第一章 第三話 part1
朝。母と二人での朝食が終わった後、母の為の作り置きを作っている時に電話が鳴った。
「……もしもし?」
『へろ~。今日、空いてる時間あるか?』
何となく予想していた通り、シュウからだった。
「多分、二時くらいから空くと思う」
『アホか。折角のデートなんだぞ? もうちょっとゆっくり相手してやれよ』
「色んな意味で勘弁してよ……」
面白がってる様子が感じられて腹が立つが、怒る気力も無かった。
『まぁ良いや。終わったら俺ん家来てくれるか? 住所は――』
言われた住所をメモに書き留めていく。
……一駅向こう。駅からは歩いて行ける。ただ、この辺りは山の方のはずだった。
『分からんかったら、この番号に電話してくれたら良い。表示されてるよな?』
「あ、うん」
ナンバーディスプレイの番号もメモに書き加えていると、シュウが最後にこう言った。
『それじゃあまた後で。……あ、そうだそうだ。いくら許してもらえそうでも、熱いパトス迸らせんなよ? 自由を知る為、なんつって暴走しちまったらそのままお前の人生の終わりが始まっちゃうからな? 新たな生命は始まるけ――』
「やかましいわっ!!」
途中で受話器を叩きつけた。
額に手を当てて、ため息を吐く。
自分には無縁だと思っていた事が立て続けに起こっている。
今日の十一時。昨晩、僕らが助けた少女と会う事になっている――。
第一章 第三話
群がりの庭
「ここ、だよね……」
駅前の大通りから小道に入り少し進んだ所にその喫茶店はあった。
彼女との待ち合わせ場所。実はハクトはここで間違いないと確信しているのだが、気後れしてしまい、思わず呟いてしまった。
小規模のビルに挟まれ、ポツンとある様な小さなお店だ。小洒落た感じで、ダークウッドの調度品と床、白いレンガ調の壁紙に天井という、コントラストが目に着く。
地元の地方番組で取り上げられていた事がある。結構、有名なお店だ。加えて客には年若い男女のカップルや、女性同士が目立ち、自分が場違いな感じが否めない。
しばらく佇んだ後、意を決して店のドアを開ける。
ドアベルの音と店員の挨拶がハクトを迎える。連れが居る事を伝え、店内を見渡す。
待ち合わせ相手を見つけ歩み寄ると、彼女は目線をカップからハクトへ移し――淡く微笑んだ。
ハクトは駆けより、口を開く。
「お待たせしました」
「ううん。でもちょっと先に着いちゃったから、先にコーヒーを頂いてるよ」
そう言って少女が再度、コーヒーを口に運ぶと、彼女のお下げが揺れる。結い方は三つ編みだが、セミロング程の髪を小さく結ってサイドに降ろしている為、何処か新鮮な印象を受ける。服装も何処となくパンクで退廃的な感じのした昨晩の物とは違い、主張を抑えたモノトーンのワンピースを着ている。
ずっと彼女を見ている訳にもいかず、席に座った。
間が持たず、軽く店内をキョロキョロした後、メニューを手に取る。
……中学生が利用するには少々値が張る物ばかりだった。
とはいえ、昼食はここで取る予定だったので、サンドウィッチとコーヒーのセットを頼む事にした。
すると。
「ボクのお薦めはベリータルト。他のケーキが食べれなくなるよ」
「へぇ……僕も頼も――やっぱ今度の機会に」
昼だけで――むしろ下手するとこのタルト一個だけで――一日分の食費を使ってしまいそうなので、慌てて辞退する。
彼女は苦笑して。
「今度って……またここに? 誰と?」
「あ~……母さんに勧めてみます。持ち帰りもやってるみたいだし、それでもいいかな」
すると、今度はそっぽを向いて、拗ねた様な表情を作った彼女はこう返してくる。
「そこは――『次のデートの待ち合わせも、ここにするよ』……でしょ?」
――その言葉を、脳が受け入れ拒否して、フリーズする。
固まっているハクトをよそに、通りがかった店員に注文する彼女。『キミは?』と促されるまで、ハクトは固まったままだった。
何とか自分の注文を口にして、店員が去った後。
「あの、その……あんまり僕、そういうのに慣れてないので、からかわないでくれると助かります。出会ってすぐの女の人に、そんな事言われると、テンぱっちゃいます……」
