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公安四課  作者: やん
12/52

FILE.11 怨氣衝天

「あれ…おかしいな。私、スキャン中なのに落ち着いてる。あれは…子どもの頃の私と空?」


静かに目を覚ます、(あずさ)

その目からは涙が(つた)っていた。


そこは、ベッドとメモリー抽出の機械しかない、薄暗(うすぐら)部屋(へや)手術室(しゅじゅつしつ)のような雰囲気(ふんいき)は、決して楽しいと言える場所では無かった。

隣では、陽菜(ひな)がスキャンを受けていた。

きっと自分もこんなふうに、機械に頭を入れてたのだろう…そう思いながら、モニタリングデータを確認した。


「あと、3分。少し負荷(ふか)がかかっているけど、汚染(おせん)には程遠い数値ね」

安心した表情(ひょうじょう)を浮かべると、静かに部屋を出た。



───3日後、現在。

横浜市西区195-第二都市ヒルズガーデン。


辺りは(けむり)に包まれ、硝煙(しょうえん)(にお)いが鼻を(つんざ)く。爆風で付近にあるビルのガラスは、()れ、(はじ)けとんでいた。


(けむり)の中に光が立ち上がる。


「ずいぶんと派手(はで)にやってくれるじゃない」

咳込(せきこ)みながら起き上がったのは、遼子(りょうこ)だった。まるで、爆弾でも落ちたかのような惨状(さんじょう)に息を飲む。咄嗟(とっさ)に我に返り、付近を見渡すと、倒れている女性がいた。

第二課の手塚鈴華(てづかすずか)だった。見た感じ、怪我(けが)は無さそうだが、気を失っていた。


「手塚さん!手塚鈴華(てづかすずか)警視!」

身体を抱きかかえ、強く呼び掛けた。


「私…森原(もりはら)さん?」

手塚の目が静かに開くと、ゆっくりと立ち上がり、何が起きたのかを理解するかのように、周囲を見渡した。深呼吸の(のち)課員(かいん)の安全確認し始めた。


遼子もデバイスを起動させ、コールした。



都内某所 商業施設展望テラス。


「これで公安の戦力は()いだ。どうやらVXの起動(きどう)阻止(そし)できなかったようね。あとは、この大都市にガスが蔓延(まんえん)するのを待つだけ」

女は展望(てんぼう)テラスから、遠方で上がる黒煙(こくえん)(なが)めていた。


デバイスからコールが鳴る。


「やあ、君の復讐(ふくしゅう)は達成できたかな? 渡辺香慧(わたなべよしえ)

落ち着きのある男の声だった。


「いいえ、これが始まりです。国家が国民を守るのであれば、現体制(げんたいせい)崩壊(ほうかい)し、国家が国益(こくえき)を守るのであれば、その薄汚(うすよご)れた仕組みで国民の大勢(おおぜい)が死ぬ。私の全てをかけて、この国の意義(いぎ)を問うわ」

その目に映る復讐(ふくしゅう)の光は、漆黒(しっこく)に染まっていた。


「そうか。だが残念だ。君はどうやら自分の存在意義を問うことはできなかったらしい」

デバイスの先から聞こえる男の声は冷めきっていた。


渡辺は男が何を言っているのか理解ができなかった。


「その様子じゃあ、僕を失望(しつぼう)させた理由の予想すらついていないようだね。君には期待していたんだがね。残念だよ。もう時間だ。そら、君が問いたがっていた国家の(やみ)が足元まで(せま)っているぞ」


「一体、何を…」

渡辺が問い返す間もなく、通信は切断された。そして、デバイスから急にホロ情報が立ち上がり、それを見て驚愕(きょうがく)する。

「え、えっ?どうしてVXが起動していないの…この目で起動を確認したはず…」

渡辺は慌てて情報のログを確認した。ノイズ混じりの音と共に情報が書き換わっていく。


「そこまでよ」

背後(はいご)から大きな声がした。それは間違いなく、彼女に絶望(ぜつぼう)(もたら)すものだった。声の方向に目を向けると、死の銃口(じゅうこう)(かま)えた悪魔(あくま)がそこにいた。



───10時26分。

「梓!ちょっとこれ見て」

デバイス情報を持ち出し、梓の元に足早(あしばや)に向かう、陽菜。

四課オフィスに似た広々(ひろびろ)とした、自宅共有スペース。そのソファーで、梓はビジュアル・メモリーの映像を解析(かいせき)をしている真っ最中(さいちゅう)だった。


