FILE.11 怨氣衝天
「あれ…おかしいな。私、スキャン中なのに落ち着いてる。あれは…子どもの頃の私と空?」
静かに目を覚ます、梓。
その目からは涙が伝っていた。
そこは、ベッドとメモリー抽出の機械しかない、薄暗い部屋。手術室のような雰囲気は、決して楽しいと言える場所では無かった。
隣では、陽菜がスキャンを受けていた。
きっと自分もこんなふうに、機械に頭を入れてたのだろう…そう思いながら、モニタリングデータを確認した。
「あと、3分。少し負荷がかかっているけど、汚染には程遠い数値ね」
安心した表情を浮かべると、静かに部屋を出た。
───3日後、現在。
横浜市西区195-第二都市ヒルズガーデン。
辺りは煙に包まれ、硝煙の臭いが鼻を劈く。爆風で付近にあるビルのガラスは、割れ、弾けとんでいた。
煙の中に光が立ち上がる。
「ずいぶんと派手にやってくれるじゃない」
咳込みながら起き上がったのは、遼子だった。まるで、爆弾でも落ちたかのような惨状に息を飲む。咄嗟に我に返り、付近を見渡すと、倒れている女性がいた。
第二課の手塚鈴華だった。見た感じ、怪我は無さそうだが、気を失っていた。
「手塚さん!手塚鈴華警視!」
身体を抱きかかえ、強く呼び掛けた。
「私…森原さん?」
手塚の目が静かに開くと、ゆっくりと立ち上がり、何が起きたのかを理解するかのように、周囲を見渡した。深呼吸の後、課員の安全確認し始めた。
遼子もデバイスを起動させ、コールした。
都内某所 商業施設展望テラス。
「これで公安の戦力は削いだ。どうやらVXの起動も阻止できなかったようね。あとは、この大都市にガスが蔓延するのを待つだけ」
女は展望テラスから、遠方で上がる黒煙を眺めていた。
デバイスからコールが鳴る。
「やあ、君の復讐は達成できたかな? 渡辺香慧」
落ち着きのある男の声だった。
「いいえ、これが始まりです。国家が国民を守るのであれば、現体制は崩壊し、国家が国益を守るのであれば、その薄汚れた仕組みで国民の大勢が死ぬ。私の全てをかけて、この国の意義を問うわ」
その目に映る復讐の光は、漆黒に染まっていた。
「そうか。だが残念だ。君はどうやら自分の存在意義を問うことはできなかったらしい」
デバイスの先から聞こえる男の声は冷めきっていた。
渡辺は男が何を言っているのか理解ができなかった。
「その様子じゃあ、僕を失望させた理由の予想すらついていないようだね。君には期待していたんだがね。残念だよ。もう時間だ。そら、君が問いたがっていた国家の闇が足元まで迫っているぞ」
「一体、何を…」
渡辺が問い返す間もなく、通信は切断された。そして、デバイスから急にホロ情報が立ち上がり、それを見て驚愕する。
「え、えっ?どうしてVXが起動していないの…この目で起動を確認したはず…」
渡辺は慌てて情報のログを確認した。ノイズ混じりの音と共に情報が書き換わっていく。
「そこまでよ」
背後から大きな声がした。それは間違いなく、彼女に絶望を齎すものだった。声の方向に目を向けると、死の銃口を構えた悪魔がそこにいた。
───10時26分。
「梓!ちょっとこれ見て」
デバイス情報を持ち出し、梓の元に足早に向かう、陽菜。
四課オフィスに似た広々とした、自宅共有スペース。そのソファーで、梓はビジュアル・メモリーの映像を解析をしている真っ最中だった。
「ビジュアル・メモリーから、あの男がこの半年に渡ってどういう動きをしてきたか、解析したわ」
梓にくっつくよう隣に座る、陽菜。
「半年もの膨大な情報処理をこの短時間で。流石ね」
長い付き合いで分かっていることだったが、改めて陽菜の腕前に感服する、梓。
「お褒め頂き光栄でございます。そんなことより、あの男、この半年間で各地の防犯ドローンには映ってるけど、やっぱりスキャンには認識されていなかったの。そんな彼が何人かと接触している映像があったわ」
空間に次々とホロ情報が表示される。中には、安田孝一、大臣秘書・樫木怜央、天元会幹部の馬場聡という見覚えのある面々が、男と話している映像もあった。
「音声サンプできる?」
梓は尋ねた。
「もうやってるわ。ただ、落とし物を渡していたり、道を尋ねたり…」
抽出した音声データを何度も再生する陽菜。だが、波形に何かの違和感を覚えていた。
