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王の情愛と聖女の純潔ー皇子は女神の聖女を王妃に求めるー  作者: 水戸けい
◆第四章 柔和な想いに打ちのめされて
12/19

(私は、そんなにすばらしい人間ではないわ)

 * * *


 広い温室にハープの澄んだ音色が広がっている。天幕の下でお茶を口に運びながら、ゆったりとした心地で旋律に耳をかたむけながら、彼女にハープを持ってくるよう言ってよかったとアリナは唇に笑みを刷いた。


 かたわらにはエクトルとラコットの姿がある。エクトルが持ってきたお茶と焼き菓子、果物を味わいながら、のびのびと葉を茂らせる草木に囲まれて、すばらしい音楽を楽しんでいる。


 雨の日でなければ、どんな口実で呼び出されるのかと待っていたら、温室の蕾がほころんだとエクトルが呼びに来た。アリナはさっそくツァーリに声をかけ、彼女と共に温室を散策し、少し休憩しようと天幕の張られている場所へいざなうと、タイミングを見計らったかのようにラコットが現れた。


 皇子の登場に恐縮するツァーリに、彼は気さくに声をかけてハープを奏でてくれないかと言った。うなずいたツァーリのつまびくハープの音色に、ラコットは満足気にほのかな笑みをたたえている。


 彼女のハープの腕前は、ツァーリ自身の助けになると踏んでいたアリナは、予測が当たりそうだと胸を撫で下ろした。彼女の力量であれば、音楽の講師として、貴族の師になることもできるし、王宮の楽士として雇われることも可能なはずだ。


(ラコット様が気に入ってくださったなら、心強いわ)


 おそらく彼は、アリナの思惑に気がついたから、早々に聞かせてくれと言ったのだろう。澄んだ高い音を奏でて、余韻が草木に吸い込まれてから、ツァーリは肩で息を吐いて恥ずかしそうにほほえんだ。可憐な笑顔にアリナは笑みを深くした。エクトルが拍手をし、ラコットもそれに続いた。


「すばらしいな」


「そんな……ありがとうございます」


 はにかむツァーリが、不安そうにアリナに目配せをする。大丈夫よと言う代わりに、強くうなずいてみせた。


「あの、ラコット様」


「両親のことなら、心配はない。彼等は新天地で新たな商売をはじめるつもりだと言っていた。交易に関するこまごまとしたものは、説明をされてもわかりづらいだろうが……聞きたいか」


 きょとんとしたツァーリに、いたずらっぽく歯を見せたラコットが茶を勧める。


「知りたいことを先に聞いておいた方が、安心して温室の景色を楽しめるんじゃないのか?」


 目を丸くしたまま、ツァーリがこっくりと首を動かす。それを受けてラコットはさらっと告げた。


「ここに戻ってこないわけじゃない。交易船に乗って、娘の様子を確かめに来るつもりだと言っていた。どんな商売をするのか、くわしい話も聞いているが……それはまあ、いいだろう。ふたりの心配事は、聖女の任が終わってからの娘のことだ」


 アリナはわずかに前にのめった。彼女の両親が、どんな気持ちで娘を残して行くのかが知りたい。チラリとラコットの視線を受けて、表情を引き締める。言いにくいことなのだろうか。不安を抱えているツァーリが傷ついたとしても、泣ける場所になろうと気を引き締めた。


「家の財政状況は、かなり前から破綻寸前だったらしいな。貴族としての対面を整えるのも、手いっぱいどころか難しかったのだろう?」


 恥じ入るように、ツァーリがうつむく。


「今回の交易船を逃せば、新規事業に乗り出す資金すらなくなってしまう。だから娘を置いていくのだと言っていた。聖女に選ばれたのは、さいわいだ。見知らぬ土地で苦労をさせなくて済むと、ふたりは言っていたよ」


 やわらかなラコットの視線は、いたわりに満ちていた。ツァーリが唇を噛んでいる。両親の気持ちも、家の事情もわかっていても、ひとり残される心細さは変わらない。


「聖女の任が終わったら、王城で働くといい。トモロコ家の誰かの養子に入って、とも考えたが、それだけの音色を奏でられるのなら、楽士として勤めても問題はないだろう。あるいは、民衆を楽しませるために一般の楽士として、あるいは講師として独立する道を選んでもかまわない。そのための援助は任せてくれ」


「ラコット様……どうして、そこまで」


「民が助けを求めているのに、救わない王がどこにいる? ましてや、ツァーリは聖女だ。聖女として国のため、民のために励んでいる者をおろそかにしては、国民や女神に顔向けができないからな」


「ありがとうございます」


 胸を詰まらせて、言葉が出せなくなっているツァーリに代わって、アリナは深く頭を垂れた。


「俺ができることは、わずかだ。ミズーリに聞けば、ツァーリは物覚えがいいと言っていた。だから、トモロコ家の養子に迎えることも、やぶさかではないと。どの道を選ぶとしても、きっかけは与えられるが、そこからどうするか、どうなるかは自分自身で決めていかなければならない。そこは、わかるな」


「っ……はい。ありがとうございます」


 うれし涙をいっぱいに溜めた目で、ツァーリは感謝を述べた。話の流れについていけていないエクトルが、三人の顔をかわるがわる説明をしてほしそうにながめているが、口をはさむ場面ではないと察しているらしく何も言わない。しかし、参加はしたいらしく、焼き菓子をつまんで涙目のツァーリに差し出した。礼を言って受け取ったツァーリが、サクッとかじる。


