プロローグ
「明人! そっち行ったわよ!逃がさないで!」
「来んじゃねェェェ!!」
獲物を追いかける黒橋奈々子とその標的である田中誠の声が数十メートル先から聞こえる。場所は人通りの少ない路地裏の一角だ。二人がこちらに向かってきている。
「ぜェ……ヘマしたら、はァ……許さないわよ! 絶対に、捕まえなさい!」
黒橋は鬼の形相でこちらを睨みながらゼエゼエと息を切らしている。無理もない。もうかれこれ三十分は田中を追っているからだ。黒のショートカットが揺れている。いつもは大きい、僕を睨みつけてくる瞳も今は疲労で半開きになっている。
運動神経が悪く体力もない僕はただただ挟み撃ちを狙うために道を回り込むしかなかった。もっとも、それでも追いつけなかったので三十分もかかったわけだが。
これ以上体力も持たないし、ここで田中を捉えなければ確実に逃げられる。そうするとさらに被害者を増やしてしまう。
対して田中はというと、先ほどまでいじめっ子たちをボコボコにしてたっていうのに黒橋に追われ続けて「なんなンだよてめェわぁ!!」といった感じで叫びながらも体力はありあまっているという感じである。“本物”とはえらい違いだ。
そうだ。この田中は“偽田中”といった方が適切か。
なんていうことを考えているうちに僕と“偽田中”の距離はもうすぐそこまできていた。
「よし、まかせろ!」
僕はに偽田中に向かって抱き着く形で覆いかぶさって捕まえた―――――筈だった。
「おっせエんだよノロマが」
「ぬわっ」
いつの間にか地べたを眺めていた。
あろうことか偽田中は僕の背中を跳び箱に見立て、軽々と越えていった。運動神経良すぎだろ。眼鏡が壮大にずれる。
「もう馬鹿! ノロマ! グズ! なにやってんのよアホ! 肝心な時に使えない!」
小学生みたいな罵声が飛んでくる。事実だから言い返せないのが腹立つ。
昨日は眠れなかったのだと弁明をしたくなったがよく考えてみるといつも失敗しているな、僕は。ほんとすまん。
半ば諦めかけながら偽田中を追いかけるが、やはり僕の足では追いつけない。それどころか後ろから来た黒橋と白熱の試合を繰り広げてしまっている。
「ぜェ……やばい……このままじゃ逃げられちゃう」
黒橋が死にそうな声で言った。掠れていて聞き取りずらい。
その時、
「お待たせしました」
「っ! 誰だてめェ!?」
「トイレが混んでいたもので」
そう言って現れた少女は、白のショートカットとシルバーの瞳が目立ち、そのうえ―――――――黒橋と瓜二つの顔をしていた。
「田中誠の分身が危険種に認定されましたので、これより対象を消失いたします。許可をください」
黒橋とそっくりの少女、『シロ』は、黒橋の方を見てそう言った。
「やっておしまいなさいっ!てかやって!」
悪の組織の女幹部のような黒橋の命令に「実行します」と応答したシロは、懐からナイフを取り出し、流れるようにそれを偽田中の心臓に突き立てた。
「あがぐガ」
心臓を一突きにされた偽田中はそのまま床に倒れ、直後、水蒸気のようにシューという音を出しながら半透明になり、数秒後、完全に消失した。
「対象を排除。任務を完了しました。ご褒美はパフェでお願いします」
表情一つ変えずシロはいったが、黒橋の「それどころじゃない。もう疲れた……」を聞いて少し残念そうに眉を下げた。僕じゃなきゃ見逃しちゃうね。
「な、何とかなったな」
立ち上がろうとした途端、突如目眩が襲った。意識が朦朧とする。
そういや、昨日寝れなかったんだった。
安堵の表情を浮かべたまま、僕はその場に倒れこんだ。
読んでいただき、ありがとうございます!面白いと思っていただけたらそれはもう最高です