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ルディアと王都防衛隊~海の国の入れ替わり姫~  作者: けっき
第1章 それぞれの現在地
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第1章 その3

「こちらの城にはお慣れになって?」


 しっとりと優雅な声に振り向くと、チャドの姉ティルダ・ドムス・ドゥクス・マルゴーが大窓を開き、森に面したバルコニーに出てくるところだった。細い糸目と穏和な顔立ちに姉弟の血を感じつつ、ブルーノはおずおずと頷く。


「ごめんなさいね、こんな角部屋に追いやってしまって。もし人目に触れて噂が立てば大事になりかねないものだから」

「い、いえ、ご迷惑をおかけしているのはこちらのほうですし。何から何までお世話になって、本当になんてお礼を言えばいいか……」


 ブルーノたちがサールに着いたのは三日前の深夜だった。暗闇に乗じて宮殿入りを果たしたので、今のところ「アクアレイアの王女が亡命してきた」とはばれていない。チャドは離婚し、単身帰国したのだと公国民には通っている。

 今の情勢でアクアレイア王家を匿うなどはっきり言って狂気の沙汰である。追い出されても仕方ないと覚悟していたのに公爵一家は「チャドの性格上こうなる予想はしていた」と受け入れてくれた。感謝を要求されこそすれ謝罪などされたのでは落ち着かない。


「アウローラ姫もきっとそこまで来ているわ。近隣に使者を出しておいたから、どうぞ安心なさってね」


 にこやかに義姉は告げた。「女官の服では寒いでしょう」と毛織のショールを手渡され、気回しの良さに感嘆する。

 受け入れに難色を示した諸大臣を説き伏せてくれたのもこの人だ。ティルダは公爵の政務を助ける補佐官であり、ブルーノたちが心安らかに過ごせるように親身に世話を焼いてくれる。さすがはあのパーフェクト貴公子の姉だった。


「あまり長く風に当たっていると冷えるわ。城周りの森に民が立ち入ることはないけれど、身体に障る前に部屋へお戻りになってね」


 使者を派遣したことだけ伝えにきたのだろう。ティルダは地味だが品のいいドレスの裾を翻し、ひと足先に屋内へ戻っていった。彼女の通り過ぎた後にはふわりとローズマリーが香る。


「…………」


 三月を迎えるにしては冷たすぎる風が吹き抜けた。窓辺ではカーテンの陰に隠れ、アルフレッドが心配そうにこちらを見ている。


(姫様……)


 心許なくて堪らないのはルディアたちの安否を知る術がないからだろうか。あるいはもっと単純に、アクアレイアを遠く離れすぎたせいか。

 チャドもティルダも公爵も、本当に良くしてくれる。利用価値もない亡国の姫に「新しい戸籍を授け、マルゴー貴族の養女にしよう」とまで言ってくれて。だけど。


 ――我が国の女性となり、もう一度私と結婚してくれるかい?


 真摯な声にそう問われたとき、ブルーノには答えられなかった。考えさせてほしいと返すのが精いっぱいで。

「王女」であることをやめれば多分、自分もルディアも平穏に生きていけるのだろう。だがそんな重大な決断を自分がしていいのかどうかわからなかった。せめてモモたちが到着してから、アウローラの無事を確かめてから、隊の皆で相談して決めたかった。

 重い息を吐き、小高い山の宮殿から眼下の森を一望する。生い茂る針葉樹は風に吹かれて波のごとく揺らめいた。


(山の色と海の色はやっぱり違うな……)


 ルディアのためにどう行動すればいいのだろう。

 自問の答えはまだ出ない。




 ******




 心臓破りの長い峠道が終わったのはパラパラと小雨が降り出したときだった。隣のドブが「もう少し行きゃ村だから!」とモモの背負ったアウローラに自分のケープを被せてくれる。コーネリアの腕を引くルースも「急げよ! すぐに土砂降りになるぞ!」と後続に指示を飛ばした。


「もー! なんで山のお天気ってすぐ変わるのー!?」


 文句を垂れても仕方ないが、文句でも垂れねばやっていられない。峠越えで疲れきった足が走りたくないと訴えるのを無視してモモは隘路を駆け抜けた。視認できない目的地にひた走るのは心が折れる。だが生後たった二ヶ月の王女に寒い思いはさせられなかった。


