第150話:最終準備(彩乃視点)
ひーくんが明日香と通話越しに話している姿を実に面白くな……見守っていると
『今更何を言ってんだこのブラコン姉が。他の女に取られた云々を言うならもっと前に―――』
あっちの声は聞こえないためいったいこの二人がどんな会話をしているのかは分からないが、なんとなく私とのことを話していることは察しがつき
ちょっとした優越感のようなものに浸っていたのも束の間のこと。
突如ひーくんの声が途切れたかと思えば同時に彼の雰囲気が一瞬でガラッと変わった。
(なに…このひー、くん? 今まで何回も、色んなキャラ変彼氏を見てきたけれど……こんな得体の知れない人、私知らない)
『――――――――』
これまで同様ひーくんが右耳に付けているイヤホンから微かに明日香の声が聞こえはするものの、相変わらず何を喋っているのかは全く分からない。
「………………」
しかし何かしら彼に対して喋りかけているのは確かなはずなのに、当の本人は一切の反応を見せることはない。
まるでゴール地点に関係すること以外の全てが五感から排除されているかのような、そんな薄気味の悪さがまた私の動揺を誘ってくる。
(ただでさえゾーンは諸刃の剣のようなものなのに、それを疑似的とはいつでも自由に使えるともなれば明日香が発動権の半分? を握っていてもおかしくはないかと思っていたけれど…これがゾーンに入っている状態の人間の姿)
「ゾーンとは高い集中力を保ちつつ、適度な緊張状態とリラックス状態が絶妙なバランスを維持できている状態のこと。きっと今のひーくんには私達が見ている景色とは全く違うそれが見えているだけでなく、不可能なんて感情は一切ないんだろうね」
『彩乃ちゃんの口からそんな感想が聞こえてきたってことは今のよーくん、薄っすら笑ってるでしょ? 直接本人の顔が見えない状況でこれをやるのは初めてだからちょっとタイミングを計るのが難しいかもって思ってたんだけど、大方平均タイム通りに進んでるみたいだしあと10秒くらいで完全に入れるかな』
「いきなり私のスマホに電話を掛けてきたかと思えば今度はお姉ちゃんマウント?」
『そんなまっさか~。私はただよーくんのお姉ちゃんとしてよーくんのやりたいことをやらせてあげるだけだし、もしそれに手助けが必要ならばこれまで通り手を貸してあげるだけ。と言いたいところなんだけど、なんか私の知らないところで私の手の届かない範囲にまでそれを広げちゃったみたいだから…ここはいい機会だし彼女さんにもお手伝いいただけないかな~と』
「薄々感じてはいたけど、やっぱり明日香も見かけによらず結構いい性格してたんだね」
『女の子はみんな色んな顔を持っているもの♪ それは彩乃ちゃんも同じでしょ?』
「私の場合は主にひーくんの為だけどね」
『ちょっと、ちょっとそれは私も同じなんですけど⁉ 何なら私はよーくんが生まれた時からずーーーっとそうだもん! 私の方が全てにおいてお姉さんなんだからね!』
「ふふっ、やっぱり明日香はいつも通りの方が似合ってるよ。ところで私の彼氏兼お姉さんの弟さん、準備ができたのか今にもスタートしようとしてるけど大丈夫なの?」
『はっ⁉ もー、よーくんが全然お姉ちゃんとしての私に彩乃ちゃんを紹介してくれないからついこっちに夢中になっちゃったじゃん‼ って言ってもどうせ聞こえてないんだけど。ということでこっちは私達でどうにかしておくから、美咲ちゃんにマウントを取るのは勝手だけどちゃんとお手伝いの方もお願いね♪』
そんな言葉を最後に電話が切られたと同時にひーくんは他の人達より約10分遅れで再スタートを切った。
長距離走での10分の差。それは素人の私が想像しているよりも遥かに大きいのだろう。
だからといって不安はない。不満は沢山あるけど。
(だいたい『私はお姉ちゃんだからそんなことしないけどね』みたいな感じで最後言ってきたけど先にマウントを取ってきたのはそっちだし! もし私がこの後美咲に対してそれをしたとしてもお相子だし! あと私と明日香は年齢はおろか誕生日も全く同じ4月1日生まれです‼)