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二話『御主人様』

「全く、2日も取れないなんて悪趣味ね」

「彼らもその世界では長いですから、場所や情報の漏洩の危険性はよく知っているのでしょう」

「けど魔術付きの目隠しなんて…そういうものかしら」

「そういうものなのですよ」


 丘陵なだらかな平原が広がっている。雲ひとつない青空の下で青草たちが軽やかに駆け抜ける風に合わせて、歌う様に揺れていた。

 スカイブルーと草原の境目は遥か彼方の水平線に見えるほど広大な大地を一台の馬車が走っていく。

 その馬車には手綱を握る青みがかった銀髪の初老の男性と、その隣に15、6歳くらいのまだどこかあどけなさの残る夕陽色の髪色をした少女が座っていました。

「ね、ミクスは本当に私の配下って事でいいの? 私より存在的には高位だし、人間も買えたから既に十分にもう助かったのだけど」

「私はあの屋敷の辺りの土地神となってはいますがそれだけです、こうしてあの場所を離れたり出来るのはミラリール様が居てこそなのですよ。 それとも私はいない方がよろしいですか?」

「そんな事は全くないわ! 本当にこれまでも感謝しているし、これからも一緒にいてほしいわ!本当よ?」

「なら良かったです。 今後ともよろしくお願いします、お嬢様」

「私、人使い荒いから覚悟してね。それとミラでいいわよ、私の名前長くない?」

「ははは、それはそれは楽しみです。それにしても…あの子で良かったのですか?」

 ミクスと呼ばれた男性の視線をなぞるようにミラリールも後ろ席に寝転がる少年を見ました。

 くすんだブロンドの少年、奴隷として買われた少年の目には目隠し、両手を繋ぐ手錠、片足には足枷、そして魔術によって眠らされている。

「私にはあの子しかいないわ、それぐらいあの子が良かったのよ」

「まぁ、私には人間の良し悪しなどわからないので言うだけ野暮なのでしょうが」

「それにしても帰りも鉄道が良かったわ」

「奴隷を連れて鉄道は…奇異には見られても法的には問題ありませんが、我らの城の最寄り駅で悪目立ちしてしまいます。ただでさえ、ミラ様自身がやってきて不安な声も上がってますから悪目立ちは避けた方がよろしいかと」

「そうね、私だって静かに暮らしたいだけだし…仕方ないか」

「それにこの大きな草原に我々だけが走る景色もまた風情があって私は好きですよ。 ちょうど2日くらいはかかりますから奴隷の子の為にものんびり行きましょう」

「だわね。」

 ゴトゴト、ゴトゴト。道と言っても時折ある大きな石に車輪を弾ませながら、馬車は翡翠色をした草原の波を進んで行った。


「ん…んん…」

 頭の中がぐちゃぐちゃする。しかし、朧げながらも目覚めていた。

 目を開いている筈だ、瞼は自由に動く感覚は確かにある。

 だけど視界は真っ暗。それに両手首と右足首にある冷たい感触は親しみすら覚えるほどいつもの枷の感触。

 奴隷として売られた後のことも教えられてはいたけれど、聞くのと経験するのはだいぶ違うなぁ、とぼんやりと考えていた。

 今は何処にいるのだろう、それとも既に死んじゃったのかな。

「あら、起きたのね」

 声がした。僕よりは歳上だろうけど少女っぽい声、そして檻の外にいた僕を買った人の声だと思う。

「あ…あの…えっと…」

 自由の効かない手でなんとか体を起こす、僕が寝ていた場所はふかふか柔らかで何度でも寝転がりたかったけれど僕は奴隷だ。挨拶をしなきゃいけない。

「この度は…私を…」

「あ、手錠とか邪魔だよね。ちょっと待って」

 視界がふさがっているからか鼻がとても敏感になっていて、ふわりと花の様な香りが僕の顔のすぐ前を流れて行った気がした。

 パキン、とその音がした瞬間に手が軽くなる。

「右足あげて」

「は、はい…」

 手が触れた。僕のかかと、そしてふくらはぎを持ち上げる手の感触。

「はむっ」

 足首に少し湿ったものが触れた。

 ぱりぽり…ばりぼり…がしゃんぼんばりん…ごっくん。

(え…まさか鉄の枷を…食べた(・・・)?)