「これ、波形が変よ。こんなに綺麗なはずが無い」
梓も波形の違和感を感じ取り、指摘した。
「そもそも声は、アナログ波形、つまり滑らかな波のような形になるわ。映像などの音声データは、そのアナログ波形をサンプリングして、一定時間の振幅を2進数の0と1で記録する、量子化を経てデジタル波形とすることで、データとして生成される。ただ、量子化の過程で必ず欠損データが生まれ、その欠損がノイズとなる。理由は、数値で記録した際、整数値で取るから、少数情報は無視されるためよ。なのに、この映像に記録されている音声波形には欠損がほぼ無い。綺麗過ぎるのよ。つまり、最初から作られたデジタルデータってことになるわ」
梓が説明をしている最中にも、陽菜は元音声の復元に取り掛かっていた。いくら記録した音声を削除し、作った疑似音声で塗り替えたとしても、ハード上に残る情報をハッキングで消し去ることは事実上不可能だった。陽菜はその情報を抽出しようとしていた。
2人しかいない共有スペースで、ホロキーボードを叩く音が響く。
「私もその線でデータを抜いてるの。もう少し待ってね…」
相変わらずの指捌きだった。画面が空間に現れては消えを繰り返し、アルファベットと数字が流れるように画面を支配する。
「……できた!」
前のめりになっていた身体を、勢い良く背もたれに預けた。一度、背伸びをするとその姿勢のまま音声を再生する、陽菜。
「『妹のためにどうしたいか。』その答えを君はとっくに出している。投函した手紙は、そんな君への道標になるはずだ」
ノイズ混じりで聞き取りづらい部分もあるが、男はたしかに、樫木に巣食う狂気を、怒りを、憎しみを行動に後押しするかのように告げていた。
映像を見る限り、樫木はピクリとも動かないが、表情は狂気に蝕まれていくようにも見えた。それは、きっと、理性で抑えていた狂気が、コントロールできなくなり、増幅していくのを実感していたからであろう。
その他、安田孝一、馬場聡も同様だった。内に秘めた狂気を、知るはずもない他者に暴かれ、箍を外される。そして、自分ではどうにもできないスピードでコントロール権を失っていく。それを促すのがあの男のやり口だった。
「一種のマインドコントロールね。ただ、洗脳というより、扇動。自我を殺さず、秘めるものを暴き、煽る。まるでチェスのように、人の選択と行動を結果という盤面で見ながら、自身は常に駒を支配するプレイヤーでいるつもりね。厄介よ。この男」
梓が厄介に感じる人間など、数えるほどしかい無かった。それほどまでに、男の存在を脅威と判断していた。
「それにこの男、防犯ドローンを意識してる。公安が、元音声に辿り着き、一連の事件がこの男によって仕掛けられていることを敢えて気づくように振る舞ってる。じゃなきゃ、この視線は不自然。もし、そういう意図が無いのであれば、防犯ドローンに映らないように仕掛けるはず」
映像を見て身震いする、陽菜。まるで、悪霊が仕掛けた呪いの正体に気づいたかのようだった。
「この男はプレイヤーの意識を崩さない。ただ、ワンサイドゲームにならないよう、こちらに勝ち目をちらつかせている。この映像もその一つ。これまでも、思い当たる節があるわ。何手先を読んでるか分からないけど、癇に障るわね」
狸に化かされたことに気づき、苛立つ、梓。しかし、突如、寄っていた眉間のシワが消えた。
「陽菜。この映像見せて」
「え、うん」
そう相槌を打つと、空間に出ているホロ映像をしまい、一つの映像だけを映し出した。
そこに映っているのは女だった。人が行き交う公園のベンチ。そこに、あの男は堂々とやってきて、女の横に座った。ベンチの目の前には、防犯ドローンがあるのにも関わらず。
「これで、君の宿願は果たされるというわけだ。君が成し得る結果が、社会にどう影響するのか、楽しみにしているよ」
少なめの言葉。それだけを告げ、あの男は立ち去った。ただ、女にはその言葉だけで十分だった。
「陽菜、この女の素性は出る?」
梓は犯罪履歴、陽菜は国民データベースへ照会を掛けた。どれも警視以下では閲覧規制がかかる程の高度な情報だった。
「おかしいわ。データが偽造されている」
陽菜はまたも情報に違和感を覚え、前のめりになった。
陽菜のデータ更新により、偽造されていた情報が次々と変わっていく。
