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第3章 その6

 弓を引き絞る腕は活力に満ちていた。敵兵の叫び声も今の己には勇壮な音楽にしか聴こえない。それもそのはず、獲得は困難だと思っていたアクアレイア国籍が向こうから転がり込んできたのだから。

 口にはしないがドナ・ヴラシィ様々だ。おかげでこれからは堂々とチャド・ドムス・レーギア・アクアレイアを名乗れる。

 一体誰が浮かれずにじっとしていられるだろう? 愛情でしか妻を支えられなかった立場から一気に大躍進だ。

 戦いが終わったら忙しくなるぞ。まず海軍に入門し、海の基本を学ばねば。アクアレイアは商業国だから簿記を嗜む必要もある。その次は一般的な貴族と同様、警察組織で王国の内実に触れよう。修業期間が終わったらいよいよ政界に参戦だ。大評議会に席を持ち、ゆくゆくは元老院議員となり、十人委員会に選ばれるまで上り詰めるのだ。愛しい妻を側でサポートするために。


「そういうわけだ! すまないがアクアレイアは諦めてくれ!」


 浜辺に面した小砦の胸壁からチャドは次々矢を放つ。今日はまるで弓と己が一体化した気分だった。

 チャドの射る矢があまりによく当たるので、隣のドブが面白がってどんどん新しい矢を渡してくる。クロスボウよりも貫通力の劣るのがロングボウの難点だが、甲冑で身を固めているわけではないドナ・ヴラシィの水兵たちには十分な威力だった。


「すげーや王子様! アクアレイア兵もクロスボウなんかやめて、射程の長いロングボウに持ち替えりゃいいのに!」

「いやいや、長弓は自分で矢の位置や弦の引きを細かく調整しないといけないからね。万人向けの弩と違って一人前になるまでに酷く時間がかかるのだ」


 臨機応変さが求められる狩人にはロングボウが、一定水準の戦力を保つことが重要な水兵にはクロスボウが合理的だと教えてやると少年はふむふむ頷く。暇に飽かして鍛錬に励んでいて本当に良かった。やはり人間は身体が資本だ。


「あっちの矢はこの砦まで届かないし、今日のヒーローはチャド王子で決まりですね!」

「よせよせ、褒めても何も出ないぞ」


 絶好調のチャドの笑いが止まったのはその直後だ。長弓の素早い連射を無視できなくなった敵船が進路を変えて外海に出たのだ。今までは王国湾内の海軍か浜辺の傭兵を相手にするだけで砦は――というか砲台は――避けていたのに、一方的にやられすぎて頭に血が上ったらしい。


「守りの薄い本島側の海門へ向かうつもりかもしれん!」


 チャドは砦の東を通過せんとする敵船に矢を射かけた。砲兵たちも大慌てで点火準備をする。だがそれがいけなかった。

 ドン、ドン、と心臓に響く轟音を奏で、真鍮の砲台は見る間に真っ赤に膨れ上がった。弾はきちんと発射されたが火薬の燃焼と内部の摩擦とで急激に熱を持ったせいだ。

 柔らかくなった金属は圧力でたやすく歪む。自重にぐにゃりと傾いて、砲身は固定されていた台座から転がり落ちた。


「えっ」


 チャドは細い糸目を瞠る。見上げたときには巨大で凶悪な円筒が目と鼻の先に迫っていた。

 割り込んできた小柄な人影が突き飛ばしてくれなければ、多分命はなかっただろう。




 ******




「大変ですうう! チャド様が、チャド様がお怪我をーッ!」


 血相を変えたジャクリーンがルディアの寝所に駆け込んできたのは年の瀬の迫る十二月二十九日、午後三時を回ってすぐのことだった。

 各々武器の手入れをしたり、兵法の本を読んだり、落ち着いた雰囲気だった室内がにわかにどよめく。ルディアがさっと安楽椅子のブルーノに目をやると王女代理は身を凍らせて聞き返した。


「け、け、怪我って……!?」

「あの、その、衛生兵が言うには砲台の下敷きになったとかで……! 今から担架で宮殿に運び入れるそうです!」

「しっ、下敷き!?」


 ブルーノは呆然と青ざめる。伝えた侍女も半泣きだ。ジャクリーンは詳細を聞き及んでいないらしく、大急ぎでブルーノを支え起こして「ひとまず中庭で待ちましょう。あそこを通るのは間違いないですから」と告げた。


