表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
64/344

第1章 その3

 不幸というのは仲間を増やすものらしい。次の朝、再び小会議室に集まった十人委員会のもとに届いたのは不愉快な一通の手紙だった。


「なになに? 自分たちの圧倒的多数はジーアン帝国との交戦を望んでいない、陛下にはどうか大人しく王権を手放してほしい?」


 ニコラス老に読み上げられた「国民からの嘆願書」とやらにブルーノは唖然とする。嘆願書を持参してきた代表の中には「だから白い王様なんて嫌だったんだ」と臆面もなく吐き捨てる輩までいたそうで、頭がどうかなりそうだった。

 少しくらい味方してくれたっていいのに。王家はいつも王国のために心身を削ってきたのだから。


「…………」


 話を聞くイーグレットは無言である。憤っているのはブルーノ一人だけだ。委員会の面々は無関心に「どうせならもっと建設的な案をよこせ」と嘆願書を脇へやった。「わかりきったこと」に対して見向きする者はいなかった。


(誰も陛下や姫様の助けになってくれないの?)


 テーブルの下で拳を握る。昨日の会議は終始王家を切り捨てる方向に傾いていた。グレディ家の現当主、クリスタルだけは普段発言しないなりに抵抗感を示していたが「分家なら亡命すればジーアンとて手は出すまい」と助言された途端「ま、まあ?」と態度を一変させている。


 本当にこのままアクアレイアを明け渡すしかないのだろうか? ルディアも何も言ってくれないし、自分では十人委員会をどう説得すればいいのかさえわからない。

 イーグレットも一貫して反対意見は唱えなかった。ただ「天帝に剣を向けるにせよ頭を垂れてかしずくにせよ、後々のことを考えてルディアとグレディ家には継承権を放棄させておこう」と提案しただけだ。それで少しは身を守れる言い訳になるだろうと。

 この安全策は昨晩既に承認されていた。たとえ王族が嫌だと拒んでも多数決ですべて決まってしまうのがアクアレイアの政治である。九対一ではブルーノにはどうしようもなかった。


(ジャクリーンが知ったら落ち込みそうだなあ……)


 どんなときも誠心誠意尽くしてくれる侍女の笑顔を思い出す。彼女は本物のルディアファンで、華々しい戴冠式が執り行われる日を楽しみにしていたのだ。当の王女は「十人委員会の決定に従う」と微塵の未練も見せなかったが。


「とにかく結論を急ぐのじゃ。のんびりしておれる時間はないぞ」


 舵取りのニコラス・ファーマーが最終会議の開始を告げる。

 今日この場で王家の運命が決まる。そう思うと胃が痛かった。一応ジーアンの意向に従う場合でも、王族を縄で縛って差し出すような真似はしないと約束されているけれど。


(だけどもうアクアレイアにはいられない。陛下や姫様は王都から追放されてコリフォ島に幽閉される……)


 建国間もないアクアレイアが東パトリア皇帝より賜った、アレイア海南端の美しい島。あそこなら気候もいいし、小さいながら街もある。一生出られないとしても悪い土地ではないだろう。だがそれは閉じ込められるのが普通の人間であればだ。

 ルディアにとってはきっと地獄だ。無条件に巣を愛してしまう脳蟲が故郷と遠く隔たれて平気でいられるはずがない。

 否、彼女だけなら身体を取り替えて王都に残ることも可能だった。だがそうなれば今度は優しい父親と引き裂かれてしまうのだ。ルディアがアクアレイアと同じくらい大切に思う父親と。


「さあ、それではクリスタル殿、ルディア殿下、この同意書にサインをお書き願えますかな」


 話し合いに先駆けて例の書面が卓上に出された。口語のアレイア語ではなく公文書用の古パトリア語で「以後永久にアクアレイア王国の王位継承権を放棄します」と書かれている。ここにルディアの名を記せば彼女が王国を継ぐ未来は儚く消えてなくなるのだ。

 ブルーノはなかなかペンを持てなかった。保身に必死なクリスタルは早急に書き終えてしまったのに、どうしても手が震えてしまって。


「ルディア」


 イーグレットの声が急かす。泣きそうになるのを堪えて紙にペンを走らせた。胸中で何度も何度も「ごめんなさい」と詫びながら。



「――何をするんですか!」



 唐突に続きの間へ放り出されたのは判の済んだ直後だった。驚くブルーノに十人委員会の面々が冷たく告げる。


「あなたは本来王国議会の規定する資格年齢に達していません。王位継承者という特例でなくなった以上、この会議にはご参加いただけなくなりました」


 カイルが何を言っているのかわからなかった。だってこれから王家の存亡を決める大事な投票を行うのではないのか。それなのにどうして己だけ除け者にされねばならないのだ。

 今だけはルディアとして王の傍らにいなくてはならない。たとえ時代の流れには逆らえずとも、彼の娘として王家存続の一票を投じなくては。でなければイーグレットが誰にも庇われずに廃された哀れな道化となってしまう。