「ビジュアル・メモリーから、あの男がこの半年に渡ってどういう動きをしてきたか、解析(かいせき)したわ」

梓にくっつくよう(となり)に座る、陽菜。


「半年もの膨大(ぼうだい)情報処理(じょうほうしょり)をこの短時間で。流石ね」

長い付き合いで分かっていることだったが、改めて陽菜の腕前に感服(かんぷく)する、梓。


「お褒め頂き光栄(こうえい)でございます。そんなことより、あの男、この半年間で各地の防犯ドローンには映ってるけど、やっぱりスキャンには認識されていなかったの。そんな彼が何人かと接触(せっしょく)している映像があったわ」

空間に次々とホロ情報が表示される。中には、安田孝一(やすだこういち)、大臣秘書・樫木怜央(かしきれお)天元会(てんげんかい)幹部の馬場聡(ばばさとし)という見覚えのある面々が、男と話している映像もあった。


「音声サンプできる?」

梓は(たず)ねた。


「もうやってるわ。ただ、落とし物を渡していたり、道を(たず)ねたり…」

抽出した音声データを何度も再生する陽菜。だが、波形に何かの違和感(いわかん)(おぼ)えていた。


「これ、波形が変よ。こんなに綺麗なはずが無い」

梓も波形の違和感(いわかん)を感じ取り、指摘(してき)した。

「そもそも(こえ)は、アナログ波形、つまり(なめ)らかな波のような形になるわ。映像などの音声データは、そのアナログ波形をサンプリングして、一定時間の振幅(しんぷく)を2進数の0と1で記録する、量子化(りょうしか)()てデジタル波形とすることで、データとして生成(せいせい)される。ただ、量子化(りょうしか)過程(かてい)で必ず欠損(けっそん)データが生まれ、その欠損がノイズとなる。理由は、数値(すうち)で記録した際、整数値(せいすうち)で取るから、少数情報(しょうすうじょうほう)は無視されるためよ。なのに、この映像に記録されている音声波形には欠損がほぼ無い。綺麗(きれい)過ぎるのよ。つまり、最初から作られたデジタルデータってことになるわ」

梓が説明をしている最中(さなか)にも、陽菜は元音声(もとおんせい)の復元に取り掛かっていた。いくら記録(きろく)した音声を削除し、作った疑似音声(ぎじおんせい)()り替えたとしても、ハード上に残る情報をハッキングで消し去ることは事実上不可能(じじつじょうふかのう)だった。陽菜はその情報を抽出しようとしていた。


2人しかいない共有スペースで、ホロキーボードを叩く音が響く。


「私もその線でデータを抜いてるの。もう少し待ってね…」

相変わらずの指捌(ゆびさば)きだった。画面が空間に現れては消えを繰り返し、アルファベットと数字が流れるように画面を支配する。


「……できた!」

前のめりになっていた身体(からだ)を、勢い良く背もたれに(あず)けた。一度、背伸びをするとその姿勢(しせい)のまま音声を再生する、陽菜。


「『妹のためにどうしたいか。』その答えを君はとっくに出している。投函(とうかん)した手紙は、そんな君への道標(みちしるべ)になるはずだ」

ノイズ混じりで聞き取りづらい部分もあるが、男はたしかに、樫木(かしき)巣食(すく)狂気(きょうき)を、怒りを、憎しみを行動に後押しするかのように()げていた。

映像を見る限り、樫木(かしき)はピクリとも動かないが、表情(ひょうじょう)は狂気に(むしば)まれていくようにも見えた。それは、きっと、理性(りせい)で抑えていた狂気が、コントロールできなくなり、増幅(ぞうふく)していくのを実感していたからであろう。


その他、安田孝一(やすだこういち)馬場聡(ばばさとし)も同様だった。(うち)()めた狂気を、知るはずもない他者に(あば)かれ、(たが)を外される。そして、自分ではどうにもできないスピードでコントロール権を失っていく。それを促すのがあの男のやり口だった。


「一種のマインドコントロールね。ただ、洗脳(せんのう)というより、扇動(せんどう)自我(じが)を殺さず、()めるものを(あば)き、(あお)る。まるでチェスのように、人の選択と行動を結果という盤面(ばんめん)で見ながら、自身は常に(こま)を支配するプレイヤーでいるつもりね。厄介(やっかい)よ。この男」

梓が厄介(やっかい)に感じる人間など、数えるほどしかい無かった。それほどまでに、男の存在を脅威(きょうい)と判断していた。


「それにこの男、防犯ドローンを意識してる。公安が、元音声(もとおんせい)辿(たど)り着き、一連の事件がこの男によって仕掛けられていることを敢えて気づくように振る舞ってる。じゃなきゃ、この視線は不自然。もし、そういう意図が無いのであれば、防犯ドローンに映らないように仕掛けるはず」