「え、ええ」


 よろけながらもブルーノは安楽椅子から立ち上がる。大きな腹に手を添えることも忘れて彼は不安げに歩き出した。二人の守りを固める形でルディアたち防衛隊も石造りの内苑に向かう。

 中庭を囲む柱廊まで辿り着くと、ちょうど負傷者を乗せた担架と付き添い人がレーギア宮に入ってくるところだった。どたばたと騒々しい足音に我知らず息を飲む。


「おい! そーっと運べよ! そーっと丁寧に急ぐんだぞ!」

「グレッグさん、軍医の私が責任を持って処置しますから落ち着いてください」


 たしなめられているのは傭兵団長のグレッグだ。チャドを乗せた担架の傍らには医学の権威ストーン家の長子ディランが張りついている。

 怪我人は毛布をかけられており、遠目には容態がわからなかった。とにかく安否を確かめようとルディアは歩を速めて近づく。しかし貴公子のもとへ先着したのは青い矢となって駆け抜けた身代わり王女のほうだった。


「だ、大丈夫なんですか!? 命に関わる傷ですか!?」


 ブルーノは長い髪を振り乱し、鬼気迫る様子で問う。答えたのはチャド本人だ。「ああ、大したことはない」と存外元気そうな声が響いてほっとした。


「皆して騒ぎすぎで困ったよ。ドブのおかげで私はこうして潰されずに済んだのに。跳ねた砲台を押さえようとして火傷はしたが、ご覧の通りだ」


 山国育ちの王子はブランケットを捲って己の無事を示した。砲台の下敷きになったのはドブという少年のほうで、そちらも足の甲を折っただけで済んだということである。


「よ、良かった……」


 ブルーノは安堵に目を潤ませた。細君がポロポロ泣き出したのを見てチャドはぎょっと細い目を剥く。


「ル、ルディア? どうして泣いて……」

「……ッ! もっと気をつけてくださらないと困ります! あ、あなたは姫にとって大切な夫なんですよ!? わかっているんですか!?」

「えっ!?」

「今回は軽傷だったみたいですけど、も、もしもあなたに何かあったらお腹の子供だって……ッ!」

「ちょ、ちょっと待ってくれ。ルディア、今なんと言った? さっきの言葉をもう一度……」

「あなたは姫にとってかけがえのない伴侶なんです! だから戦場で怪我などしないでくださいと言ったんですよ!」


 広々とした中庭は絶叫をよく響かせた。自分が何を言っているか、おそらくブルーノは無自覚だろう。

 ルディアはふうと嘆息する。最近のストレス過多と本物の王女への気遣いが錯乱の原因に違いないが、これではただのおしどり夫婦ではないか。


「ル、ルディア……? 私のことをそんな風に……!?」


 ほら見ろ、感動のあまりチャドまで泣き出した。ますます立場を戻した後が面倒になるぞ。女王になったら純情可憐な乙女から堅実な賢母に印象を変えていこうと思っていたのに、まったくどうしてくれるのだ。