「ここを開けて! 中に入れて!」


 閉ざされた扉を叩き、ブルーノは必死に叫ぶ。聞こえているはずなのに誰の反応もない。響くのはドアノブのがちゃがちゃ揺れる音だけだ。


「ルディア、静かに!」

「こちらにおいでください。お早く!」


 突然肩を掴まれて、驚いて振り向くといつの間にかチャドとジャクリーンに挟まれていた。状況を理解する間もなく腕を引かれ、その場からさらわれる。


「何!? どこへ連れて行くんです!?」

「私の部屋だ。いいからしばらく黙っていてくれ」

「姫様、後生ですからチャド様の仰せの通りになさってください!」


 まだ委員会が、投票が、と粘る口は二人の掌で覆われた。人払いされているのか通り抜ける部屋には誰の姿もない。チャドの自室まで衛兵とさえすれ違わなかった。


「――私と服を取り換えてください。装飾品も、僭越ながらそっくりそのままお借りさせていただきます」


 部屋に着くなりジャクリーンにドレスを脱がされて面食らう。「一度でいいから姫様と同じ服を着てみたいですわ」と頬を染めることもあった彼女だが、まさか実行に移されるとは夢にも思っていなかった。

 髪飾りを奪われて、臙脂色の侍女用ドレスを着せられるうちにブルーノにも二人の考えが読めてきた。王宮外でも王宮内でも王家の存続はもはや不可能と見なされている。この先どんな苦境に立たされるか知れない「ルディア姫」をチャドとジャクリーンが救出しようと試みるのは当然だった。


「姫様の代役を務められるなんて光栄ですわ。どうか無事にマルゴーの都まで逃げ延びてくださいね。私、きっといつまでも姫様をお慕いしております」


 着替え終わったジャクリーンに手を握られて目を瞠る。なんだそれは。その言い方ではまるで二度と会えないみたいではないか。

 大体マルゴーへ逃げるなんて自分は同意していない。身体だって、まだ本物のルディアと入れ替わったままなのに。


「ジャクリーン、私がいつそんなことをあなたに頼んで」

「陛下にももうお話してあるんです。とても感謝してくださいました。姫様がアウローラ様やチャド様と幸せに暮らせるならこんな嬉しいことはないと」

「何を言って……」


 頭から血の気が引いた。それではさっき会議室を追われたのはイーグレットの指示だったのか。周囲には委員会に出席していると思われている隙に身支度をさせようと。でも、だけど、そんなこと――。


「準備はできたか?」


 と、そこに想定外の人物の声が響いてぎょっとした。チャドと一緒に部屋の中に入ってきたのはあろうことかルディアその人だった。


(な、なんで? どうして姫様がここに……)


 まさかこの逃亡計画は彼女も承知済みなのか。まさかこのまま行けというのか。自分に、ルディアの姿をしたまま。


「はい、ブルーノ様。この通り」

「よし。お前はすぐにシーシュフォス提督と合流してくれ」

「かしこまりました」

「行っちゃ駄目、ジャクリーン!」


 扉に向かう侍女の名を思わず叫んで呼び止める。だがジャクリーンは貴族の娘らしい淑やかな微笑を愛らしい唇にそっと浮かべただけだった。


「ご安心を。コリフォ島基地は私の父の管轄です。もしジーアンに軍勢を派遣されても父が守ってくれますわ」


 そう押し切ってジャクリーンは足早に駆けていく。止めようと伸ばした腕は寸前でチャドに阻まれた。


「行かせてやれ! 彼女は自ら志願したんだ!」


 怒鳴られて足がすくむ。いつも穏やかな男なのに、今日のチャドには余計な口を挟ませない凄みがあった。どんな抵抗を受けても絶対に公国へ連れて帰るという強い意志が。


「……だって……」


 声と同時に涙が溢れてくる。こんな大切なこと、知らない間に決めてしまうなどあんまりだ。よく見ればルディアは防衛隊を連れていない。ひとりぼっちで、全部決めてしまった顔で立っている。

 先に教えてくれなかったのはきっと逃げる気がないからだ。娘と「ルディア」だけは安全な場所に預けても、それはイーグレットを安心させるための計らいだからで。

 知っていればどんな手を使ってでももう一度入れ替わった。アウローラと、新しい家族と彼女を一緒に行かせたのに。


「こちらへおいで」


 チャドに優しく手を取られ、赤子の眠る揺り籠を示された。抱いておやりと告げられる。

 万に一つを考えてこれからアウローラも別の乳児と取り換えられるらしい。マルゴーへは別々の船で向かうと説明された。チャドと自分の乗る船は支度が出来次第すぐに出航するのだとも。

