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第2章 その3

 一向に静まらない広場を眺め、レドリーは「やっぱりな」とひとりごちた。己の睨んだ通りではないか。ハイランバオスなど信用するから市民兵や謹慎兵まで引っ張り出してくる羽目になるのだ。

 集まった民衆はバルコニーの国王に怒声を浴びせかけていた。昨日の恐怖を拭いきれぬまま王国が外界から遮断されたと聞かされたのだ。当たり前の反応である。

 そのうえイーグレットは敵船を操っていたのがドナとヴラシィの男たちで、船団をアレイア海に放ったのは天帝であったらしいとの噂を否定しなかった。聖預言者に仕組まれた罠かと問われたときもだ。怒り狂う人々を抑え込むこともできないし、レドリーにはもはやイーグレットが恥ずべき無能の象徴にしか思えなかった。


(あんな君主に任せていたら助かるものも助からない。政治の場からさっさと引っ込ませるべきだ)


 そう考えたのは自分だけではなかったらしい。おおいに不信を滲ませて一人の男が声を張った。


「祖国のために兵になるのは構わねえよ! けど王様、そんなら確実に勝てる指揮官を用意してくんねえか!? 俺たちゃ犬死はごめんだぜ!」


 そうだそうだと民衆は一斉にがなり立てる。イーグレットが現海軍将校から海戦経験の豊かな者を任じると答えると、国民広場には凄まじいブーイングが巻き起こった。


「ちっげーよ! そうじゃねえよ!」

「アクアレイアで最も経験豊かな将なら探さなくてもいるでしょうが!」

「あの人を提督に戻してくれ! シーシュフォス・リリエンソールを!」


 その後のコールはまるで嵐のようだった。リリエンソール、リリエンソールと飽きもせず一つの家名が繰り返される。不幸中の幸いで、海軍の誇る名将が王都の自邸に隠居しているのを人々は忘れていなかったのだ。


「リリエンソール! リリエンソール!」


 目頭が熱くなるのを堪えきれず、レドリーは大鐘楼の頂を見上げた。

 獄中の幼馴染にもこの声は届いているだろうか。あの男の魂も自分と同じに揺さぶられているだろうか。

 ああユリシーズ、今すぐお前のところへ行けたらいいのに。


「レドリーさん、レドリーさん」


 と、耳元で響いた小さな声にレドリーはハッと人混みを振り返った。

 身を屈め、周囲をちらちら気にしつつこちらの腕を引っ張るのは謹慎処分を解かれたディランだ。悪戯っぽい笑みを浮かべ、大人しそうな極悪人は可憐な薔薇の唇を開く。そうして彼は常識外れの計画を囁いた。


「来てください。今から一つガレー軍船を乗っ取ります」


 思わず「はあ!?」と叫び返す。何を言っているのだと面食らうレドリーにろくな説明は与えられなかった。ただ存外な握力で軍港のある国営造船所まで引きずられていっただけで。


「お、おい! ちょっと待て、ディラン!」

「だめだめ、急がなきゃ間に合いませんから!」

「間に合うって何に!?」

「それはもちろん次の襲撃に、ですよ!」


 やっと軍医が止まってくれたのは数千人の船大工がうろついているドックの陰に入ってからだった。

 アクアレイアには種々様々な施設があるが、宮殿より広い面積を有するのはこの国営造船所だけである。何しろここでは船の修理や製造が行われるのみでなく、帆綱などの船具もまとめて作られる。区画内には造船関連の工房が何軒も立ち並び、さらには海軍兵舎や武器工房なども併設されていた。周囲は高い壁に囲われ、佇まいはさながら小砦だ。王国中の船舶を収容できると言われるほど船溜まりは広々として、実際百隻程度の船なら余裕を持って保管できた。

 海軍の男なら日常的に訪れる場所であるものの、こんな風にこそこそ忍んでやって来たことはない。レドリーは桟橋に積み上げられた木箱の裏に隠れつつ声を低めて連れ合いに尋ねた。


