第1章 その2
「あやつら主君である聖王に忠誠心のかけらもないのか!? まるで古王国がどうなってもカーリスさえ儲かればいいと言わんばかりじゃったぞ!?」
十人委員会の一員、トリスタン老のけたたましい怒号にブルーノは耳を塞ぐ。血圧を上昇させる一方の老人をなだめられる者はおらず、「実際どうでもいいんだろう」とカイルが苦々しく吐き捨てた。
「ったくムカつく連中だぜ。完全に足元見てやがる」
「天帝からの申渡しはやはりローガンの述べた内容通りじゃのう」
国営造船所の長エイハブもしばらく鼻息を荒くしていたが、ニコラス老から書状を回された途端意気消沈してしまう。耳で聞くのと己の目で確かめるのとではショックの度合いが違うらしく、小会議室には暗澹たる空気が満ちた。
一人、また一人と天帝からの勧告を読んだ面々が声と表情を失くしていく。部屋が静まり返るまでに十分とかからなかった。
書状はブルーノの手にも渡された。何度読み返しても無慈悲な文面に変わりはない。
取引停止を命じたのはアニークではないだろう。アルフレッドの話によれば政治的な駆け引きなどできそうもない姫だったし、きっと天帝に脅されたのだ。だからと言って「こんな宣告は無効だ」と訴えられるはずもなかったが。
「……とにかく最初の方針を決めよう。十人委員会、元老院、大評議会、どの機関で王権放棄を検討するかだ」
自席に着いたイーグレットが皆を促す。自身の進退を決めるときでさえ王の独断では行えないのかと堪らなくなる。
今更ながらローガンが国民広場の真ん中で天帝の書状を読み上げたことに腹が立った。おそらくあの男は民衆に王を差し出させようとしてやったのだ。許せない。
「ジーアンは最初の勧告を受け入れた街には比較的寛容じゃと聞く。それでも元の支配者層は別の街へ移されたり牢に入れられたりするそうじゃから、被害を広げんようにわしら十人で取り決めるのが良いじゃろう」
ニコラス・ファーマーの提案に皆が頷く。
抵抗か恭順か。票を投じるのは一晩置いた明日にしようとも決定した。それまでは可能な限り両パターンのシミュレーションを行おうと。
「民の食糧は何日分ある?」
「ガレー船は? 木材はマルゴーから仕入れられそうか?」
「交易を続行するにはカーリスとの戦闘必至じゃぞ」
「夏の火事で随分船を失ったからねえ。船団を組むにしたって海戦は厳しそうだよ」
「くそ、頼みの綱の海軍も負傷兵が多すぎるぜ!」
恐ろしいのは誰も「断固として天帝の意には沿わぬ」と言わないことだった。
言葉にされずともわかってしまう。今この場にいるほとんどが――否、民のほとんどが「王家さえ犠牲になってくれれば自分たちは助かるかもしれない」と考えているのが。
(……これを姫様に伝えるの?)
指の震えが止まらなかった。
どんな風に話せばいいというのだろう。誰もイーグレットの目を見ようともしないことを。
******
いつも通りに防衛隊が王女の寝所に揃っても、今日は肝心のルディアが姿を見せなかった。
先刻の広場での一幕。非番とは言えすぐさま彼女が飛んできて「十人委員会の会議を盗み聞きするぞ」とか「王家存続のために知恵を絞れ!」とか命じてくると思ったのに。
(こんなときにどこ行ったんだろ?)