「あのー、そろそろ担架動かして構いません?」


 と、ディランが貰い泣き中のグレッグを押しのけて問いかけた。「あっ、ご、ごめんなさい」と慌てて立ち退いたブルーノに軍医はフフッと楽しげな笑みを漏らす。


「いやあ、政略結婚政略結婚と言われているからどんなご夫妻なのかと思っていたら……。いやいや、王国湾が沸騰しちゃいそうですね!」


 含みのある台詞にうっとルディアは息を詰めた。ディラン経由でユリシーズにこの一幕が伝わるのは明らかだ。

 そんなこととは露知らず、名残惜しげにチャドは奥方に手を振った。

 衛生兵の一団が宮殿奥へと消えていくと皆一様に胸を撫で下ろす。


「よ、良かったです。私てっきりチャド様がぺしゃんこになったのかと……! 不用意に大騒ぎして申し訳ありませんでした」


 侍女の謝罪にブルーノが首を振る。こちらも力の抜けた様子だ。


「気にしないで、ジャクリーン。いつも真っ先に知らせてくれるから助かって――」


 と、話の途中でかくんとブルーノの膝が折れた。彼はその場に脱力しきって座り込む。

 完全に消耗しすぎだ。ルディアはそっと「王女」の前に跪き、己の手を差し出した。――すると。


「えっ……!?」

「なっ……!?」


 二人同時に声を上げる。ブルーノの妊婦用ドレスを濡らし、見る間に広がる透明な液体に驚いて。それを見たジャクリーンはまたも絶叫を轟かせた。


「キャーーーッ! ひ、姫様が破水を! だ、誰か産婆をーーーーーッ!」


 お産の支度はドタバタと始まった。宮殿のどこにこれだけ隠れていたのかと目を瞠るほど大勢の女官が一斉に駆けつけてくる。「寝室へお運びして!」との指示のままルディアは己の身体を抱え上げた。その間もブルーノの股から羊水は滴り続ける。


「ひっ、ひぃぃ! ももも、もしかしてもう生まれてくる? もう?」

「陣痛が始まるまでまだ少し間があるはずです! 姫様、ジャクリーンが側についておりますから、一緒に頑張りましょうね!」


 可憐な侍女に手を握られてもブルーノはまったく嬉しそうではない。寝所に戻り、大急ぎで分娩用に整えられた寝台に彼を下ろすと「皆様は別室でお待ちください!」と即座に部屋から追い出された。


「…………っ」


 続きの間でルディアはただただ硬直する。

 人体からあんな生臭い液体が出てくるなんて知らなかった。もしかして普通は皆そうなのだろうか? あんな風に急に産気づくものなのか?

 今になってルディアは己の出産知識の乏しさに気づいた。何もかも代理母に任せきりだったから本当に何もわからない。妊婦は相当痛い思いをするということしか。


「お、おい、破水というのはしても大丈夫なものなのか?」

「大丈夫だよ。水が出るのはただの前兆現象だし」


 モモの返事にほっとする。だがルディアの平常心はあまり長くもたなかった。

 慌ただしく水桶や布を運び入れる小間使いたち。イーグレットや十人委員会の面々も浮き足立って見舞いに現れる。


「は、始まったか!」


 寝室のドアの真横に陣取って聞き耳を立てていた父がお産の開始を告げた。ややあって隣室からはこの世のものとは思えぬ呻きが漏れてくる。


「おい、初っ端から苦しそうだぞ!?」

「だって姫様初産だもん。ブルーノ、もしかして子供が生まれるとこ見たことないの?」

「な、ない」

「なるほどねー。モモは何度かご近所さんのお手伝いしたからー」

「手伝ったのか!? すごいな!?」


 冷静はもはや遥か過去の遺物だった。ルディアははらはらおろおろと隣室の様子を窺う。


「いや、そこまでびびらなくたって……」


 弟妹の出産の様子を覚えているレイモンドやアルフレッドも落ち着いたものだった。一人っ子のバジルだけは部屋の隅で怯えていたが。


「どれくらいかかるんだ? 一時間か? 二時間か?」

「そんなすぐには終わらないよ。長いときは丸一日かかっちゃうし」

「丸一日!? 激痛なんだろう!?」

「半日かからない人もいるって言うけど、普通一晩は踏ん張るんじゃない?」

「ひ、一晩!?」


 まだ夕刻の鐘も鳴っていないのに、とルディアは一人愕然とする。

 思わずその場に膝をつき、胸の前で五芒星を切って波の乙女に祈りを捧げた。どうか母子ともに健康でありますようにと。


「なんかお前のほうが夫みたくなってるぞ」


 レイモンドのつっこみは右から左へ抜けていく。ブルーノに何かあれば戻る器がなくなるのだから必死になって当然だ。

 その後すぐ治療を終えたチャドも合流し、ルディアと同じく室内を右往左往し始めた。その晩はドナ・ヴラシィ軍から攻撃を受けていることなどすっかり頭から消し飛んでいた。




 ******




 同じ頃、ガレー船に戻ったディランに「ルディア姫のお産が始まったみたいですよ」と聞かされたユリシーズも静かな衝撃に震えていた。

 なんやかんやで腹の大きな彼女とはまだ会っていなかったのだ。ルディアがチャドの子を妊娠している実感は芽生えていないままだった。

 そうか……そうか……、と何がそうなのかもわからずに遠くを見やる。敵船の去った海はどこまでも静かだった。

 外海からの反撃を試みた例の船は、味方に「止まれ」の手旗を出されて結局クルージャ砦に引き返していた。後はいつもの消化試合。あらかたの矢を使い尽くすと戦闘は終わり、敵が引いて潮も引いた。