「からかうとか、酷いなぁ。でも――確かに自己紹介も済ませてないね。まずはそこからか」
そう言うと彼女はカップをソーサーに置いて、胸に手を置いた。
「僕の名前は――ユメ。今年で十五になる」
「……夢?」
「ああ、違う違う。そっちじゃなくって。アクセントは『ゆ』の方。漢字はこうだよ」
言いつつ、備え付けの紙ナフキンを一枚取り、バッグから出したペンで二文字書き出した。
……なるほど、植物の方か。そう納得した後に、ハクトは同じ調子で自己紹介する。内心、彼女が一つ上である事に凄く納得しながら。
「ハクトは……兎さん?」
ユメの言葉に苦い表情を作りながら。
「そう。キラキラネーム一歩手前でしょ? 実際、名前でからかわれた事もあるし」
自分の名前が嫌い、とまではいかないものの、もう少し良い名前にしてくれても良かったのに、とは何度も思った。
そんな想いを言外に込めて伝えると、ユメは緩やかに首を振る。
「素敵な名前だと思うよ。例えば……因幡の兎。恩人に幸福を運んだお話。他にも――アリスを不思議の国への冒険へ連れ出したのは、ホワイトラビットだ。兎って、良いものを運ぶ象徴にボクは思ってるんだ。現に――キミはボクを救ってくれた」
そう言って、ユメは微笑む。
その笑顔に、その言葉に――ハクトは胸を掻き毟りたくなる様な感情を覚えた。
出所が分からない何かが、ハクトの感情を酷く揺すぶった。
「……そんな大した事は。考えなしで突っ込んでっただけです。それに、もう一人は助けられなかった……ごめんなさい」
ハクトはそう言うだけでも精いっぱいだった。
「あの子は……言ったとは思うけど、クラスメイトで、面識が有るってだけの関係だよ。むしろボクは疎まれてた方かな。……こんなだし、あんなだったから、浮いてたんだ。公園で煙草吸ってたあの子と偶然会って、口止めの為に絡まれて。――あんな事になって、ちょっと感謝してるくらいだから、謝るのはボクの方かな。その上にボクだけ命を助けてもらって」
懺悔にも聞こえる言葉に、返す言葉を思い付かなかった。
訪れる沈黙。
しばらくしていると、店員が料理と飲み物を持ってきた。
とりあえず、サンドウィッチを口に運ぶ。ユメもケーキをフォークで切り分けながら、仕切り直す様に言う。
「さて――そんな命の恩人にボクは昨日愛の告白をした訳だけど。返事は考えてきてくれたのかな?」
――唐突に落された爆弾に、思わずむせる。
嫌な感じに具が気道に入った様で、凄く苦しい。良く効いたマスタードがこんな時ばかりは恨めしかった。
ようやく立ち直り、顔と手を拭った。
「いや、だから、からかわな――」
「――からかいでも冗談でもなく。掛け値無しの本気だよ」
被さる形で尚も続くストレートの猛攻に思わず呻いてしまう。
ハクトは、その場しのぎの言葉を紡ぐしかできなかった。
「そんな、急に言われても……こんな事、今までに無かったし。それに僕にそんな好意をかけてもらうほどのものがあるとは思えないし」
「そうだな……最初は一目惚れというか、言葉に出来る理由を思い付かなかったけれど」
少し間を置いた後、ユメは続ける。
「――初めてのデートに、どうしていいか分からなくて困ってる所が、可愛くて好きだ。戸惑いながらも、気まずくさせない様に頑張ろうとする優しい所が、好きだ。困った様な笑顔も、慌てる顔も、恥ずかしがってる顔も、すごく愛おしくて、好きだ。僕を助けてくれた時の本当に真剣な表情も、凄い動きであっという間に怪物をやっつけた姿も、カッコ良くて好きだ。……キミと時間を過ごすほど、キミの好きな所がどんどん見つかってくる。好きだっていう気持ちがどんどん募ってくる。何より、キミが存在しているというそれ自体が、尊く思えて、ボクを救ってくれる。キミの存在そのもの……それが何よりも愛おしいんだ。だからボクは言う――キミを愛してる。……駄目かな?」
「――もう、勘弁してください」
最後の方はもうテーブルに突っ伏していた。
(なんだこれ? なんだこれ? なんだこれ……!?)
