第3章 その1
ハイランバオスと結託してジーアン帝国と内通していたのではないか――。そんな不名誉な疑いを持たれたルディアたち王都防衛隊が釈放されたのは拘留七日目となる十二月八日の昼過ぎだった。
まったく不毛な一週間を過ごしてしまった。グラキーレの砂洲では今も戦闘が続いているらしいのに。
(まあ十人委員会が我々を怪しみもしない愚図の集団でないだけましか)
不服を飲み込んでルディアは重い息を吐く。王女の寝室には同じく事情聴取で疲れきった面々が戻っていた。
ルディアとアルフレッドは壁に背中を預けてなんとか体裁を保っていたが、ほかは全員へとへとで柔らかな毛織の絨毯に五体を投げ出している。
この七日、ずっと暗いわ寒いわの生き地獄だったのだ。食事はおろか睡眠もろくに取らせてもらえなかったし、初冬の冷気に身体は凍えきっている。無実の彼らはさぞつらい思いをしたことだろう。
「は? お前ら尋問一回で済んだの? そんじゃ俺だけ何回も何回もしつこく同じこと聞き直されたわけ?」
と、珍しく荒れたレイモンドの声が響く。突っかかられたバジルは「えっ? い、一回だけでした……よね?」とモモと目を見合わせた。
「うん、モモは思ってたよりソフトな扱いだったよー。家庭環境とか交友関係とか普段の素行とか、お気に入りのお店まで細かく調べられててウワーッとはなったけど」
「あ、それ僕もです。いつカロさんとの関係を尋ねられるかヒヤヒヤしましたよ」
「アル兄はどうだった?」
「俺か? 俺も構えていたよりはずっと穏便に終わったな。隊の実績というか、伯父さんの威光のおかげと思うが……」
「ええーッ! なんだよそれー!」
レイモンドは眉間に深くしわを刻んで不機嫌を露わにした。顔の広い槍兵はそれだけで強く警戒されたに違いない。彼とていかがわしい賭博場や売春宿に出入りしているわけではないが、店の客や経営者とは知り合いなのだ。間諜とどこかで繋がっている、あるいは彼自身がその役目を担っていると疑われても不思議ではなかった。
「ううっ、差別だ。なんで俺だけあんなネチネチ……!」
嘆くレイモンドにルディアはふうと息をつく。連想的に己の受けた屈辱的な尋問を思い返してげんなりした。この様子だと深夜未明から早朝にかけて海水の入り込む最悪の半地下牢に入れられたのはルディアとレイモンドだけだったようだ。
「安心しろ、私の取り調べも嫌になるくらい入念だったよ。何せ姉が姉だからな」
言外にアイリーンがジーアンの駒と見なされている事実を匂わせる。面持ちを神妙にして「アンバーたち大丈夫かな」とモモが呟いた。
彼女らがヴラシィでどうしているかルディアたちには知る由もない。無事に着任できたにせよ、船のない港にいるのではどうしようもなかろうが。
「……あの、姫様、とりあえずこの一週間の報告をしてもいいですか?」
重苦しい沈黙を破ったのはブルーノの震え声だった。ルディアが顎で促すと臨月も近い腹を擦りつつ妊婦は膝に議事録を広げる。生気の欠けた瞳からして良い話でないのは明白だ。早くもルディアは頭痛を覚えた。
「ではまず現在の状況から……。陸はパトリア古王国軍、海はドナ・ヴラシィの連合水軍に依然包囲されています。アクアレイアを出ようとすると外国商人でも追い返されてしまうのでマルゴー公国への使いは一向に出せていません。そもそも援軍を要請しても古王国軍の妨害でアクアレイアまで到達できないのではないか、というのが十人委員会の見解でした」
「聖王が一枚噛んでいるとなると、まあ期待はできんだろうな」
「それで選ぶ余地もなく籠城となったわけなんですが、食糧の備蓄がそんなになくて……」
「どれくらい持ちそうなんだ?」
「切り詰めて約一ヶ月半だそうです。今、国民から穀類と豆類を中心に寄付を募っています。食べ物以外の物資やお金も」
「一ヶ月半か。くそ、普段なら倍は国庫に確保しているのに」
「アクアレイアはこの二年、財を減らす一方でしたもんね……」
「で、ほかはどうなっている? グラキーレや本島側の海門はまだ生きているんだな?」
「はい。でも外海に繋がる出入口だからか、ほとんど毎日攻撃を受けています。グレッグ傭兵団と海軍が張りついて防衛に当たっていますけど」
「市民兵はどうした?」