真実を目の当たりに、梓と陽菜は息を飲んだ。
───現時刻。
「手を頭の後で組み、ゆっくりとこちらを向きなさい」
エンフォーサーを向ける、梓と陽菜。女はゆっくりと振り向き始めた。
「 渡辺香慧ね。公式記録では抹消されてたけど、"元"公安一課警部補で、10年前に壊滅した宗教団体・明幸生教に潜入中、失踪っていうのが記録ね。まさかこんな形で遭遇するなんてね」
梓の言葉に、鼻で笑う渡辺。
「へぇ。非公式でも記録は残してるんだ。公安の汚点なのにね」
嘲笑うように言った、その瞳には、自己を貶めた組織への憎しみが映っていた。
「汚点だろうと、抹消済みだろうと、第四課の捜査に役立つなら復元するし、必要であれば危険を犯しても潜るし、抜き取るわ」
陽菜の言葉には、四課捜査官としての誇りと仲間への信頼が込められていた。
「防犯ドローン、識別スキャナーを意識した行動。爆弾操作時の逆探、ハッキングを防ぐための特殊電波の使用。"元"公安ならではの行動ね。随分と気をつけてたみたいだけど、詰めが甘かった。男と密会している映像が残されてたわ」
ホロ映像が空間に展開されるや、渡辺の顔色が曇った。
「どうして。そこは防犯カメラもスキャナーも死角になってるはず。その情報は最新だったはず」
予想外の出来事に目が泳ぐ、渡辺。
「凄腕の狸に化かされたようね。それに、特殊電波はスキャナーを誤認させるだけで、計測器で受信はしている。それを解析すれば、尻尾はつかめるのよ。それなりに技術力はいるけどね」
珍しくドヤ顔の陽菜。
「あなたが無差別爆破テロ及びの毒ガス散布未遂の犯人である証拠は掴んでるわ」
梓は淡々と渡辺を犯人だと言い放った。周囲は緊迫する。
「なるほど。全て操作されていたのね。それに大本命が"未遂"ってことは、知らず知らずのうちに詰んでいた。だから…」
渡辺の表情は少し悲しげだった。信頼していた男に見捨てられた理由が、今になってようやく分かったのだ。男は、渡辺の復讐に興味など無かった。国家へ仕掛けるテロが如何なる影響を与え、公安相手にどう繰り広げられるのか注目していた。それ故、復讐に固執し、盲目になった末、足元を掬われたことを、現時点まで気づいていない、無様さに落胆した。だから、捨てられた。失敗作の烙印を押されてしまったのだ。
「アハッ、アハハハハハハハハハハハハ」
現実を目の当たりにし、何かが壊れる音がした。その目からは涙が溢れていた。そして、ポケットから何かを取り出し、叫んだ。
「完敗よ。だけど、手の内はまだ残ってる。私を触媒に半径5キロ圏内はガスで包まれる。アハッ。復讐は成しえなかったけど、テロは発生する。公安はテロを阻止できない。それを間抜けな国家の奴隷共に見せ付ければいいのよ。残念だったわね」
デバイス操作をする渡辺に、梓と陽菜が阻止しようと走る。が、親指でボタンを押すだけの動作をすればいい渡辺との距離は無情にも長く、間に合わない。その指がかかろうとした瞬間、
パンッ…
空気を割くかのような音。そして、赤い飛沫が舞った。
刹那、梓は渡辺の衿と左腕を掴むと、瞬く間に押さえ込んだ。
右手からは血が流れ、激痛のはずだが、痛みを感じたのは、梓に押さえ込まれた後だった。
「ロッククリア。解除したわ。もう起動しない。念の為、こっちで作った制御プログラムを上書きしたよ」
陽菜が解析したのは、渡辺が備えていた兵器の起動コードだった。渡辺の体内に取り付けられた起爆装置は、爆発と同時にVXも散布されるという、人間兵器だった。
「流石に早いわね、陽菜」
「ううん、デバイスを中距離狙撃してくれなきゃ間に合わなかったわ。ありがとう。空、遼子、愛華」
陽菜が振り向き言った先に、小走りでやってくる3人の姿があった。
「いや、狙撃したのは、りょーちゃんだよ。それに、姉ちゃんとひーちゃんの情報が無ければ、都庁と横浜の爆発に呑まれてたし、体内の爆弾にも気づかなかったよ」
空は苦笑いで言った。
「そいつに声をかけてからの数分で、体内からの電波に気づいて、私らに知らせた、陽菜の判断が勝因ね」
遼子は陽菜の頭を二度、ポンと叩くと、エンフォーサーを渡辺に押し付けた。
唸るような声をあげ、必死に抵抗を見せる渡辺の表情は人間のソレでは無かった。そんな彼女は地面に伏せた状態で押さえ込まれていたが、梓によって上半身を起こされた。
