第3章 その3
コーネリアの絶叫にモモはハッと坂の上を仰ぐ。落ちていく影が見えたのは一瞬で、けれどそれだけで何が起きたか察するには余りあり、たちまち思考が真っ白になった。
(ブルーノがやられたの!?)
こんな雑魚騎士に手こずっている間にと歯噛みする。目的の半分を達成し、マーロンは得意げに口角を上げた。
「守る相手がいなくなったな! お前も諦めたらどうだ?」
斧は剣と相性が悪い。大振りしすぎてカウンターを食らわぬように注意して戦わねばならない。なんて言っている場合ではなさそうだ。今すぐ彼を助けに行かねば。
(ああもう! モモがこいつらグルだったって見抜けてれば!)
マーロンは初めから、ルースのことだって比較的早いうちから信用できない男だと感じていたのだ。なぜ点と点を結びつけられなかったのだろう。二人が旧知の間柄なのもルースの言から知れていたのに。
(傭兵団はチャド王子の味方だって思い込んでたから……!)
ドナ・ヴラシィ戦でも一緒で、亡命にも協力的で、ドブ以外馬鹿ばっかりで、でも皆仲が良くて。そんなの騙されるに決まっているではないか。今日だってグレッグたちが同行すると聞いて安心していたのだ。それをルースは――。
「来ないのか? ならばこちらから行くぞ!」
モモ以上に切り合いに慎重だった男が調子づいて攻撃に移る姿勢を見せる。きっと主君を喪ったモモが虚脱していると勘違いしたのだろう。助走をつけたマーロンの長剣は高々と振り翳された。
斧は剣に対して不利。と言っても初撃さえやり過ごせれば話は別だ。お粗末な一太刀をふわりとかわし、モモは騎士の懐に飛び込んだ。
「良かったね、即死じゃなくて」
遠慮も慈悲もなく斧を握った腕を振り抜く。重い刃は弧を描き、お高い甲冑ごと腹部を破壊した。
「ぐわああああッ!?」
内臓を抉られた男は漁網に捕らわれた魚のように跳ね転げる。血飛沫と肉片が古道を汚し、言葉にならない喘ぎが精霊に救いを乞うた。悔い改める時間は残してやったものの、肝心の思考力は残っていなさそうだ。
「あっ……、あっ…………、」
マーロンはもう動けないと判断し、モモは下り坂を疾駆した。無事でいるかなどかけらも期待していない。むしろ死んだ可能性のほうがうんと高い。だがブルーノは脳蟲なのだ。本体が出てくるまでに間に合えば、彼だけはまだ助けられるかもしれない。
「おっとお嬢ちゃん、悪いがあんたもここまでだぜ」
が、しかし、どんなときでも邪魔者というのは存在するらしい。コーネリアが引き留めてくれるかと思ったのに、追いかけてきたルースを見やってモモはチッと舌打ちした。
「モモ急いでるんだけど!?」
振り向きざまに向こう脛に切りつける。剣士は「うおっ!」と慌てて後ろにジャンプした。
甲高い金属音が空に響く。偶然掠った斧に剣の先を弾き飛ばされ、ルースは目を丸くした。
「おいおい、なんだその怪力は」
副団長は半笑いで岩壁に突き刺さった切っ先を振り返る。相棒を握り直してモモは低く呟いた。
「こんなにモモを怒らせて、生きて帰れると思わないでよ?」
******
首都サールの玄関口、入国税の徴収所でもある石塔でチャドは「?」と首を傾げた。覗き込むのは昨夜モモから受け取った単眼望遠鏡である。「こういうのが便利なときもあるよねってモリスさんのをねだったんですけど、今は王子が持ってたほうが心安らかかなあって」と善意で貸してくれたのだ。
見送りしかできない自分にはありがたい品だった。これを使えば肉眼よりもずっと長く妻を見守っていられるのだから。
(どうしてルディアの馬車だけあんなに鈍足なのだ?)
