第3章 その4
人里に滞在中は村外れの木立がイーグレットの待機場所になる。遠く響いていた楽の音が途切れた夕刻、そろそろカロが食べ物を持ってきてくれる頃かなとイーグレットは腰かけた枝の下を覗いた。
歩き疲れて今日はもうへとへとだ。なるべく早く食事を済ませて眠りたい。日没を過ぎれば人目もなくなるだろうし、その辺の適当な小屋に潜り込ませてもらおう。
(王族なのに何をやっているんだろうな……)
ふと我に返りそうになってイーグレットはぶんぶんとかぶりを振った。深く考えてはいけない。いつかきっと「そんな日もあった」と笑えるはずだ。
(人家に近いほどコソコソしないとならないから泥棒じみた気分になるのだ。あばら家に寝泊まりしても何か盗むわけではないし、堂々としていればいい)
冷静に今の自分を分析する。あのペテン師たちと行動をともにしていることも罪悪感の一因である気がした。
何人目かの家庭教師が言っていた。良き人間を作るのは良き友人だと。ロマとは仲間ではないけれど、一緒にいる間に彼らの習慣に染まらないように気をつけなくては。
「――おい、食い物だ」
と、足元に待っていた子供が現れた。いつも露ほどの愛想もないのに今日の彼は少しだけ声が高い。肩の荷袋も普段の倍は膨らんでいるし、さっきの馬がいい値で売れたのだなと知れた。
身軽な仕草で隣まで登ってくるとカロは手早く晩餐会の支度を始める。荷袋からは予想以上に多くの手土産が取り出された。
「チーズ、燻製肉、ヤギの乳、薄くない葡萄酒、それから……」
「随分収穫があったのだね? もしかして稼いだ金を全部使ったのか?」
「全部じゃない。使いきれないくらい儲けたからな」
「えっ!? 使いきれないくらい!?」
驚きで声が裏返る。何か変だぞと直感が告げた。
あの商人たちは二束三文で買い叩かれるかもと案じていたのだ。この豪勢な食料分よりも値段を吊り上げられたとは考えにくかった。
疑惑の視線に気づいたカロが首を傾げる。彼にはイーグレットの反応が意外だったらしかった。
「ええと……参考までに聞きたいのだが、どんな売り方をしたのだね?」
「……全身を櫛で梳かしてつやつやにした。たてがみと尻尾は特に入念にな。後は筋肉がよく動くようにマッサージして、仕上げに針で若返らせた」
「は、針?」
「ああ、首の付け根に長針を打つと背筋や足がシャンとするんだ。それで勝手に駿馬だと勘違いしてくれる」
「……ッ!」
やはり詐欺ではないか。イーグレットはがっくりと肩を落とした。そんな話を聞いた後ではとても夕食を味わう気になれない。
「どうした? 食わないのか?」
もぐもぐと燻製肉を頬張るカロは一見なんの罪もなさそうだった。悪に手を染めながら悪気なくいられるというのはどういう神経なのだろう。
イーグレットには理解しがたい。この世には生きているだけで後ろめたさを感じねばならぬ人間も存在するのに。
「……他人を騙して少しも悪いと思わないのか?」
問いかけにカロは首を振った。そのまま食事を続行し、いけしゃあしゃあと断言する。
「騙されるほうが馬鹿なんだ」
その物言いについカッとなった。気がつけばイーグレットは声を乱して噛みついていた。
「何を言うんだ! 騙したほうはもっと――」
「初めに俺たちにそう言ったのはパトリア人だぞ? 五十年くらい前の話だ。稼げる働き口があると偽って俺たちの先祖を鉱山の穴の中に繋いだ。男も女も奴隷にされてたくさん死んだ」
思わぬ返事に息を詰める。黙り込んだイーグレットを一瞥し、カロは淡々と続けた。
「あいつらだって俺たちを人間扱いしないのに、どうして俺たちだけあいつらを人間扱いしなきゃならない? 人でないものから何を奪おうと獣を狩るのと同じだろう。あいつらもそうする。俺たちもそうする。だから騙されたほうが馬鹿だ」
大きく開いた口がチーズにかぶりつく。滑らかな生地の伸びを堪能する少年はイーグレットの憤りなど心底どうでも良さそうだった。
「でも」
釈然としない気持ちで食い下がる。確かにロマが村を訪ねると人々はいい顔をしないけれど。場合によっては近辺で休むことも認めないと追い立ててくるけれど。
「……君が馬を買わせた人とロマを騙したパトリア人は別人じゃないか」
