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第1章 その4

「ふおおお……っ!」


 吹き抜けの天井に吊り下げられたシャンデリア、白壁を覆うオペラカーテン、絵画に彫刻、金のかかった調度品の数々が防衛隊をぐるりと囲む。

 ルディアたちが通されたのは舞踏会でも開けそうな豪華絢爛の大広間だった。可哀想に、こういった場に不慣れな庶民たちはすっかり腰が引けている。


「す、すげーな。さすがは伯爵様の屋敷だぜ。盗人もこっち狙えっつーの」

「ひええ……! 僕らの装備よりずっとお高そうな甲冑が飾ってありますよぉ……!」

「おいバジル、あんま近づくな! 振動で倒れたらどうすんだ!?」


 レイモンドの忠告にバジルがヒャアッと震え上がる。それくらいで倒れるかとルディアは大いに溜め息をついた。確かにここに並んでいるのは彼らの手に届かない高級品ばかりだが、貴族の趣味として洗練されているとは言えない。甲冑は壮麗さより武骨さが目立ち、幻獣をかたどった像はどれもくどかった。シャンデリアの黄金も輝きすぎてけばけばしく、館の主人の気質が知れる。

 唯一褒めて良さそうなのは敷き詰められた毛氈で、落ち着いたワインレッドが生まれ育った王宮を思い起こさせた。夜会の日、そこで踊った男のことを。


(ユリシーズ……)


 そっと手を取ってくるときのはにかんだ笑みと先日の強張った横顔が脳内で入り混じる。元恋人を頼れないことに落胆を覚え、再び嘆息しかけたところに扉の開く音が響いた。先程の下女に伴われ、ロバータ・オールドリッチが広間へと入ってきたのだ。


「!」


 白髪でしわくちゃの老婆はさっき裏門に立っていたのと同じ人物であった。警戒を強めつつルディアはさっと背筋を正す。何はともあれ挨拶をと思ったら老婦人は防衛隊を頭から無視して召使いに問いかけた。


「アンバーや、では間違いなくこの者たちに見られたと言うんじゃな?」

「はい、奥様。例の洞窟から出てきたところを私がしかと」

「始末の仕方はおいおい考える。蹴散らしておしまい!」


 不穏なやりとりに眉根を寄せる。その直後、アンバーと呼ばれた下女が正体を現した。己の目で見たのでなければ到底信じられないような正体を。


「なっ……!?」


 女は爪先まで覆う長い厚手のスカートを掴む。そのまま彼女はエプロンごと下女の衣装を取り払った。突然のストリップに目を剥いたのは男どもだ。品行正しく顔を背けた三人は強烈な先制攻撃を食らう羽目になった。


「はあッ!」


 掛け声とともに琥珀色の巨大な「何か」がぶつかってくる。横っ跳びにそれをかわし、ルディアは体勢を立て直した。


「なっ……!? な、なんっ……!?」


 想定外すぎる事態に瞠目する。眼前に立つ女のあまりの異形ぶりに。


「何あれ!? ケンタウルス!?」

「違う、あれは……!」


 モモの叫びにどうにかルディアは首を振った。

 アンバーの下半身は確かに人間のそれではなかったが、馬というには羽毛に包まれすぎていた。そう、それは馬ではなく、逞しい脚を持つダチョウの胴体そのものであった。


「ひっ、ひええっ」

「怪物だ!」


 蹴り飛ばされ、絨毯に伏した男どもも唖然としている。現実を受け止めきれない防衛隊を嘲笑うようにダチョウ女は一瞬で広間の奥まで駆け抜けた。


「……ッ!」


 アンバーは台座の甲冑から宝飾剣を抜き取ると、返す足で高々と跳躍する。ついでとばかりドレープたっぷりのカーテンが切り裂かれ、重量ある一枚布がアルフレッドたちに被さった。


「アル兄! レイモンド! バジル!」


 脱出しようともがく三人の醜態が獲物を踏みつけた怪物を喜ばせる。悪夢のようだがどうやら夢ではないらしい。軽やかに片足を上げた化け物がルディアたちににやりと笑いかけてくる。

 そそくさと広間を出て行った伯爵夫人は扉に鍵をかけてしまった。窓があるのは二階のみだ。三人を見殺しにするとしても脱出口はない。未だかつてない大ピンチだった。


(い、いくらなんでもこの展開は予想していなかったぞ!?)