行列から離れつつある伴侶を見やってチャドは大きな不安に駆られる。宮廷内にルディア排除の動きが見られることもあり、少しの異常が変に目につき、心配で堪らなかった。
(いや、きっと馬の具合が悪いのだろう。全体の移動もかなりゆっくりだし、はぐれることはないはずだ)
落ち着けと自身に言い聞かせる。だが次の瞬間、抱いた疑問は抑えきれないものに変わった。伴侶の乗る馬車だけが峠越えの別ルートに入ったからだ。
(!?)
速度を上げて馬車は崖に沿う坂を駆けていく。言い知れぬ胸騒ぎに身震いし、チャドはしばし立ち尽くした。
迷った時間は、しかし数秒だっただろう。螺旋階段を駆け下りるとチャドはすぐさま栗毛の愛馬に飛び乗った。
「お、王子!? どこへ参られるのですか!?」
「遠乗りだ! 気にするな!」
詰所の兵士を振り払い、石塔を後にする。行くと決めたら全力だった。
何事もないと確かめられたらまた帰ればいいだけだ。それに利用者の少ない古道ならティルダが懸念していた住民との遭遇もないはずだった。
「よしよし、いい子だ。急いでくれよ!」
子供の頃から乗り慣れた馬はあっという間に石橋を渡り、砂塵を巻き上げて激走する。山道でも足は少しも緩められず、離れて暮らした一年間もよくよく訓練されていた様子だ。景色は見る間に通り過ぎ、しばらくすると例の分岐に近づいた。
(私の思い違いならそれでいい。彼女がちゃんと守られていれば)
異な人影を見咎めたのはそのときだ。左前方、つづら折りの新道を駆け足で逆走してくる男がいる。先にグレッグだと気づいたのは馬のほうで、嬉しげないななきが付近一帯に轟いた。
「あ、あれ!? チャド王子!?」
「グレッグ、お前こんなところで何をしている!?」
「あっ、いや、じ……実はルースの馬鹿が女と別れがたいとか言って、勝手に俺らと違う道に行っちまったみたいで……」
「はあ!?」
「最後にもういっぺんだけコーネリアと話がしたいとかなんとかって……、す、すんません! すぐ連れ戻しますから!」
傭兵団長はペコペコと頭を下げる。怒鳴りつけている時間が惜しく、チャドは「もういい」と声を荒らげた。とにかく今は馬車を追うのが先決だ。小言をくれている場合ではない。
だが愛馬はなぜか古道を進もうとしなかった。背中にチャドを乗せたまま、茂みを越えて崖下の木立に駆けていく。
チャドは慌てて手綱を引いた。それでも馬は止まらなかった。
「わっ!? お、王子、どこ行くんすか!?」
グレッグも驚いた顔で後を追ってくる。谷底に血の臭いが広がったのは直後だった。
「……えっ……?」
唐突に眼前に現れた恐ろしい光景に息を飲む。ふらふらと馬を降り、チャドはその場によろめいた。
(違う、きっと人違いだ)
木の根に足を取られかけながら横たわるそれに恐る恐る近づいていく。
新緑の上に散っているのは見覚えのある水色だった。小間使いらしい質素な服は朱に染まり、投げ出された手足はぴくりとも動かない。
無残に折れた頸椎は高所からの落下を物語っていた。彼女が生きてはいないことも。
「ルディア……!」
物言わぬ妻に走り寄り、跪いて抱き起こす。割れた頭から大量の血が滴り、その冷たさに呆然とした。
「なぜ……、どうしてこんな……っ」
問いに答える者はない。グレッグは頭上を見やり、かすかに響いてくる剣戟に「襲われてんのか!?」と瞠目した。
「くそ! やっと王女様たちも身を落ち着けられそうだったのに……!」
荒々しく土を蹴り、グレッグは「俺行ってきます!」と踵を返す。
「ルースたちはまだ生きてるかもしんねえ! チャド王子、責めはいくらでも受けますんで、今は、今はすんません……!」
打ち震えるチャドを残して戦士は足早に駆け去った。あまりに突然起こった悲劇に頭がまったくついていかない。
やはりあのとき一緒に行くと言わなければならなかったのか。公爵家失格と蔑まれようと、女のことしか頭にないのかと叱られようと。
「……嘘だろう? 頼むから嘘だと言ってくれ……!」
いくら呼びかけても彼女は少しも応じてくれない。閉ざされた瞼は開かず、あどけない目が涙を溜めてこちらを見つめることもなかった。いつもあんなに愛らしかった困り顔は見る影もなく凍りついている。
(こんなところで、たった一人で死なせてしまった)
嘆きと悔いは後から後から溢れ出た。
どうして何もできなかったのだ。守ると約束したくせに。
「……っ」
唇を噛みすぎて血が滲む。精霊からも、世界からも、見放された気分だった。
いっそここで自分も果てるか。そう考えたときだった、彼女の耳元で何かがもそりと動いたのは。
「……蟲……?」
もう蛆が寄ってきたのかと怒りが湧く。払い落としてやろうとしてチャドはハッと妻の言葉を思い出した。
――もし私が死に至るようなことがあれば、そのときは死体の耳から出てきた蟲をすぐに塩水に浸して保管してほしいんです。
よく見れば蛆だと思ったそれはどんな虫にも似ていない。強いて言えば透明なミミズを毛むくじゃらにした風体だ。湿り気のある頭をもたげ、ずるずると耳の奥から這い出てくる。多分ルディアが言っていたのはこれのことだろう。
(……蟲なんて取っておいてなんになるのだ?)