 今はただ赤と黒の夕闇だけが王国湾を包んでいた。

 ユリシーズに話しかけてくる勇者はいなかった。

 男が生まれても女が生まれても継承権は第一位、いずれ王国を継ぐだろう。彼女の子供ならきっと美しい容貌をしている。あの男の糸目が遺伝していたら好きになれる自信はないが。


(待て待て、なぜ連れ子になる前提で想像を巡らせている?)


 ユリシーズはかぶりを振った。自分らしくもなく混乱しているようである。とっくに終わった恋だというのに。

 こうして海軍に復帰できた今、ルディアに未練を残すべきではない。きっと自分は王家の敵に回るのだから。

 手っ取り早く権力を得るには大きな武力を掌握するのが一番である。海軍をリリエンソール家の手中に収め、次はグレディ家のほうから擦り寄らせてやる。そうしてゆくゆくは己こそがアクアレイアで最も尊い存在になるのだ。

 ふんとユリシーズは前髪を掻き上げた。余計な雑念を振り払うように。

 最後に笑うのはルディアではない。このユリシーズ・リリエンソールなのだ。




 ******




 アンディーン神殿で行われた安産の祈祷は北東から厚い雪雲を呼び寄せた。普段なら嘆かれる吹雪も戦時の今は休息と同義である。おかげでルディアたちは敵の不意打ちを恐れることなくブルーノの心身を案じられた。

 苦悶の声は夜通し途切れることはなかった。「痛い痛い!」「もう無理です!」と悲鳴が上がるたびチャドは扉越しに「頑張れ! 頑張れ!」と声援を送り、ルディアはモモに「今のは一般的な妊婦と比べてどうなんだ!?」と確認した。途中から完全に面倒がられていたのは言うまでもない。

