僕と”僕”
いつもの通学路。車の通りが多く、信号の変りも遅いことから、ここは『魔の車通り』と呼ばれている。高校入学当初は自分が通る際にタイミングよく信号が赤になることが多発していたので、そのたびに憤りと朝の気怠さが最高潮に達していたのだが、半年も通っているとそんなものはどうでもよくなり、今では毎朝のスケジュールの一つになっている。下校時も同じようなものだが。
今だ赤いランプを光らせている信号から視線を逸らすと、桜の花が咲いていることに気がづいた。入学からもう一年。気づけば高校二年生になっていた。
眼鏡越しに見える桃色の桜は入学当初と全く同じに見える。僕は何一つ変わっていない。
桜を眺めながらいつしかボーっとしてしまってた。我に返ったときにはすでに信号は青に変わっており、点滅し始めていたため慌てて歩みを進めた。
ちょうど真ん中くらいのところで人影が目に入った。
誰かが手を振っている。体格的に男だろう。身長は僕と同じくらいだろうか。制服ではなく黒のジャケットを着ている。顔はよく見えない。
なんにせよ、僕に手を振っているはずがない。この町に引っ越してきて一年経つが友人と呼べる人間はいない。
下を向いて男の横を通り過ぎる。
「こんにちは。君が笹原明人だな」
この男は、僕の名前を知っている……?
不信感と同時に妙な親近感もとい違和感を覚えた。なぜだ?
――――声だ。すごく聞き覚えがある声が聞こえた。聞いたことがあるようで、実はあまり頭に残らない声。録音して聞くと少しおかしく思えてしまうそんな声。この声は、
『僕の声』だ。声変わりをしてから自分の声を意識しはじめていた。
声の主へ顔を向ける。
「はじめましてだな。眼鏡は伊達だろう?」
そこにいたのは、見間違えようもない。毎朝嫌でも鏡で向き合う、眼鏡こそかけていないが、そいつは紛れもない。
「私よ」
“僕”だ。
通学路で手を振ってきた謎の男。そいつは“僕”だった。
「どうした?あまり驚いていないようだが」
“僕”が不思議そうにそう呟く。勿論、驚いているさ。驚きすぎて声も出せない始末だ。
「お、お前はなんなんだ……」
かろうじて声を捻り出すことに成功した。今僕が一番疑問に思っていることを聞く。この状況で次のオリンピック開催地を聞くよりは賢い質問だろう。
“僕”はひとしきり考える素振りを見せた後、笑みを浮かべながら口を開いた。
「理想の“私”さ」
「はい?」
「孤独を恐れない人間。強い人間。そして、いかなる苦難に立ち向かう人間だ」
それ、自分で言っちゃう?
「そういう自分に君はなりたい。違うか?」
「それは……」
なりたいさ。僕もそんな人間に。だが、
「僕には無理だ。僕は弱いし、一人が怖い。つらいことが起きたらきっと逃げてしまうと思う。どうせ僕は」
ついネガティブな言葉を口にしてしまった。今僕はとても暗い顔をしているんだろう。
「それはどうかな。人は変われるものさ。勿論“君”も」
“僕”はどこか含みを持った笑いを浮かべた後、自身が身に着けている腕時計を見て。
「ところで、現在時刻8時20分だが、学校はいいのか?」
8時20分。その言葉の意味を理解するのに、僕は30秒という短めのCMなら二つほど放送できる時間を有した。始業は8時30分。つまり……つまり!
「遅刻だぁぁぁぁぁ!」
「まだ間に合うぞ。がんばれよ、“私”」
走り際に“僕”がそう言った。ご丁寧に手まで振っている。
「ありがとう! 頑張ってみるよ!」
ただの妄想だったのかもしれない。それでも、少しだけ勇気をもらえた。僕が理想とする自分。あの“僕”はそんな僕の理想を体現していたのかもしれない。
結果的に、それは夢でも幻でもなかった。
ドッペルゲンガー。そう呼ばれる“奴ら”は、確かにこの世界に存在する。
読んでいただきありがとうございます!次話もおたのしみに!