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第1章 その5

 さて、王国海軍ナンバーツーなだけあって、ブラッドリー・ウォードは話の早い男だった。甥っ子との密会を終えた一時間後には、中将はもう王都に使いの船を出してくれていたらしい。

 おかげで三日はかかるはずだった返事がたった一日でもたらされた。防衛隊の仮宿舎にチャド本人がやって来るというおまけつきで。


「話は聞いたよ。オールドリッチ伯爵夫人がアクアレイア人居留区に手飼いの猛獣をけしかけていたというのは本当か? しかも死刑囚を使い、キメラまで生み出していたとか」


 証拠があっても信じがたい話だが、ロバータは以前からオカルトめいた噂の絶えぬ女だったらしく、チャドは頭ごなしに否定しようとはしなかった。悪態をつかれなかったのは、単に防衛隊が彼の新妻の直属部隊だからかもしれないが。


「はい。夫人は俺たちで別荘に捕縛しています。彼女に従わされていた魔獣の話だと、これまで何度も凄惨な実験があったとか。人間の被検体で生き残ったのはこのアンバーだけになります」


 アルフレッドの説明に細い糸目をますます細めて王子は唸る。自国の貴族が起こしたスキャンダルに温厚な彼は心を痛めた様子だった。

 チャドもさぞかし驚いたことだろう。ルディアたちにとっても魔獣の事情はなかなかに衝撃的だった。

 アンバーは数ヶ月前まで山奥の辺鄙な村に住んでいたという。夫に先立たれ、財産を使い果たし、子供と一緒に途方に暮れたそうだ。金を作るために産鉄地である村の技術を売ろうとしたのがばれたらしい。放られた牢獄で国外出身の彼女は死刑を宣告された。その数日後、身柄を引き取りに来たのがロバータの夫だったという。

 理由は不明だが、伯爵はアクアレイア出身の死刑囚を特に集めて回っていたそうだ。「実験に協力すれば死刑は免じてやろう」と唆され、頷くや否や水槽に沈められたと彼女は話した。溺れて意識を失った後、気がつけば上半身は若い女、下半身は巨大な鳥の姿になっていたのだと。


「夫人は一切口を割ろうとしません。どうか我々に代わって尋問していただけませんか? その後はご指示に従います」

「ああ、いいとも」


 アルフレッドの要望にチャドは快く頷いた。彼に会うのは婚約を取り決めた会談以来だが、きっぱりとした性格は健在らしい。異国での新生活にやつれた様子もなく、むしろ力に溢れているほどだ。栗色の長い髪はつやつやと輝き、小柄だが均整の取れた肉体は自信に満ちている。


(この腕が私を抱いたのか……)


 知らず知らずのうちにルディアの目つきは険しくなった。

 結婚に不満がなかったと言えば嘘になる。だが自分で選んだ道だからこそ、自分の力で難事を克服したかった。ブルーノ・ブルータスはそんな決意に水を差したのだ。

 やはりどうあってもあの男だけは許せない。奴の身体にも同じだけの苦痛と恥辱を与えてやらねば。


(クックック……私もこの身体で処女を散らしてくれようか。アルフレッドとレイモンド、相手はどちらにしてやろうかな? ブルーノ・ブルータス、覚悟しておけ! 必ず貴様に倍の絶望を味わわせてやるぞ!)


 固く拳を握りしめ、暗い情熱にたぎる心を抑えつける。ワッと騒がしい声が響いてきたのはそのときだった。


「ん? なんだ?」


 ルディアは窓辺から浜通りに目を向ける。

 外は夕暮れ。広場の市は片付いている時間だし、そもそも今日は市の日ではない。だというのにニンフィの街はアクアレイア人居留区に声が届くほど騒然となっていた。一体どうしたのだろう。またあの不埒な聖預言者がご高説でも広めてくれているのだろうか。


「た、大変ですうう! ロバータ・オールドリッチの死体が広場にー!」


 ノックもなしに雑居部屋の扉が開け放たれる。青ざめきったバジルの手には彼お手製の望遠鏡が握られていた。


「……は?」


 突拍子もない報告にルディアたちは目を点にする。

 これがのちにニンフィの伝説として残る、伯爵夫人殺害事件であった。




 ******




 担架に乗せられた亡骸が広場の小さな聖堂に運ばれていくさまを、防衛隊の面々は呆然と眺めていた。

 第一発見者のマルゴー兵によれば、遺体は夫人の別荘ではなく無残に山中に打ち捨てられていたそうである。例のごとくハイランバオスにたかった漁民は防衛隊を不審げに見つめ、ひそひそと囁き合っていた。その他の住民や兵士の眼差しも今日は一段と厳しい。状況証拠すらないのにアクアレイア人への反感だけで疑われているらしい。

