれん)し出す。(あわ)てて5種類もの処方薬(しょほうやく)を口に頬張(ほおば)り、水も無く飲み込むと、次第に痙攣(けいれん)(おさ)まっていった。落着きを取り戻し、安心したのか、男は机に伏せること無く、目を閉じ、眠りについた。


デスクに置かれた処方箋(しょほうせん)には、名前と年齢、病名が(しる)されていた。

石原丈(いしはらたける)。27歳。カナー型ASD。


翌日。

カーテンを締め切った真っ暗な部屋で、足を抱えるように寝転びながら、古い映画を()る、石原丈(いしはらたける)の姿があった。混沌(こんとん)とした社会で、映画は時に何かを(うった)え、時に何かを風刺(ふうし)する。人々は作品に()せられ、感情を揺さぶられ、行動を促される。これまでの人生の中で、石原丈(いしはらたける)もまた、一つの作品に()せられていた。


映画を()終えると、すぐ様支度(したく)し、くたびれた、(ろう)アパートを(あと)にする。誰もいない部屋に残るのは手記(しゅき)だけだった。


石原丈(いしはらたける)は、外界をシャットダウンするかのように、常にイヤホンで耳を(ふさ)いでいた。それが、自己の精神を(たも)つ為の対抗策だった。


その日は休日だったが、いつもの路地(ろじ)を曲がり、いつものルートを歩く。ルーティンを寸分違(すんぶんたが)わずなぞるのも、彼なりの精神の(たも)ち方だった。


だが、その日はいつもと違った。

男4人が、見知らぬ女性を強姦(ごうかん)していた。それを()い入るように見ていると、男の1人が高圧的に話しかけた。


「おい。何見てんだよ」

石原丈(いしはらたける)は胸ぐらを掴まれ、路地(ろじ)の壁に押し付けられた。いつもと違う事象に、パニックを起こしていた。


「ぼ、ぼ、僕はいつもの通り道の景色を見ていただけで、そこに別の景色を入れてきたのは君達で、それに関して興味は無くて、でも…」

石原丈(いしはらたける)は、パニックのまま言いたい事をまとめきれずに思いついた言葉を必死に並べた。


「は?何言ってんのお前。挙動(きょど)ってんじゃねぇよ」

男はそう嘲笑(あざわ)うと、石原丈(いしはらたける)(なぐ)りつけた。初めて味わう衝撃(しょうげき)に、なんの抵抗もできないまま、あっさりと身体(からだ)は地面に叩きつけらる。その後も容赦(ようしゃ)なく、プレス機のように上から何度も足が降ってくる。


男による一方的な暴力は勢いを増し、それに釣られ、女性を強姦(ごうかん)していた、男達のうち2人も加勢し、石原丈(いしはらたける)()りつけた。

男達の表情は狂気そのものだった。そして、石原丈(いしはらたける)にとってはまさに理不尽。必死に精神世界に逃げようとするも、痛みと恐怖が一度に押し寄せ、現実に引き戻されてしまう。終わりの見えない苦痛に、死すらも意識した。


"死"

"死"

"死"?


『僕の生まれ育った家庭環境は、周りから見ると欠陥(けっかん)だった。自我(じが)芽生(めば)えた頃には、母親はいなかった。(あと)で知った事だけど、不倫(ふりん)(すえ)、出ていったらしい。サラリーマンだった父は、僕に興味は無く、ロクな食事も与えてもらえ無かったので、冷蔵庫の中身を(あさ)っては空腹を(しの)ぐ日々を過ごした。親の愛情? そんなものは都市伝説だとさえ思う。だけど、自分が可哀想(かわいそう)だなんて思ったこと一度も無い。これが当たり前で、当然の日常、(なん)不都合(ふつごう)など無かった。それには理由がある。僕にはもう一つの世界があるんだ。そこでは、僕は王様で、みんな僕の言うことを聞くし、僕のお世話を楽しそうにする。だから、僕もその世界のみんなが大好きで、その世界が大好きだ。身体は現実にいても、心は僕だけの世界にいる。ずっとそれは続く。そう思ってた。