「二人ぽっちで何する気だ?」


 問いかけには「いえ、二人じゃありません」とウィンクが返される。直後、すぐ脇に浮かんでいたガレー船から不届きな共犯者たちが顔を出した。


「ったく無茶振りするよなあ、ディランちゃんは」

「確かにこんなときにストライキなんてされちゃ陛下もたまんないだろうけどさー」

「大事な大事な軍船を一隻奪って『ユリシーズを釈放してください!』なんて肝が据わってるってレベルじゃないぜ?」


 なるほどと納得すると同時、またとんでもないことを思いついたなと友人の発想に冷や汗を掻く。ディランは愛らしい頬をうっすら染めて「さあ皆さん、装備を固めて岸から少しだけ離れましょう!」と指示をした。


「後はドナとヴラシィが攻撃を再開してくれさえすれば、我々の友人は晴れて無罪放免です!」


 運命は正しき者に味方するという。

 敵軍がグラキーレ島へ兵を送り込んできたのはレドリーたちが軍港の一角に陣取ってすぐのことだった。




 ******




 興奮した民衆に担ぎ出されるようにしてその男はレーギア宮に参上した。

 彼に復帰の意思があるならば、と十人委員会は満場一致で頷いた。

 望まれているのは海を知り尽くした戦士なのだ。たかが一度レガッタで優勝しただけの己ではない。

 そんなことはわかっていたし、冷たく扱われることにもすっかり慣れていたはずなのだが。

 落胆を主張する胸がおかしくてイーグレットは口角を上げた。


「陛下、私の復職と不肖の息子の件はまた別。そのような顔をなさいますな」


 謁見の間に響くのは野太く穏やかな英雄の声。金糸で白鳥の紋章が縫われた白いマントを床に着け、シーシュフォス・リリエンソールは五十を過ぎてなお頑健な肉体を跪かせる。


「それが別とも言っていられそうにない。実は国営造船所でガレー軍船が一隻戦闘拒否を続けているのだ」

「……まさかレドリー・ウォードとディラン・ストーンですか?」

「うむ、ほかにもいるが主犯格はその二名だな」


 若人たちの暴走に鬼将軍と渾名された男が頭を抱え込む。シーシュフォスは「私がガツンと言ってやりましょう! まったくこの非常時に何を考えているのだ、あの馬鹿坊主ども!」と立ち上がった。

 そんな彼にイーグレットは握りしめていた鍵束を放る。振り向きざまにそれを受け取り、シーシュフォスは目を丸くした。

 眼差しで咎められたが首を振る。「委員会の決定だ」と。


「息子を連れて至急グラキーレ砦へ向かってくれ」


 短いが重い沈黙の後、シーシュフォスは申し訳なさそうに一礼して大鐘楼へ駆け出した。謁見の間には玉座に沈んだイーグレットだけが残される。

 どこの世界に暗殺犯の縄を解かされる王がいるというのだろう。名ばかりで、民を味方につけることも、法に反した要求を突っぱねることもできない。


(私の肌や髪がこう真っ白でなければ良かったのかな)


 じっと生白い掌を見つめる。だがすぐにかぶりを振った。

 感傷的になっている場合か。統率力があろうとなかろうと国をまとめるのは王家の役目だ。ルディアとて大きな腹を擦りながら堪えているのに。


(どんな困難な状況でも、その中でできる最善を尽くす。何かを変える方法があるとすれば、きっとそれだけだ)


 玉座を離れ、イーグレットは続きの間から廊下に出ると階段を下りて回廊へ出た。前方の人影に気づいたのはそのときだ。

 閑散とした中庭で待っていたのはルディアを守る王都防衛隊だった。彼らは揃って膝をつき、一様に身を硬くしている。どの顔を見ても気の毒になるほどしゅんとして、所在なさそうだった。


