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第2章 その2

 王国はどこもかしこも騒然としていた。伝令の往復する大鐘楼も、不安げな人々の集まる国民広場も、議員と衛兵の待機するこのレーギア宮も。

 新しい情報が入ってくるたびに室内の重苦しさが増す。緊急事態の第一報がもたらされてからブルーノはずっと小会議室の自席を立てずにいた。

 大評議会でも元老院でもなく開かれているのは十人委員会――アクアレイアの最高決議機関である。内密に処理すべき事案を扱うとき、あるいは迅速かつ重大な決断を迫られたとき、十人委員会は臨時に招集される。つまり今、王国は尋常ならざる危難に瀕しているということだった。


「くそっ! 東岸の船乗りたちは皆バオゾに連れて行かれたんじゃなかったのか!?」


 普段滅多に声を荒らげないナイスミドルのカイルが憤然とテーブルを叩く。親しい仲の彼をなだめたのは国営造船所から直行してきたエイハブだった。


「……のはずだったんだがな。パトロール船に乗ってた連中の話じゃあ襲ってきたのはドナ・ヴラシィの野郎どもで間違いねえらしい。ったく、どうなってやがるんだ?」

「浮足立っている間にクルージャ砦を乗っ取られたのはまずかった。本島から距離があるとは言え、あの岬に居つかれると海門を一つ塞がれることになる。アレイア海を南下するのも困難になってしまった」


 日が沈んでも会議はお開きとはならず、イーグレットを始めとした名だたる貴族が膝と膝を突き合わせていた。情報を整理して現状把握に努めているが、まったくわけがわからない。一体全体何が起きているのだろう。


「ひょっとすると、我々はハイランバオスに一杯喰わされたのやもしれんのう」


 え、とブルーノは腕組みしたニコラス老を見上げる。イーグレットやほかの面々まで「考えたくないが有り得るな」などと言い出して思考はますます混乱した。


(な、なんでハイランバオスが疑われるんだ? あの人の中身はアンバーさんで、正真正銘こっちの味方なのに……)


 ブルーノの動揺に気づいた者はいなかった。それからすぐに新しい知らせが飛び込んできたからだ。


「申し上げます! グラキーレ砦が敵ガレー船の攻撃を受け始めました!」


 トリスタン老が「くそ、お次はグラキーレか!」と舌打ちする。室内はまた大きくどよめいた。

 グラキーレ島はクルージャ岬のすぐ北に伸びた細く長い砂洲である。王国の外縁部で、島の南北に外海へ抜ける海門がある。敵の手に島を渡すのは二つ目の出入り口を塞がれるのと同義だった。