「おいしい」


 にこっとした彼女に、エクトルもうれしそうにする。ふたりの様子にアリナは目じりを細め、ラコットは気配をなごませた。


 これで何もかもがうまくいくわけではない。当面の不安が拭えただけだ。両親が遠い場所にいる寂しさは消えないだろうし、帰る場所がない寄る辺なさは心細いはずだ。


 けれど、今はこれが精一杯。


 アリナができることは、彼女の話し相手になるくらいだ。ラコットと知り合っていてよかった。彼の存在がなければ、どうにもできなかった。


「俺は、そろそろ戻るとしよう。ふたりは、ゆっくりしておくといい。――エクトル。お前も、夕食の支度を手伝う時間なんじゃないか」


 立ち上がったラコットにうながされ、エクトルも席を立って去っていった。アリナとツァーリは深く頭を下げてラコットを見送る。


「ありがとうございます、アリナ様」


「私は何もしていないわ。ただ、ラコット様に話をしただけ」


 自分の力では救えない。なんの役にも立ってはいないと告げれば、そんなことはありませんと強く否定された。


「アリナ様に声をかけていただかなければ、私はずっと不安なまま、悩んだままで……もしかしたら、両親を恨んでいたかもしれません。話を聞いてくださっただけでもありがたいのに、こうして助けていただいて」


「助けたのは、私じゃないわ。それに、ラコット様の言っていたように、ツァーリが真面目で、ハープの腕もすばらしいから、道ができたのよ」


 はにかみながらツァーリは、「けれどやっぱり、アリナ様のおかげです」と瞳に尊崇をきらめかせた。


「皇子様に相談ができるなんて、アリナ様でなければできないことだと思います」


 そうだろうか。そうかもしれない。いくら大臣の娘であっても、皇子であるラコットを呼び出して相談を持ちかけるなどあり得ない。


「さすがは、生涯聖女と呼ばれるほどの方だなぁって……自分のことで悩んでいるばかりの私が、生涯聖女になりたいだなんて、おこがましいことだったんだって、恥ずかしくなりました」


 微笑をたたえて恥じ入る彼女に、違うと心の中で伝えた。


(私は、そんなにすばらしい人間ではないわ)


 なぜなら、ラコットの柔和なまなざしを向けられるツァーリに、ほんのりと嫉妬をしていたのだから。


 * * *


 アリナが救おうとしているのだから、なんとか力になれないかとミズーリに相談すれば、ツァーリは妖精のようだとささやかれている娘だと教えられた。色素の薄い姿は子どものころから人目に立っていた。彼女が聖女に選ばれたとき、誰もが納得をしたほどの可憐な容姿をしている娘で、口数が少なく控えめで、真面目に聖女の務めを果たしていると答えられた。


 そんな娘ならトモロコ家の一族に迎えられないかと言ってみた。ミズーリは少し考えてから、理由を尋ねる前に「ツァーリ様なら養子にしても、トモロコ家の恥にはなりません」と、きっぱりと言い切った。そこから事情を問われるままに説明すれば、意地の悪い笑みを向けられた。


「惚れた女の希望をかなえてやりたい、というところですか」


「からかうな」


「違わないでしょう?」


 無言を返すと、ミズーリの顔つきが引き締まった。


「表向きは、寄る辺のなくなった聖女を救う、という体裁が取れますね。ですが、任を終えるまでの間に、何が起こるかわかりません。聖女になったというだけで、彼女たちには付加価値がつきます。その上、彼女の性格や姿をかんがみるに、どこかの貴族が求婚をしてもおかしくはありませんよ」


「そうなったら、そうなったでかまわない。無理に養子にもらってくれと言うつもりはないさ。ただ、現状では行き場がないと不安がっているものを、安心させてやりたいだけだ」


「ツァーリ様だけでなく、アリナ様の不安も、ですね」


「そうだ」


 いちいち確認するなと、わざと苛立たしい表情を作れば、クスクスと笑われた。


「行き場がないのは、ラコット様のお気持ちのほうではございませんか」


「ぬっ、むぅ……まあ、そうだな」


「そちらも、道ができればよろしいですね」


「こればかりは、アリナの気持ち次第だからな」


 重たい息を物憂く吐けば、ミズーリはひょいと眉を持ち上げた。


「会話の場を、もっと設けてみてはいかがですか」


「呼び出す理由がなければ、彼女にあらぬ疑いがかかる」


「ご自身に不名誉なウワサが流れるのは、問題ないと?」


「聖女に執心だと言われても、真実なのだから否定はしないさ」


「いさぎよいですね」


「ウソではないのだから、認めるほかはないだろう?」


 たしかに、とほほえまれて半眼になる。


「言いたいことがあるのなら、はっきりと言え」


「言いましたよ。仕事に関しては頭が回る上に、弓の腕もすばらしいというのに、こちらの方面では不器用なのですね」


「なに?」


「遠慮ばかりしていては、望みはかなえられません」


「彼女を襲えと言うのか」


 顔をしかめれば、まさかと鼻を鳴らされた。


「極端ですよ」


「呼び出す理由がない」


「片思いに悶々となされる姿をながめていた身としては、手助けせざるを得ませんね」


 任せてくださいと言いたげな笑みに、ラコットは頼もしさと少しの不安を感じた。

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