「ごめんなさいね、目隠しも外してあげたいのだけど変な魔術とかあったら危ないからね。手、わかる?掴んでゆっくり立ち上がって」

 鉄の鎖や石の壁と同じ様に冷たい手だったが、その冷たさにどこか落ち着く自分がいる。

 手を引かれて段差を降り、「ここに座りなさい」と促され腰を落とすと小さな椅子があった。

「おや、お目覚めになられたのですね」

 側から穏やかな男性の声がした。

「あのね、今は私と…あ!その前に名前よね、私はミラリール・アシエドル、ミラって呼んで。それで今喋ったのがミクス、ミクス・マキナという私の執事などをやってもらっているわ。それでそれで、ええと、そう今は私たちの城への帰り道でね、日が沈んでしまったからここで夜を明かそうとご飯のしたくをしているところで――」

「あ、あの!」

 御主人様の声を遮ってしまった。だけど、誰かに買われた時はこれを言えとそう教えられている。

僕の数少ない記憶の中に刻まれている言葉を…言わなくては。

「この度は私を買ってくださり、ありがとうございます…私は痛がりません泣きません反抗もしません、ですが泣けと言われれば泣きます、痛みを口にします、抵抗もします。私はご主人様…ミラ様のモノである事を嬉しく思います。私は奴隷です、その事を忘れる事は必ずありません。死ねと言われれば死んで見せます」