脳内にボクサーがひたすらにサンドバッグに向かってパンチを打ち込んでいる様子を幻視する。或いは、誰かがアパートの壁を無言で殴りつける場面。
並行して脳をフル回転させながら、ハクトは次に言うべき言葉を必死に探す。
そしてたっぷりの時間を置いて、ようやく顔を上げたハクトはこう告げる。
「……その件につきましては、今後の課題と致しまして。他に差し迫った問題がある訳です。それについてお話しませんか?」
ハクトは全力でこの件を棚上げにした。
どうしようもないへたれである。ハクト自身がそう痛感した。
「……まぁ、いいや。拒否されてる訳じゃないし。これからじっくりと責めていく事にするよ」
「いや、ほんとお手柔らかにお願いします……」
◆
ともかくその後、ハクトは自分の要件は済ませた。
自分達の置かれている状況の説明、今後の方針。ステ振りは終わっていないようなので、今晩シュウと相談した上で、零時になったら真っ先にそれを行うつもりだ。
「別に、僕等に無理して合わせる必要は無いんですよ? 意向は最大限尊重するし、危険からも出来得る限り守ります」
「ううん。キミ達に助けられて、ボクが知らんぷりをする訳にはいかない。あ、あと畏まらなくていいよ。敬語なんか使わなくて良い」
シュウと同じ事を言うユメに苦笑しながら、ハクトは頷く。
「じゃあ、今日の晩、八時くらいに。場所はまた連絡するから」
「うん、また後で」
喫茶店の前で挨拶を交わし、別れた。
ユメが見えなくなった後――膝を折り、蹲る。
「……うん。頑張ったよ。僕は頑張った」
彼女の猛攻が無かったとしても、ただでさえハクトの脳裏には昨晩の……あの事が思い浮かんで、冷静でいられなかった。
これでへたれるなとか、十四で経験値が足りなさ過ぎる自分には不可能だ。
本当に、本当に勘弁してほしい。
忘れ、振り払う様に頭を振り、立ち上がる。
ポケットからメモを取り出して、次の目的地へと向かった。
◆
その住所へ来てみると、そこは道場だった。
郊外。民家もまばらな、閑静な住宅街の端にそこはあった。小さな山の麓にある様で、ここまでは起伏のある砂利道を通って来た。塀で囲われ、敷地への入り口の横には表札……難しい漢字が連なっている最後に、『道場』の二文字が。
間違えてしまったのかと思い、再三確認したが、ここで合っているようだった。
とりあえず、奥の建物を目指し歩き出す。
敷地内はちょっとした庭――多分屋外での練習に使うのだろう――になっており、充分な広さがあった。向かって左手側には大きな建物があり、そこが道場なのだと思われる。
ハクトは正面の、恐らく住居になっているであろう家屋に向かった。
板戸の横に備え付けられたインターフォンを押そうとしたその時、ガラリと戸が開けられた。
「おお。来た来た。待ってたぜ」
「ども。……シュウの家って、何か武道教えてたりするの?」
「そうそう。爺さんが道場やってんだよ。まぁとりあえずついてきてくれ」
と言いつつ、シュウは中に入るのではなく、靴をはき外へ出てきた。そして何処かへ向かい歩き出す。訝しく思ったものの、ついていく。
やがて道場の方に着き、戸を開けて入っていく。慌ててハクトは靴を脱ぎ、続く。
中はシンプルな造りだった。一面の畳。奥には小さな神棚、壁には竹刀や木刀が飾られている。
(剣道場、なのかな……?)
しかし、中央で座禅を組んでいる人物は、何も帯びていない。
その人物は静かに目を開けると、シュウに向かって話しかけた。
「なんじゃい、瞑想中に」
そこまで言うと、ハクトに視線を移し。
「お前がアキラ君以外の友達を連れてくるのは珍しいの?」
「まぁな。……前から爺さん、剣術の方の弟子が居ないって嘆いてたろ? アキラをしつこく誘ってたくらいだし」
「お前と違って真面目じゃからの。長物の扱いにも慣れとるし」
「長物とか言うな。バットと木刀とじゃ全然違ぇだろうが。っつうか熱心な野球小僧を脇道に引きこもうとするな」
両者の間で交わされる会話についていけず、目を白黒させるハクト。まず会話からこの人物がシュウのお爺さん……ここの道場主だという事が分かったが、それ以外は自分の預かり知らぬ事ばかりだ。
「似たもんじゃろうに。それにあの子じゃったら二足の草鞋も軽々と履いてみせよう。……で? それがそこの子と何の関係があるんじゃ?」
そんな事を考えているハクトに、唐突に話を振られた。
「ん。コイツを剣術の方の弟子にしてやってくれよ」
「「は?」」
シュウの祖父とハクトの声が完璧にハモる。
ハクトは思わずシュウに喰ってかかる。
「ちょ、ま、待ってっ。なんなのさ、その話!? いきなり剣道やれなんて言われても!」
「その子もこう言っとるし、それに……なんじゃ、武道に向いとる身体も心もしとらん様に見えるが」