 ルディアを振り返ると沈黙のまま頷かれる。

 何もかもが突然すぎた。戦争中の先月や先々月のほうがよほど平穏だった。


「あなたはどうするんですか」


 震える問い。聞かなくたって答えなんて知れている。

 お前には苦労を強いるかもしれないと、彼女はとっくに詫びていたのだから。




 ******




 匿名投票の結果はイーグレットにとって意外なものだった。

 会議室に残った九人のうち、王権放棄に賛成だったのが八人、反対だったのが一人。大勢に変わりはないが、随分と思いやり深い人間がいてくれたようである。てっきり満場一致で島流しに決定すると思っていたのに。


「コリフォ島に船を送る準備を! 正式な布告が済むまで不用意に口を開くのではないぞ!」


 ニコラス・ファーマーの合図でお歴々は散っていった。

 時刻は九時過ぎ。まだ昼前にもなっていない。だが今日中にローガンに返答しなければならないこと、明るいうちに船を出さねばならないことを考えるとあまり時間に余裕はなかった。今のうちに託すべきものは託しておかねば。

 イーグレットはゆっくりと自席を立つ。足取りの重さには気づかないふりをして。


(もうこの部屋に来ることもなかろうな)


 複雑な気分で小会議室を振り返る。逃げ出したいと願ったことは一度や二度ではなかったのに、この離れがたさはなんだろう。この城も、この冠も、歳月を重ねるうちに己の一部になっていたのか。


(……これで良かったんだ)


 息をつき、鉛に思える扉をぐっと押し開く。

 アクアレイアは王の国ではない。船乗りと商人の国だ。

 頼りない君主で却って良かったかもしれない。これが先代国王なら指導者を失った民はうろたえるしかなかったろうが、己の代では彼らのほうがしっかりしていた。そう、もう、この国の先行きを案じる必要はないのだ。


「イーグレット陛下」


 小会議室を出ると白髪のトリスタン老がしかめ面を更に歪めて立っていた。

 気難しいので有名なこの超保守派の老人は、まだ髪の毛が黒かった時代からイーグレットに当たりがきつい。不機嫌な声を耳にしてつい肩を強張らせる。まさか最後に雷を落とすつもりではなかろうなと。


「ご自分で賛成票を入れられたのか?」

「えっ? ああ、そうだ。よくわかったな。あの反対の一票が私の票と勘違いしそうなものなのに」


 どうやら叱られるのではないらしい。ほっと胸を撫で下ろす。

 安堵したイーグレットを一瞥してトリスタン老は深々と嘆息した。


「何も難しい推理ではありません。あれはわしの投じた一票ですからな」

「あなたが?」


 思わぬ話に目を丸くする。てっきりあれは人情家のエイハブか平和主義者のドミニクの同情票だと思っていたのに。

 トリスタン老はイーグレットより先代国王ダイオニシアスに仕えた期間のほうが長い。出来の悪い二代目でも亡き英雄のために王家を存続させたかったのかもしれない。だとしたら申し訳ないことをした。己としても不本意な結果なのだが。


「正直に申し上げると、即位からつい数年前までずっとグレース・グレディの言いなりだったあなたを良く思ってはおりませなんだ」


 長い溜め息を吐いて老人は語り出す。やはりそうだったかとイーグレットは項垂れた。

 小言の量も厳しさも彼のは段違いだった。もしかして憎まれているのではと疑念を持ってしまうほどに。


「わしの目にあなたは自己保身の塊に見えた。しかしそれはとんでもない思い違いだったようです。あなたという人間を我々は見誤っていた。外見なんぞに引きずられて」

「トリスタン」


 目を瞠り、老人の名を呟くも懺悔が中断される気配はない。いつも曲がっていた口からは次々と思いがけない称賛が溢れた。


「先の戦いで思い知らされました。あなたの中に亡き国王夫妻の血がどんなに色濃く流れているか。勇敢さ、冷静さ、過酷な状況での忍耐強さ、その何一つダイオニシアス陛下に劣るものはなかった。あなたはただグレディ家との勝負をかわす賢明さをお持ちだっただけなのだ。それなのに我々は……」


 白い頭をうつむかせ、トリスタンは静かに詫びる。これからあなたの時代が来るはずだったのに申し訳ない、と。


「あなたは見事な王であった。決して忘れませぬ」


 嘘のつけない人間にもらう言葉ほど嬉しいものはない。

 自分では勇敢さも冷静さも忍耐強さも足りていたとは思えないが、それでも。


「……ありがとう。そう言ってもらえると報われる」


 歩いて、歩いて、歩き続けて。期待などもう少しも持っていなかったけれど。

 あと少し、ほんの少し、歴史にこの名が消えるまで――せめて失望されないように努めよう。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