「さあ、いいかしら。お坊ちゃん、お嬢ちゃん」


 上着も脱ぎ捨てたアンバーが冷や汗を垂らすルディアとモモに剣を構える。所作は見るからに素人だったが突進力は侮れなかった。博識な家庭教師の言が誇張でなければダチョウの最高速度は三十ノットを超えるのだ。刃が当たらずとも致命傷は免れない。


「モモ、私が撹乱する。お前は脚を狙え」


 低い声で伝えた指示にモモは「了解!」と即答した。なかなか肝の据わった少女だ。この状況で怯えるどころか薄笑いさえ浮かべている。


「どこまで頑張れるかしらね!?」


 再度アンバーは加速した。あっという間に詰められた距離にややたじろぐ。

 だがすぐにルディアは魔獣の足が鈍ったことに気がついた。おそらく彼女にとっては大広間ですら狭すぎて、トップスピードを長く保てないのだろう。


(なるほど、それなら)


 お粗末な剣を払うくらいなんでもない。ルディアとて剣術は十年選手である。気合いをこめたレイピアはたちまち宝飾剣を押し返した。


「きゃあっ!」

「こっちにもいるよー!」


 アンバーが身を反らした隙を突き、斧を振り上げたモモが突進する。女の腕には相当重い武器のはずだが、物ともせずに立ち回る彼女の姿はそこらの兵士より頼もしい。


「やだ! 危ないじゃない!」


 本気で慌てふためいてアンバーが後退した。だが冷静さを損なったわけではないようで、這い出そうとするアルフレッドたちに二枚目のカーテンを落とすのは忘れない。

 ルディアとモモは頷き合い、挟撃の形を取った。あちらは最初に主力の男を封じてやったと得意でいたかもしれないが、あいにく防衛隊最強の名を冠するのは彼女、モモ・ハートフィールドである。居留区が暴れ熊に襲われた際も、虎の狩場になった際も、勝負を決めたのは少女の繰り出した渾身の一撃だった。戦闘センスが高いうえにモモは当たるまでしつこいのだ。簡単に始末できると思ったら大間違いである。


「やだやだ! ちょっともぉーっ!」


 前後から仕掛けられる間断ない攻撃にアンバーは少しずつ翻弄され始めた。モモの打って出た隙にルディアは死角へ回り込む。突き出した剣が擦れ、茶色の羽毛が広間に散った。


「あっ!」


 今だと言いかけたそのときだ。援護に向かうルディアの脇を怪鳥に蹴られた双頭斧が飛んでいったのは。それは二階テラスで高みの見物を決め込んでいたロバータの頬を掠め、深々と壁に突き刺さった。


「……ッ、アンバー! 早くそやつらをひっ捕らえるのじゃ!」


 顔面を蒼白にして伯爵夫人が命じる。「は、はい!」と返事したアンバーは、しかし何故か仕留めやすくなったモモを狙わず、あまつさえろくに振るえない剣まで拾ってルディアに立ち向かってきた。


(なんだこの女? 自分から勝機を捨てて馬鹿なのか?)


 強靭なダチョウの肉体でぶつかれば優位に立てるのはわかっているはずだ。つい今モモに痛打を放ったところなのだから。それともほかに考えでもあるのだろうか?

 罠を疑いルディアは注意深く距離を取る。と、そこへ武器を失くしたくらいでは逃亡など考えもしない戦闘少女が飛び出した。


「ぶっ!」

「キャア! いやー!」

「捕まえた! 振り落とそうとしたって無駄だよ!」


 モモはルディアを踏み台にダチョウ女の腰に取りつく。馬乗りになられては暴れるしか術がなく、アンバーはしきりにモモを揺さぶった。だがその抵抗も続く台詞で立ち消える。


「モモ怒ってるんだから! 猛獣を街に出したらどうなるかわかってたんじゃないの!? 飼われてたなんて知らないからモモ酷いことしちゃったじゃん! 生きていける場所があるなら絶対殺さなかったのに! 飼い主なら責任持って管理してよ!」

「っ……! あ、あなた動物好きね!?」


 アンバーの双眸が一気に色めき立つ。虚をつく問いに一瞬思考が停止した。

 動物好き? それが一体どうしたというのだ?