「海軍の対応は?」

「三隻を本島の防衛に残し、五隻でグラキーレの襲撃に対抗しています。連中は砦からの砲撃を恐れてか、遠巻きに矢を射かけてくるだけで現在は……」

「篝火を消せ! 何も見えなきゃ連中だってどうしようもない! 敵の夜襲のためにわざわざ灯台を働かせてやる必要があるか!」


 エイハブの怒声に追い立てられて兵は現場に駆け戻っていく。とにかく、と話をまとめたのは意外に落ち着いたイーグレットだった。


「敵兵がドナとヴラシィの男たちだったという情報が確かなら、難民の中から彼らに呼びかけてくれる者を募ろう。それとマルゴー公国にも救援要請を」

「使者に海路を行かせるつもりかね? 余分の船など一隻もないし、ニンフィを目指しても十中八九アレイア海へ出た途端にやられるぞい」

「ああ、だから陸路を行ってもらうのだ。時間はかかるがやむを得まい」

「ふむ、それが妥当じゃろうな。傭兵料は高くつきそうじゃが、今は一人でも多く戦える者が必要じゃ」


 なんせ主力が留守じゃからの、とニコラス老は嘆息する。海軍提督の不在はずしりと空気を重くした。


「……にしても、一体どうして同じアレイア海に生きる彼らがアクアレイアを襲うのでしょう?」

「皆目わからん。ジーアン軍が船に乗っている様子はなかったのだね?」

「そういう話は聞いてねえな。ドジソン、あんたはどうだ?」

「いえ、私の耳にもそういう話は。バオゾで船を奪えたなら、まっすぐ故郷のほうへ戻るのが普通じゃないかとは思うんですが」

「あわわわ……。大変だわ、大変だわ……」


 特に大した意見も述べていないクリスタル・グレディが泡を吹いて気絶したため、十人委員会はようやく一時解散となった。

 倒れたいのはむしろ己のほうである。ここにいるのがルディアなら、黙って聞いているだけではなくて有益な発言ができていたろうに。

 結局この日入ってきた良い知らせは、敵船がグラキーレ砦からは撤退したという一事のみだった。




 ******




 防衛隊の待つ寝室にブルーノが戻ってきたのは夜半過ぎだった。身重の彼に十人委員会の席はプレッシャーが強すぎたらしい。部屋に入るなりブルーノはふらりとベッドに倒れ込む。


「大丈夫か?」


 焦燥を抑えつつルディアは寝台の傍らに寄った。会議で何を話し合ったのか尋ねると、王女のふりに気を張っていたブルーノは消耗しきった様子で薄目を開いた。


「い、委員会では……」


 王女付きの護衛に引き立てられていたのが不幸中の幸いだった。又聞きでも王国政府の出方をいち早く確認できる。本来なら重役会議に加われていた身としてはそれでも遅いくらいだが。


「……というわけで、今のところは態勢を整えつつ敵兵を落ち着かせる方向で動いています……」


 報告はおよそルディアの予想通りだった。マルゴー公国への援軍依頼、ドナ・ヴラシィの難民による武装解除の呼びかけ、王国湾の標木回収。今取れる策はせいぜいその程度だろう。まだ彼らの行動の目的もはっきりわかっていないのだから。


「皆さん驚いておられました。あの、本当にドナにもヴラシィにも船は残っていなかったんですよね? 街の男性はバオゾで強制労働させられていたんですよね? だったらどうして……」


 そんなことを聞かれてもルディアに答えられるはずがない。こちらが教えてほしいくらいだ。

 負傷兵の一人が「ドナの連中にやられた! 船にリーバイが乗っていた!」と叫んでいたと広場の人々が噂するのを耳にしてからルディアの頭には巨大な疑問符が浮かんでいた。

 それは本当にリーバイだったのか? ならどうやってこれほどの船団を手に入れてバオゾを脱出できたのだ? 王国を襲撃して彼らにどんな得がある?

 当てずっぽうの憶測一つ浮かんでこない。本気で見当もつかなかった。ただ時間が経つにつれ、嫌な感じがむくむくと膨らむだけで。


「ねえねえ、もう休ませてあげたほうがいいんじゃない? 妊婦にストレスは禁物だよー」


 と、モモがブルーノの身を案じて退室しないか提案する。この状況で宮殿を離れられるかと叱りかけて、ルディアははたと口をつぐんだ。なるほどその手があったなと。


「ブルーノ、好きなだけ横になっていていいぞ。代わりに十人委員会にはこの部屋に集まってもらえ」

「えっ? ひ、姫様!?」


 言うが早くルディアは天蓋付きベッドの下に潜り込む。例の秘密の地下通路に隠れていれば会議の内容は筒抜けだ。どうせすぐ次の招集があるに決まっているのだ。それなら先に張り込んでおけば早い。