敵意を向けるべき相手ではないと訴えるもカロは素っ気ない。「そうだな」と冷たい相槌を打ってすぐ食べ物に関心を戻してしまう。
「だったらどうして……」
「あいつらは俺たちをひと括りにしか見ていない。一人のロマにされたことはほかのすべてのロマにもされると信じている。だったらこっちもそうするだけだ。あいつらの誰かにやられたことは、あいつらの誰かにやり返す」
「…………」
イーグレットは押し黙った。おかしいと思うのに上手く反論を組み立てられない。
頭の隅をよぎったのは西パトリアの法をまとめた分厚い書物だ。国や街にもよるけれど、大抵の地域でまかり通っている悪しき慣習が載っていた。
――ロマが殺せば罪になるが、ロマを殺しても罪にはならない。
昔から彼らはそういう扱いを受けているのだ。身を守ろうと攻撃的な言動を取って当然だ。
「妙な奴だな。アクアレイア人をカモにしたわけでもないのに」
カロはどこまでも不思議そうだった。アクアレイア人のイーグレットが同胞を庇うならともかく、どうして関わりのない村の人間を庇うのか理解不能だと顔に書いてある。
父はどうやってこんなロマたちと戦友にまでなれたのだろう。話しているとあまりの遠さに胃が冷たくなってくる。
「だって……」
イーグレットは呟いた。
彼ら特有の黒い肌。深く交われぬ放浪生活。ロマを画一的に見せている要素は多い。皮膚の色が薄汚いと理不尽に嫌われているのも知っている。「黒い」というただそれだけで、酷く悪いことのように。だが、それでも。
「馬を買ったその人は、君を信用してくれたのだろう?」
その瞬間、バサバサと鳥の羽音がこだました。同時に茂みを駆け抜ける複数の足音も。
ハッと顔を見合わせてイーグレットとカロはしばし耳を澄ませた。木立の奥に響く怒号。誰かが呼び合う叫び声。村で何か起きたらしい。
「……様子が変だな。ジェレムたちを見てくる」
「あっ」
止める間もなく少年は枝を飛び降りた。それがいけなかった。
「――オイ、いたぞ! 使えねえ馬を売りつけたガキだ!」
血相を変えた村人たちに取り囲まれ、カロはあっさり連れていかれた。咄嗟のことにすくんでしまい、イーグレットが声も上げられずにいるうちに。
取り残された林には黄昏が押し寄せてくる。樹木の影は濃さを増し、宵闇の一部に変わり始めていた。
(ジェ、ジェレムを探さないと)
山の日暮れは急速だ。ぼやぼやしていたら何も見えなくなってしまう。
何かに背中を押されるようにイーグレットは走り出していた。早く、早くと焦燥が募る。
ロマがまともな民事裁判にかけてもらえるわけがない。このままではペテンにどんな罪状が追加されるか。
「……ッ!」
だが悲しいかな、厩舎裏に拵えられた一団のねぐらは空っぽだった。慌てて出発したのが見て取れる散らかり方で、付近には誰の気配もない。あの渡河を待たなかったくらいなのだ。ジェレムたちが引き返してくる望みはどこまでも薄かった。
(ど……どうしよう)
途方に暮れて立ち尽くす。カロの自業自得ではあるが、放っておいてもいいとはとても思えなかった。ロマの所業を自業自得と割り切っていいのかも。
「ほかのロマは逃げちまったか」
「ったく逃げ足の速い連中だぜ」
「まあガキはとっ捕まえたからな。ふんじばって倉にぶちこんだみてえだし、俺たちも行こうぜ」
間近で響いた話し声に身を伏せる。暗がりに潜んでイーグレットは村人たちの後をつけた。いつの間にやら空はすっかり紺碧に染まっている。
足音を立てないように気をつけて、しばらく歩くと何棟か並んだ穀倉の前に男たちが集まっているのが見えた。赤々と篝火を焚かれているのがカロの放り込まれた倉庫だろうか。中で袋叩きの目に遭っているのではとイーグレットは気が気でなくなる。
が、それにしてはなんだか妙な雰囲気だった。人々は青ざめて「おい、どうする?」「俺が知るかよ」と剣呑に囁き合っている。新しく輪に加わった男がロマの子供について尋ねても皆一様に顔を背けて答えようとしなかった。業を煮やした若者が「あのガキがなんだってんだ?」と倉に入る。そしてまた額を真っ青に染めて表へ出てくるのだった。
(……? な、なんだ……?)