でもある時、父は(もう)け話に投資(とうし)した。結果、多額の借金(しゃっきん)背負(せお)い、借金を返すために借金を重ね、取立から逃げ回る醜態(しゅうたい)(さら)していった。さらにタイミングを(はか)ったかのように、リストラ通告を受け、精神は日増(ひま)しに()んでいった。その頃からだったと思う。暴力を振りかざすようになったのは。その都度、僕の世界に逃げ込むけれど、痛みと恐怖で、強制的に現実へ引き戻された。それは僕の世界への干渉、侵略行為だとも思った。だから、僕は僕の世界とそこでの安寧(あんねい)を守るために、立ち上がったんだ。気づけば、父親は目の前で倒れ、僕の手は真っ赤な絵の具がびっしり付いていた。その頃から、僕の世界に色がついた。灰色だった世界は真っ赤に。<石原丈(いしはらたける) 手記より>』



石原丈(いしはらたける)を蹴り続けていた男達は異変に気づいた。さっきまで必死に抵抗していたのに動かなくなっていたからだ。ある一箇所以外は。


ケタケタという(わら)い声が、狭い路地を乱反射する。不気味という言葉がこれほどまでに当てはまる状況はあっただろうか?狂気が恐怖を創り出し、その場にいる者全てに(おそ)れを抱かせる。


深淵(しんえん)(わら)っているのは、石原丈(いしはらたける)だった。


男達は、恐怖から足が(すく)み、全身の力が抜けていくのを感じていた。"命"の危険を本能で感じていたのだ。男達3人は立っていられず、その場で腰を抜かしてしまった。


石原丈(いしはらたける)は、ゆっくりと身体(からだ)を起こし、(ひたい)から流れ出る血を(そで)で拭く。その後、両手親指を(くわ)えると、口内(こうない)に溜まった血をありったけ指に付け、精一杯笑顔を作ってみせた。耳まで伸びた血化粧(ちげしょう)で作られる笑みは人のものでは無かった。


「お前ら急に何静かになってんだ? そいつ()ったら、こっちヤリに戻ってこいよ」

最後まで女性を強姦(ごうかん)していた男は異変に気づかず、欲のまま楽しんでいた。終わりが背後(はいご)まで近づいていることを知らずに。


そして。

仲間からの返事が無いことに気づき、振り向いた瞬間、目の前が真っ暗になった。直後、味わったことのない激痛(げきつう)が走る。


「ア"ァァァァァァア嗚呼アアあ"アア」


目を抑え、(うずくま)る男。それを見てケタケタ(わら)っているのは、石原丈(いしはらたける)だった。その手には、べっとりと血が付いた剃刀(カミソリ)(にぎ)られていた。


痛みで藻掻(もが)き苦しむ男に馬乗りになる、石原丈(いしはらたける)四肢(しし)を神経ごと(けず)るように剃刀(カミソリ)(ねじ)り込む。

五体満足(ごたいまんぞく)だった、身体(からだ)が不自由になる恐怖を、抵抗もできずに味わっていく。泣き叫びながら、命が終わる恐怖は死の直前まで肉体と精神に刻まれた。

その残虐(ざんきゃく)光景(こうけい)が目の前で繰り広げられ、周りの人間も恐怖する。次は自分かも知らないのだから。


石原丈(いしはらたける)は、自らが他者の"命"を握り、潰していく行動に生を感じ、(えつ)(ひた)っていた。血を浴び、肉を掴み、熱を感じ、高揚感(こうようかん)を得たのは、父親を手に掛けた時以来だった。


だが、その悦も長くは続かない。首に当てた剃刀(カミソリ)を悲鳴の中、一直線に引くと、男は動かなくなってしまった。


その様子を見て、何故そうなったのか分からず不満を(あらわ)にする、石原丈(いしはらたける)。まるで、子どもが玩具(おもちゃ)を壊した時のようだった。


一通り駄々(だだ)()ねたが、動かない玩具(おもちゃ)を諦め、次の玩具(おもちゃ)を探し出す。しかし、既に玩具(おもちゃ)は決まっていた。狂気の笑みが、絶望で座り込む男達3人に向く。


石原丈(いしはらたける)は、ゆっくりと立ち上がった。


「や、い、い、嫌だ。やめてくれ。許して」

声を震わせる男達。


しかし、先に狂気が向けられたのは、強姦(ごうかん)されていた女性だった。目の前で起こる、非常識(ひじょうしき)異常(いじょう)光景(こうけい)思考(しこう)は停止し、失禁(しっきん)していた。