「何やってる、お前たちもさっさと来い! ブルーノ、防衛隊には街の警邏に行かせたとでも言っておけ!」


 床下に頭を引っ込めたルディアに続き、アルフレッドとモモとバジル、少し遅れてレイモンドが下りてくる。久々の半地下は以前と変わらずじめじめしてかび臭かった。


「うへー。暗いし狭いし、ここ嫌いなんだよなー」

「レイモンド、何か言ったか?」

「ウギャッ!」


 不平を漏らす槍兵の足を思いきり踏んづける。祖国の危機に文句など垂れている場合か。本当にこの男は兵士としての自覚が足りない。


「しかし妙だな。俺にはリーバイたちが独力で逃げ出せたとは到底思えないんだが……」


 顎に手をやりアルフレッドが神妙に呟く。バジルも彼と同意見らしく、眉をひそめて頷いた。


「絶対おかしいですよねえ。バオゾからアクアレイアまで、水や食料なんかはどうしてたんでしょう? 補給もままならなかったんじゃないかと思うんですけど……」


 疑問は尽きないが答えを導く材料はない。ルディアたちが黙り込むと同時、頭上でノックの音が響いた。どうやら誰か来たようだ。


 ――ルディア、会議は終わったのかい? おや、顔色が良くないよ。

 ――え、ええ、少し具合が悪くて。起き上がれないほどではないですが……。

 ――無理してはいけない。体調の悪いときは安静にしているんだ。私が側についているからね。さあ目を閉じて、ゆっくり休んで……。

 ――あ、ありがとうあなた。だけど添い寝は、ちょっと、あの。

 ――そうだね、すまない。ではこうして手を握っているだけにしよう。

 ――あの、それも今はちょっと……。

 ――夫婦なのに何を照れているんだい? 私は毎晩だってあなたにおやすみのキスをしたいくらいなのに、そんな風にぎくしゃくされると少し傷つくよ。と言っても恥じらうあなたに恋した私だから、気には病んでいないがね。

 ――あああ、あの! 本当にそれくらいに!

 ――おや、そうだった。あなたは休まなければならないのだったな。


 チャドはすっかりブルーノに惚れ込んでいるらしい。緊張感の吹き飛ぶ会話にルディアはハハと苦笑いを浮かべる。口から砂でも吐きそうだ。

 居た堪れなさでバジルとアルフレッドは早くも耳を塞いでいた。レイモンドは「あいつ本当に大変だな……」としみじみぼやき、モモは「赤ちゃん大丈夫かなあ」と方向の違う心配をしている。

 新しい気配が駆け込んできたのはどれくらい経った頃だっただろう。時刻も天気もわからない暗い通路に今度はジャクリーンの声が漏れた。


 ――あの、チャド様、姫様、お休みのところ申し訳ございません。これからまた十人委員会が会議を行うとのことです。

 ――なんだって? ルディアはまだ十分休めていないんだよ。お腹の子にも障るだろうし、なんとか彼女抜きで進められないのか?

 ――そんなわけにいきません。ジャクリーン、悪いけど委員会の方々をこの部屋にお通ししてくれますか? 横になってなら私も参加できそうなのでと。

 ――ルディア! 身体に負担をかけては!

 ――し、寝室に? いいのですか?

 ――ええ、いいからすぐに行って。私にも果たすべき務めがあります。

 ――か、かしこまりました。ではそのように。

 ――ルディア……!

 ――さあ、あなた。あなたはここを出てください。十人委員会で取り扱うのは王国の機密事項、たとえ伴侶でもおいそれと聞かせられません。


 ブルーノはこれ幸いと夫を追い払う。ほどなくして寝室は即席の小会議室と相成った。

 幾人もの足音と椅子を引きずる物音が天井から降ってくる。それらが止むと「クルージャ砦へ送った難民からの報告だ」と王が硬い声で告げた。




 ******




 王国政府の要請を受け、クルージャ岬に向かった仲間が帰ったときには東の空がぼんやり白み始めていた。

 信じられない一日だ。ジーアン軍に街を焼かれたあの日と同じかそれ以上に心臓が震えている。


「おばさん! どうだったの? 本当にあのガレー船団にリーバイさんたちが乗っていたの?」


 小さな島の救護院から飛び出したケイトの問いに町長夫人は目を逸らした。いつも威勢の良い彼女の口から否定の返事は出てこない。ただ太い眉を寄せ、苦々しげにうつむいているだけだ。


「……嘘でしょう? どうしてリーバイさんがあんな……!」


 耐え切れず、自分のほうが叫んでいた。夫人は優しく慰めるようにケイトを抱きしめ、腰まで伸びた黒髪を撫でてくる。


「ケイト、落ち着いて聞くんだよ。クルージャの砦にはヴラシィの男たちも、あんたのチェイスもいた。誰もアクアレイアへの攻撃をやめる気はないみたいだ。あたしらには、邪魔だけはしないでくれと言ってきたよ」