映像を見て身震(みぶる)いする、陽菜。まるで、悪霊(あくりょう)が仕掛けた(のろ)いの正体に気づいたかのようだった。


「この男はプレイヤーの意識を(くず)さない。ただ、ワンサイドゲームにならないよう、こちらに勝ち目をちらつかせている。この映像もその一つ。これまでも、思い当たる(ふし)があるわ。何手先を読んでるか分からないけど、(かん)(さわ)るわね」

(たぬき)に化かされたことに気づき、苛立つ、梓。しかし、突如(とつじょ)、寄っていた眉間(みけん)のシワが消えた。


「陽菜。この映像見せて」


「え、うん」

そう相槌(あいづち)を打つと、空間に出ているホロ映像をしまい、一つの映像だけを(うつ)し出した。


そこに(うつ)っているのは女だった。人が行き交う公園のベンチ。そこに、あの男は堂々(どうどう)とやってきて、女の横に座った。ベンチの目の前には、防犯ドローンがあるのにも関わらず。

「これで、君の宿願(しゅくがん)は果たされるというわけだ。君が()()る結果が、社会にどう影響するのか、楽しみにしているよ」

少なめの言葉。それだけを()げ、あの男は立ち去った。ただ、女にはその言葉だけで十分だった。


「陽菜、この女の素性(すじょう)は出る?」

梓は犯罪履歴(はんざいりれき)、陽菜は国民データベースへ照会を掛けた。どれも警視(けいし)以下では閲覧規制(えつらんきせい)がかかる程の高度な情報だった。


「おかしいわ。データが偽造(ぎぞう)されている」

陽菜はまたも情報に違和感(いわかん)(おぼえ)え、前のめりになった。


陽菜のデータ更新により、偽造(ぎぞう)されていた情報が次々と変わっていく。


真実を目の当たりに、梓と陽菜は息を飲んだ。



───現時刻。

「手を頭の(うしろ)で組み、ゆっくりとこちらを向きなさい」

エンフォーサーを向ける、梓と陽菜。女はゆっくりと振り向き始めた。


渡辺香慧(わたなべよしえ)ね。公式記録(オフィシャル)では抹消(まっしょう)されてたけど、"元"公安一課警部補で、10年前に壊滅(かいめつ)した宗教団体(しゅうきょうだんたい)明幸生教(めいこうせいきょう)潜入中(せんにゅうちゅう)失踪(しっそう)っていうのが記録ね。まさかこんな形で遭遇(そうぐう)するなんてね」

梓の言葉に、鼻で笑う渡辺(わたなべ)


「へぇ。非公式でも記録は残してるんだ。公安の汚点(おてん)なのにね」

嘲笑(あざわら)うように言った、その(ひとみ)には、自己(じこ)(おとし)めた組織への憎しみが映っていた。


汚点(おてん)だろうと、抹消(まっしょう)済みだろうと、第四課(わたしたち)の捜査に役立つなら復元するし、必要であれば危険を犯しても(もぐ)るし、抜き取るわ」

陽菜の言葉には、四課捜査官としての誇りと仲間への信頼が込められていた。

「防犯ドローン、識別スキャナーを意識した行動。爆弾操作時(ばくだんそうさじ)逆探(ぎゃくたん)、ハッキングを防ぐための特殊電波(とくしゅでんぱ)の使用。"元"公安ならではの行動ね。随分(ずいぶん)と気をつけてたみたいだけど、詰めが甘かった。男と密会している映像が残されてたわ」

ホロ映像が空間に展開されるや、渡辺(わたなべ)の顔色が(くも)った。


「どうして。そこは防犯カメラもスキャナーも死角になってるはず。その情報は最新だったはず」

予想外の出来事に目が泳ぐ、渡辺(わたなべ)


凄腕(すごうで)(たぬき)に化かされたようね。それに、特殊電波(とくしゅでんぱ)はスキャナーを誤認させるだけで、計測器で受信はしている。それを解析(かいせき)すれば、尻尾(しっぽ)はつかめるのよ。それなりに技術力はいるけどね」