レイモンドはううんと首を傾げる。アルフレッドも「来ないな」としきりに控えの間を覗いていた。
本当にカーニバルどころではなくなってしまった。もし王家取り潰しなんて事態になったら誰が防衛隊の給料を出してくれるのだろう。今年は収入が跳ね上がる予定だったのに、それもお流れになるのだろうか。
「どうなるんだろうね、モモたち皆」
四人ぽっちの寝室でモモが呟く。気丈を通り越して無双の精神を持つ彼女の声に怯えた様子はないものの、王国の危機を実感するには十分だった。
やめろよと言いたくなる。まだ負けが決まったわけでもないのに。
「俺は最後までルディア姫をお守りするつもりだが、お前たちはどうする?」
不意にアルフレッドが尋ねた。彼らしい真面目な顔で。
「ひょっとしたら防衛隊という組織自体が消滅するかもしれない。そうなれば俺には命令権も決定権もなくなる。今のうちに聞いておきたい」
知らぬ間に息を詰めていた。――防衛隊がなくなる。その言葉には単に稼ぎを失う以上の響きがあるような気がした。
「最後までってなんだよ……」
硬い声でレイモンドは問い返す。アルフレッドは決意した人間の落ち着きを持って答えた。
「人生の最後までだ。決まっている」
「お前、命捨てる気か?」
「俺は騎士だ。もうあの人を自分の主君と決めたんだ」
一切の迷いなく幼馴染は言いきる。
レイモンドはうろたえた。何にそれほどうろたえる必要があるのか不思議なくらいうろたえた。
こういう男なのは知っていたはずだ。危険な道に進んでほしくはないけれど、邪魔をしてはいけないことも。アルフレッドにとって騎士以外の生き方をすることは死以上の苦痛なのだから。だがそれなら己は、一体ほかの何にこれほど取り乱しているのだ?
「モモもできる限りのことはしたいかな。アンバーたちのこともあるし、姫様だってもう他人じゃないもんね」
彼女がこう表明したということはバジルの選択も決まったのと同じだった。視線は自ずとレイモンドに集中する。三人に答えるために口を開く。
(俺はごめんだぜ。報酬と釣り合う仕事しかする気はねー)
そう言おうとした舌がもつれた。あれ、とぱちくり瞬きする。なぜなのか、耳の奥では先日のルディアの声が甦っていた。
――お前が本当に仲間を売るような男なら困るがな。
コンコンと響いたノックに肩が跳ねたのは直後である。ぎゅっと口元を引き締めたアルフレッドが扉を開いた。やっと姫君のおでましのようだ。
「全員いるな?」
ルディアは特に疲れもなく、顔色も至っていつも通りだった。隣には侍女のジャクリーンがすやすや眠るアウローラを抱いて立っている。
「良かった。遅いから心配していたんだ」
アルフレッドがそう声をかけるとルディアは思わぬ返事を口にした。
「すまない。ちょっとチャド王子と話し込んでいた」
「へっ? チャド王子と?」
驚いて尋ね返したレイモンドに彼女は「ああ」とわけもなく頷く。
「詳しくは明日話す。天帝に従うか否か、国としての結論が出てから」
思わずごくりと息を飲む。声の平静さは先程のアルフレッド以上に思えた。
部外者のジャクリーンがいるのであれこれ聞きすぎるわけにいかず、王女の前で身の振り方を話し合うのもためらわれ、当たり障りない会話が続く。
その日ブルーノが小会議室から戻ってきたのは深夜だった。それまでずっとルディアは小さな我が子をあやし続けていた。
******
――なんて奴らだ、なんて勝手な連中だ! 由緒正しいパトリア王家の血とやらのためにイーグレットを玉座に縛りつけておいて、今度は我が身可愛さに彼を追い立てようなどと!
煮えたぎる怒りのやり場も持てぬまま、歯軋りしながらカロは友人の帰りを待った。
今日の集まりはいやに長く、いつになっても天井から足音が降ってこない。暗い地下通路に響くのは細い流水音だけだった。
一人でいると苛々して仕方がない。この国の人間は本当に何を考えているのだろう。
イーグレットがアクアレイアを守るために戦う姿を見ていなかったのか? 逃げ出そうとした市民兵を叱咤して決戦の場に留めたのは彼なのに。
弱気なろくでなしどもの間では早くも「陛下にはご退位いただこう」という考えが主流になりつつあった。ジーアンに抵抗を試みる気は皆無らしい。自分の命さえ助かるなら今まで国に尽くしてきた王族がどうなろうと知ったことではないというのだ。
(ふざけている。奴らはロマを薄汚い盗人だのと罵るが、俺たちの中にそんな恥知らずはいないぞ)