「………ふうん」

 言った。奴隷としてまず最初に行う事mそれは主人への忠誠を示す事。

 この先はどうなるのか全くわからない。毎日痛めつけられるのか、魔術の実験体になるのか、剣の試し切り用に奴隷を買うという話も聞いたことがある。

 どんな事があっても僕は奴隷である、ただただ消費されるだけのオモチャなのだから、それを言葉にしなくてはならない。

「今ね」

 僕の言葉を聞き遂げた御主人様は溜息にも近い言葉をこぼした。

 表情が見えないせいで焦る、奴隷だけど痛いのも怖いのも、出来る事ならもう二度と嫌だ。


「今ね、星がとっても綺麗なの」


 そんな僕の焦りを他所に御主人様はそう言った。

「え…?」

 何が言いたいのか、頭の悪い僕にはさっぱりわからない。

「貴方、星は見たことある?」

「い、いえ…夜に現れるものだとは教えてもらいましたが、夜に運動はした事がないので…」

「そう、なら尚更残念だわ。この星空を共に見られないのが残念。」

 暗くて寒い。僕にとって夜とはそれだけだ、隙間を抜ける風も、寒さをより感じさせるだけのものだった。

 今はどうだろうか、風の音、虫の音、火が燃える音…そして誰かの声。

 暖かい、泣きそうなほどにそれが暖かい。

 奴隷として願いなど持ってはいけないし、持ったことすらない。

 だけど。

 だけど、今日だけはあのE舎だけだった僕の世界が広くなった事を嬉しく思いたかった。


「口開けて。ほら、あーん」

 言われた通りに口を大きく広げる。ふーふーと口で風を起こす音が聞こえた。

「ほふっ!?」

「あらごめんなさい、まだ熱かったかしら?」

「ミラ様、何も見えていないのですからいきなりスプーンを突っ込んでは誰でもむせてしまいますよ」

「そうなの?ごめんなさいね、ご飯…何も見えないのでは食べられないだろうと思って」


 口に入ってきた硬い何か、それの中にとても…とても…

 ごくり。

 喉を滑っていくものがとても暖かい(・・・・) 。

「あわわ、えっと、ちょっと、そんな…泣くほど熱かった? お水いる?」

「ごほっごっほっ…いえ、いいえ、とてもとても美味しくて…こんなの初めて食べたので…」

 泣いてはいけない。泣いてはいけない。泣いてはいけないとあれほど教えてもらったはずなのに。


「ごめんなさい、泣いてごめんなさい、もう泣きませんからお願いします…ごめんなさい…」

「……。もう一度、口開けなさい」

「は、はい…」

 口の中に侵入してくる何かの気配、ゆっくりゆっくり、恐る恐るそれは舌の上まで伸びて御主人様の手が顎の下を摩る。

 閉じろということだろうと、僕はゆっくり口を閉じた。

 舌が本能的に口の中の異物をなめあげる…するとまた暖かいものが、暖かくて美味しいものが口に広がっていく。

「確かに…確かに私は貴方を買った。だけどね、私に欲しいのは決して裏切らない友達なの。今後、人間の友達同士ならあり得ないような事をお願いしてしまうけれど、それでも貴方は主従関係ではなく友達になって欲しい。」


「だけど、直ぐにとは言わないわ。貴方が生まれからずっとなのか、売られてそうなったのかは知らないけれど、貴方にとってはそうするのが当たり前になっているのでしょう。ゆっくりでいいの、私は決して貴方が嫌がることも怖い事も、痛い事もなるべくしない。絶対にしないとは言えないけれど貴方が本気で拒む事はしないと約束するわ」

「だけど!僕は奴隷で…奴隷だから…その…あれ…」

「だからゆっくりでいいのよ。とりあえず…だから御主人様命令よ、大人しく私が食べさせてあげるスープを飲んで、ベットとはいかないけれど後ろの椅子でタオルを肩まで掛けて寝ること、いいわね?」

「わかり…ました…」


 僕の御主人様が言っている事を何一つ理解ができなかった。

 記憶のあるうちから僕は奴隷だった。奴隷として叩かれたり蹴られたり殴られたりした中で、勉強やお歌や運動も教えてもらった。

 ただ、何もできなかった僕にはいつもその最後は怖い事、痛い事で終わってしまう。

 E舎に入ってからは毎日もらえるパンとミルクを冷たい石の床の上で食べるだけだった。

 時々運動と言って高い壁に囲われた場所に連れて言ってはもらえたけれど、本当に稀で。

 奴隷として買われた後のことを考えた時期もあった。

 だけど自分が商品として売れない存在だと知った後は、そんなことを考える余裕もなく毎日が怖かった。

 いつ、要らないと処分(・・)されてしまうのかと、そんな不安で眠れない日も沢山あって、いつからか僕が考えることは結末の知らない『あの物語』の終わりだけだ。

 自分では想像できないようなエンディングを思いつけないかと毎日、暑い日も寒い日も考え続けていた。

 

 ――御主人様が言っていた『友達』って一体、なんなのか。


 わからない、わからない――でも、ただ、ただただ暖かい――。


「ふふ、眠ってしまったわ。目隠しをしていてもあんなに虚ろな顔をしていたのに、眠ってしまえばまるで赤子の天使のようだわ。可愛い。」

「せっかく買ったのですし吸われなくてよろしいのですか?」

「ミクス、貴方やっぱり意地悪ね。全然我慢できるわよ、確かにとても美味しそうだとは思うけど――なにそのニヤついた顔は!」

「いいえ、あの子と同じくらいミラ様も可愛いなと」

「な――うるさいわよ! それにあんなひょろひょろじゃ、ちょっと入れただけで倒れちゃうわよ」

「それもそうですね」

 奴隷の少年からずれたタオルを肩まで掛け直して、焚き火の元へ戻る。

 月明かりに炎に照らされる赤毛を揺らしてミラもまたスープカップを手に椅子に腰かけた。

「ねえ、ミクス」

「はい」

「私楽しみなの」

「ほう」

「私もあの子もどうなるのかわからないけれど、ミクスとあの子と静かに暮らせると思うと人間界に来てよかったと思うわ。わくわくする」

「それは良かった」

「改めてよろしくね」

「こちらこそ、私の方がこれからの賑やかな生活を楽しみしています」

 そう言って笑い合う二人。

 そんな時、風が一瞬だけ強く吹いた。焚き火の明かりを一気に風が奪うと、月光にミラの口元が眩く煌めいた。


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