状況がさっぱり読めずにイーグレットは顔をしかめた。とりあえず酷い目に遭わされていなければいいのだが。
「……朝になったら人買いを呼んで売ろう。あの強欲なら大喜びで引き取ってくれるじゃろう」
村の長らしい老人が難しい顔で告げる。老人を囲んでいた男たちは一も二もなく頷いた。
焦ったのはイーグレットだ。人買いに売るなんて奴隷コースまっしぐらではないか。法的に見て悪いのはカロだが、申し開きの場すら与えられないなんてあんまりだ。
「見張りはどうする?」
「俺は無理だぞ。病気の母ちゃんについててやらないと」
「お、俺もちょっと。最近夜中に羊が逃げ出そうとするんでね」
「あ、わ、私も少々風邪気味で……」
「ぼ、僕も! ゴホゴホ!」
「なんだなんだ、皆してよぉ!」
男衆はなぜか自分が見張りになるのを嫌がって押しつけ合う。結局その場に残されたのは断りきれなかった貧弱そうな青年と、強がったせいで引っ込みのつかなくなった若い巨漢だけだった。
二人を置いて村人たちはそそくさと家路に着く。茂みの陰で息を殺していたイーグレットの側を通りすぎるとき、誰かが震え声で言った。
「悪霊の仕業だ……。やっぱり橋の工事で死んだ連中が俺たちを恨んでるんだ……」
宿場村に静寂が満ちるのは早かった。闇を恐れて人々はさっさと寝床に避難したらしく、不安げな不寝番がぼそぼそ何か話す以外は風の音と禽獣の鳴き声しか聞こえない。
イーグレットがどうしようと悩んでいる間に夜は随分と更けていた。朝日が昇ればカロはもっと遠いところへ連れ去られるのだ。このまま黙って見ているわけにはいかなかった。
あの子がいなくなるのは困る。イーグレットを空気同然に見ているロマの中にあって彼という付き人なしではやっていけない。ジェレムが二人目を選んでくれるとは考えにくいし、己のためにも絶対に彼を助け出さねば。
(気は乗らないが、こういう方法しかないな……)
イーグレットは意を決し、くるぶしまである長いケープのフードを下ろして立ち上がった。わざと大きな足音を立て、潜んでいた茂みから別の木陰に身を移す。完全に姿を隠すと見張りの様子をそっと窺った。
「……おい、テメエ、ちょっとあの木立を見てこい」
「ヒェッ!? なな、なんで? なんかいた?」
「なんか今……白いものが見えたような……」
「ヒェェェッ!?」
期待通り――というのも悲しいが、二人の不寝番は恐怖に唾を飲み込んだ。
今度はフードを深く被り、足音を忍ばせて移動する。真っ黒なケープと闇夜のおかげでイーグレットが彼らの目に留まることはなかった。
さっきとは反対側の倉庫に張りつくと、拾った小石を道に投げる。こちらの気配に気づいた二人が振り向くタイミングでさっとフードを下ろし、突然生首が出現したかに見せかけた。
「はぁッ!?」
演出はできるだけ派手なほうがいいだろう。上半身をぐるりと回し、固まりきった不寝番たちと見開いた目を合わせる。もし立ち向かってこられたらどうすればいいか何も考えていなかったが、幸い彼らに亡霊と戦う勇気はなかったようだ。
「う、うわああああ! お、お化けーッ!」
「あっ! て、テメエ! 俺を置いて行くなよおぉぉ!」
一人目が素っ飛んで逃げ出すや、巨漢も脱兎に早変わりする。二人が村の衆を叩き起こして戻ってくる前にイーグレットは急いで倉庫の閂を抜いた。
「カロ! 大丈夫か?」
横たわる少年に駆け寄るとナイフで腕の縄を切る。外傷らしい外傷はなく、彼はただ縛られていただけだった。これなら支えて逃げる必要はなさそうだ。
「う……っ」
「走れるね? さあ行こう!」
説明などする暇もなく、腕を引いて助け起こす。時折足をもつれさせながらカロはなんとかイーグレットについて走った。
初めて訪れた宿場村だが坂のおかげで方向はわかる。とにかく登りだ。ロマ一行は山脈を越えようとしていたのだから登ればなんとかなるはずだ。
早く、早く。村人たちが勘付く前にできるだけ遠くへ逃げなくては――。
「はあ……っ、はあ……っ! い、一生分は走ったな……!」