「村って一体どこー!」


 殺風景な岩だらけの景色が一変したのは直後である。大きく蛇行した曲がり角を曲がった瞬間、パッと前方に視界が開けた。

 晴れていればさぞや見事な青空が拝めたのだろう。天を塗り潰す重たげな雲の下、広がるのは夜更けの海と見まがう暗い森だった。澱んだ霧の吹き上げる様が高台から見下ろせる。瞳を凝らせば湖らしき水面も。

 急に見通しが良くなった理由は一つである。アルタルーペの一番高い峰の裏に――マルゴー公国の北側に入ったのだ。


「ほら、お嬢ちゃん! 早くあそこ!」


 前方を走るルースが大声でモモを呼ぶ。副団長が指差した先には家畜小屋と思しき木造の建物があった。

 本降りになる前になんとか村に辿り着けたようだ。モモはコーネリアたちと一緒に軒下に滑り込む。と同時、空が光ってバリバリと耳をつんざく凄まじい雷鳴が轟いた。


「……ッ!」


 思わず身を縮こまらせる。近くに落ちたのだろうかと辺りの様子を窺おうとして結局モモはすぐ屋内に引っ込んだ。まるで水桶を引っ繰り返したみたいに雨が盛んになり出したからだ。


「う、うわー。間一髪だー」


 ざあざあと音を立て、雨は草間に打ちつける。たった今駆けてきた道が灰色のベールで見えなくなるほどに。


「ふぎゃああ、ふぎゃああ」


 轟音に驚いたのか背中のアウローラがぐずり出した。慌ててモモは赤ん坊を下ろし、気を逸らそうと上下に揺する。

 コーネリアとドブも赤子をあやすべく寄ってきた。その傍らで突然ルースががばりとマントを被り直す。


「えっ、な、なんで出ていこうとしてるの!?」

「なんでって、後ろの連中濡れ鼠にして放っておけないだろ? 傭兵団として村に滞在する交渉もしてこなきゃだし」

「この雨の中をですか!? や、やめておいたほうがいいのでは」

「平気平気、俺って頑丈にできてるからさ。そんじゃドブ、女性たちは任せたぜ!」


 コーネリアが止めるのも聞かず、意外に責任感ある態度でルースは家畜小屋を後にした。ドブはしばらく心配そうに道の向こうを見ていたが、ちらほらと仲間の声が聞こえてきたのに安堵してほっとこちらを振り返る。


「赤ん坊は? 風邪引かないように温かくしてやんないと」

「ドブがケープかけてくれたから全然濡れてないよ。ありがとうね」


 モモのお礼にドブは少々照れ臭そうに「まあ、ほら、おチビはちょっとしたことでコロッと死んじまうから」とそっぽを向いた。こういう表情を見ているとしっかり者の彼もまだまだ子供なのだなという気がする。


「ところでここってなんか変じゃない? 干し草も置いてないし、ヤギも羊もいないみたい」


 アウローラを抱き直しながらモモは改めて畜舎を見渡す。内部は柵で整然と仕切られており、羊二十頭は飼えそうな広々とした造りだが、なぜかしばらく使われていない雰囲気だった。


「ああ、まだ時期じゃないんだよ。牧場に来るのは牧草がもう少し育ってからだから」


 疑問に答えてくれたのはドブである。少年はマルゴー人らしく付近の酪農民の暮らしを教えてくれた。


「この手の村じゃ春に牧場に上がってきて、秋の終わりに家畜を潰して、冬は冬越しの集落に下りるのが普通なんだ。往来の多い宿場村なら一年中同じ村で過ごせるんだけど、ド田舎じゃそうもいかなくてさ」

「へえー。じゃあ冬場は別の家に住んでるんだ?」

「そういうこと。俺らみたいな傭兵団が来たときは空いてるほうの家に泊めてくれるんだ。百人住んでるか住んでないかの小さい村ばっかだけど、団員全員屋根の下で寝れるってのはやっぱありがたいよな。どうせ晴れるまで動けないし、あんたたちもゆっくりできるんじゃないか?」

