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第3章 その3

 日の落ちた砂浜には大量の矢が突き刺さっていた。干潮に合わせて撤退したドナ・ヴラシィ軍は、今日はもう対岸の砦を出てきそうにない。

 自軍の装備の足しにするためにドブはゴミ矢を拾って歩く。よくよく見れば先日こちらが射たものもあり、互いに節約を心がけているのが知れた。

 グレッグ傭兵団の名前は売れているほうではあるが、それでも日々の生活は慎ましい。大所帯だし、トップがどんぶり勘定しかできないせいで財布も空になりがちだ。

 あの流されやすい人情家がよく千人部隊など組織できたものだなとドブには不思議で仕方なかった。利害というより恩義を理由に留まる者が多いからかもしれないが。


(でも普段は抜けててもさすがに戦闘はプロなんだよなー。こうやって重い剣振り回して攻撃を回避して……)


「うわっ!」


 ちょっと真似してみようとしたら砂に足を取られて派手にすっ転ぶ。ドブは慌てて散らばった矢を両手に集めた。

 誰にも見られていなかったよなとキョロキョロ周囲を確かめる。すると悲鳴を聞きつけた長髪剣士がこちらに駆けてくるのが見えた。


「どうした少年、敵襲か!?」

「わわわ、違う違う!」


 真っ赤になって否定する。ルースはなんだと整った顔を緩め、巻上げ済みの(クロスボウ)を下ろした。


「熱心に回収作業してくれるのは助かるが、気ィつけろよ? いつ襲われるかわからないんだぞ」

「う、うん。大丈夫。あいつら夜は近づいてこないし」

「何を言う! 相手の心が読めてきたと思ったときが一番危ないんだ!」

「ルースさん、それ女の人の話でしょ?」

「あ、ばれてた?」


 悪びれもせず剣士は笑う。ふうと息をつき、ドブは向かいのクルージャ岬を仰いだ。

 薄紅の残る空に存在を主張するのは要塞のシルエット。ここが初めての戦場というわけではないが、やはりゾッとする。

 普通の陸戦ではないからだろうか。アクアレイアの地形にはひと癖もふた癖もあり、特に潮の満ち引きにはしばしば困惑させられた。このグラキーレも島というより細長いビーチで民家は一軒も存在せず、人造物はごく小規模な港と石の砦くらいだった。

 砂洲はどこまでもなだらかだ。起伏に富むアルタルーペの山々と違って。


(母ちゃんはこんなとこ住んでたんだなあ)


 死刑囚として連行されていった母の顔を思い出す。生きているうちに故郷に帰してやりたかったが、いつか遺品の一つくらいこの地に埋められるだろうか。


「ときにドブ少年、ここの矢全部拾うつもりか?」


 問われてドブは頷いた。


「うん。俺まだ後方支援しかできないし」


 入団してようやく一年。剣の扱いは覚えたものの、ほかはからっきしである。

 ドナ・ヴラシィ軍はガレー船から矢を射かけてくるのが常だった。上陸してくるのは稀だから、迎え撃つには弩か弓を使うほかない。


「お前さんは真面目だねえ。それともやっぱアクアレイアで好きな子できた?」

「だからルースさんとは違うから!」

「ハハハ、でも本当にそんな力まなくたっていいんだぜ。太く短い戦いよりも細く長い戦いのほうが俺たちゃ儲かるんだからな」


 他意のない台詞にムッとした。よそはともかく、アクアレイアを金づる扱いしないでくれと言いかけてやめる。


(……ったくもう! 今更『半分アクアレイア人です』なんて言い出しにくいったらねえよ!)


 傭兵の身ではいつどこの勢力と敵対するかわからない。仮にアクアレイアとそうなったとき、裏切りを心配されるのはごめんだった。

 マルゴー人だらけの集団に属する間は自分もマルゴー人だと思われておいたほうが絶対にいい。グレッグがアクアレイア人を嫌ってさえいなければ最初に打ち明けられていただろうが。


(今じゃあのオッサン、地元の連中と一緒に酒まで飲んでやがるもんな。悪気はないし、妙な偏見で嫌われっぱなしよりかいいけど、ほんとすぐ自分の意見変えちまうんだから……)


「どうした少年? 顔が怖いぞ?」

「い、いや、なんでもない」

「俺も一緒に拾ってやるからさっさと片付けちまおうぜ。今のとこ向こうさんが大々的に切り込んでくる様子はないが、用心するに越したこたない。あんま一人でウロウロすんな」

「うん、ありがとうルースさん。やっぱルースさんは頼りに……」

「と、意中の女の子にはこんな感じで頼もしさをアピールするんだぞ?」

「結局そこに持ってくのかよ!」


 白い浜辺は日中の交戦など忘れたように波の音と剣士の笑い声を響かせる。海岸清掃に戻ったドブは次々とルースにゴミ矢を投げて渡した。


(明後日あたり、また敵兵の装備に逆戻りしてんだろうなあ、これ)


 一体いつまでこんな小競り合いが続くのだろうか。長引けば不利になるのはアクアレイアだ。母がいつも慕わしげに語ってくれた海の国。

 敵の拠点は目と鼻の先なのに、戦力不足で手出しできないなんてじれったい。どうせならモテテクではなく勝つ方法が知りたかった。




 ******




 下弦の月に照らされた海面の微妙な揺らめきをグラキーレ砦のどっしりした石造りの主塔から見下ろす。

 舳先を敵陣クルージャに向け、警戒を強めているのは王国海軍のガレー船だ。この寒いのに、あるかもしれない夜襲に備えて彼らは寝ずの番を務めている。その指揮官である元囚人の顔を浮かべ、チャド・ドムス・ドゥクス・マルゴーはふうと小さく息をついた。