「僕ガ助ケテアゲルヨ」

石原丈(いしはらたける)は、女性に馬乗りになると、剃刀(カミソリ)を口に突っ込み、目一杯(めいっぱい)左頬(ひだりほお)側に切り()いた。


激痛のはずだが、女性は何故(なぜ)(わら)っていた。乱暴に続き、深淵(しんえん)を無理矢理に(のぞ)かされ、精神崩壊していたのだ。女性の(わら)い声に共鳴させるかのように、石原丈(いしはらたける)も狂気の眼差(まなざ)しで(わら)う。おぞましき(わら)い声は、女性の命が消えゆくまで響いた。


全身で感じる悦の中、石原丈(いしはらたける)は理解した。精神世界も現実も変わらない。(えつ)のまま生きるのが本来の在り方ということを。今まで精神世界で散々(さんざん)やってきたことを、現実(ここ)でもすれば、苦しみも我慢もなく、自分らしく生きていけるということを。自分は()ちたのでは無い。これが自分、自分らしさなのだ、と。


****

惨劇(さんげき)は、連日(れんじつ)、ニュースで取り上げられた。当然、心的負荷の大きい内容のため、徹底した報道規制(ほうどうきせい)()かれたが、同一犯による犯行と示唆(しさ)される殺人事件は()たず、ネット上では、規制しきれない情報や憶測(おくそく)、陰謀論、都市伝説など多岐(たき)に渡り、情報が(あふ)れかえった。


共通点は、"ピエロのような化粧(けしょう)(ほどこ)し、笑顔で人を殺す"というものだった。


何時(いつ)しか、一部でカルト的な人気へと繋がり、次々と目撃情報は寄せられた。その異常さから、古い映画に出てくる狂人になぞらえ、JOKER(ジョーカー)と呼ばれた。




───2120年。現在。


ピピピッ。

鉄骨(てっこつ)()き出しとなった、建設中ビルのワンフロアで、デバイスの音が鳴り響く。

積まれた鉄骨に座る男は、床に落ちて割れたガラスを鏡代わりに、不気味にもニヤけた表情でピエロのメイクをしていた。真っ白な顔面(がんめん)に、耳まで()けた真っ赤な口。(ひとみ)には狂気が光り、静かにその時を待っていた。


「仮面の効果は十二分に発揮したようですよ」

劉睿泽(リュールイジェ)は、コンクリート支柱(しちゅう)にもたれ掛かり、新東京MUM銀行での一部始終(いちぶしじゅう)を見ながら不敵(ふてき)微笑(ほほえ)む。


「あぁ、そうだね。この国で"犯罪"と呼ばれる事象に、この街の目が反応しない。この事実を国民はどう受け止めるか。システムによって個々の安全が守られない世界で、"他者によって(もたら)される死"が自己または身近で起きたとき、"善良"とされる人々は何を思い、どう動くか。楽しみだよ」

男は、開いていた本をゆっくりと閉じた。閉じた本の先にはピエロの面をした男が5人いる。


「さぁ、今度は君達が思う人生を謳歌(おうか)すると良い」

男の言葉に、5人はそれぞれ部屋を出ていった。



大宮区006-新東京MUM銀行。


(ひど)いな。まさか客も従業員も関係なく、皆殺(みなごろ)しとは」

足の踏み場も無い程に、一面(いちめん)が真っ赤に染まったフロアーの中心で井川空(いがわそら)は静かに手を合わせた。

受付のデスクには首から切り離された頭がいくつも並べられ、その顔はどれも悲痛(ひつう)な表情で(ゆが)んでいた。恐らくは生きたままの犯行(はんこう)。これまで、数々(かずかず)猟奇(りょうき)的事件を捜査(そうさ)したが、中でも指折(ゆびお)りだと感じる光景だった。


愛華(あいか)ちゃん、大丈夫?」

陽菜(ひな)は愛華を心配した。四課配属からというもの、起こる事件はどれも酷いものだった。そして、この猟奇無差別殺人りょうきむさべつさつじん。いつメンタル汚染に陥っても、おかしくない程、心はダメージを受けているはずだ。