「わあ! 良かったね、コーネリアさん!」


 全力疾走したせいでげっそりしている乳母に笑いかける。久しぶりにまともな寝床で休めると聞き、コーネリアはほっとした顔を見せた。


「ふかふかのベッドあるかなあ」

「アクアレイアの宿と同じもん期待すんなよ? 良くて藁のベッドだぞ?」

「野宿でなければ私はなんでも構いません……」


 なるべく綺麗な場所に座り、三人並んで足を投げ出す。

 家畜小屋で待つこと数時間、ずぶ濡れのルースが戻ってきたのはただでさえ暗かった空が完全な闇になってからだった。


「え? 宮殿から使者が来てた?」


 思わぬ知らせにモモは大きく目を瞠る。


「ああ、公爵の命令であんたらを探してたそうだ。王子様ご一行はサール宮であんたらの到着を待ってるってさ」


 とルースは詳しい報告を続けた。


「ってことはアル兄たち無事にお城に着いたんだ!?」

「みたいだな。この雨だし、使者さん今夜は下の集落に泊まってくっつってたけど、お嬢ちゃんはどうする? 一応直接会っとくか?」


 ルースの問いにモモは「うん!」と即答する。わざわざ使者を遣わせて無事を知らせてくれるとは、やはりチャドの実家はできる。ここはこちらも敬意を表して挨拶くらいしておかねばだ。


「じゃあモモたち行ってくるね!」

「ほかの連中の寝床はもう割り振ったから、お前らは裏の民家を使え」


 コーネリアとアウローラはドブに見ていてもらうことにして、モモは厚手のケープを二重羽織りにした。「先に休んでて!」と言い残し、か細いランタンの灯りを頼りにルースと夜道に飛び出していく。

 雨はやや弱まっていたものの、まだしつこく降り続けていた。ルース曰く、風によっては嵐になるやもとのことである。どうやら部隊は絶妙のタイミングで宿泊地を得たらしい。今までも何度か通り雨には遭ったが、こんな酷い雷雨はこれが初めてだった。


「先に言っとくが使者はマーロン・アップルガースっつうイヤミなお貴族様な。鼻持ちならねえ野郎だが、あれで一応第一公女の直属騎士だ。変に反発しないほうが身のためだぞ」

「うわっ、なんか面倒臭い感じの人?」

「ああ、かなり面倒臭い。とりあえずあいつの前でティルダ様の悪口は言うなよ」

「ティルダ様ってチャド王子のお姉さんだよね? 大丈夫、モモ知らない人を悪く言うことまずないから!」


 月明かりも星明かりもなかったが、村人がまめに手入れをしていると思しき下り坂は峠道よりずっと走りやすかった。天高く茂る杉の樹冠が屋根となり、降りそそぐ雨も幾分か優しいものに変わる。

 集落までは二十分ほど駆けただろうか。切妻屋根の木造家屋が身を寄せ合う谷間に着くとルースが「こっちだ」と手招きした。広場の正面にほかの家よりひと回り大きな民家があるから多分あそこだろう。予測に違わずルースは村長の住居と思しき邸宅の扉を叩く。想像と違ったのは随分と若い男が現れたことだった。


「おい、濡れたままで部屋に上がるなよ。チャド殿下への伝言なら聞いてやるからさっさと言え。私はもう休むところだったんだ」


 神経質そうな薄い唇から不機嫌な声が発される。鳶色の双眸は一瞬こちらを向いただけで、すぐ窓の外に逸らされた。赤みがかった長い茶髪は性格を反映するかのごとく癖が強い。顔周りは内向きのカールなのに肩より下では外向きに跳ねている。


「どうした、女? まさか何もないのに人の安眠を妨害したのではないだろうな?」

「えっ、いや、伝えてほしいことならありますけど……」

「なら早くしろ。私は馬を走らせ通しで疲れている」


 名乗りもしなければ名前や所属を尋ねもしないのか。思っていた以上の雑な扱いにモモはしばし閉口した。嘆息に気づいて隣を見ればルースがやれやれと肩をすくめている。その態度がお気に召さなかったのか、マーロンとかいう男の目尻が吊り上がった。


「なんだ? 言いたいことがありそうだな、ルース」

「いや、こっちは疲れてるうえに何度も牧場と集落を行き来して濡れそぼってますんでねえ」

「ふん。そうやってあくせく働くのがお前たちの役目ではないか」

「だとしても他国の女の子にまで冷たくするのはどうかと思いますけどぉ?」

「私にとって女性というのはティルダ様お一人だ。女なら誰彼構わぬ貴様とは違ってな」


 二人の間に険悪な空気が漂って見えるのは気のせいだろうか。年齢も近そうだし、何やら確執がありそうだ。


「使者だっつーなら王子ご夫妻や防衛隊の隊長殿がどうしてるのか、この子に教えてやったらどうです? 最低限の責務も果たせないのかとあの美しい方に落胆されたかないでしょう?」