「さて、移送する前に、どうしてテロを起こそうとしたか聞こうか。公式情報が消されるくらいだ。教団への潜入捜査がきっかけかい?」
空は目を見た。先に目を見ることで、心理的に上下をはっきりさせるためだった。
獣が興奮を抑えるような息遣いで睨みつけていたが、次第に落ち着きを取り戻した。
「私は、かつてカルト教団の明幸生教に潜入した」
全てを諦めた眼差しで、口を開き出す、渡辺。
「当時の公安が目を付けていた通り、教団は国家転覆の計画をしていた。理由は、政権進出を目論む教団に突きつけられた非認可に対する反発と、教祖の暴走……。私は、刑事である自身の心を殺し、教団員として身を染めた。偽りの自分を演じ、信頼を勝ち得、立場を上げた。当然、繋がりが出来ると、悪人どもとはいえ騙して、裏切っているという背徳感にも苛まれた。本当の自分はどちらなのか、見失いそうになったわ。そんな最中よ、テロ計画の情報を得たのは。しかも私に指揮のお告げが下ったわ。テロを起こせば大勢が死ぬ。だが、刑事として全うすれば仲間が蹂躙される。私は分からなくなっていた。だから、この状況を打破するために、公安とは交渉するしか無かった。情報を流す代わりに、いつしか仲間として感じるようになっていた、テロ計画を知らない信者達だけは助けてもらうという交渉。"仲間を保護する"という約束を公安と交わし、私は情報を流した。あとは、強制捜査を待ち、仲間共々助け出されるのを待つだけだった。でも、一向に助けは来なかった。それどころか、私は教祖の指示により暗室に閉じ込められた。精神統一とか言っていたが、要は怖くなって逃げ出さないようにするためだった。ずっと閉じ込められたわ。暗くて、無音の世界にね。恐怖でいっぱいだった。そして、心が擦り切れた時、テロ実行の当日を迎えていた。もう、教団側に付き、テロを行う他、選択肢は無かった…。
その覚悟を決め、テロ決行に出ようとした瞬間、急に目の前が明るくなった。視界の全てが光に包まれる中、無数の足音がバタバタと聞こえ、直後、何発もの発砲音が鳴り響いた───。
視界が戻った時、私はその光景に絶句したわ。私の上で折り重なるよう、仲間が血塗れで倒れていた。公安の特殊部隊だった。公安は、いや、国家は暴力で一掃したの。仲間の保護など最初から守るつもりなど、国家には無かったのよ。私の流した情報のせいで、虐殺は起きた。それだけじゃないわ。部隊のデバイスから聞こえる無線に、私は耳を疑った。無線は、私の死を確認する内容だったのよ。虐殺の事実ごと、潜入した私のことさえ、教団の一員として殺すことで抹消しようとしていたのよ。隙を伺い、私はその場から逃げた。行き場なんて無い。でも逃げた。いつの日か復讐をするために」
もう涙は枯れ、憎悪が彼女を支配していた。
沈黙を刻む間。
その沈黙を破ったのは梓だった。
「たしかに、刑事として潜入し、精神が壊れていく中で、双方を守るように行動したのはすごいわ。それなのに、裏切られ、処分されそうになったことへの怒りも分かる。ただ、あんたが本当に刑事だったなら、殺されようが、裏切られようが、テロリストになっちゃいけなかったんだ。弱みをあの男に付け込ませちゃいけなかったんだ。あんたは自分の持つ刑事としての誇りを、自分を裏切ったんだ…」
静かに言う、梓の顔は悲しげだった。
「フフッ…たしかにそうね。でも、それは綺麗事よ。あんた達が私と同じ立場になった時に、初めて分かるわ。自分達がどういう存在で、誰を守り、誰に使われているのか。そして、"悪"とは何か。そういう世界よ。あんた達のいる世界は。せいぜい味わいなさい」
一人一人の目を見て睨みつける様は、もはや人の視線では無かった。5人は、可能性として有り得る末路を目の当たりにし、恐怖で身が竦んだ。
「渡辺香慧、無差別爆破テロ及び毒ガス散布のテロ未遂の容疑で逮捕するわ」
この場に蔓延し始めた恐怖を払拭するかのように、梓は罪状を口にした。そして、ゆっくり立ち上がらせ、一歩踏んだ。
パンッ。
その音に四課全員が驚駭した。
前に倒れ込む、渡辺の右顳顬と右胸に空いた穴から、赤い滲みが広がる。
そして、うつ伏せに倒れた。
そこに流れるはずの無い深紅が、波紋を帯び、展延した。