「十人委員会から召喚命令が下るのではと思い、先んじて参上いたしました。我々の報告が読み違いであったこと、陛下にはなんとお詫びすればいいか……」


 伯父のブラッドリーと瓜二つの隊長が頭を下げたまま謝罪する。嘆息混じりに「立ちたまえ」と命じると、アルフレッド・ハートフィールドはおずおずとこちらの言に従った。


「あの、もし、処罰があるなら俺だけに」

「いいから全員立ちなさい。私の前でそう畏まる必要はないよ」


 微笑んでみても効果は薄く、隊員たちは身を起こしてなお叱られるのを待つ子供のように表情を強張らせている。

 こんなときなのに懐かしさがこみ上げた。聞き分けも要領もいいルディアに説教をしたことなど数えるほどしかなかったのに。


「真に客観的で正確な報告などできる者はいない。それを含めて判断するのがこちらの仕事だ。故意に嘘をついたのでなければ君らに責任などないよ。まあ多少不愉快な詮索はされるかもしれないが」


 大丈夫だとなるべく優しい声で諭す。すると彼らはほっと胸を撫で下ろした。なぜなのか青髪の剣士だけは泣き出しそうに顔を歪めてしまったが。


(この子は確かブルーノ・ブルータス、だったな)


 唇を噛む若者にそっと手を伸ばす。


「一緒にゴンドラを漕いだ仲だ。私は君たちを信じているよ」


 そう言ってイーグレットはブルーノの頭を撫でた。昔ルディアにしてやったのと同じように。

 普段なら気軽に他人に触れなどしない。だが今は、そうしたほうが彼のためにいい気がした。


「国民総出で立ち向かわねば乗り越えられない危機だろう。王都防衛隊諸君、君らも心しておいてくれ」


 出陣の場があるやもしれないと仄めかし、イーグレットはその場を去った。本来ならすぐ小会議室へ戻らねばならぬところだが、五分だけ、と自室に立ち寄る。

 一日空けていた部屋には望み通りのものがあった。キャビネットに飾られた仮面の裏に新しい暗号が届いている。


(『防衛隊はお前の味方だ』か。これは大きな太鼓判だな)


 どこかで彼が自分を見ている。なら醜態は晒せまい。

 頬を張り、頭の天辺から爪の先まで気合を入れ直す。

 全力を尽くそう。諦めなければアクアレイアを守る術は見つかるはずだ。




 ******




 割れんばかりの歓声が国営造船所を包んだ。桟橋につけろ、リリエンソール親子を乗せろとガレー船は大騒ぎだ。

 シーシュフォス提督は早くも鬼の形相で橋板を上がってきた。威圧感といい、期待感といい、父ブラッドリーとは段違いだ。やはりこの人でなければ海軍は締まらない。

 提督のすぐ後ろには手枷も足枷も嵌めていない幼馴染の姿も見えた。

 今にも船上で躍り出しそうだ。レドリーの胸には無上の喜びが満ちていた。


「国王陛下のご慈悲により、こうしてまた海軍で戦えることになった。一度は死んだ身と思い、命を尽くして祖国防衛に励もうと思う。……皆、ついてきてくれるか?」


 ユリシーズの問いかけにガレー船が大きく揺れる。「当然だ!」「グラキーレへ急ぐぞ!」と血気盛んな兵たちが各々の熱を吐き出した。

 どこからか装備を持ち込んだ者の手で幼馴染には端正な顔によく似合う優美な鎧が着せられる。元通り白銀の騎士の完成だ。


「ジーアンの犬に成り下がったドナやヴラシィの連中がなんだ!」

「誰がこの海の王者か思い知らせてやる!」

「さあ行こう! シーシュフォス提督、我々にご命令を!」


 鬼将軍が「私はすぐに旗艦に乗り換えるのでな」と首を振ると指揮官席には別の男が腰を下ろした。「おお」「もしや」と皆が一斉にどよめく。


「この艦はお前に預けたぞ、ユリシーズ」

「はい、お任せを」


 ガレー船を指揮できるのは大尉以上の者だけだ。ユリシーズが中尉から出世したのだとわかり、甲板はまた沸きに沸いた。


(やっぱりすげえ、ユリシーズ! こんなに若くて大尉なんて!)


 大気を震わす熱狂に舞い上がり、レドリーにはユリシーズの笑みの邪悪さがまったく見えていなかった。

 軍港を出たガレー船は国民広場で待ち構えていた民衆の声援を受け、戦場へ華々しく漕ぎ進む。それはあたかも祝祭のごとき光景であった。





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