「大丈夫です!現実から目を背けて、気持ち悪くなってる場合じゃないですから」

愛華は笑顔を作ってみせた。空、陽菜、遼子(りょうこ)は、彼女の成長に驚くと同時に頼もしく感じた。


「What to next sacrifice?…"次は何を犠牲にするのか?"第四課(わたしたち)への問いかけね」

血で殴り書きされたメッセージを見て、溜息をつきながら腕を組む、遼子。


「そうね。この(あいだ)の毒ガステロ未遂。仕組んだ元凶は、第四課(わたしたち)を試した。爆弾を取り付けられた、都議会議員 金丸保典(かなまるやすのり)と証券会社役員 篠原拓斗(しのはらたくと)の命を取るか、都民全員の命を取るか、国家による秩序(ちつじょ)権威(けんい)維持(いじ)を取るか。結果、公安(わたしたち)は多数の命と国家の体裁を(まも)る選択をし、代償(だいしょう)として、金丸(かなまる)篠原(しのはら)の命を捨てた。つまり、公安(わたしたち)では、全ての脅威(きょうい)から国民を守り抜く事ができないという事実を(さら)されたことになる。だから、その上で今回は"何を犠牲にするのか"を試されてる」

入口からゆっくりと入って来た(あずさ)に、四課全員が振り向く。


「映像見れる?」

梓の問いかけに、陽菜は次々と映像を空間展開した。


「ピエロ…」

遼子は思わず(つぶや)く。それもそうだった。四課襲撃事件(しゅうげきじけん)で、遼子と空を襲撃(しゅうげき)したのは、ピエロの化粧をした男だったからだ。


「うん…でも奴とは違う。奴は完全に道化師(ピエロ)になりきり、現実は精神世界に(おか)されているような奴だった。その象徴に、素顔を捨て、ピエロである自分が本来の姿と言わんばかりにメイクをしていた。でもこいつの安っぽい仮面には、その主張がない。こいつのは動きは付け焼刃(やきば)で、第四課(俺たち)の気を引くためだけ。ピエロでいることに意味がない」

犯行自体の不気味さよりも、ピエロ本人の不気味さに違和感を持った、空。


「直接対峙(たいじ)したからこそ感じた違和ってことね…。やっぱり映像はこの通り残っているけど、スキャンはダメね。殺される被害者達のメンタルアウトはしっかり認識されているから、識別スキャンの故障では無いわ。仮面の男だけ、存在すら認識されていない。視覚情報としては(とら)えられ、生体情報としては存在レベルで(とら)えられない。まさに【SHINGU】と同じよ」

溜息(ためいき)混じりで答える、陽菜。"SHINGU"という言葉に少し驚く、梓。


「みんなも辿(たど)()いていたのね。その話は後でするわね。現場状況は?」

周囲を見渡す、梓。鑑識ドローンをありったけ駆り出しているが、広すぎる現場に検証が難航(なんこう)している様子を見て、溜息(ためいき)をつく。


「この()(さま)ね。だけど、不自然なのは無差別殺人の意図(いと)。映像からも分かるように、金銭目的の強盗(ごうとう)じゃない。このやり口、もっと個人的な、そう、銀行に対する私怨(しえん)だと思う。その証拠(しょうこ)に、並べてある頭は全て従業員のものばかり。自分を敵に回したことに対してのメッセージ性が強く出ている。でも、それなら客を巻添(まきぞ)えにする必要性が無い。3人を除く、殺された客の遺体(いたい)には無数(むすう)銃痕(じゅうこん)があるの。つまり、即死を()け、痛みと恐怖をわざと与えて殺しているということになる。まさか、客一人一人に恨みがあって、たまたま恨みを向ける相手が都合良くここに集まってたなんて考えられない。そうなると、殺人による欲求解消、快楽殺人(かいらくさつじん)の要素もあるってことだけど…」

腕を組み、回収しきれていない客の遺体に目を向ける、遼子。


「例外の3人が一発で殺された理由が分からなくなります。映像を見る限りだと、一度沈静(ちんせい)させる素振(そぶ)りを取っていることから、思い通りにいかず、衝動的(しょうどうてき)殺害(さつがい)しているようにも見えなくはないんですが、それなら1人で十分効果はありますし、天井へ()って威嚇(いかく)すればいいはずなんです。それに、3人を殺した後は冷静に防火扉を閉めさせているのに、他の客を殺しているときは、右足を小刻(こきざ)みに()らして、苛立っているように見えます」