「……!?」


 愕然と目を瞠る。そんなまさかと声にならない声が零れた。

 チェイスが生きていてくれたのは嬉しい。嬉しいけれど――。


「どうして……!? あの人あんなにアクアレイアを好きだったのに……!」


 二年半前、離れ離れになったきりの恋人の笑顔を思い返す。いつかは憧れの水上都市に自分の家を持ちたいと、青い瞳で夢を語った。

 熱心に都の流行を追っていたのは彼だけではない。ドナの若者は皆こぞってアクアレイア人の真似をしたのだ。彼らの役に立つ水夫になろうと弩弓の訓練にも励んで。それがどうして。


「天帝に唆されたのさ。情けない話だよ、あたしらの世話を焼いてくれるのは今も昔もこの国だけだっていうのに」

「唆された? どういうこと?」

「アクアレイアと引き替えになら、ドナとヴラシィは返してやると言われたんだと。家族もお前たちも揃って自由にしてやるって。内密の約束だけどね」

「な……っ! そんな言葉を信じて王国に攻め込んだの!?」


 驚きを通り越して呆れてしまう。無慈悲に何もかも破壊したあの悪魔たちが約束なんて守ってくれるはずないのに。

 目を丸くするケイトに町長夫人は首を振った。


「天帝の誓約は特別さ。バオス教の神様が嘘をついたとわかったらジーアンは大騒ぎだ。……あたしゃしつこく食い下がったんだけどねえ、俺たちの故郷は俺たちで取り戻すって聞きやしない」


 これまで気丈に周囲を励ましてきた夫人の目から涙が溢れる。「恩人と同胞の殺し合いなんか見たくないよ」と彼女は小さく鼻を啜った。

 ケイトとて同じ気持ちだ。同郷の人間にこんな不毛な争いはしてほしくない。アレイア人がアレイア人を殺すなんて惨いこと。


(チェイス……!)


 水鳥が翼を広げる南の空を振り返る。本島に近いこの島からではクルージャの岬など影さえ見えはしなかったが。

 波はまだ静かだった。まるで惨劇の予告のように、赤々と燃え立つ朝焼けを映している王国湾は。




 ******




 あまりにも予想外の展開すぎて、しばらく頭が真っ白になった。

 アクアレイアを差し出せばドナとヴラシィは返してやる?

 捕虜も現地の住人もまとめて自由の身にしてやろう?


(な、なんだその約束は)


 ルディアは大きく目を瞠り、わなわなと肩を震わせた。

 頭上ではまだ口論じみた激しい議論が続いている。ヒステリックに「私たちハイランバオスに騙されたのよォ!」と金切り声を上げるクリスタル。「だから僕は結論を急ぐなと言ったのに!」「責任の押し付け合いなんかしてもしょうがねえだろ!?」と喧嘩腰の貴族たち。

 聞き耳を立てる防衛隊は全員面食らっていた。ここに来て天帝が弟の願いを踏みにじるとは考えもしなかったからだ。

 そう、これは不誠実な約束の不履行だった。ヘウンバオスは確かに聖預言者にアレイア海を任せたのだから。


(……バレたのか? 中身が別人だということ)


 想像に血の気が引く。しかし腑には落ちなかった。仮にそうだとしてもなぜひと言の疑いも口にしなかったのか謎である。天帝は一度たりともアンバーを本物の弟かどうか試験してはいないのだ。

 とすれば有り得そうなのは元々アクアレイアを完全掌握しようと考えていた可能性だった。いずれはパトリア古王国に戦いを仕掛けることも視野に入れていたならば、戦略上の要地は抑えておきたいはずである。だがこれもルディアには今ひとつ納得しかねる推論だった。

 天帝はドナとヴラシィを返還すると言っているのだ。返還後は二度と手出ししないとまで。西パトリアが欲しいならそれはおかしい。アレイア海の良港を二つも逃すわけがない。


(そもそもドナもヴラシィも天帝自ら『ハイランバオスに』与えると約束したのではないか。一度は管理を任せた領地を弟から取り上げて、追い出した元の住民に返す? 意味がわからない)


 考えれば考えるほど頭がこんがらがってくる。わかるのは海の都を攻めるのに、騎兵ではなく海兵をぶつけてきたということだけだ。


(もっと単純な領土欲か? だが放っておけばジーアンにとって旨味のでかい黄金の成る木になってやったのだぞ? 向こう五年は安全だと踏んでいたのに……)