「ねえ王子ー、見張りなんかいいんで暖取ってくださいよー」


 同じく主塔の頂に立ち、頭から毛布を被ったグレッグに「新婚なんでしょ? 奥さんのとこ帰らなくていいんすか?」と苦言を呈される。相変わらずの忌憚のなさに柔らかく笑みを零しつつ、チャドは首を横に振った。


「二日に一度は顔を出しているよ。もう出産も間近だしね」

「へえ、おめでたいじゃないっすか」


 だったらなおさら早く帰って安全を確保してくれと言いたげな彼にチャドは小さく肩をすくめる。


「ところが彼女は私といるとストレスが溜まるようなのだ」


 突然の打ち明け話にグレッグは「えっ」と目を丸くした。


「ストレスが溜まるって、チャド王子相手にそんなまさか」

「残念だが本当だ。だからこうして前線で頑張っていたほうが彼女のためにもいいかと思ってね。海軍にも大評議会にも入れない他国人の私がアクアレイアに貢献できる数少ないチャンスだし」

「チャ、チャド王子……」


 おずおずと気遣い気味に横から顔を覗き込まれ、視線を王国湾に戻す。

 同郷の友人と思うとつい口が軽くなっていけない。「皆には言うなよ」と釘を刺せばグレッグは硬直気味に頷いた。


「妻と不仲なわけではない。しかし少々事情が複雑でな。……ほら、あそこに一隻ガレー船が停まっているだろう? あれに私の恋敵が乗っている」


 チャドは停泊中の軍船を指差した。指揮官席に座る騎士の名はユリシーズ・リリエンソール。つい先日まで反逆罪で牢に入れられていた男だ。

 ルディアの心はまだ彼に囚われているのかも。そう考えると堪らなくなる。だからと言って伴侶を非難するつもりは毛頭ないけれど。


「つまらぬ意地だよ。私だけ宮殿に引っ込んでおれんではないか」

「お、王子……! そんじゃまさか王子は奥さんに片想いを……!?」

「そんなところだ。ああ、言っておくがルディアは不貞を働いてなどいないぞ。ユリシーズ大尉も以前婚約者だったというだけだ」


 人の話に感化されやすいグレッグは壮健な肩をわなわなと震わせた。「チャド王子ほどの方を差し置いて昔の男が忘れられねえとは……!」と強く拳を握りしめる。


「俺は王子を応援しますよ! 大尉だかなんだか知りやせんが、あの野郎よりでかい戦果を上げてやろうじゃありませんか!」

「えっ? いや、別に私は優劣を競いたいのでは」

「違うんすか!?」

「……違わないかもしれないな。だが少しでもルディアの役に立てればそれでいいのだ。まったく、ここまで私を虜にした女性はいないぞ。彼女のためなら命さえ惜しくないのだからな」


 嘆息とともに愛を吐く。奉仕がこれほど大きな喜びになるとは夢にも思っていなかった。まだほとんど、怯えた顔しか見せてくれないのが切ないが。


「お、王子! なんつう立派な騎士におなりで……! あのタヌキ公爵の息子とは思えませんぜ!」

「こらこら、父上の悪口はよせ」


 感極まったグレッグをたしなめる。身内のことを貶されるのは好かないが、この傭兵は父本人を前にしても正直の美徳を損なわないから天晴だ。いかにも素朴なあの山国の人間らしい。


「っとすんません。けど惚れた女のためとは言え無茶はしないでくださいよ? いくら敵の攻撃が威嚇の域を出ないっても、当たりゃ大怪我するんすからね」

「うむ。しかしドナとヴラシィの者たちはなかなか冷静だな。この戦力差なら一気に畳みかけたくなってもおかしくないのに、よく我慢している。あちらの司令官は兵の一人一人を大切にしているようだ」

「ええ、俺も同感です。切り合いになりゃ敵も味方もばたばた死ぬ。しょうもない小競り合いで均衡を保ちつつ飢えさせて、自分らは無傷で生き残ろうって腹なんでしょう」

「やはりか。彼らを潟に誘い出す手があればいいのだがな……」

「うーん、そいつは難しそうっすねえ」


 冷たい夜風に冴えた頭でも名案は浮かばない。このままでは緩慢な死を待つのみだとわかっているのに。


「俺はまだ一ヶ月、下手すりゃ二ヶ月は矢の取り換えっこが続くと踏んでますよ。王子もその後の身の振り方は考えておくべきです」


 百戦錬磨の戦士の顔でグレッグが言った。

 背後にジーアン帝国が控えている以上、アクアレイアの降参は有り得ない。勝敗が決したとき、ルディアに危険が迫るようであれば――。


「……覚悟ならしているさ。時代を問わず、身を滅ぼしてこそ愛は本物と証明されるのだから」


 月明かりにわずかな光を反射させる波のうねりを睨みつつ答える。チャドの声は砦の冷たい石壁の隙間にすうっと吸い込まれていった。





 グレッグの推測した通り、事態は平行線のままそれから半月余りが過ぎた。死傷者の少なさは不気味なほどで、大きな嵐の直前のようだ。

 国庫の食糧は徐々に乏しくなっていった。国の体力が削ぎ落されていく様をまざまざと見せつけるように。





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