と、待ち構えていた人物がやっと戻った気配がした。衛兵が扉を閉めて立ち去るや、カロは手早く天井に取りつく。床石をずらし、絨毯を捲り、執務机の下に顔を覗かせれば、やや疲弊した友人が「やあ」と小声で挨拶した。
「イーグレット、もうくだらない献身はやめにしろ。この国の馬鹿どもにお前が尽くす価値はない!」
突然捲くし立てられたイーグレットは驚いて目を丸くする。街で感じた憤りをどうにか彼に伝えたかったが、どうやら空回りしたようだ。落ち着くように身振りでなだめられてしまい、カロは強く唇を噛んだ。
「そう言われても私は君主だからなあ」
苦笑いが胸に痛い。疎まれ軽んじられるために玉座にいるのではなかろうに。
(そうやってお前が怒らないから俺が怒る羽目になるんだ)
舌打ちを堪えて身を乗り上げる。眉間には力が入る一方だった。
「委員会で何を話し合ってきた? 天帝にお前の身柄が引き渡されるなんて俺は絶対にごめんだぞ」
「そこまで過激な話にはなっていないから安心してくれ。大丈夫だ」
「本当か? だがもしそんな無茶を言われても相手にするなよ。お前を大切にしない奴らのために犠牲になるくらいなら俺と一緒にここから逃げよう」
詰め寄るカロにイーグレットはぶっと吹き出した。逃亡という発想は彼の中になかったらしい。「ありがとう」と礼を言われる。
「心配してくれて嬉しいよ」
感謝の意は示されたものの、イーグレットにその気はまるでなさそうだった。不可能だと悲観しているのだろうか。グレディ家の魔の手から逃げ回っていた少年時代とはわけが違うと。
「俺は本気で言っている。お前の力になりたいんだ、イーグレット」
我ながら悲痛な声だった。
何もできずに王都を去った十六の頃を思い出す。頼られて、浮き足立って、失敗して、結局それで終わってしまった。
「まだお前の役に立てていない。この間の戦いも、勝ったと思ったのに意味がなかった。俺は、俺はまだ……!」
言葉は喉につかえて途切れる。
彼が自分に向けてくれた友情に見合う何かを返したいだけ。それだけなのにどうして上手く行かないのだろう。どうすれば彼の重荷を減らせるのだろう。
わからない。彼の属する世界の掟が。邪魔な鎖にしか見えないそれが。
「役に立つとか立たないとか、そんなことはどうだっていいよ」
うつむくカロにイーグレットは首を振った。どうでもよくないと反論しようとして止まる。薄灰色の双眸が悲しげにこちらを覗いていることに気づいて。
「君と友達になれただけで私の人生には余りある幸福だった。君が側にいないときも、君の存在は私を励ましてくれた。だからどうか自分を悪く言わないでくれ。こうして二人で過ごすときはもっと楽しい話をしようじゃないか」
イーグレットの声は取り乱しかけていたカロの耳にもすんなり届いた。
友達になれただけで。孤独ではなくなっただけで。その思いは自分にも理解できる。貢献の度合いなどで推し量れる救いではないと。
「そうそう、楽しい話と言えば一度聞いてみたかったんだが、君はまだ独り身なのか? 誰かいい人はいないのかね?」
千載一遇の好機とばかりに尋ねられる。明るくなった表情を見てカロは少しほっとした。
「女か」
問われて思い浮かんだのはアイリーンの青い顔だ。彼女とは床をともにしたこともなければ甘い囁きを交わしたこともないけれど、東をさすらった二十年、彼女だけが自分を気にかけてくれていた。遠い異郷のはぐれ者同士。
あれもまた不憫な女だ。誤解されやすく害されやすい。そのうえ鈍くさいときている。
「安否不明なんだ」
「何!?」
「無事とは思うがなんとも言えん。ひょっとすると厄介事に巻き込まれているかもしれない」
「そ、それは……探しに行かなくていいのかい?」
「ここぞというときの悪運だけは強いからな。今はお前のほうが心配だ」
話題を逸らし損ねたイーグレットは視線を斜めに泳がせた。
驚くほど率直に胸の内を明かすかと思えば真逆の態度で隠し事もする。今の彼がどちらなのかは考えるまでもなかった。
「嫌な胸騒ぎがする。イーグレット、何があっても自棄は起こさないでくれ。お前のことは俺が必ず助けるから――」
「カロ……」
今度は彼もはぐらかさずに頷いてくれた。「ありがとう」とまたもや微笑で礼を言われる。夜明けまで少し眠るというイーグレットに別れを告げ、カロは地下通路を引き返した。