ハクトを気遣ったのか、少し詰まる様に言う老人の言葉に、ハクトは心から同意しブンブンと首を縦に振る。
「剣道でも武道でもなく……剣『術』と武『術』を教えてやって欲しい。ちょっと訳ありでな。――すぐにでも戦える様にさせなきゃならん」
「……あ」
そんなシュウの言葉から、その意図にようやく思い至った。
「喧嘩……ではなさそうじゃの。なんじゃ? ――この二日、アキラ君の姿を見んのと関係あるのかのう?」
老人の鋭い言葉に、シュウは押し黙った。
お爺さんは頭を掻きながら続ける。
「どんな厄介事に巻き込まれとるのか知らんが……殺生目的なら教えんぞ」
「大丈夫、それはねぇよ。『人』を殺すのが目的なんじゃねぇ。自衛の為に、少しでも手を尽くしたくてな」
何やら物騒な事が言い出された上に、シュウの含みのある言い方から何か悟られたり誤解されたりしないか、ハクトは気が気でなかった。
「それこそ無茶じゃよ。一日二日で覚えたもんなんぞ、生兵法で逆に危険じゃわい」
「それは百も承知。だから、さ――ひたすらに身体で覚えさす」
「……え゛っ」
何か、とんでもない無茶振りをされた。
狼狽するハクトに構わず、シュウが続ける。
「何回も、それほど嫌って程、コイツに技をかけ続けるだけで良いんだ。武道の『技』がどんなものなのか、その目と身体と記憶に叩きこませる。今、ここで、コイツがその『技』を使える様にならなくて良い」
「それに何の意味があるんじゃ」
「短時間で武術がどういう目的で、どういう風にその技術を使っているのか、分かるくらいは出来るだろ。あれだよ、いつも爺さんが言ってるヤツ」
「……意図は分かった。お前達がそれで良いんなら、構わん。わしは丸太相手にひたすら打ち込みをするのと変わらんからな。……いや、動く分、丸太よりは助かるのう」
「当事者放っておいて物騒な話し続けるの止めてくれませんかね!?」
ハクトの事を全く考慮に入れてない様な会話をされて、思わず叫ぶ。
ようやくこっちの方を見た両者は、こんな事を言ってきた。
「大丈夫。お前はただひたすらに打ちのめされてたら良いから。意味は……後々分かるようになるからよ」
「本来、門外不出なんじゃがのう。気が進まんが、演武でしか見せんわしの技を、惜しみなくお前さんに披露してやろう。安心なさい」
「良くないし、安心できないっ!!」
終始、彼等二人はこちらの意向を無視し続けるのだった。
◆
あれやこれやという間に、ハクトは胴着と袴に着替えさせられ、木刀を持たされ、道場に立っている。
ここまできたら腹が決まったのか、『やってやろうじゃないか、サンドバッグ役』と心中で呟く。それは自暴自棄になったと言うのかもしれないが。
「――さて、始めようか」
「……え?」
相対している老人がそう宣言した。姿勢は正座……座ったまま。木刀も帯に挿したままで、手に持ってはいない。
「わしはこのままで構わんよ。お前さんはただ全力で打ち込んで来なさい。作法も構えもやり方も気にせんでいい」
……本気でこのまま打ち合うつもりらしい。考えるまでも無く、全く戦うという姿勢や準備をしていない状態。
しかし。
(……なんだ、これ)
それでも、隙だとか、打ち込むチャンスだとか、そんな気配を微塵も感じない。
一歩を踏み出すのに躊躇していると、老人が口を開く。
「さっきのシュウの話じゃがの……武術の目的はな。自分が強者になる為ではないんじゃよ」
ただ静かに、滔々と語り続ける。
「強者と弱者……この場合、力の差だけでなく、体格の良し悪し、無手かそうでないか、防具の有無、人数の多寡、その辺りも含めて、自分と相手に差がある場合、自他を弱者と強者と分ける訳じゃな。そんな弱者が強者に対抗する為に、どうしようもない状況を打破する為に……研鑽し、積み上げ、伝えてきた技術を『武術』と呼称する訳じゃ」
『他に関係なく、如何に自己を研鑽するかに重きを置く『武道』とはまたそう言った意味では違う訳じゃが』と置いてから。
「つまりわしが今から示すのは、『道』ではなく『術』じゃ。シュウがわざわざ言い直したのはそういう事じゃ。二つは非なる物。無論、『如何に効率的に人を殺めるか』を追及した術も含まれる。多くはそれを持つ者こそを強者と呼ぶ。ある意味では確かにそうなのじゃろう。が、それがそもそもの武術の目的なのではない。……お前さんが如何なる『道』を歩み、何故『術』を必要としておるかは知らんが、努々その事だけは忘れるな。――『術』を知ったからと言って、ただそれだけで己が強者になる訳ではないんじゃよ」
語り終え、老人は諸手を上げ、迎え入れる様な動作をする。
「さぁ、来るが良い。先人が立ち塞ぐ苦難を打破する為、永年の時の内、編み出し、鍛え、紡いできた物の一端を、お前さんに伝えてやろう。――全力で来い」