珍しくドヤ顔の陽菜。


「あなたが無差別爆破(むさべつばくは)テロ及びの毒ガス散布未遂(さんぷみすい)の犯人である証拠(しょうこ)(つか)んでるわ」

梓は淡々(たんたん)渡辺(わたなべ)を犯人だと言い放った。周囲は緊迫(きんぱく)する。


「なるほど。全て操作されていたのね。それに大本命が"未遂(みすい)"ってことは、知らず知らずのうちに()んでいた。だから…」

渡辺(わたなべ)表情(ひょうじょう)は少し悲しげだった。信頼していた男に見捨(みす)てられた理由が、今になってようやく分かったのだ。男は、渡辺(わたなべ)復讐(ふくしゅう)興味(きょうみ)など無かった。国家へ仕掛(しか)けるテロが如何(いか)なる影響(えいきょう)を与え、公安相手にどう繰り広げられるのか注目していた。それ(ゆえ)復讐(ふくしゅう)固執(こしつ)し、盲目(もうもく)になった(すえ)足元(あしもと)(すく)われたことを、現時点まで気づいていない、無様さに落胆(らくたん)した。だから、捨てられた。失敗作の烙印(らくいん)を押されてしまったのだ。


「アハッ、アハハハハハハハハハハハハ」

現実を目の当たりにし、何かが壊れる音がした。その目からは涙が(こぼ)れていた。そして、ポケットから何かを取り出し、叫んだ。

完敗(かんぱい)よ。だけど、手の内はまだ残ってる。私を触媒(しょくばい)に半径5キロ圏内(けんない)はガスで包まれる。アハッ。復讐(ふくしゅう)は成しえなかったけど、テロは発生する。公安はテロを阻止(そし)できない。それを間抜(まぬ)けな国家の奴隷共(どれいども)に見せ付ければいいのよ。残念だったわね」

デバイス操作をする渡辺(わたなべ)に、梓と陽菜が阻止(そし)しようと走る。が、親指でボタンを押すだけの動作をすればいい渡辺(わたなべ)との距離は無情(むじょう)にも長く、間に合わない。その指がかかろうとした瞬間、


パンッ…


空気を()くかのような音。そして、赤い飛沫(しぶき)が舞った。

刹那(せつな)、梓は渡辺(わたなべ)(えり)と左腕を掴むと、(またた)()に押さえ込んだ。

右手からは血が流れ、激痛(げきつう)のはずだが、痛みを感じたのは、梓に押さえ込まれた(あと)だった。


「ロッククリア。解除したわ。もう起動しない。念の為、こっちで作った制御プログラムを上書きしたよ」

陽菜が解析(かいせき)したのは、渡辺(わたなべ)が備えていた兵器の起動コードだった。渡辺(わたなべ)の体内に取り付けられた起爆装置(きばくそうち)は、爆発と同時にVXも散布(さんぷ)されるという、人間兵器(にんげんへいき)だった。


流石(さすが)に早いわね、陽菜」

「ううん、デバイスを中距離狙撃(ちゅうきょりそげき)してくれなきゃ間に合わなかったわ。ありがとう。空、遼子、愛華」

陽菜が振り向き言った先に、小走りでやってくる3人の姿があった。


「いや、狙撃(そげき)したのは、りょーちゃんだよ。それに、(ねぇ)ちゃんとひーちゃんの情報が無ければ、都庁と横浜の爆発に()まれてたし、体内の爆弾にも気づかなかったよ」

空は苦笑(にがわら)いで言った。


「そいつに声をかけてからの数分(すうふん)で、体内からの電波に気づいて、(あたし)らに知らせた、陽菜の判断が勝因(しょういん)ね」

遼子は陽菜の頭を二度、ポンと叩くと、エンフォーサーを渡辺(わたなべ)に押し付けた。


(うな)るような声をあげ、必死に抵抗を見せる渡辺(わたなべ)の表情は人間のソレでは無かった。そんな彼女は地面に伏せた状態で押さえ込まれていたが、梓によって上半身を起こされた。


「さて、移送(いそう)する前に、どうしてテロを起こそうとしたか聞こうか。公式情報(オフィシャル)が消されるくらいだ。教団(きょうだん)への潜入捜査(せんにゅうそうさ)がきっかけかい?」

空は目を見た。先に目を見ることで、心理的に上下をはっきりさせるためだった。


(けもの)興奮(こうふん)を抑えるような息遣(いきづか)いで(にら)みつけていたが、次第に落ち着きを取り戻した。

「私は、かつてカルト教団の明幸生教(めいこうせいきょう)潜入(せんにゅう)した」

全てを諦めた眼差(まなざ)しで、口を開き出す、渡辺(わたなべ)


