第3章 その4
要するに人望が足りてなかったんだ。そう言ってルースは笑った。だが彼の表情はぎこちなく、声の響きも悔しげで、そりゃ本心じゃないだろうと思ったことを覚えている。マルゴー人にしては明るいベージュの髪だったり、黒目の小さい透き通った瞳だったり、彼は決して自分の見た目を言い訳にしなかったが、離反の原因がそこにあるのは自覚していたらしかった。
あのとき俺はどんな話をしたのだっけ。ルースが苦笑するくらい彼の容姿に無頓着だったのは確かだが。
――しばらく世話になるよ、旦那。今日の借りを返すまでの間。
昔からルースは頑固だった。あいつが言わないと決めたことは何があっても喋らなかった。
いつも隣にいたわけじゃない。心の底を見せ合ったわけでも。それでも俺は、俺たちは、どんな傭兵団より上手くやれてると感じていたのに。
「……ほんとに俺だけ何も知らなかったんすか?」
妙に間延びした嘆息の後、慰めとも諦めともつかない声で老人が「そうだ」と答える。何に対する憤りかもわからずにグレッグは握り拳をわななかせた。
マルゴー公爵ティボルトが明かした舞台裏は昨日ティルダに聞いた話と大差なかった。偽者の王女がジーアンの手に落ちた以上、ルディアを生かすことはできなくなった。チャドの目が届かない場所で彼女を殺そうと思った。それで以前から裏方を任せていたルースとマーロンに始末を頼んだのだ、と。公爵はこちらが尋ねるより早く細かな事情を教えてくれる。
「なんであいつだったんです?」
問いながらグレッグはティルダの弁明を思い出していた。
――誤解しないでほしいの。ルースは公爵家の犠牲になったわけじゃない、マルゴーの民のために死んだのよ。
私欲のために利用したのではないと、そんなことを言われてもグレッグには納得できなかった。ルース自ら志願したなら別として、ティルダがなんらかの圧力をかけていたのは明らかなのだ。「あの女には逆らうな」との忠告を残してルースは息絶えたのだから。
「汚れ仕事を請け負う者はほかにもいる。たまたま今回はルースが頼みやすいところにいたというだけじゃ」
ティルダとまったく同じ返答。続く台詞も示し合わせたようにぴたりと一致していた。
「本来なら団長であるおぬしに依頼するんじゃが、ルースに止められとったんじゃよ。グレッグには向いとらんからそういう役目は自分に回せと」
公爵曰く、規模の大きな傭兵団には領民の暮らしを守るための「特別任務」が与えられるそうだ。多くの力を持つ者は多くの義務を負うのだと、もっともらしく語られる。「ルースのおかげでお前は今まで苦労知らずだった」「ほかの傭兵団長は多かれ少なかれ同胞殺しも経験しておる」――そんなことを懇々と説かれていると怒りの冷めぬ己のほうがおかしいのかと思えてくる。ルースを殺したのはティルダや公爵の指令なのに。
――清く正しく生きていけるほどマルゴーは豊かではないわ。
感情を押し殺した公女の声が甦る。横たえられた騎士の赤毛を彼女はずっと撫でていた。こちらだって片腕を喪ったのだから平等だろうと言いたげに。
「憎むべきは我らを搾取するパトリア古王国じゃ。忌々しいかの国から独立を勝ち取るその日まで、泥を啜っても力を蓄えねばならん。ましてジーアンとの小競り合いで消耗するなど愚の骨頂! ……じゃからグレッグ、堪えてくれ。もうじき悲願に手が届きそうなのじゃ。おぬしとて傭兵稼業を引退して故郷でのんびり暮らしたり、仲間に所帯を持たせてやったりしたいじゃろう?」
公国が王国になりさえすれば夢が夢ではなくなると、そのための準備は前進しているのだとティボルトは切実に訴える。結婚や隠居に憧れながら、大半が戦場に散る傭兵の末路を思い、グレッグはかぶりを振った。
そんな立派な理由じゃない。ルースが死んでしまったのは。
そう思うのに折り合いをつけたがる理性は「さっさと頷け」とうるさかった。「反発してなんになる?」「誰が千人食べさせていくんだ?」「戻らない兵士になんかこだわるな」と叱りつけるルースの声は。
「……チャド王子はどこに消えちまったんですか」
話を変えるのが今のグレッグにできる精いっぱいだった。責めるには公爵家との付き合いは長すぎたし、水に流すには悲しみが深すぎた。だってルースはただ死んだわけではない。自分の身代わりになったのだ。
「わからん。乳母と斧兵も見つからんし、もしかすると三人で逃げたのやもな。馬だけは利口にサールに戻ってきたが……」
ティボルトはしわ深い顔を更に歪めて丸い肩を落とす。「捜索隊は出したから心配するな」と探しにいきたい気持ちに釘を刺され、「そろそろ休め」と退室を促された。
どうやら自分はもう噛みついてこないものと思われたらしい。それが無性に腹立たしく、情けなく、気づいたら胸につかえた靄を吐き出してしまっていた。
「……俺、言いくるめられてんじゃないですよね?」
椅子に座したまま黙り込む老人を見やる。演技達者なティボルトはいつものようにグレッグを騙してはくれなかった。
「マルゴーは正しい国ではないよ。それでもここには多くの人間が生きているし、わしらは生かせる限りの者を生かさねばならん。おぬしはルースを忘れずいてやれ」
マルゴーの未来のためにひっそりと死んでいった者がいることを、と公爵はまたもティルダと同じ言葉を口にする。親子はきっと同じ覚悟を持っているのだろう。己が何を喚いたところで揺らぐことのない意志を。
グレッグはサール宮を退いた。帰り際、血なまぐさい事件のためにお流れとなった小旅行の護衛代が一ウェルスの減額もなく支払われた。
(この金でパンを買うのか)
そう考えると傭兵団を続けることが急に馬鹿馬鹿しくなってくる。だがほかに、マルゴー人に許された生き方はないのだ。
――豊かになれば、今さえ耐えれば、戦わなくても暮らしていける国になるのよ。
そうして初めてティルダたちが独立にこだわる意味に気がついて、グレッグは静かに涙を零していた。




