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第1章 その6

 不運や不幸は連鎖する。防衛隊が仮宿舎に戻ると難しい顔のチャドが待っていた。落胆されて当然だ。ロバータからもアンバーからも何も聞けなくなってしまったのだから。


「結局真相は闇の中、か。存命なのはオールドリッチ卿のみだな。私の名前で彼を呼び出してみるかい?」

「いえ、証人も証拠もない以上、はぐらかされるだけかと思います。マルゴー公国との間で事を荒立てたいわけではありませんので、今回は」


 王子の親切な申し出をルディアは丁重に辞退する。

 あれからそれとなくマルゴー兵に聞き込みをしてみたが、伯爵夫人の別荘で動物実験の痕跡は見つからなかったようだった。アンバーの希望が叶い、檻の中の獣が引き取られたのみである。


「しかしあんな魔獣が実在するとはな。夫人の目的はなんだったのだろう?」

「断定はできません。ですがマルゴーとアクアレイアが睨み合う事態にならず、不幸中の幸いでした。今は非常に微妙な時期です。諍いになれば親マルゴー派の姫様や陛下が責められる結果となりかねませんので」


 そうなれば夫のお前も一蓮托生だぞという言外の警告は伝わったらしかった。チャドはごくりと息を飲み、唇を引き結ぶ。


「うむ。その通りだ。両国の橋渡し役として私もできる限りの……」

「た、たたた大変ですううううう!」


 王子の声を遮って、またも弓兵の速報が階段にこだまする。扉を開き、「今度はなんだ!」と怒鳴りつけると半泣きのバジルは想定外も想定外の返答を口にした。


「あ、あ、アンバーさんの頭が盗まれたって……」

「は?」


 急報を耳にしたモモが階上の個室から飛び出してくる。丸い頬には真新しい涙の痕がついていた。先に休ませていたのだが、まだ眠れていなかったらしい。玄関で番に立っていたレイモンドも「一大事じゃねーか!」と声を荒らげた。


「ちょっと待て、遺体はマルゴー軍の管理下にあるはずだろう?」

「それが怪物は精霊に見張っててもらおうってことで小聖堂に預けてたみたいで。当直の兵士はいたらしいんですけど……」

「盗まれたのはいつだ?」

「ついさっき。今マルゴー兵も全員出てます。それであの、実は僕、フードを被った怪しい人物が山に入っていくところを」


 モモは最後まで聞かなかった。バジルの首根っこを掴み、全速力で夜更けの裏山へ疾走を開始した。


「どこ!? バジル、そいつどっち行ったの!?」

「モモ、苦しッ、あっち、あっちです!」


 道端に投げ捨てられた弓兵を追い抜き、ルディアは暴走少女を追う。二度目の悲憤は彼女も抑え切れなかったらしく、完全に我を忘れていた。

 付近にマルゴー兵の姿はなかった。盗人は船で逃げるに違いないと彼らは港に集中しているようだ。どこまでもアクアレイア人を疑う気持ちの強い証拠である。いくら商売繁盛がモットーの国でも女の生首を売りに出すほどアコギなことはしないぞと言いたい。


「おい、あれじゃないか!?」


 追いついてきたアルフレッドが山腹を指差した。夜闇にまぎれて見えにくいが確かに誰かの逃げ惑う影がある。


「……っ!」


 ルディアが視認したまさにその瞬間、青い影にモモの飛び蹴りが炸裂した。無関係の一般市民だったらどうする気だ。ルディアたちは真っ青になって足を速めた。


「大人しくして! その革袋の中身を見せて!」


 剥き出しの岩があちこちに転がる細い道、それでも一応森と言えそうな一角でモモは容疑者と格闘していた。相手のほうはヒイヒイと混乱気味に掴んだ砂を撒いている。


「こら、モモ! 手荒な真似をするんじゃない!」


 アルフレッドが妹を引き剥がす間も防衛隊は色あせたケープの人物に警戒を怠らなかった。逃がさぬように前方にレイモンド、後方にバジルが回り込む。

 白か黒か。ルディアはなるべく愛想良く不審者に手を差し伸べた。


「怖がらせて申し訳ない。実はついさっき盗難事件が起きたものでね。お手間でしょうが荷物をあらためさせてもらえますか?」

「ごご、ごめんなさい、ごめんなさい! わわわ、私急いでるので……!」


 モモよりは穏便にやろうという意識は一瞬で消え失せた。調子外れの甲高い声を耳にして。

 ――こいつ、あのときの誘拐犯だ。

 確信がルディアの心を煮えたぎらせた。


「おい」


 這いつくばっていた賊の胸倉を掴み上げる。有無を言わさずフードを剥ぎ、どこの誰なのか確かめた。


「ヒッ!」


 素顔を隠そうとする賊の腕を払う。だが落ち窪んだ三白眼にも青白くこけた頬にも見覚えはない。少なくとも王宮に出入りしている人間ではなかった。


「貴様、名を名乗れ」


 凄むルディアに誘拐犯は縮み上がる。けれどルディアが何か問いかけることができたのはそこまでだった。


「うわああっ!」

「ぐおッ!?」


 バジルとレイモンドの叫び声にハッと後ろを振り返る。するといつからそこにいたのか、無精髭を生やした長身のロマが豪快に二人を投げ飛ばすところであった。咄嗟に斧を構えたモモも、剣を抜いたアルフレッドも、次々と急斜面に突き落とされる。

 思わず硬直してしまった。不意打ちとはいえ決して弱くはない四人があまりに呆気なく倒されて。


(な、なんだこいつ?)