漆黒の夜を駆け抜けて、イーグレットがようやく足を投げ出せたのは下方にちらつく松明がこちらを目指して動いていないとはっきり知れたときだった。
どっと疲れて乱れた息継ぎを繰り返す。心臓は全力疾走する前からドキドキしっ放しだった。
このまま彼らが亡霊の追跡を諦めてくれればいい。詫び代としてもう片方のチェーンカフスを置いてきたのだ。どうか見逃してくれと願う。
「……お前一人で俺を助けに?」
暁の薄闇が曙の光に染まり始めた空の下、やっと周囲を見渡す余裕ができたのか、仲間が誰もいないのに気づいた少年が尋ねた。イーグレットは力尽きて倒れていたため、カロがそのときどんな顔をしていたか少しも見ていなかったけれど。
「ああ、私しかいなかったからね。……まあとにかく、君が無事でいてくれて良かったよ」
今はあのとき見なかった彼の顔を簡単に想像できる。
カロは戸惑い、そして少なからず恩義を感じてくれていたのだ。
馬の扱いに長けた者より、「ロマ以外」を騙して多く奪った者より、友人のために危険を顧みず戦う者をロマは最も尊敬するのだから。
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「――それが仲良くなった最初のきっかけだったな。一度懐を開いてくれると接し方が全然違うんだ。おかげで毎日楽しかったよ」
「へえー、あいつもそんなイカサマ商売してた時代があったんすねえ」
「まあ今も私の目の届かないところではやっていると思うがね」
「えっ!? と、止めないんすか?」
「止めるなら彼らを取り巻く環境を変えてからでないと。我々とて突然ロマに『お前たちの定住生活は悪だ。家と財産を捨てて放浪しろ』なんて言われたら困るだろう」
「はあ……。あーでも確かにそういうもんかも。船乗りと農民でもわかり合うの難しいときありますもんねー」
「うむ。なかなか厳しいね。物事の善悪は暮らし方によってまるで異なるし、価値観を押しつけたところで反発を招くだけだし」
ふんふん頷く槍兵に答えつつ、イーグレットは廃屋の外を見やった。同じく剣士が太陽に一瞥をくれて「そろそろ戻りますか?」と尋ねる。
二人が真面目に聞いてくれるものだから、つい長々と話し込んでしまった。急いで要塞に戻らなければ彼らの朝食が冷めきってしまう。
「ありがとうございます。貴重な思い出を分けてくださって」
頭を下げたブルーノにイーグレットのほうが恐縮した。顔色を窺わずに話ができるだけでこちらが礼を言わねばならないくらいなのに。
下り坂の帰り道は柔らかな日差しと風が心地良かった。丘を下るとまた街に出る。朝の網引きはひと段落したようで、石畳の通りにはちらほらと住人たちが戻っていた。
「あーっ!? レイモンド!? レイモンドだ!?」
と、その中の一人が槍兵を指差しながら駆け寄ってくる。だが通りがかりの青年は傍らにイーグレットの姿を目にするや狼狽のあまりみるみる固まってしまった。
「あっ、えっ、えっ、も、もしかして……」
「おお、久しぶり! 元気してたか? こっちは今イーグレット陛下の護衛で海軍基地に来てんだよ!」
「へ、へへ、陛下の。そ、そうか。あ、いや、どうも……」
引き笑いを浮かべて青年は後ずさりしていく。レイモンドに「話があるなら待っていようか?」と尋ねると真っ青な島民のほうが「いえいえ! お気遣いなく!」と固辞を示した。
「レレ、レイモンド! 任務中じゃ悪いし、その、またな! あっ、ていうか後で皆で砦に顔出すよ!」
「おー! そんじゃ待ってるわ!」
気さくな槍兵とは対照的にコリフォの若者は怯え気味だ。同じアクアレイアの民とはいえ、この島の住人はイーグレットの白さに慣れないためか忌避する態度が露骨だった。できるだけ気にしないふりをしたが、チラチラ何度も振り返られるのが気まずい。双眸は「あんな人間がいるのか」と語っていた。
(こういう反応も久々だな)
ふう、と密かに嘆息する。要塞に引き返しつつイーグレットはブルーノたちに聞かせた昔話の続きに思い馳せた。
――お前一人で俺を助けに?