「屋敷の地下に囚われてる獣が山ほどいるのよ。ああ、声かけて正解だったわ。解放に手を貸してくれるならロバータ様を裏切ってもいい。どう? 私の話に乗ってくれない?」


 これを聞いて引っ繰り返ったのはロバータだ。馬面を歪め、老婆は金切り声を上げた。


「う、裏切るぅ!? 何を血迷ったことをほざいておるんじゃ! お前みたいな怪物がここ以外でやっていけるはずないじゃろ! さ、さっさとその者たちを……」

「この館に私とあいつしかいないのは本当よ。動物実験をしてるから、普通の下女を雇えないの。それだけじゃない。あいつは移送してきた死刑囚を使って」

「ギャー! 馬鹿、それ以上喋るな!」


 何がなんだかわからないが、二人とも嘘をついているとは思えない口ぶりだ。隙だらけのアンバーに剣を突きつけるべきかどうか迷ってしまう。

 旗色が悪いのを察し、逃げ出そうとした老夫人にアンバーは腰の少女をぶん投げた。ピンクの人間砲弾は器用に空中大回転を決め、勢い減じず目標を踏み潰す。グエッと汚い悲鳴がしたあとテラスはしんと静まり返った。


「どうか信じて……! 私も元は普通の人間で、実験でこんな姿にされたのよ。それにマルゴーに嫁ぐまではアクアレイアに住んでいたの」


 ここでまさかの同郷か。レイピアを握ったままのルディアに魔獣はおいおいすがりついてくる。元国民と言われると王族として放置は気まずい。


「モモは信じていいよー。どうせ地下に行けば本当かどうかすぐわかるもん」


 ロバータを締め上げたモモのひと言にルディアは「だな」と剣をしまった。少女の言うことも一理ある。事実を正しく把握しなければ敵か味方か判別するのは早計だ。







 結論から言えばアンバーの言葉は真実であった。巧妙に隠された地下室には鉄檻が並び、鎖で繋がれた哀れな獣たちが劣悪な環境で縮こまっていた。

 捕らわれたロバータは開き直って「どうするつもりじゃね?」と鼻息を荒くする。


「寄せ集めの平民集団では一時保護とてままならんじゃろ。国外の貴族に手を出して無事で済むとも思えんのう」


 不安を煽る台詞にアルフレッドたちが顔を歪めた。負け犬の遠吠えなどどこ吹く風でルディアは不敵に笑い返す。「これがただの猛獣騒ぎならな」と。


「本国のチャド王子に連絡しよう。伯爵夫人の今後に関してはマルゴー上層部に任せたほうが賢明だ。おそらく内密に処理されるだろうが」

「ええーっ、折角捕まえたのに!? そんなことしたら揉み消されるかもしんねーじゃん!」

「揉み消すにしろ相応の扱いは受けるさ。ま、魔女の塔に死ぬまで幽閉というところだな」


 ぷうと頬を膨らませたレイモンドに言い聞かせる。「まあ国際問題になったら困りますもんねえ」とは冷静なバジルの言だ。


「どうやって本国に知らせるんだ?」


 アルフレッドの問いには「海軍に頼めばいい」と返した。


「ちょうどハイランバオスの周辺警護で王国の快速船が停泊している。あれの指揮官はお前の伯父だろう。『偶然にも外交上大問題となりかねない危機に遭遇したので助力を願いたい』と乞え」

「お、伯父さんにか!?」


 ルディアは「そうだ」と及び腰のアルフレッドに言い切った。

 床屋の息子ブルーノ、食堂の息子レイモンド、ガラス工の息子バジル、薬屋の兄妹アルフレッドとモモというのが防衛隊のラインナップだが、このハートフィールド家だけは他三名と一線を画している。彼らの母親はとある名家の娘なのだ。結婚により貴族ではなくなったが、実家と疎遠になったわけではない。これは使えるコネだった。


「わ、わかった。き、緊急事態だからな……」


 海軍中将ブラッドリーはアルフレッドが騎士を志すきっかけになった憧れの人物だそうである。緊張で早くも呼吸を乱す兄に「乙女じゃないんだから」と呆れてモモが肩をすくめた。

 順調に段取りを決める防衛隊とは対照的にロバータはガタガタと震え出す。悪足掻きに老婆が発した台詞はようやく安堵の息をつきかけていたアンバーを凍りつかせた。


「お、お前たち、本気でそんな悪魔と取引するつもりかね? 地獄に落ちても知らないよ!」


 この醜悪な猛獣使いがどんな風に彼女を掌握してきたか知れる呪詛だ。自分より強い者を操りたければ、その強者に「己は間違った存在だ」「この人に従わないと酷い目に遭う」と信じ込ませればいい。

 実際そう支配されてきたのだろう。アンバーは震えて何も言い返せなかった。――だが。


「大丈夫。地獄よりモモのほうが強いから」


 瞳孔全開で告げる少女に男たちはうんうん頷く。双頭斧の刃を光らされてはロバータももう口をつぐむほかなかった。


「モ、モモちゃん!」


 アンバーは大喜びで新しい主人に飛びつく。王子に急報が届くまで、夫人の別荘には彼女とモモが残ることになった。





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