 外では雪が降り積もっていたのに寒さを感じる余裕もなかった。明け方近くにオギャアと元気な産声が響き、やっと待つだけの時間が終わって――。


「ルディア! 生まれたのだね!?」


 最初に扉を開いたのはチャドである。防衛隊の面々も王子とイーグレットに続く。

 天蓋付きの寝台ではブルーノがぐったり横たわっていた。産湯に浸けられた小さな赤子は呼び名の通り本当に真っ赤で、顔面は子猿そっくりだった。


「愛らしい姫君ですよ。陛下、チャド様」


 一晩中手伝いに奔走していたジャクリーンが笑顔で涙ぐむ。チャドは伴侶の奮闘を心から称賛し、イーグレットは孫の誕生を喜んだ。産婆や女官も次々と祝福を述べる。


「……抱いてあげてください。あの、皆、順番に」


 息も絶え絶えのくせにブルーノはルディアへの心配りを忘れなかった。早く我が子に触れたいなど、こちらにはまだ考えるゆとりもなかったのに。

 初めにジャクリーンが産着を着せて、次にチャドが両腕に抱える。生まれたばかりの小さな小さな生命は力いっぱい泣き続けた。

 チャドはしばらく感無量といった様子で唇を噛みしめ、赤子をそっと義父に預けた。イーグレットも祖父らしく慈愛に満ちた眼差しを注ぐ。

「王女ルディア」の生まれた十八年前もこんな風だったのだろうか。


「君たちも一緒に祝ってくれ」


 振り返った父と目が合う。続いて泣きじゃくる女児を託されたのはルディアだった。


「首が据わる前だからしっかり支えてあげてね」


 モモの助言に従って温かく柔らかい生き物を恐る恐る抱き上げる。


「――」


 その瞬間、ルディアの中でたちまち何かが溶け出した。

 溢れた感情は胸から喉へ、喉から鼻へと突き上がり、やがて両の目から零れ落ちる。

 泣いていた。涙は音もなく頬を伝った。

 理由さえ知れぬまま、未熟な命の温もりを感じて。


「し、失礼!」


 慌ててルディアはモモとバトンタッチする。温もりから離れても涙は一向に止まらなかった。


「……っ」


 自分でも理解しがたくて逃げるようにその場を退く。寝室を飛び出したとき「すみません! あの、彼ちょっと感激屋なんです!」とバジルの下手くそなフォローが聞こえた。

 ルディアは走った。涙が尽きて乾くまで。人前で泣いたことなど一度だってなかったからすっかり気が動転していた。

 わからない。わからない。どうして子供を抱いただけで――。

 続きの間も召使いの行き来する通路も駆け抜けて中庭へとひた走る。柱廊に出たルディアの足を止めたのは耳慣れた騎士の声だった。


「――いい加減止まれ! 少し落ち着け!」


 強い手に腕を掴まれて現実に引き戻される。

 全力で追ってきたらしいアルフレッドはぜえぜえと息切れしていた。呼吸も整わないうちに騎士はハンカチを取り出してルディアの目元に押しつける。


「アルフレッド……」


 声はまだ呆然としていた。されるがままに涙を拭かれ、やっと少しずつ理性が回復する。

 肺に吸い込んだ空気が冷たい。辺りはまだ薄暗い。

 見上げれば騎士の肩越しに夜を払う曙の光が映った。紺碧を塗り替えていく赤い光が。


「安心しすぎて気が緩んだんだろうが……まったく、こっちは肝が冷えたぞ」

「安心? 安心しすぎると涙が出るのか?」

「そうじゃなかったらなんの涙だ」


 騎士は少々呆れ気味だった。だが怒っているのではなさそうだ。

 戻ろうと促されるが動けない。膝に力が入らなかった。


「待て。それでは辻褄が合わないではないか。安堵で涙するのなら母体の無事を確認した時点で私は泣いていたはずだ。その理屈は間違っている」

「いや、だから子供が五体満足なのを確かめて泣いたんだろう? これからは自分一人で王国を背負わなくても良くなったから」


 目から鱗が落ちるとはこのことだ。アルフレッドの言葉はあまりにすとんと腑に落ちた。

 ああそうか、そうだったのかと瞠目する。


「自分が倒れても志を継いでくれる誰かがいる。そう考えれば気が楽になる。俺も弟妹の存在に救われてきたからよくわかるよ」


 ひとりぼっちではハートフィールドの汚名は多分重かった。アルフレッドはそう付け加えた。

 このときルディアは初めて己と彼に共通するものに気がついた。ルディアもずっと王家の汚名をそそごうと力を尽くして生きてきたのだ。自分の力だけを頼りにして。


「――……」


 いつも感じていた孤独は、今はっきりと薄らいでいた。

 名もなき小さなプリンセスがルディアに光明を与えてくれた。寄生虫の偽者などではない、アクアレイアの正統なるプリンセスが。

 ああこれで、父の娘に成り代わってしまった罪を少しは償えるだろうか。


「嬉しい……」


 言葉と涙は同時に溢れた。嬉しい、ともう一度繰り返す。

 跡継ぎは必要と思っていたが、ほかの多くの駒と同じに考えていた。こんな眩しい希望になるとは思ってもいなかった。


「予想外だぞ、アルフレッド。一晩で自分より大切なものができるなんて」







 もう一度ハンカチを差し出そうとしてアルフレッドは手を止めた。

 触れるのをためらったのはルディアの瞳があんまり綺麗だったからだ。

 ついぞ見覚えのない柔らかな青。好戦的ですらある普段の彼女からは想像もつかない。

 見とれている事実には最後まで気づかなかった。ただ常になく激しく脈打つ己の鼓動に戸惑っていた。

 厳しく、強く、ひたむきな、尊敬すべき主君が女性であるということ。

 アルフレッドが初めてそれを意識したのはルディアが母になった日だった。

 ――騎士はまだ恋を知らない。

 己の中にそう呼ぶべき感情が生まれたことを、知る由もない。






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