 悩んでも「ヘウンバオスはアクアレイアをご所望だ」との分析結果しか出てこない。天帝の真意についてはひとまず後で考えようとルディアは小さく息をついた。

 今は遠方のジーアンよりも直近の現実だ。まずい事態になっていると嫌でも認めざるを得ない。


(アクアレイアが『ハイランバオス』との契約に飛びついて商船団を発たせた直後に天帝の差し向けたドナ・ヴラシィ軍がアレイア海に侵入してきた……。だが建前では脱走奴隷の集団で、ジーアン軍の兵ではない。休戦協定に反していると抗議しても無意味だろうな)


 ヘウンバオスは「奴らの乱暴狼藉に我々は関与していない」とでも言い張るつもりなのだろう。東岸を返す約束もなんの話だかわからないと。


(どこまで計画の内だった? アンバーは本当に何も知らされていなかったのか? あるいはこちらが天帝から出されていたサインを――暗号のようなものを見落としていたとか……)


 ぎり、とルディアは歯噛みした。安穏と過ごしていた昨日までの自分を蹴り飛ばしてやりたい。万に一つの可能性まで考慮できていたならば、こんな形で虚を衝かれはしなかったのだ。


(我々はともかく、今は誰がどう見ても『ハイランバオスに奸計を巡らされた』としか思えない状況だ)


 このままでは非常にまずい。非難がどこに集中するかなどわかりきっている。要人の警護にせよ、バオゾへの旅の報告にせよ、中心になったのは王都防衛隊なのだ。


「全員取り調べを受ける覚悟はしておけよ」


 ルディアの発言にアルフレッドたちは息を飲んだ。事の深刻さを欠片も理解できていないレイモンドが「な、なんで?」とうろたえる。


「モモもよくわかってないんだけど、多分アンバーが疑われてるせいだよね?」

「ああ。とばっちりで痛くもない腹を探られる羽目になると思う」

「と、取り調べって十人委員会のですか? け、嫌疑が国家反逆罪なんて下手したら拷問じゃ……」

「いや、さすがに尋問で済むはずだ。伯父さんもその手の道具は宮殿にないと言っていた」

「人の目の届かないとこに置いてるだけかもしれないけどねー」

「お、おい、冗談やめろよモモ」

「ひえええ……っ」


 怯えるバジルとレイモンドに、ルディアはできるだけ淡々とこの先取られるだろう措置について説明する。


「いいか? まず十人委員会から各自呼び出しを受ける。そのまま事情聴取を開始してくれればラッキーだが、数日は真っ暗な半地下牢にブチ込まれるはずだ。本格的な取り調べは弱った状態で一人ずつやる。一貫性のない言い訳や、ほかの者と異なる証言をすれば即座にクロと見なされるぞ。だが不安にならずとも大丈夫だ。お前たちは脳蟲に関すること以外、知っていることをそのまま答えるだけでいい」


 安心させてやりたかったが男たちの額はまだ少し青ざめていた。逃げ出せば余計に怪しまれるだけなので耐えてもらうしかないけれど。取り調べが苛烈なものでないように、こればかりは祈るしかない。


「――」


 と、ルディアは闇の奥で揺らめく炎に気づいて身構えた。カンテラのそれと思しき丸い灯りは危うげもなく近づいてくる。


「おい、物騒な刃は引っ込めろ」

「なんだ、お前か」


 聞き知った声にルディアは抜きかけていたレイピアを戻した。やって来たのは父の友人のロマである。用がなければこの通路は使わないと言っていたのに彼にも何かあったのだろうか。


(これ以上の面倒はごめんだぞ)


 ルディアは露骨に顔をしかめる。だがこの祈りは守護精霊たるアンディーンまで届かなかったようだった。


「外がまずいことになっている。イーグレットに知らせなければ」

「外? 民衆が騒いでいるのか?」

「違う。もっと外だ」


 王の私室へ向かおうとする男を慌てて引き留める。人差し指で頭上を示せばカロにも父の居所が知れたらしい。癖毛のロマはもどかしそうに天井を見上げ、代わりにルディアに耳打ちした。


「ピルス川の上流で古王国軍が幕営を始めた。いつもの内乱と鎮圧だ」

「なっ……!?」


 このタイミングでか、と思わず叫びそうになる。ちょうど上でも同じ急報がもたらされたようだった。


 ――大変です、マルゴーへやった使者が戻ってきました!