……そこまで言われて、怖気づく訳にはいかなかった。
ハクトは木刀を利き手に持ち、姿勢を下げる。逆側の掌は降ろし、畳に着けた。
利き手の逆側の脚を引き、両足の爪先を地に着け、力を込める。
武器を持ったままの、クラウチングスタートの姿勢。『全力を出す』という意味において、ハクトは他の姿勢を知らない。だから不格好でも、相応しくなくても、これで挑む。
――いちについて。
腰を上げ、爪先に全霊を込める。
よーい……どん――
地を弾き、跳ぶ様にして一歩目を踏み出す。
頬を、風が切る。感じる時間が、遅くなる。
見る見る内に、距離が詰まる。
走り幅跳びをする時の様に、歩幅でタイミングを取り、最後の一歩を渾身の力で踏み切る。
真っ直ぐに、全力の、突きを放つ。
――途端、視界が回転した。
間も無く背を畳に強く打ち、衝撃で息が一気に吐き出される。頭を打たなかったのは幸いだった。
痛みと衝撃に思わず瞑っていた眼を開けると――木刀が自分の首筋に当てられていた。
視線を上げると、いつの間に立ちあがっていたのか、お爺さんが傍で立っている。
事態を眼で確認したのに、脳の理解が追い付かない。
「どうじゃ? これが座した状態より相手の急襲を反撃する為の抜刀術の一つ。その名も――」
「――あ~、爺さん。最初に言い忘れてた。出来ればもう一回、ゆっくりと、動作が確認出来る様に見せてやってくれ。ハクト、全然何されたか分かってないぞ」
「……なんじゃい、注文が多いのう」
技の名乗りを邪魔され、不服な様子のお爺さんはハクトの手を取り、立たせた。これだけの事でも――背を地に着けた状態で、急に腕を引っ張られたのに、身体の何処にも全く負担を感じなかった――恐ろしいまでの技巧を使っている事が分かる。
半ば呆然としながら、促されるまま、最初の位置へ。
先程より速度を緩めて、出来るだけ同じ動作で打ち込んでくる様に言われる。
……老人が使った『術』を簡潔に言い表すなら、『座した状態から、刀で襲ってきた相手を、四つの挙動で討ち取る居合術』という事になる。
まず鞘から抜き放つように帯から木刀を抜き、上に振り上げる。ここまでで一挙動。
そして返す手でハクトの木刀を打ち下ろし、同時に半回転……軸足の根元に膝を入れる。
これで二挙動。
その状態で屈み気味に立ち上がると、ハクトの真っ直ぐの突きのベクトルが回転のベクトルに変わり、突き込みと踏み込みの為の力がそのまま回転する力に置き換わり……ハクトはハクト自身の力で宙を舞い、背中から畳に倒れ落ちる。で、信じられない事に、ハクトにはここまでがほぼ同時……一瞬で行われた動作に見えた。しかしここまでで、既に三挙動目。
最後の四挙動目。倒れたハクトの首に木刀を突き込む。これが真剣ならば、これでハクトは瞬殺だ。
何とかそう分析したハクトは、それを老人に確かめると。
「……理論立てて分解するとそうなるかのう。要は、抜き打ち、立ち上がり、投げ……この三つを同時に行う技という事じゃな」
三つ同時、というのが誇張にならないのが恐ろしい。最初、ハクトは自分が何をされたのか全く理解できなかったのだから。
引き攣り気味の笑いを浮かべる。
ハクトのそんな様子を見て……老人がニヤリと笑った。
「……気が変わった。時間が許すまで稽古を付けてやろう」
――こいつ等、ドSだ。ここは、ドSの巣窟だ
老人と似た笑みを浮かべるシュウを見やりながら、密かにハクトは思う。
そして、夕方までハクトの悲鳴が道場に響き続けた。
◆
「こんにちわ~」
「おお、もうそんな時間か」
もう、何百回畳に叩きつけられたか。ハクトが既に立ち上がる精も根も尽き果てた頃に、道場の戸が開けられた。
長く艶のある髪をそのまま降ろし、ブレザーに身を包む、シュウと同じ年頃と思われる少女がそこに立っている。
「部活、早く終わったからね。いつもより……って、珍しいわね。新弟子?」
「おう。シュウの友達で、待望の剣術の方の弟子じゃ」
『短期限定じゃが、の』と付け加える翁に、少女が『ふ~ん』と気の無い様な返事を返す。
その間、ハクトが少女の方をじっと見つめていた。そんなハクトの様子に目敏く気が付いたシュウが、からかう様な口調で訊く。
「……お前、アイツの事を『綺麗な人だなぁ』とか思ってたりしないよな」
「エスパー!? ……って違うよ!? 僕はただこういう本格的な所に、あんな人が来るなんてなんというか――」
「――何でも良いけど、後々その感想を抱いた事を後悔するぞ」
「……シュウ。折角の新弟子に、何か吹き込んで誤解を招く様な真似は、止めてくれるかなぁ?」
……何故だろう、とハクトは思った。
――途轍もない寒気を、急に感じた。
でも、目の前の彼女はとても朗らかな、柔らかい笑顔を浮かべていて……。