 早々に広場を退散するとルディアたちはモモとアンバーのもとへと急いだ。伯爵夫人は彼女たちに見張らせていたのだ。最悪の事態も考えられた。







「ごめん。モモってば油断してたみたい……」


 いつになくしょんぼりした少女は魔獣と一緒に屋敷へと通じる洞窟に隠れていた。アンバー曰く、敷地内の巡回から戻ってきたらモモが気を失っていて、ロバータはいなくなっていたらしい。


「お屋敷を探そうかとも思ったんだけど、なんだか嫌な予感がして。私たちが館を離れた直後だったわ、マルゴー兵がわらわらやって来たのは。もう少しで殺人犯にされるところだったのね」

「あーん! チャド王子になんてお詫びすればいいのお!?」


 ロバータ・オールドリッチを利用して宮廷に近づくルディアの計画は完全に頓挫したらしかった。否、それどころか袋小路に追い込まれかけている。伯爵夫人を連れ去った何者かが敢えてモモを生かした理由は明らかだった。


「現場で連行されなかったのは偉いが真犯人が見つからなければ同じことだぞ。アクアレイア人はニンフィの連中にすこぶる評判が悪いんだ。我々があの女の館を訪ねるところを見たとか言い出す馬鹿が現れて、裁判にでもかけられたらおしまいだ」

「え、ええーっ!?」

「お、俺もマルゴーの司法機関は田舎へ行くほどザルだと聞いた覚えが……」

「モモ、襲撃者の顔は見ていないんですか!?」

「う、後ろから襲われたからー!」


 詰んでいる。今夜こそロバータに一連の悪事の理由を吐かせるつもりだったのに、こんな事態になるなんて。

 いかに王女直属部隊でもマルゴーで揉め事を起こしたとなれば政府も庇ってくれはしまい。寧ろ問題を最小限に留めるべく「どうぞボコボコにしてやってください」と防衛隊を差し出すはずだ。外交とはそういうものだ。


「真犯人が出てくればいいの?」


 尋ねたのはアンバーだった。落ち込むモモをよしよしと慰めてやりながら、強い瞳で彼女はルディアを見つめてくる。


「それだけでは駄目だ。防衛隊には一片たりとも嫌疑がかけられてはいけない」

「そう。あなたたちとロバータは無関係だと思わせられればいいわけね」

「何か策があるのか?」


 魔獣は長いポニーテールを払い、勇ましく微笑んだ。「捨てておいて」と下女の服を放り、ぎゅっとモモの手を握る。


「せっかく仲良くなれそうだったんだけどなあ」


 その後の彼女の行動は早かった。アンバーはすっくと立ち上がり、ルディアたちの把握している出入り口とは別の穴から飛び出していった。

 ややもせず怒号と悲鳴が巻き起こる。その声に慌てて外へ走り出した。


「あ、あれはなんだ!? あのでかいのは!」


 駆けつけたニンフィの街は更なる恐怖のどん底に突き落とされていた。夕闇の逢魔が時、血のごとき赤い空の下、前触れもなく小聖堂に降り立った怪鳥を見上げて。


「悪魔に生贄を捧げた女、ロバータ・オールドリッチ! 約束通り、貴様の魂を貰い受けに来たぞ!」


 広場に轟き渡る大仰な台詞でアンバーがひと芝居打ってくれているのはすぐ知れた。誰がロバータを殺したか短時間で解明するのは不可能だから、せめて防衛隊が濡れ衣を着せられぬようにと。

 確かに彼女の見てくれを我々と直結させて考える者はいないだろう。隊員の中に魔獣を庇う誰かでもいない限り。


「うわああッ! 化け物だ!」

「何をやってる! 戦え! 伯爵夫人の遺体を奪われただろうが!」


 骸を掴んで小聖堂を脱したアンバーはそのまま海へと走り去った。兵士たちを撒きやすい山のほうへ逃げればいいのに、わざと捕まるつもりでいるのだ。


「追え! 追えー!」

「絶対に殺せ! 街にどんな災いをもたらすかわからんぞ!」


 血相変えたマルゴー兵らと止める間もなく駆け出したモモを追う。もし彼女がアンバーを救おうとしたら全力で阻止しなければならなかった。でなければ部隊の安全が確保されないし、アンバーの挺身も無駄になる。それこそ最悪の事態だった。


「――……」


 だが結局、ルディアの心配は杞憂に終わった。

 潮風に入り混じる血の臭い、安堵の笑みをこぼす兵士の姿に足を止める。

 何本もの槍で貫かれたアンバーはぴくりとも動かなくなっていた。血まみれの桟橋を遠巻きに見つめ、後味の悪さに胸を悪くする。


「わかってるよ」


 モモが斧を振り上げないよう後ろから肩を掴んだら、硬い声が返ってきた。ともすれば感情のまま叫びそうになるのを必死で堪えている声が。


「わかってるよぉ……」





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