空間に出ている映像を拡大したり、縮小させたりしながら推察する、愛華。


「前提条件が逆なんだ。毒ガステロ(あの時)と同じ。私怨(しえん)で従業員を殺害(さつがい)したのは、映像や状況から見ても揺るがない事実。であれば、違和感にこそ事実が隠れている……。きっと仮面の男は快楽を目的としていない。ここは実験場(じっけんじょう)…」

髪をかき上げ、珍しく(ひたい)を見せる、空。その目つきはいつにも無く(するど)かった。


「その順序で間違いないわね。"善良な市民"は、恐怖を(あお)られるとどう動くか。あの男はいつだって試していた。そして、全てに問い掛けがあった。"毒ガステロから救われた多数の国民は、どこまで善良でいられるか"。いや、そもそも『護るべき"善良な市民"とは一体何を指すのか』…こっちの方が問われている。()いの対象は公安であり、国家。前回の答え合わせをしようとしている…」

真相を手繰(たぐ)り寄せ、一つの答えを導き出した梓だが、後手(ごて)に回るように仕組まれた状況に(いら)ついていた。


「ひなちゃーーん!!!!大変だよー」

重い空気を切り裂くように、突如割り込みが入った。陽菜のミツバチ型AI・ハニーだった。


「ハニー!? どうしたの?」

人間特有の"空気を読む"ということすらできるハニーが、空気も読まず割り込んだということは、相当緊急性が高い状況を意味する。そんな事は今まで無かっただけに、陽菜は驚いた。


「新東京MUM銀行での事件映像が、ネットのあちこちに流出しちゃってるよ!」

ハニーの報告に、陽菜は一斉にネット検索を掛けた。


「5分前に動画共有サイトにアップロードされているわ。今確認できただけでも49のサイトで公開されているけど、鼠算的(ねずみざんてき)拡散(かくさん)するから止められないわ」

拡散予測(かくさんよそく)を計算する、陽菜の顔が(くも)る。


「たった5分で閲覧(えつらん)数が10万を超えてる…当然だけど、不安視(ふあんし)するコメントばかりね。総務省に緊急措置申請きんきゅうそちしんせい打診(だしん)するわね」

溜息混じりに、閲覧制限(えつらんせいげん)の申請を行う、遼子。



"虐殺野放しじゃん"

"スキャナー無反応とかやばくない???"

"怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い"

"デマ映像だろ"

"乙wwww"

"やべぇ日本終わりじゃん"

"公安無能かよw"

"自衛しろ!"

"やられる前にこっちからぶっ殺せ"


「動画のコメントがすごいことになってます。どうしてこんな…」

不安そうな表情でコメントを見る、愛華。


「ハニー、流出元(りゅうしゅつもと)は特定できてる?」

「特定済みだよ!流出元は公安庁データベース。外部からのハッキングではなく、内部流出の記録が残ってるよ。念のため、公安庁とのリンクを切断(せつだん)。防衛措置レベル7に繰上げ中〜!」


「まさか、国民の信頼性を破綻(はたん)させるような情報を、公安庁が意図的(いとてき)に流すなんてあり得ないよ」


「その通りよ、空。流出原因を特定したわ。渡辺香慧(わたなべよしえ)のテロでも暗躍(あんやく)してた、ハッカーの仕業(しわざ)よ。並列化でウィルスを仕込んだ時に、公安(うち)の防御プログラムにも別のウィルスを仕込んでたみたい。防御プログラムがウィルスを破壊することで、感染(かんせん)するようにね。発症すれば、外部からのアクセスでは無く、内部からの操作によって流出させることができる。外ばかりに(あみ)を張ってる、公安のシステムじゃお手上げね。仮に、ハニーで公安の全データベースを(つつ)けば見つけられたけど、流石にそこまでの権限は下りない。組織的なセキュリティホールを突かれたって事よ」

止まることの無い、陽菜の指。悔しさから(くちびる)()む。


「この映像を不特定多数に見せて、何を……まさか、これまで"他者に(もた)される死"という脅威など、知らない一般市民に敢えて(さら)すことで、人間としての本質を剥き出しにするつもり?」

梓が予見した最悪の結末は、この社会に生きる人々の"善"と"悪"が揺らぐものだった。


『ピビピピッ───』

不穏な空気が(よど)む中、4人のデバイスが一斉(いっせい)に鳴った。それはまるで、不吉を知らせる警告音のように。




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