「当時の公安が目を付けていた通り、教団は国家転覆(こっかてんぷく)の計画をしていた。理由は、政権進出を目論(もくろ)む教団に突きつけられた非認可に対する反発と、教祖(きょうそ)の暴走……。私は、刑事である自身の心を殺し、教団員として身を染めた。(いつわ)りの自分を演じ、信頼を勝ち()、立場を上げた。当然、繋がりが出来ると、悪人どもとはいえ(だま)して、裏切(うらぎ)っているという背徳感(はいとくかん)にも(さいな)まれた。本当の自分はどちらなのか、見失いそうになったわ。そんな最中(さなか)よ、テロ計画の情報を得たのは。しかも私に指揮(しき)のお()げが下ったわ。テロを起こせば大勢(おおぜい)が死ぬ。だが、刑事として全うすれば仲間が蹂躙(じゅうりん)される。私は分からなくなっていた。だから、この状況を打破するために、公安とは交渉するしか無かった。情報を流す代わりに、いつしか仲間として感じるようになっていた、テロ計画を知らない信者達だけは助けてもらうという交渉。"仲間を保護する"という約束を公安と交わし、私は情報を流した。あとは、強制捜査を待ち、仲間共々助け出されるのを待つだけだった。でも、一向(いっこう)に助けは来なかった。それどころか、私は教祖(きょうそ)の指示により暗室(あんしつ)に閉じ込められた。精神統一(せいしんとういつ)とか言っていたが、要は怖くなって逃げ出さないようにするためだった。ずっと閉じ込められたわ。暗くて、無音(むおん)の世界にね。恐怖でいっぱいだった。そして、心が()り切れた時、テロ実行の当日を迎えていた。もう、教団側(きょうだんがわ)に付き、テロを行う(ほか)、選択肢は無かった…。

その覚悟を決め、テロ決行(けっこう)に出ようとした瞬間(しゅんかん)、急に目の前が明るくなった。視界の全てが光に包まれる中、無数の足音がバタバタと聞こえ、直後、何発もの発砲音(はっぽうおん)が鳴り響いた───。

視界が戻った時、私はその光景に絶句(ぜっく)したわ。私の上で折り重なるよう、仲間が血塗(ちまみ)れで倒れていた。公安の特殊部隊(とくしゅぶたい)だった。公安は、いや、国家は暴力で一掃(いっそう)したの。仲間の保護など最初から守るつもりなど、国家には無かったのよ。私の流した情報のせいで、虐殺(ぎゃくさつ)は起きた。それだけじゃないわ。部隊のデバイスから聞こえる無線に、私は耳を(うたが)った。無線は、私の死を確認する内容だったのよ。虐殺(ぎゃくさつ)の事実ごと、潜入した私のことさえ、教団の一員として殺すことで抹消(まっしょう)しようとしていたのよ。(すき)(うかが)い、私はその場から逃げた。行き場なんて無い。でも逃げた。いつの日か復讐(ふくしゅう)をするために」

もう涙は枯れ、憎悪(ぞうお)が彼女を支配していた。


沈黙を(きざ)()


その沈黙を破ったのは梓だった。

「たしかに、刑事として潜入(せんにゅう)し、精神が壊れていく中で、双方を守るように行動したのはすごいわ。それなのに、裏切られ、処分されそうになったことへの怒りも分かる。ただ、あんたが本当に刑事だったなら、殺されようが、裏切られようが、テロリストになっちゃいけなかったんだ。弱みをあの男に付け込ませちゃいけなかったんだ。あんたは自分の持つ刑事としての誇りを、自分を裏切ったんだ…」

静かに言う、梓の顔は悲しげだった。


「フフッ…たしかにそうね。でも、それは綺麗事(きれいごと)よ。あんた達が私と同じ立場になった時に、初めて分かるわ。自分達がどういう存在で、誰を守り、誰に使われているのか。そして、"悪"とは何か。そういう世界よ。あんた達のいる世界は。せいぜい味わいなさい」

一人一人の目を見て睨みつける(さま)は、もはや人の視線では無かった。5人は、可能性として有り得る末路(まつろ)を目の当たりにし、恐怖で身が(すく)んだ。


渡辺香慧(わたなべよしえ)無差別爆破(むさべつばくは)テロ及び毒ガス散布(さんぷ)のテロ未遂(みすい)容疑(ようぎ)逮捕(たいほ)するわ」

この場に蔓延(まんえん)し始めた恐怖を払拭(ふっしょく)するかのように、梓は罪状(ざいじょう)を口にした。そして、ゆっくり立ち上がらせ、一歩踏んだ。


パンッ。


その音に四課全員が驚駭(きょうがい)した。


前に倒れ込む、渡辺(わたなべ)の右顳顬(こめかみ)と右胸に空いた穴から、赤い(にじ)みが広がる。

そして、うつ伏せに倒れた。


そこに流れるはずの無い深紅(しんく)が、波紋(はもん)を帯び、展延(てんえん)した。


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