「前線には出ていません。本島への侵攻を許した場合に備えて所属区の守りを固めています。それと職人階級には航海経験の少ない人も結構いて、櫂漕ぎや弩の特訓が必要とか」
「そうか。ほかには?」
「提督命令で国営造船所がフル稼働中です。ドナ・ヴラシィ軍と渡り合うには船も水夫も少なすぎるということで」
「確かに戦力差を埋めなければどうにもならんからな。だがシーシュフォスにその後の策はあるのだろうか?」
「具体的には口にされていませんが、建造できたガレー船の数次第だそうです。ドナ・ヴラシィ軍さえ追い払えば古王国の包囲は解かれるだろうから、この際聖王は無視しようとも仰っていました」
「ああ、私もそう思う。こちらが攻撃を加えない限り古王国軍に我々を攻める理由はない。それにわざわざ沼沢地に兵を投入するまでもなくアクアレイアの終わりは見えている」
険しい顔で腕を組むルディアに不安げな皆の視線が突き刺さる。諦めたわけではないが絶望的な状況には違いない。気休めでも「なんとかなるさ」なんて台詞は言えなかった。
「戦闘は小競り合いの域を出てはいないのか?」
ルディアの問いにブルーノはおずおずと頷く。
「は、はい。実はチャド王子も傭兵団と一緒に戦ってくださっていて、怪我人は出ても死人が出るのは珍しいくらいだと。敵軍船が王国湾に乗り込んでくる気配もないみたいですし……」
「であればやはり陸海に敷いた包囲網を維持することが連中の策なのだろう。アクアレイアが動けないまま疲弊して音を上げるのを待つつもりなのだ。小麦が尽きれば貝や魚を食べればいいが、十万の民の口はいつまでも満たせるものではない」
唇に指を押し当てて考え込む。
ドナ・ヴラシィ軍の撃退に集中するのはいいとしても、一筋縄ではいかなさそうな状況だ。議事録によればドナ・ヴラシィのガレー船は三十五隻。対するアクアレイアのガレー船はたった十隻で、そのうち二隻は小回りが利くだけの小型船である。新しく造るにしても乗り込ませる市民兵が実戦で役立つ保証はないし、ほぼ不安要素しかない。
防衛隊の面々は幼い頃からアルフレッドの騎士修行に付き合ってきたおかげで接近戦も難なくこなすが、普通は男子でも弩止まりだ。いざ白兵戦になったとき、腹を決めて戦える者が何人いるか疑問だった。
「どうにかして国外へ出た海軍に戻ってもらわねばならんだろうな」
「ええ、十人委員会でも決死隊を送り出す準備を進めています。季節的に提督――いえ、ブラッドリー中将のもとへ辿り着くのは難しいですが、コリフォ島までならなんとかと」
決死隊と聞いてアルフレッドたちの表情はますます硬くなった。敵船が目を光らせている海上を一隻だけで突破して、さらに援軍を連れて帰れというのである。それも櫂がぽっきり折れることもある悪天候が支配する冬のアレイア海で、だ。
「そ、そんな危ねー任務、誰が請け負うんだよ?」
「きっと海軍の精鋭でしょうけど……。アレイア海東岸へも寄港できないわけですよね? うっかり沈没しちゃいません?」
「だから決死隊なんでしょ? 逆に言えば、そこまでしなきゃいけないくらいモモたち追い詰められてるんだよ」
「一ヶ月半で片がつかなかったときは揃って飢え死にだからな。それにしても十二月のアレイア海に出なければならないとは……」
先日ガレー軍船の乗っ取り騒ぎを起こした馬鹿者たちが懲罰代わりに乗船を命じられるのは想像にたやすい。主犯のレドリーと従兄弟同士のアルフレッドは心配そうだった。
「だが決死隊がコリフォ島まで辿り着いてくれれば、今度は基地のガレー船と船団を組んでブラッドリーのところへも――」
ドタバタと騒がしい足音が寝室に近づいてきたのはそのときだ。ルディアの台詞を遮って「大変です! 大変です!」とジャクリーンの大声が響く。
良家の令嬢である彼女が声を荒げて駆けてくるなど初めてだ。ルディアたちは怪訝に顔を見合わせた。直後、控えの間に続く扉が勢い良く開かれる。
「姫様! コリフォ島の父から手紙が!」
侍女が抱いていたのは白い翼を風雨に汚した一羽の痩せた鳩だった。
ジャクリーンの父といえばコリフォ島海軍基地を任されているトレヴァー・オーウェン大佐である。聞けば親子は伝書鳩を使ってこれまでも私的な通信を行っていたらしい。