 ――なんだと? どういうことだ?

 ――街道も川も通行止めになっているそうです。なんでもパトリア古王国軍に占拠されているとかで。

 ――なんと! このところやり合っていた戦線がこちらにずれてきよったか!

 ――ええ、ですが普段とどうも様子が違うみたいで。兵士は準備万端なのに戦闘を始める気配がなく、まるでアクアレイアを包囲するようだったと……。


 十人委員会にどよめきが走る。ルディアたち防衛隊にも。

 ちょっと待て、と頬が引きつった。まさかあの腐れ古王国も噛んでいるのか。


「そうか……。そういうことか……」


 呟きに皆の視線が集まった。ルディアは思考力を総動員してアクアレイアの置かれた現状を見定める。

 当たり前の話だが、物資がなければ戦争はできない。水、兵糧、武器、防具、薬、その他諸々をドナ・ヴラシィ軍がどう調達するつもりでいるのか最初からずっと疑問だった。

 だが謎は解けた。初めからパトリア古王国の助力があるとわかっていたなら現地には兵を到着させるだけでいい。おそらく取り決めがあったのだ。天帝と聖王の間で、二国は裏から脱走奴隷の進撃を支援する、と。


(だがなぜだ? ヘウンバオスはパトリア古王国に不可侵協定を結ばされたに違いない。たかが一国の包囲網になってもらうのに、どうしてあのジーアンがそこまで折れる必要がある?)


 やはり有り得ない。だってそんなのは、ほかの何を捨ててでもアクアレイアを望んでやまない人間しか取らぬ手だ。


 ――脳蟲には巣を守ろうとする本能が備わっているんです。グレースは特にその傾向が強くって……。


 耳の奥でアイリーンの声がこだました。まさかと小さくかぶりを振る。

 ヘウンバオスは草原の民だぞ。アクアレイアの海とは無縁だ。


「……一、二週間では収束はしないだろうな」


 独白に返事はなかった。誰もまだ頭が追いついていないのだ。

 いや、単に最悪の事態から目を逸らしたいだけかもしれない。

 陸にはパトリア古王国軍、海にはドナ・ヴラシィの大船団、アクアレイアの剣である海軍は春まで不在。これで突破口を開けたら奇跡だ。


「あの……。ひょっとして、僕たちアクアレイア湾に閉じ込められちゃったんですか……?」


 真っ青になってバジルが尋ねた。

 十人委員会のお偉方も似たような顔をしているのだろう。潟湖という天然の要害が国土を守ってくれるにしても飢えはどうやって凌ぐのだと。

 沈黙するルディアに今度はモモが問いかけた。


「防衛隊が片棒担いだから王国が大ピンチになったって誤解されてる可能性が高いんだよね?」


 ヒッとレイモンドが仰け反る。アルフレッドも腕組みしたまま身を硬くした。事情聴取は受けるにせよ、こうなっては冷静に聞いてもらえるかどうか――。


「悪事に加担したのでないなら堂々としていればいい。イーグレットには俺が口添えしておいてやる」


 力強い声に顔を上げるとカロにぱしんと肩を叩かれた。言外に「あいつの娘ならしっかりしろ」という念を感じる。

 ルディアはこくりと頷いた。

 落ち込むのは後回しだ。天帝の思惑を見抜けなかった未熟さを、ここで反省したところで仕方がない。


(今は振りかかった火の粉を払わねば)


 頭上ではイーグレットが非常事態を宣言すると述べていた。平民からも兵を募り、国庫を政府の管理下に置いて完全配給制に切り替えよう、と。

 ニコラス老がそれに二、三の注文を付ける。どうせなら市民兵を割り振って海軍を再編成すべきだ、ブラッドリーの代わりになれる総指揮官を任命しようとの提案に反対する者はいなかった。





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