そんな風に困惑していると、少女がハクトに近寄って、屈んで窺う様にして。
「後、おじいちゃん。折角の新弟子を痛めつけるのは止めてくれるかな。ただでさえ居ないのに、すぐこの子が辞めちゃったらどうするのよ。……もう、あちこち擦り剥いてるじゃない」
そのまま、手取り足取りする少女にされるがままになるハクト。少々、気恥ずかしい。
「といってもなぁ、キリカちゃん。シュウと本人の立っての願いでなぁ」
『嘘つけ』と叫び出したくなる衝動をこらえ、ハクトが翁の方を睨む。意に介さない様に、両者は会話を続ける。
「限度があるでしょう。……もう。丁度良いし、今日は稽古終わりねっ。――大丈夫? とりあえず着替えましょうか。それから手当てしてあげるから、ね?」
応えず、呆けた様に見上げたままのハクト。キリカと呼ばれた少女はまた仄かに笑みを浮かべ……シュウが何故か目を手で覆う。
そうこうしていると、キリカが『じゃあ、私も着替えてくるから』といって道場の奥へと歩き去っていった。
しばらくの沈黙。シュウが口を開いた。
「お前、『良い匂いだったなぁ』とか思ってたりしないよな」
「エス――ってさすがに思ってないよっ!? 何だよそれっ! 僕は新種の変態か何かっ!?」
「どうでも良いけど……そんな多方面に色使ってると、収拾つかなくなって、最悪刺されても俺は責任取れんぞ」
似た様な言葉の応酬だったが、結果が違った。ハクトは力を失ったかのように畳に倒れ込んだ。
気持ちスッキリしたシュウは、軽く舌を出しながら自らも着替えに出て行った。
――後々の話になるのだが。
ハクトは後悔はしなかった。しなかったが……『人を第一印象で判断するのは止めよう』と固く決心する事になる。
『アイツ、外面だけは異常に良いからな』とはシュウの弁である。
『ドSの巣窟』、というハクトの感想は言い得て妙であったのだ。
◇
「……爺さん、最初のアレ。本気でやりやがったろ? 大人げねぇ」
「阿呆。本気じゃったらそのまま喉を潰しとるわ。……まぁ、思わず技を手を抜かんと出しちまったのは確かじゃがの」
「それ、本気と書かずに殺る気と書くよな? ……じゃあハクトは爺さんから見て、多少見込みある、って事だな」
「見込み……のう。確かに、ゆっくりやったとは言え、あそこまで見えとるのは関心したわい。目が慣れとる。何かスポーツでもやっとるんか?」
「……本人は今は帰宅部っつってたけど。陸上部だったっつってたな。思わずああいう姿勢取っちまうくらいには、打ち込んでたんだろうよ」
「なるほど、のう」
「何だよ。含みのある言い方しやがって」
長い、沈黙。時間を置いてから、翁は言った。
「――捨身という言葉があるが。程があるじゃろう」
再びの長い沈黙の後に、シュウは応えた。
「だからここに連れて来たんだよ」
◇
「……ここ、空手まで教えてるの?」
「ああ。爺さん曰く、『代々積み重ねてきた諸々の武術のノウハウを基にして新たな空手道を創設した』って感じらしいな。爺さんの先代が、その空手道の創設者。更に遡ると、古流柔術と来て……最終的には柳生流の一派が興した剣術に行き着くらしいぞ。ってな訳で、創設者の直弟子である爺さんは空手のみならず、剣術・柔術も修めているって事だな。ちなみに俺は柔術、キリカは空手での弟子で、他は習ってない」
「なんか……凄まじいお爺さんだね」
「化け物かもののけの類だよ、ありゃ。教わって十年近く……マトモに一本取れた事すりゃありゃしねぇ」
自分は一本どころか、剣を当てられる気すらしない。そんな事をハクトは考えつつ――型稽古を行っているキリカを眺めていた。
髪を結い、道着に着替えたキリカは、一つ一つの動作を力強く、しかし流れる様に行っている。
凛々しくも美しい――何てシュウが聞けばまたツッコミを入れられそうな――そんな感想をハクトは抱く。
やがて演武が終了し、礼をしたキリカを見てお爺さんが言う。
「はい。じゃあ、型はそこまで。――シュウと合わせ稽古じゃ」
『げ』と短く呻いたシュウを、お爺さんは見逃さなかった。
「大かたハクト君に時間を割かせて、自分の稽古を短くしようとかいう魂胆じゃったろうが……そうはいかんわい」
「へぇ……。――シュウ~。こっちおいで~。物理的に性根叩き直してあげる~」
「笑顔で物騒な事言うなっ。ちゃんと言葉で分かり合おうぜ人間ならっ」
「あら、使ってるじゃない。肉体言語って奴よ」
「何処で覚えたんだよ、そんな単語……」
「あ~、悪いがキリカちゃん。まず『天狗下駄』からじゃ。手合わせはその後」
『ちぇ~』と拗ねる様にするキリカに、渋々といった様子で向き合って立つシュウ。両者の手には手拭い。それで二人は、眼を覆った。
『は?』と思わず呻いたハクトに、シュウと入れ替わる様にして来たお爺さんが応じる。