「と、と、とにかく読んでください。私はその間に十人委員会に報告を!」
ブルーノに託された便箋を奪うとルディアは素早く目を走らせる。書かれていたのは思いもよらないコリフォ島の窮状だった。
「な、なんだと!? 快速船一隻が沈没、巡視船三隻が行方不明!? どこぞの中規模船団に海峡と基地を監視されていて身動きが取れない。ガレー船四隻では心許ないから可能なら助けにきてほしい……!?」
つい口にした内容にアルフレッドたちがどよめく。
「コリフォ島もドナとヴラシィの船に囲まれているのか!?」
「助けてほしいのは本国のほうなんですけど……!?」
「おいおい、これってかなりヤバイんじゃね?」
「中規模船団って何隻だろ? 十隻くらいかな?」
モモにせがまれて敵船の数を確認すると、コリフォ島の周辺には常時十から十五隻のガレー船がうろついていると書かれていた。付近に拠点を有しているのは明らかで、別船団から補給を受けるところも目撃されているという。
「えっ!? それじゃあ決死隊を出してもコリフォ島で捕まってしまうんじゃ……!?」
ルディアにはブルーノの懸念を否定してやれなかった。王国の出口はおろかアレイア海の出口まで塞がれては打つ手がない。トレヴァーやブラッドリーに王国民の悲鳴は届けられそうになかった。
(……なんてことだ)
ぎり、とルディアは歯噛みする。
開ける活路がないではないか。間に合わせの市民軍が唯一の希望とは。
(しかし新兵同然のにわか兵士に期待などできないぞ。捨て身の覚悟で挑んできているリーバイたちに勝てるのか?)
「ねえ、和解案って出てないの? もう戦死者が出ちゃってるからアレだけど、バオゾからの脱走奴隷も難民として王国で受け入れれば済む話じゃない?」
モモの問いにブルーノは悲しげに首を振る。
「天帝に彼らの返還を求められたら応じなければならないから、それは無意味だって陛下が」
「ああ……そっか、そうだよね。そんな外堀とっくに埋められてるよね……」
八方塞がりで気まで塞ぐ。父には責められなかったが、難局を招いた責任を感じないではいられなかった。
情けない。ヘウンバオスの手の上で踊らされて喜んでいたなんて。読み違いでアクアレイアを苦しませてしまうなんて。
「……あの、コリフォ島にもなんらかの支援が必要ですよね? ど、どうするのがいいんでしょう」
問いかけるブルーノはぐるぐると両の目を回していた。ストレス過多で腹の子供に影響しないか心配だ。
初めから大人しく宮殿に留まっていれば良かったのだろうか。余計な裏工作など考えず、愛らしい姫としての役割だけこなしていれば。
――わからない。こんな形で裏をかかれたのは初めてで。やられっぱなしでいるなんて耐えがたいのに。
「コリフォ島ならちょっとくらい放置してたって平気なんじゃないですか? あそこは要塞島ですもん。自給自足もできますし」
「ああ、手助けしたいが今の俺たちには何もできない。王国政府も同じ判断を下すだろうな」
「まあ我慢してもらうっきゃねーよなー」
「鳩がお返事持ってったらジャクリーンのパパがっかりしちゃうね」
「あ、返事はできないかもですよ。伝書鳩って一方通行なんだそうです。前にアイリーンさんが言ってました」
と、真っ暗だったルディアの思考に突如ひらめきが舞い降りた。
あるではないか。遠い同胞に急を知らせる方法が。
「そうだ。鳥を飛ばせばいい。ブラッドリーのところまで」
ルディアの言にバジルが「へっ!?」と振り返った。博識な弓兵は「いや、それは無理だと思いますよ?」と遠慮がちに首を振る。
「鳩には帰巣本能があるので決まった一ケ所に文を送ることはできますけど、育った巣でも餌場でもない、ましてや移動する船に手紙を届けるなんて高度な芸当は……」
「違う。託すのはあの女にだ」
「あ、あの女?」
一同は揃って首を傾げた。説明するのももどかしく、ルディアはつかつかと扉に向かって歩き出す。
「お前たち、今すぐガラス工房に行くぞ!」
ブルーノにしばらく宮殿を離れる旨を告げるとルディアは寝所を後にした。
追いかけてきた防衛隊と宮殿の門をくぐり、広場近くに舫われていた小舟に別れて乗り込むと、騎士に櫂を握らせる。
迷いなく「急げ」と命じた。侘しい余生を送っているグレース・グレディのもとへと。