彼にそう問われた後、イーグレットは気になって「こういうことはよくあるのかい?」と尋ねたのだ。ロマが追われて逃げるとき、遅れた仲間を見捨てるのは一般的なことなのかと。
カロは答えた。「一団の誰か一人生き残ればいいという時代があった。異常を察したらその場を離れるのが先決だ」と。
なんて厳しい世界だろう。聞きながらぞっとしたことを覚えている。子供でさえ誰も守ってくれないなんて。それでもまだ疑問はあった。せめて自分の親にくらい気にかけてもらえないものなのかと。
イーグレットとてあの寒々しい王宮で、父と母の愛情だけは感じて育った。二人とも親である以前に王であり、王妃ではあったが。
「……母はいない」
感情を押し殺した呟きを思い出す。カロの母親が彼を産んだために自殺したと知ったのはもっと後になってからの話だ。そのときは彼の父親がジェレムだという事実のほうに目玉を剥いた。二人の親子らしい関わりをイーグレットは見た覚えがなかったから。
「本当に?」
眉を歪めて起き上がり、今度こそ声を失くした。汗で乱れた前髪の下の光る右眼と目が合って。
左は夜を、右は星を閉じ込めた瞳だった。綺麗だと呟くこともできないほど美しく輝く。
イーグレットは息を飲んだ。そんなところに黄金を宿す人間はほかには誰も知らなかった。
だがカロはその身に嵌め込まれた宝石を恥ずべきものと考えていたようだ。さっと片目を隠してしまうと顔を背けて縮こまった。
「お前もこんな目はロマらしくないと思うか」
怯えて震えたそのひと言で、たちまちすべて理解してしまう。
なぜジェレムたちがカロを助けに戻らないのか。
なぜイーグレットがカロに押しつけられたのか。
なぜカロが――この寡黙な子供が「荷物は口をきかない」などと言ったのか。
白皮が普通の人間と見なされないのと同じことが、ロマの間でも起きていたのだ。
「…………」
イーグレットは正直に、慎重に、彼に答える言葉を選んだ。「ロマではない私にはロマのことはわからないよ」と言ったとき、彼の漏らした安堵の吐息に奇妙なシンパシーを覚えた。
ああ、この少年は、あれほど強固に結びついて他者を排除するロマたちの中でさえ孤立せざるを得ないのだ。
「君が無事で良かったと、今もそう思っているよ」
告げた言葉は、自分がいつも欲しがっていた言葉だった。
あの日から一人ではなくなった。翌日にはジェレムたちにも追いついて荷物扱いの暮らしに逆戻りしたけれど、カロの向けてくる眼差しは冷たいものには戻らなかった。
(懐かしいな。いい拾い物をするとこっそり見せてくれるようになって、少しずつ話す機会も増えて……)
ロマは生涯旅を続ける。イーグレットの旅は五年で終わったが、カロはまだあのときの道の続きにいる。それが少しだけ羨ましい。
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ああ、この馬ももう駄目か。随分疲れさせてしまった。どこかで新しいのに乗り換えて、早くコリフォ島へ急がなければ。
「……確かこの先に村があったな。そこで調達するか」
「あっ、カロ! ちょ、待ってちょうだい!」
少し遅れて海沿いの街道を曲がるアイリーンを確認し、カロはそのまま速度を維持する。不器用な女だが生き物は得意で助かった。彼女は彼女でなんとか馬を乗りこなし、とりあえずはぐれずにいてくれる。
今は気を回してやる余裕がなかった。友人の無事をこの目で確かめるまでは。
(イーグレット――)
嫌な緊張に眉をしかめる。
駄馬に刺した長針が見つかって、子供だった自分が捕らわれてしまったとき、彼もこんな胸の潰れる思いをしたのだろうか。あの頃はまだ互いのこともよく知らずにいたけれど。
無事で良かったと言われた瞬間、心に湧いた感情が何かわからなかった。
初めて耳にした言葉ではない。だが己には向けられたことのなかった優しい響きをもう一度聞きたくて、用もないのに彼の側をうろついた。
――知らなかったのだ。自分がどんなに寂しかったか。どんなに人の温もりが欲しくて欲しくて堪らなかったか。普通のロマなら同じロマから貰うものを、己はイーグレットに与えられた。
(迎えにいくから待っていろ。また俺と旅に出よう)
嫌がられても構うものか。少し歩けばどうせすぐに思い出す。季節の花も、夕暮れの色も、歌って過ごす楽しさも。
(自由になるべきなんだ、お前は)
冠が、王国が、一体お前に何をくれた。
そんなものはもう大切にしなくていい。