「『天狗下駄』というのはな。元々は修験者……昔の坊さんが修行に使っとったという一本歯の下駄の事での。普通は二本ある歯が、一本しか無いもんじゃから、そりゃあもう立つのが大変な代物で、歩くだけでも修行になるっちゅう訳じゃ」
「へぇ……。でもそれが何でここの稽古と関係あ――」
言いかけたハクトが、絶句する。二人は目隠しをしたまま、何やら打ち合い始めた。
片方――キリカが打ちこみ、片方……シュウがそれをひたすら手で捌いている。
キリカの拳は容赦の無い速度で振るわれており、全てシュウの身体を的確に捉えている。
対してシュウはそれら全てを目に見えているかの様に、正確無比に捌いている。
唖然とする他無い。
何処か呆れた様な口調で老人が続ける。
「本来この稽古はそれを履いたまま、目隠しをして押し合いをする、っちゅう物での。その際、相手を掴むのは無し。じゃから不安定なバランスを取りつつ、触れた相手の腕の動きだけで力の流れを……次の動作を予測して押し合いをせにゃならん」
何となく、理屈は分かった。だが、しかし。
「僕には二人が目隠しして、かつ普通に殴り合ってる様に見えるんですけれども……」
その場から動いてはいけないようだし、足技も無いから選択肢は狭い様に見える。
しかし加えて目隠しで、腕を伸ばせば当たる距離から、なおかつ速く打ち、早く捌いているとなると、常軌を逸しているという他無い。
「……その稽古が、二人の間でどんどんエスカレートしていっての。シュウとキリカちゃんは、十何年前の同じ時期に習い始めて――それからずぅっと二人で組合稽古させとる。中国武術では『聴勁』という言葉があるが、あの二人でならそれが出来るんだろうよ。さすがにありゃ二人でないと無理じゃよ。わしでもようやらん」
お爺さんにもこれが出来るのか……可能か不可能かで言うと、可能とも聞こえるその口振りに、再度絶句してしまうハクト。
――と。キリカの突きに、シュウの受けが遅れた。掌で受け止めたものの、勢いを殺せず、そのまま後ろに倒れ込んだ。
「――よし! これでうん千うん百……あぁ、分かんない! とにかく私の勝ち越し!!」
「一千二百五十九戦、六百三十勝だよ。……くそっ、最近負け癖がついてんな」
「何ですかこの二人? どっかの戦闘民族か何かですか?」
「その理屈で言うとわしも戦闘民族じゃな」
列記とした日本人じゃよ、という翁を含めて、ハクトはこの道場関係者にドン引きしていた。
◆
「……なぁ。晩飯食おうとする前、俺等どんな会話してたっけか」
「ひたすら僕の事を、あの子の事で弄り倒してたね」
「いや、その後だよ」
「あ~、食材の事ね。お爺さんが、『お客さんが来とるのに、冷麦と野菜しか無いわ!』って言い出して」
「そうそう。遠慮したお前が、出前取ろうとする爺さんを止めて、有り合わせの物で作るって言ったんだよな」
「うんうん。それで?」
「そこから何で目の前の光景に繋がるか、理解出来ん」
首を傾げながら、食卓を見渡す。
住居の一階にある居間、ハクトはそこに通された。
折角だからと一緒に晩御飯を取ろうという事になって、先の会話通りの事態に至る。
食卓には、氷水に浸した冷麦と、その具が盛られた幾つかの皿――薬味に錦糸卵、人参の千切りにトマト、納豆という、シンプルなラインナップだ――加えて麺ツユのボトルが置かれている。
何処におかしい所があるのだろう。
首を傾げていると。
「有り合わせの物を超えてるんだよっ、見た目的に。そうめんとツユ以外全部お前が作ってんじゃねぇか!?」
『っつうか、昨日お前の家で食わせてもらったのも、作ったのお前か!?』と今更な事を続けて叫ぶシュウにハクトは応える。
「錦糸卵以外は、切ったり皿に盛っただけだよ? 見た目に拘るんだったら、緑を入れてもっと彩りを加えなきゃだし……野菜ももうちょっと種類があればなぁ。せめてレタスとか胡瓜があれば、サラダ風に出来るのに。胡瓜は旬じゃないから仕方ないけど。旬と言えば、冷麦も季節外れだけど、中々良いね。ウチでも作ってみようかな。南蛮風とかに……どうしたの?」
そこまで言って、絶句しているシュウに不安になり、問いかけるハクト。
「――ハクト君」
と、横から今まで黙っていたお爺さんが口を出し。
「はい?」
「わしの孫を頼んだ。お前さんは良い嫁になる……」
「血迷ってる上に色々と錯乱してません!?」
「ハクトなのは心底嫌だが……クソッ、こんな優良物件見逃すのは…… 」
「何か大事な物を見逃してないっ!? 性別とか、性別とかっ!!」
「賑やかねぇ……」
と。襖を開け、苦笑しながらキリカが入ってくる。
そのまま食卓に寄り、床に座った。