 こちらには反発するなと忠告しておきながらルースの物言いは不遜だった。対応は心得ているということかもしれない。それでティルダの役に立っているつもりかと責められて、使者はうっと仰け反った。


「い、今そうしようと思っていたところだ! ……宮殿で預かった者たちなら心配いらない。ティルダ様が直々に面倒を見ると仰っていたからな。及び腰の大臣どもが協力的になったのはあの方が口添えしてくださったおかげだぞ! ようく感謝しろ!」


 自分の功績でもないのにマーロンは偉そうにふんぞり返る。なんだかなあと白けつつ、まあ兄やブルーノが元気ならいいかとモモは聞き流すことにした。

 それにしても大臣どもが協力的になったのは、とはどういう意味だろう? 隣国からの亡命者を嫌がった者はそんなに多かったのだろうか? 使者の態度に歓迎ムードは窺えないし、宮殿に着きさえすれば大丈夫とは思わないほうがいいかもしれない。


「そうだ。女、お前サール宮を訪ねるときは傭兵団の一員として入ってこいよ。くれぐれもティルダ様のお手を煩わせるな」

「はあーい」


 溜め息混じりに返事する。それくらいちゃんとわきまえているというのに。

 使者は雨が止み次第早馬を飛ばして帰るらしい。モモたちに同行してくれる気は微塵もなさそうだった。


「ここからサールまでってどれくらい?」


 隣のルースに小声で問う。のんびり行っても一週間はかからないということなので、都で待つブルーノたちには到着予定日だけ伝えてもらうことにした。できるならバジルの離脱を伝言したいところだったが、なんとなくこの男にはこちらの内情を打ち明けたくない感じがする。


「じゃあ使者さん、チャド王子に一週間以内に着きますってお伝え願えますか?」

「ああ。それだけか?」

「えーっと、赤ちゃんは問題ないです、安心してくださいって」

「わかった。その通り報告しておこう」


 用事が済むとマーロンは顎で退出を促した。どうせまた濡れるのだからいいと言えばいいのだが、手拭いを差し出す程度の気遣いもできないのかと呆れてしまう。

 視線で「とっとと行こう」と告げてルースが玄関を開いた。話している間にまた雨足が強まったらしく、屋根を叩く激しい音にモモはうげっと眉を寄せる。


「ったく難儀な一日だ。お嬢ちゃん、今日の寝床までダッシュするぞ!」


 はぐれないようにルースのマントの裾を掴み、モモは「もうー!」と夜空に叫んだ。アンディーンに祈っても天気はどうにもならないので潔く泥道を走り出す。

 ルースはモモとコーネリアのために一軒丸ごと民家をあてがってくれたそうだった。こじんまりした二階建てで、上階に乳母と赤ん坊を寝かせれば下階の守衛だけで済むだろうとのことである。ついでにモモが無害認定しているドブも終夜貸し出してくれるらしい。あの使者と対面した後なのもあって、ルースの手配は至れり尽くせりに思えた。


「この大雨じゃ中覗こうって馬鹿も出ないだろ。色気づいた連中は俺と同じ家に寝かすから、お嬢ちゃんもたまには自分をいたわってやんな!」


 牧場まで戻ってくるとルースはモモをさっきの畜舎のすぐ裏手に案内した。モモが民家の玄関に到達したのを見届けて副団長は「おやすみー!」と駆けていく。彼の掲げていたランタンの灯は間もなく闇の奥に見えなくなった。


「うーっ! 寒い寒い寒ーい!」


 濡れて冷えきった震える手で立てつけの悪いドアをこじ開ける。中に入ると土間のかまどにドブが火を入れてくれていた。「あ、お疲れさん」とかけられた声に反応する余裕もなく、暖かな炎の前に座り込む。


「あーっ! 温もりがしみるーっ!」

「ほら、乾かしといたケープがあるからこれ使えよ。濡れた靴は脱いでこっち。髪はこいつで拭きな」

「ドブなんでそんな手際いいの!? 最高すぎ!」


 ありがたさもここまでいくと拝むレベルだ。ぽたぽた垂れる水滴を拭いつつモモは少年を褒めちぎった。


「しーっ! コーネリアさんと赤ん坊、もう寝てっから静かに。ベッド一人分しかなかったから藁と毛布で寝るとこ作っといたけど、火の番やりながら横になるよな? あんたそのままじゃ風邪引いちまうし」