だが所詮、己には価値を感じぬものだった。かぶりを振り、チャドは小さな生き物をねめつける。人の悲しみも知らないで蟲は無作法に王女の頬で身体を伸ばした。
(妻も娘もいなくなったのに、こんなものだけあったところで……!)
高く拳を振り上げる。その叩きつけ方も決まらないままでチャドは虫けらを睨み続けた。
干乾びて、黒ずみかけたそれに涙が落ちるまで。
******
正直ちょっと舐めていたと言うしかない。少女ごときに重量のある斧を振り回し続ける体力はないと。もう一つ言えば、すばしっこい小柄な的がこれほど狙いにくいものだとも考えていなかった。
「くっ……!」
ルースは長剣をかわした途端視界から消えた少女を追う。斜め後ろの死角に潜り込んでいたモモは早くも攻撃態勢に入っており、振りかぶられた双頭斧を紙一重で避けるのが精いっぱいだった。
彼女の武器が毒を塗ったナイフとか、もっと軽い棍棒だったら既にやられていたかもしれない。重心が偏っていてモーションの大きい斧だからまだ対等に渡り合えているのだ。
なんという女だ。ここ一番でこんな剛の者を引き当てるとはついていない。
(しかもこの子、だんだん速くなってねえか!?)
せめて挟み撃ちにできたらな、と道端に転がったマーロンを一瞥する。絶命寸前の騎士はティルダの名前を呼ぶ以外何もしてくれそうになかった。乳母を盾にしてみてもおそらく意味はないだろう。さっきモモはコーネリアを放ってルディア救出に向かおうとしたのだ。まだ生きている同国人より死んだ主君を優先するほど忠誠心が高いなら小細工を弄するだけ無駄である。
(俺の長剣もそこそこ大振りになるしな。もっと素早く攻撃できれば――)
目に留まったのはルディアが落としたレイピアだった。軽い剣ならば一撃の威力は低くとも当てるのはそう難しくないはずだ。とにかくこの女戦士の足を削らねば勝機はない。よし、とルースは握った柄に力をこめた。
「おらあっ!」
心臓めがけて一直線に長剣を投げつける。モモがそれをかわす間に大急ぎでレイピアを拾い上げた。彼女の太い斧と比べれば風が吹いただけで折れそうなお上品な代物だが、今はこれで十分だ。一対一なら速いほうが勝つ。もとより己は身軽さを好んで金属甲冑を纏わずいるのだ。スピードには自信があった。
「行くぜ、お嬢ちゃん!」
突きの構えでルースは低く身を屈める。坂を駆け下る勢いを剣に乗せて勝負をかけた。ところが戦鬼はこちらを見やって唇に薄い笑みを浮かべる。
「へえ、そういうことするんだ?」
じゃあモモも、と聞こえた気がした。
垂直上方に斧が飛んだのは直後だった。
「えっ!?」
意表を突かれ、一瞬空に視線を奪われる。その機を逃さず少女はなんと拳で殴りかかってきた。切っ先を向けたが時既に遅く、初撃はかわしてもみぞおちに神速の蹴りを食らってしまう。
(しまっ……!)