 ルディアはまじまじ眼前のロマを凝視する。褐色肌に癖の強い黒髪は彼らに多い特徴だが、前髪で顔の右半分を覆った男はただの浮浪者には見えなかった。佇まいや身のこなしからして相当な――。


「……ッ!」


 飛んできた拳と蹴りをかわすには憎き誘拐犯を手離さなければならなかった。レイピアを抜くわずかな隙に闖入者はフードの賊を助け起こす。

 ルディアが剣で切り裂くより、仲間を抱えた男の飛び退るほうが早かった。お姫様抱っこのハンデなど物ともせずロマはジャンプで崖を下り降りていく。彼らが無数の洞穴の一つに消えたのは十数秒後のことだった。


「ま、待て! 貴様には聞かねばならんことがある!」


 いくら叫んでも後の祭りである。どこがどこに繋がっているか地元民でさえ把握していない洞窟の捜索など日の沈んだ夜中では不可能だった。つまり己は、元の肉体に戻る千載一遇のチャンスを逃したのだ。


「くっ……、くそがぁ……ッ!」


 悔しさのあまりルディアは地団太を踏んだ。

 それから数時間粘ってみたものの、結局一つの成果もなく防衛隊は仮宿舎へ帰らなければならなかった。




 ******




 残念すぎる結果を報告するとチャドは「そうか」と嘆息した。ずっと王子に付き添ってくれていた、アルフレッドそっくりの寡黙な中将も渋い顔だ。


「……これ以上我々がここにいても仕方あるまい。お前たちも気落ちしているだろうが、殿下は王都へ送り返させてもらうぞ。いずれにせよハイランバオス殿を宮殿に迎えるため、明朝出航予定だったからな」

「はい、ご面倒をおかけしてすみませんでした。伯父さ……ブラッドリー中将」


 畏まって詫びる甥の頭をひと撫でし、ブラッドリーが雑居部屋のドアを開く。チャドを見送るべくルディアたちも通路に並んで敬礼した。責めを受けるかと思ったが、王子の態度は穏健なままである。


「新たに何か判明したらブラッドリーを通じて知らせてくれ。アクアレイア人としてはマルゴーの王子など簡単には信用できないかもしれないが、これでもルディア姫には本気なのだ。彼女の立場を悪くする不安材料は可能な限り排除しておきたい」


 これはルディアには意外な言葉だった。正式に婚約を決めた昨年三月の時点では、彼は「マルゴーの国益のため」以外の理由で結婚に踏み切ったようには見えなかったからだ。


「愛しておられるのですか?」


 不躾を承知で尋ねる。アルフレッドは視線でルディアを咎めたが、問われたチャドは嬉しげだった。


「そうだ。夫婦になって以来、どんどん彼女に惹かれている。今ではもう片時も離れて過ごせないほどだよ。君たちを待っている間もブラッドリーにのろけ通しでな。いやあ、美しい姫だとは思っていたが、あんなに庇護欲を煽られる女性は初めてだ。いついかなるときも彼女は私が守っていくぞ!」


 夫婦になってからということは、ブルーノと入れ替わってからということである。熱っぽく語る王子をルディアは冷めた眼差しで見つめた。既にして「あ、はい。もう結構です」という気分でいっぱいだったのに、チャドはにこやかにとどめの刃を突き刺してくる。


「帰ると決まれば迅速に支度しなくてはな。つわりのきつい時期だから、夫の私が側についていてやらないと」


 聞き間違いだと思いたかった。今日は色々ありすぎて、耳がきちんと機能を果たしていないのだと。


「――は?」


 無意識に掴みかかりかけたルディアをアルフレッドが肘で押しのける。すぐさまバジルが扉を閉めてルディアを雑居部屋に隔離した。廊下からは「お気をつけて! 本ッ当にお気をつけて!」とレイモンドの大声が響く。

 つわりのきつい時期……。つわり――、つわりの――……。


「こんッな処女受胎があるかああああ!」


 王子が敷地を出るまでは絶叫を堪えた自分を褒めてやりたい。もしかしたら我が身は清らかなままかもしれないという儚い希望は完全に潰えてしまった。

 ブルーノ・ブルータス。貴様だけは殺すだけでは飽き足りん。再び魂があるべきところへ戻ったとき、死にたくなるほど無様な身体に、このルディア自ら改造しておいてやるからな!




 ******




 その夜遅く、用を足そうと起き上がったレイモンドは身の毛もよだつ奇怪な場面に遭遇した。隣の寝台で何やらぶつぶつ恨み言を吐きながら、一心不乱にブルーノが己の胸をまさぐっているのである。

 幼馴染の特異な趣味をレイモンドは全力で見なかったことにした。

 あいつは失恋こじらせてるから。あんなのは今だけだから。

 必死に念じ、背後の邪悪な気配から己の意識を逸らし続けた。

 のちにレイモンドは「あんなに朝が待ち遠しかった夜はない」と語る。





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