「うん、うん。今日はモモこのかまどから離れない。コーネリアさんは二階?」


 入口脇の階段を見やって尋ねる。確かにルースの言う通り、ここにさえ目を光らせておけば王女の守りに問題はなさそうだった。


「ああ。疲れてたみたいでミルク一杯飲んだら寝たよ。あんたの分も、ほら」


 ドブは温めたヤギの乳をカップに注いで出してくれる。本当に何から何まで気のつく子だ。きっと親の教育が良かったに違いない。


「はあ、生き返るなあ。アル兄たちとも合流できそうだし、もうちょっと護衛頑張ろうっと」

「へ? 護衛?」

「あっううん! サールについてからの話ね! モモたち王子に雇ってもらう予定だから!」


 ハッとしてモモは左右にぶんぶん首を振った。

 危ない危ない。アクアレイア王家のプリンセスを護送していると知っているのはルースだけなのだ。一番世話をしてくれているのはドブでも赤ん坊の身分までは明かせない。


「まあ今も俺たちコーネリアさんの護衛ボランティアしてるようなもんだよな。妙な間違いが起きるよりいいけどさ」

「そ、そうだねー。コーネリアさん物静かで知的な美人だもんねー」


 ボランティアだけどボランティアじゃないんだよ、とは言えずにそっと目を逸らす。話を誤魔化そうとしてモモは「そういえばコナー先生は?」と聞いた。


「こっちには来てないし、隣の民家じゃないかな? 隣っつっても牧場だから結構遠いけど」

「そっかあ。なんか建物のひしめき合ってるアクアレイアとは全然違うんだね」

「ははは、マルゴーは都でもあんなに人住んでないからな。山の傾斜がすごいから住みたい土地じゃなくて住める土地に家建てるしかできないし、そもそもでかい街作るのに向いてねえんだよ」

「ああ、なるほどー」


 今までの道程を脳裏に浮かべながら頷く。平野部の旅なら半日も歩けば街か村があるものだが、アルタルーペには無人の山小屋がぽつぽつと点在するだけだった。あれは宿場を作りたくても作れないゆえの苦肉の策だったのだ。


「なんでマルゴーが傭兵の国になったのか、俺はなんとなくわかる気がする。広い畑を耕そうと思ったら男手が必要だけど、家畜を追ってバターだのチーズだの作るだけなら女子供の手で足りちまうんだ」


 家を守る長男以外は国を出るしかないのだとドブは語る。膝に顎をうずめてモモは小さく相槌を打った。


「うんうん。どこもやっぱり大変だよね、皆さあ……、ふああ……」


 温まってきたせいかなんだか眠くなってきた。大あくびをしている間にドブがどこからか藁袋と毛布を持ってきてくれる。


「俺、階段に座って寝るから。あんたも土間に陣取ってりゃウトウトしてても誰か来たときは気づくだろ」


 さっと寝床の設営を済ませ、少年はおやすみを告げた。一度瞼を閉じたからか、抗いがたい強烈な睡魔に襲われる。家らしい家に泊まれて少し気が緩んだのかもしれない。


(あー……、駄目だ。これは寝ちゃう……)


 鼓膜には強い雨の音が響いていた。ほかには何も聞こえなかった。朝が来て、雲が晴れて、コーネリアの絶叫がまどろみを引き裂くまでは。



「モモさん! ドブさん! 起きてください! あ、赤ちゃんが息を――」



 がばりとモモは跳ね起きた。ドブも仰天して階段から転げ落ちる。

 逆さを向いた少年を飛び越えて二階に上がると蒼白な顔をした乳母が尻餅をついていた。彼女の前には柔らかい布の敷かれた長持がある。どうやらこれをアウローラの簡易ベッドにしていたらしい。


「…………」


 恐る恐る中を覗けば人形じみた赤子が横たわっていた。手首を掴むと冷たくて、体温も脈も伝わってこない。


「な、なんで……?」


 寝起きの動かない頭でかろうじて声を絞り出す。コーネリアも何がなんだかわからないといった様子でしきりに首を振り続けていた。

 昨日まで普通だったのに。雨にも濡らさなかったのに。


「――」


 額に嫌な汗が滲んだ。

 窓の外では愛らしい声で小鳥たちが鳴いていた。





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