胃液が逆流しそうな痛みによろめいた。後ずさりするルースのすぐ脇を擦り抜けて、モモは落下してきた斧を悠々とキャッチする。
激痛を覚悟しなければならなかった。
――それ以上に敗北を。
「ッ……!」
背中を縦に切り裂かれ、肉と臓腑が飛び散る痛みに仰け反った。喘ぎながらルースは地に伏す。
どくどくと熱い血が溢れた。目の前が暗くなった。
「はっ……、はぁ……っ」
レイピアを掴もうとした手の甲が踏みつけられる。頭上にモモの冷えきった視線を感じる。これは死んだな。漠然と悟った。
「誰の命令か話す気ある?」
「…………」
言えるはずない。団に迷惑をかけるわけにいかない。小さく首を横に振ると少女はつまらなさそうに「そっか」と武器を掲げ直した。
「待ってくださいモモさん! わざわざとどめを刺さなくたって……!」
と、そこに物を知らない馬鹿な女が駆けてくる。暗殺犯を庇うとはとんでもないねと苦笑した。
ああそうか、彼女を甘言で引き込んで、モモの足を引っ張らせれば良かったのか。どうせ始末することになる女をそこまで利用し尽くす頭はなかったな。
「邪魔だよコーネリアさん」
乳母は突き飛ばされたらしい。「やめて!」と悲鳴が聞こえたけれど鋭い斧の風切り音は止まらなかった。
(我ながらしょうもない終わりだぜ)
衝撃に備えて歯を食いしばる。できればこことは別の戦場で死にたかったな。そう悔やみながら目を閉じた。――刃はルースの心臓まで届かなかったが。
「……ッ、なんで仲間割れなんかしてんだよ!?」
得物を弾く剣の音。耳に馴染んだ男の声。何が起きたかわからずにルースは無理矢理頭を起こす。
霞む視界に目を凝らした。頭上の攻防を必死に追った。
どうしてここにグレッグがいるのだ。
「この傷、お前がやったのか!?」
「だったら何? 先に騙したのはそっちでしょ?」
「はああ!? 意味わかんねえ、俺らがいつそんなことしたってんだ!?」
「知らないふりしないでよ! 最初から姫様を殺すつもりだったくせに!」
グレッグが固まったのが見なくてもわかる。ああついにバレてしまったかと眉をしかめた。
だが却って良かったのかもしれない。この深手ではもう自分は。
「ルース、お前、本当か……?」
問いかけられても笑うくらいの余力しかなかった。「わかったでしょ」とモモは怒りを露わにする。血塗れの斧は再び少女のしなやかな腕に構えられた。
「早く逃げて!」
「!」
コーネリアが馬をけしかけたのはそのときだ。荷馬の体当たりを避けてモモが飛び退いた隙を突き、グレッグがルースを担いで走り出す。ティルダたちと合流して手当てする気なのだろう。戦士はまっすぐ古道の坂を駆け上った。
モモが追ってくる気配はない。おそらく彼女はルディアのほうへ行ったのだ。グレッグまで巻き添えにしなくてほっとした。ほっとした瞬間忘れかけていた苦痛が背中に甦ったが。
「……ッ」
「おい、大丈夫か?」
呼びかけになんとか返事する。「ごめんな旦那」と呻いた声は思ったよりも弱々しかった。
「ティルダに知らせてくれないか……。依頼は半分片付けたが、山賊の仕業や事故には仕立てられなかったって……」
「!? こ、公女様が噛んでるのかよ!?」
「そうだ、あんたもあの女には逆らうな……。傭兵ですらいられなくなったらマルゴー人は野垂れ死にするしかねえんだから……」
公爵家が悪いのか、貧しさが悪いのか、それとも隠し通せなかった己が悪いのか。ルースにはわからなかった。ただひとつ言えるのは、この先グレッグが生きていくのにティルダの庇護下を抜けるのはまず不可能ということだった。
代わってやりたかったのに。それがきっといつかの礼になると思ったのに。
「これからあんた、面倒なこと頼まれるだろうけど……、無理すんなよ……」
か細くなっていく声で伝える。瞼は鉛のように重く、もう目を開けていられなかった。
