第6話 戦国時代は地雷原(挿絵あり)
戦国三英傑の2番手、豊臣秀吉はついに全国統一を成し遂げます。
そしてこの頃から……日本列島大改造が始まります。
土木工事ですな。
その改造は現在に至るまで延々と続いています。
つまり。
戦国時代の地図を作ろうとして現在の日本地図を元にすると、……。
いたる所で「史実と違う」という地雷を踏みまくることになるのですよ!
さすがに「コレは戦国時代にはなかっただろ?」と誰でも分かりますよね。
しかし戦国地雷って現在の地図を見ただけで判断できるモノだけではないのです。
具体例を見てみましょう。
現在の大阪府・京都府・奈良県あたりの地図を戦国時代風に直してみると。
今とは何か違いますね?
①京の都
応仁の乱以降、京は度々戦の舞台となり叩かれて燃やされて、戦国時代には上京下京のふたつに分かれて1本の道でつながっている状態だったそうです。
②巨椋池
こんな所に巨大な池、というより湖が……何でも昭和初期まであったようですよ。
③淀川河口
今とは全然違いますね!
④大和川
約300年前に大工事がなされて、大和川は堺に向かって流れを変えた…らしい。
……そんなの知らんがな!(怒)
こんなのが全国各地いたる所にあってですね!
特に水辺は要注意ですね!
大きな都市の周辺は地雷の塊だったりね!
結構な大都市でも昔は影も形もなかったりね!
名前も違ったりしてね!
……ハァハァ
落ち着け。 ……よし。
そんなこんなで、「なろう」で時代小説を執筆なさっている作者様方ほどではなくても、昔の地図を描くとなると下調べが欠かせない訳です。
通りすがりのそこのあなた!
「長島古絵図」でググってみ?
……こんなの現在の地図とどう重なるっていうのでしょうか。
わ・け・わ・か・ん・な・い・よ!(怒)
……ハァハァ
実際、地図描く時間より資料を漁る時間のほうが長いこともしばしば。
ま、一度作ってしまえば、結構使い回せて楽できるのですけど、ね。