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八話『キアレクトの街』

 暗い部屋、しかしそれは彼にとっても沢山ある部屋の中ではよく知っている部屋のはずだった。

 赤い目が彼を捉えて離さない。

 簡単に言ってしまえばバケモノに彼は捕まってしまった。

 大きな翼が小さな彼の退路を断つように小さき身体を覆い、両腕で肩を掴まれている。

 ピシャリと窓の外では稲光が光るとぼんやりと見えるそのバケモノの身体。

 反り返った角が二本、髪の間から伸びて、影の中でギラリと銀色の牙が光る。


 ごめ――ん――ね――。


 掠れた声をあげるとバケモノはゆっくりとその牙を


 ――突き刺したのだった。



「あれ…?」

 今朝の食堂はいつもと違った。

「どうかしましたか?アル君」

 ミクス様は今日も変わらず綺麗に整った服を着て、短い銀髪はフォークと同じくらい艶やかで。

 僕を見ると目を細めて柔らかく笑う。


 広い食堂の隅で朝食をとる。

 毎日変わる美味しそうな匂いにお腹が動き出す。

 そんな朝はとても楽しい。

 だけど。


「ああ、ミラ様ですね。 今日は…ん、少し体調がよろしくない様で休まれてます。 ですのでアル君、今日はミラ様の部屋には行かないようにしてください」

 小さく僕はその言葉に頷く。

 二人の――誰かがいない食事は初めてだった。


 どうしてだろう…ついこの前までずーっと一人で、パンと牛乳を食べていたはずなのに、その朝食は少し…寒く感じた。



「今日はこの後、街に行って見ませんか?」

 昨日と違って服を気にすることなく、土にまみれながら僕はミクス様の手伝いをしていた。

「街…?」

「ええ、少し買い物の量が多くなりそうなので手伝ってもらえたらと思いまして」

 少し考える仕草を見せるアル、彼にはそう考えられる程の予定はないのだが…

「はい」

 しかし、直ぐに首を縦に振った。



 ロドスト王国のキアレクトという街がミラリール達の住む城からは一番近い場所になる。

 石畳に木組みの家が並び、街の中心に位置する町役場の側を水路が通っているのが特徴で、風光明媚な街としてそれなりに有名だ。

 しかし郊外に広がる草原や水車といった風景を始め、人がごった返す国の中枢機関とは程遠いのどかな街。

 そんな街道を歩くミクスとアルの二人、並ぶ姿はどこか親子に見えた。

「ね、あれって…」

「ああ、あの…」

 銀髪とくすんだブロンドの髪の二人は目立つのかアルは街の人の視線やそもそも始めて見るものだらけの街に、どこか落ち着きがない様子だった。

 のどかとはいっても基準は人それぞれで、多くても数十人単位でしか一緒にいた事がないアルには人の波や賑わう人の様々な声に圧倒されていました。肉やパンの焼ける匂い、インクや牧草の香り、そして色とりどりの物たちに飲み込まれるように。

 ――ただただ、彼を取り込んでさも当然の様に流れて行く一つの大きな生き物にすら見えてしまうほどに。

「目移りしてしまいますよね。 大丈夫ですか?アル君」

 そっとミクスから差し伸べられた手を掴むアル。

 ゆっくりと恐る恐るといった歩幅のアル、未知を自分の足で踏みしめる幼き少年に合わせてミクスもまた歩みを進めていった。

「おや…あ、やっぱりそうだ!ミクス様ですよね?」

 そんなミクスに気付いた誰かが声をかける。

「や、コチョウさんお久しぶりです」

「城から離れられる様になったのというのは本当なのですね…その子が、その新しい主人(あるじ)さんですか?」

「いいえ、この子は主人の…執事見習いってところですかね」

「そうなんだ。こんにちは、僕はコチョウ、君は?」

 屈んでアルと挨拶を交そうとする男性。

 クシャクシャのスーツに細身の体で無精髭を携え、なんとも頼りなさそうな男だった。

 アルは咄嗟にミクスの脚の裏に隠れながら名を名乗り、握手を交わす。

「僕は町議会議員の一人でね、昔からミクスさんにはお世話になっているんだ。 ――しかし、その…ミクスさん、その新しい主人さんは…その、大丈夫ですか? 噂にはあまり良い印象は聞かないのですが…」

「ミラ様は危険なお人ではありませんよ。ですが隠しの魔術をかけているとはいえ、子供達にはあまり面白半分には近づかぬように伝えてもらえますか? 人が得意な人ではないので」