財布はドブに任せられるから大丈夫。古参兵もわんさかいるし、何より全員グレッグが好きだ。今更仲間の死に揺らぐほどやわな男たちでもない。大丈夫、誰がいなくてもすぐ慣れる。
「ルース、しっかりしろ。もうちょっと行きゃ公女様に追いつくから! 医者だって連れてんだから! おい!」
浮遊感のある暗闇に悲愴な声が遠く響く。痛みが引いたと思ったら急に寒気が広がって、やがてそれも薄らいだ。
「皆と……よく、相談……して…………」
欲を言えばもう少し、一緒に馬鹿をやっていたかったな。
俺は本当に楽しかったんだ。楽しかったから守りたかったんだ。明るいものは明るいままで。
「ルース! おい頑張れって!」
指先から、爪先から、感覚が失われていく。眠りに落ちていくようにルースは意識を手放した。それが最後だった。
******
馬車も乳母も置き去りにしてモモはブルーノのもとへと急ぐ。少し手間取りすぎたかもしれない。ルディアが溺れて仮死状態になったとき、脳蟲が現れたのはどれくらい経ってからだったろう。
(お願いだからまだ生きててよ)
茂みを掻き分け、木立を越え、崖に沿って谷を走った。ブルーノを見つける前に気がついたのは品の良さそうな栗毛の馬がいることだった。
「チャド王子!?」
モモの叫びに糸目の貴公子が振り返る。王子は地に膝をつき、首の折れた女の前で悄然と座り込んでいた。
死んでいるのかと聞く必要もないほどに遺体は激しく損壊している。夥しい血が赤黒くそこらの草木を塗り潰していてモモですら胸が悪くなった。
だが脳蟲の所在を確かめないわけにいかない。腹を決め、モモは血溜まりの前に屈んだ。
チャドがガラスの小瓶を手にしているのに気がついたのはそのときだ。水に満ちたその内部では見慣れたあの線虫がふよふよと遊泳していた。
「あれっ!? お、王子が助けてくれてたんです!?」
モモは勢いチャドの両手を包み込む。まさか己のほかにも脳蟲の取り扱いを心得た者がいたなんて。サールに留まったはずの王子がなぜここにいるのかは知らないが、とにかく不幸中の幸いだった。主君の頼みを果たせなかったのは腹立たしいが、友人だけは命拾いできたようだ。
「……これは何か重要な生き物なのか? 私はただ、以前ルディアに頼まれていただけなのだが……」
「へっ?」
だがチャドは脳蟲の正体が何かも知らずに回収していたらしい。逆に質問を返されてモモは「えっと」と返答に詰まった。
「あ、あのー……それはそのー、波の乙女の奇跡というか……」
しどろもどろに言葉を繋ぐ。確実にブルーノを保護してもらうには、ただの蟲とは言えなかった。おそらくチャドはこれが伴侶の耳から出るのを見たはずだ。上手いこと誤魔化しながら味方になってもらわねば。
「平たく言うと魂の結晶? 要するにそれさえ無事なら肉体は変わっても復活の見込みがあるっていう、ありがたい感じの蟲なんですけど……」
モモはちらりと王子の反応を盗み見た。いくら信仰心のある者でもこんな話はまず信じない。案の定チャドは胡散臭げに、もっと言うと不快そうに眉根を寄せていた。
「チャド王子、モモこんなときに冗談言うタイプじゃないです。すぐに信じてくれなくていいのでとりあえず行きませんか? モモたち多分、ここにいると危ないんで」
極力真面目な顔で告げる。崖の上で起こった争いの顛末を伝えるとチャドはにわかに顔色を変えた。
親しく付き合っていたグレッグ傭兵団から裏切り者が出たのである。しかも実姉の直属騎士まで陰謀に加担していたとなれば動揺しないはずがなかった。
「……それでは初めからマルゴーに安住の地などなかったのか……?」
亡骸にすがりつき、チャドは繰り返し「すまない」と詫びる。
肉体を離れているときは普通の虫と変わりなくなる脳蟲は、それでも伴侶を慰めるように瓶の中でくるくる回り続けていた。