……ふわっと香る匂いが、心臓を高鳴らせた。風呂上りの様で要らぬ思考に走りそうになる所を、被りを振って払う。これではシュウの言葉を否定できない。
「これ、ハクト君が作ったの?」
「え、あ、はい」
「どうするよキリカ。女子力完全に上回られてるぞ?」
「うるさい。その分、文武を高めてるから良いのよ」
「女子力に反比例して上がっていく武士力……」
……卓の下で、何か鈍い音がしたのを、ハクトは聞かなかった事にした。
何処までも騒がしく、道場での一日は過ぎて行く。
◆
食事が終わり、シュウが湯を浴びに出て行った。お爺さんも何かする事があるのか、家の奥へと行ってしまった。皿洗いを買って出て、ハクトが間接的に追い出した形になるのかもしれないが。
「手伝うよ」
流しで黙々と食器を洗っていると、後ろから声をかけられた。背中越しに応える。
「良いですって。僕が作ったとはいえ、ここのご飯頂いた訳ですし」
「馬鹿。お客さんに何から何まで任せると、私達の立つ瀬が無くなるのよ」
「あ~……ごめんなさい。じゃあ、洗い終わったのを拭いてくださると助かります」
そう答えると、隣にキリカが立って、布巾で皿を拭き出した。
沈黙が少し気まずくて、ハクトから話題を切り出す。
「その、シュウとキリカさんは、ここでずっと……?」
「うん。シュウがこっちに越してきてから、習い始めたの」
「何て言うか……こんな本格的な所で、二人とも良く習おうという気になったなぁと」
そんなハクトの言葉に苦笑を漏らすキリカ。しごかれて相当堪えているのが丸分かりだったのだろう。
「シュウの実家は元々ここでね。この辺りに住んでる私は、前から二人と仲良かったの。シュウはこっちに住む様になって、流れでお爺ちゃんから習い始めた。私も、それから。……シュウの御両親が、もう居ないの、知ってる?」
唐突な質問に少し固まる。しばらくした後、ハッキリと首肯する。
「シュウね。アイツ――御両親が死んだ瞬間を見てるのよ」
「え……」
「記録的な豪雨でね。起きた山崩れに、シュウの家は巻き込まれた。数日経って、シュウが助け出された場所は、御両親の遺体が見つかった所の、すぐ近く。……山崩れが起きた時には、三人は一緒に居て……その上に、数日間ずっと――シュウは物言わぬおじさんとおばさんを目の前にしながら、閉じ込められてたって訳ね」
何も言えず、押し黙る事しかできなかった。
「……ここに引き取られて。シュウは何て言うか、何もかも空っぽの――人形みたいだった。それを見て私は、『シュウを守れるくらい、強くならなきゃ』って思った。私が空手始めたのは、それがキッカケ」
「その……ごめんなさい」
思わず謝罪したハクトに、慌てた様に手を振りながらキリカは続ける。
「いいのいいのっ。今じゃ元通り所か、あんないい加減な性格になって。良い友達が居るから、安心してるけどね。ハクト君みたいな。……というか、何で道場に来る事になったのよ。大分年下みたいだし……アイツと君との接点、思いつかないんだけど?」
『あ~、それはですねぇ』と思わずしどろもどろになってしまう。でもあらかじめ答えが用意できていたので、その後は淀みなく続ける事が出来た。
「良くない人に絡まれちゃってる所を、助けてもらったんです。でも、目をつけられちゃったかもしれなくって、次は一人で居る所を狙われるかもしれないから……自衛の手段を身につける為に、ここに」
「あ~、巻き込まれ体質っぽいよね。でもそういう時はまず逃げる事を考えなさいよ。三十六計逃げるに如かずっていうし。生兵法は怪我の元」
「はい……お爺さんにも似た様な事言われました」
お互いに苦笑し合う。
「とにかく、ハクト君みたいな子が居てくれると、シュウも間違わずに済みそうで安心するわ。……あ、そうそう」
ふと、キリカは思い出す様にして言う。
「真面目で一本気な、やっぱり何でシュウの友達になったのか分からない様な奴が居てね」
「あ、はい。シュウから聞いてます。アキラっていう……『友達』が『居る』って」
最後、表現に困ってしまい、詰まってしまう。
幸い、悟られなかった様で、キリカは気にせず続ける。
「そうそう。暇な時間があるといっつもつるんでたんだけどさ――今日、アキラどうしたんだろ? 知ってる?」
――不意に投げられた爆弾。
反応しない様にするのが精一杯だった。
「――いえ。ただ、予定が合わなかったみたいな事は」
「そう」
それを最後にキリカは黙ってしまった。
その後も、目立った会話も無く、皿洗いが終わる。
……どうしても。日常に隠しきれない不和が侵食していっている。
でも。それでも。
――関係の無い人には、日常の側に居て欲しい。
そう願うのは、エゴなのだろうか。
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