「ああ、了解した。 それならお城を貸してもらうのは今年はできないかな?」

「聞いて見ないとなんともいえませんが、恐らくは例年通りで大丈夫でしょう、そういう伝統や習わしは大事にされる方だと思いますので」

「そうですか、ま、こうしてミクス様もお城の外へ出られるようになったわけですし如何様にもなりますね…そうだ、少しお待ちください」

 一方的に話を切り上げるとコチョウは近くのパン屋へと向かった。

 しばらくして店から出てくると二人にパンが入った袋を渡す。

「これ僕が好きなんですよ、ちょうど焼きたてみたいなのでアル君へのプレゼントです。 よかったら君もこの街を好きになってくれると嬉しい」

「ありがとうございます、コチョウさんもまたいらしてくださいね。 そろそろ蘭の花も落ちてしまいますから」

「うん、ありがとう。 それではまた、アル君もまたね」

「あ…りがとうござい、ます」

 そうしてコチョウは小走りで人混みの中へと消えていった。

 アルは手渡された暖かい袋を見つめて、ミクスの方へと向き直しました。

「噴水広場の方にベンチがあるのでそちらでいただきましょうか」

 ミクスの提案にコクリと頷くアル。大事に袋を抱えて、ミクスの手を掴んでまた歩き始めます。

 彼にとって温もりを持ったその袋はまるで、宝物のように抱えて。

 街の中心部なのに、どこか閑散とした広場でした。

 あくせくと動き回る人の流れの中に、まるで結界でも張られているかのように噴水の周りには犬を連れた老人や雑談に花を咲かせる主婦など、まったりのどかな空間が広がっています。

 そんな人の様子を不思議そうに眺めながらベンチに腰掛けるアルにミクスは声をかけました。

「ここは確かに街の中心部なのですが商店や施設などはここから放射状に伸びる大通りに分散しているので、この場所にはなかなか人が来ないそうです。通りと通りの間にも道は通っていますしね」

 さ、冷めないうちにいただきましょう。

 そうミクスの声に促されてアルは紙袋の口を開く、すると香ばしい香りが一気に溢れ出ました。

 ベーコンとチーズが練りこまれたパンでした。

 一度焼き上げられてふっくらとした上から炙っていて、手に持つ部分の柔らかさとパリパリの焦げ目のついた表面が溢れた脂でテカテカとしています。

 一口、小さなアルの口で噛み締める。かみごたえのある表面を突き抜けるともっちりとまるで口の中で膨らんでいるかのように中の生地が反発しました。

 そしてなだれ込む、溢れ出す、チーズの甘みやベーコンのまた別の甘みの詰まった波が口いっぱいに。

 香り高く、暖かく、たまに熱すぎるくらいで、口の中を溶かしていく。

「美味しい…」

 その言葉は自然と溢れていました。

 横に座るミクスはその少年の姿にニコリと口角を少しだけあげると自身もパンをほおばりました。

「うん、美味しいですね」

 うららかで柔らかい春の陽射しの下で、お腹の中までぽかぽかしていく感覚がアルにはありました。


「アル君、全部食べないのですか?」

 不思議そうにミクスは言った。

 それもそのはずで、満面の笑みで一口目を飲み込んだアルはそのパンをおもむろに半分にちぎると、それを残して紙袋の口をくるくると巻いて閉じてしまったのだから。

 残り半分を二口目へと進めていた手を止めるとアルは少し目を下げて口を開く。

「――ミラ様にも温かいものを…元気でるかなって…」

「ふふ、そうですね。きっと元気になりますよ、ですがそれはアル君が頂いたものなので全て食べてしまいましょう。 それで後程、買い物の途中で新しいのを買ってそれをミラ様へのお土産にしましょうか。帰れば温めることもできますので」

 ――ね? とミクスに押されて二口目を運ぶと、三口目も袋に入れた半分もぺろりと平らげる。

 そうして食べ終えた二人は街のより深くへと歩き出す。

 少しずつ少しずつ、お腹に落ちた温もりがその緊張をほぐしていくように少年の足取りはどんどん軽くなっていきました。


 衣服を買い、ペンとノートとペンケースを書い、花の種や怪しげななにかを買って、途中でパンを買って。

 本屋に行ってアルの探していた絵本を探して、食料品や日用品を買って。

 行く先々で初めて見るものを食い入るように眺めたりしながら、時間はあっという間にすぎて行きました。


「アル君の本なかったですね…でも本屋さんが言うには古い本だけど有名なものらしいのできっと直ぐに入荷してもらえますよ…アル君?」

 馬車が走る。地平線を真っ赤に染める夕陽と並んで進んで行く。

 帰路につく最中、手綱を握るミクスが後ろに座っているはずのアルにからの返事はなく振り返る、すると――

「寝てしまいましたか、疲れてましたよね」

 すうすうと穏やかに寝息を立てているようでした。


「…少しは馴染んでもらえているのですかね」

 そっと夜空を誘う風に溶け入るような声をこぼす。

 奴隷商からの帰りにも通った道を今も走っている。あの時と同じように後ろにはアルが眠っていて、手枷も足枷も目隠しもないのに出来るだけ小さく丸まって寝ていた。

 そんな姿をミクスはどう思っていたのか、それは彼以外には理解はできない。

 しかし――アルが眠る腕の中にパン屋の紙袋が見えると穏やかに微笑んた。

 山森の入り口が遠く見える。

 影が落ちた真っ黒な木々たちに燃えたように赤い帽子を被って、いち早く夜闇が息づいているのだった。

 茜から紺色へと空を覆うグラデーションに穴を開けたかのように紅い月が佇みながら、世界は少しずつ眠って行く――。


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