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第3章 その2

 不意に響いた足音にコナーは頭だけ振り返る。見ればハイランバオス一行が歓談中の宴の席に戻ってくるところだった。

 彼らが宮殿に引き揚げてまだ一時間もしていない。もう少しかかると思っていたのに存外早かった。


「へえ、もう準備できたんだ?」


 驚いたのはコナーだけではなかった。天帝のすぐ横でラオタオが不敵に唇を歪める。


「で、ハイちゃんは何を見せてくれるわけ?」


 無邪気さと酷薄さの窺い知れる狐の問い。人は誰しも二面性を持つものだが親愛と加虐の念は典型的な一例だろう。いわゆる「好きな相手ほど苛めたい」というやつだ。自分も彼には十分用心せねばなるまい。


「ふふふ、もう見せていますよ」


 対する聖預言者は防衛隊の面々を率いて悠然と長椅子に歩み寄った。居並ぶ将たちが一団を注視する。

 ハイランバオスに続くのはアルフレッドとレイモンド。隊長のほうは透明なガラスケース、槍兵のほうは蓋のない土鍋を抱えている。どちらもたっぷりの水で満たされていて重そうだ。ブルーノ、バジル、モモ、アイリーンの四名がその後に続いた。

 さて、あれらの道具はどのように使われるのだろう。よもや水芸をやるとは思えぬから、やはり科学実験の類だろうか。


(だとしたら発案者はあの子かな?)


 コナーは来賓席を横切っていくバジルの背中に目をやった。まったく稀有な若者がルディアの部下になったものだ。ああいう才能は生かすも殺すも王女の裁量次第である。叶うならなるべく大きく育ってほしいけれど。


「それでは問題です! アルフレッドの持つガラス箱とレイモンドの持つ土鍋、酒杯が沈んでいるのはどちらでしょう?」


 天帝席の正面で足を止め、ハイランバオスは突然クイズを出題した。

 ラオタオの細い目が瞠られる。ヘウンバオスも少々面食らったようだった。それもそのはず、二つの容器には透き通った水しか入っていないのだ。どんなに目を凝らしても沈んだ杯など見当たらなかった。


「っ……!」


 瞬時に正解に辿り着き、コナーはうっかり吹き出しかける。

 そうか、そんな手を使ったか。気の毒に、あの水量から考えて出資者は相当な儲けを諦めたに違いない。


(懐を痛めてまでアクアレイア人がハイランバオスに知恵を貸すとは、なんとまあ……)


 防衛隊と聖預言者に妙な親密さは感じていたが、この肩の入れようは本物である。少なくともアレイア海東岸の商港使用権に関し、両者の間でなんらかの密約が交わされているのは間違いない。


(で、それを天帝にバレバレの形で見せてしまうということは、アクアレイアとつるめば利が大きいぞと暗に伝えているのかな?)


 確かに船と馬は競合しない。ヘウンバオスも半分までは頷いている。この場さえ上手く切り抜けられればアクアレイアの長い不況は終わりになるだろう。そう、この場さえ上手く切り抜けられれば。


「しゅ、酒杯? ええーっ?? 俺の目には水しか見えないんだけど、マジでどっちかに杯が入ってんの?」

「ええ、掌サイズの小さなものですが」

「掌サイズ!? ちょ、ハイちゃん冗談でしょ? そんなデッカイの見落とすわけないし!」

「あ、水に手を入れるのはズルですよ。目だけでどちらか判断してください」

「えー! 無理言わないでよー!」


 先に「わかった」と答えたのはヘウンバオスだった。だが天帝は「マジで!? どっちが正解!?」と尋ねるラオタオを冷たく振り払う。


「どちらに杯が隠れているかはわかったが、どういう仕掛けかはわからない。解説を心待ちにしていよう」


 それきり彼は口を閉ざした。幼友達の将軍にはヒントの一つも与えずに。


「さあラオタオ、我が君をお待たせせずにちゃっちゃと答えてくださいね」

「う、うーん……待ってコレ本気で難しい……」

「まだ悩んでいるのです? 戦場では即断即決の勇将らしくありませんよ?」

「だって本当に水しか見えないんだって! く、くそー、そんじゃあこっち! 土鍋のほう! 何故ならガラス箱は全方位から杯がないのが確認できるけど、土鍋は陰になって見えにくいところがなくもないから!」


 ラオタオはレイモンドを指差した。だが残念、そちらは不正解だ。種明かしを劇的に演出しようと思ったらガラスケースに酒杯を忍ばせておくほうがより効果的だからである。


「ラオタオは土鍋ですね。我が君はいかがです?」


 ハイランバオスが天帝に問う。期待を裏切らぬ慧眼でヘウンバオスは「逆だ」と答えた。


「ああ、なんて素晴らしい……! やはりあなたの天なる眼には万物の正道が見えているのですね……! そうです、酒杯はこちらのガラス箱に沈んでいるのです!」


 宴の席がどよめいた。座していた将軍や宰相たちが我慢しきれず聖預言者の側に集まる。

 どれだけ近づき凝視しようと視認はまず不可能だろう。バジル少年の使った杯が先日のあの曇りなきクリスタルガラスだったなら。


「ほら、美しい酒杯が出てきたでしょう?」


 水の中から例の杯を取り出しながらハイランバオスはにっこりと微笑んだ。見事な工芸品に怒り出したのは一生懸命悩んでいたラオタオだ。


「ちょ、酒杯が透明なんて聞いてない! ハイちゃんのがズルだ、ズル!」


 不満そうなのはその他の将軍たちもだった。ハイランバオスにしてはつまらないオチではないかと非難の声まで上がり始める。


「ふふふ、ではこの杯を土鍋のほうに入れてみるとどうなるでしょう?」


 ジーアン幹部の驚く顔は見なくてもわかった。しまったな、と地味に悔いる。もう少し席が近ければ大喜びで口を挟みに行ったのに。


「えっ? あれ? 今度は酒杯がうっすら見えてる……?」

「ところがこちらの水に浸けると」

「ああっ!? 消えた! また消えた! どうなってんの!?」


 ラオタオはハイランバオスを仰ぎ見た。だが聖預言者は微笑むばかりで何も言わない。

 仕方なくラオタオは天帝を振り返った。この大いなる疑問の解消を求めて。


「説明しろ、バジル・グリーンウッド」


 これはお前の入れ知恵だろうとヘウンバオスが名指しする。はにかみ半分、恐縮半分で少年は前へ進み出た。


「……コホン! ええとですね、僕の家はガラス工房なんですが、幼少時からガラスを水に沈めるとすごく見づらくなるなあと不思議に思っていたんです」

「ふむ。それで?」

「それでこれが海水だったらどうなのかとか、葡萄酒だったらどうなのかとか、色々試してみたんですね。そしてついに! 最もガラスと調和する液体を発見したんですよ!」


 屈折率なんて言葉は彼の知るところではないだろう。こういった研究が脚光を浴びるのも、おそらくもっと未来の話だ。

 だが余興としては確かに面白い。今ラオタオの目にはガラスケースで波打つ水が魔法の水に見えているはずである。


「砂糖を溶かしたんでしょう? それも随分たくさんと」


 自制できなかったのは己もだった。天帝の覚えめでたくなったのをいいことに、ついついアクアレイア人席を出てきてしまう。幸いこの無礼な振る舞いはヘウンバオスの不興を買いはしなかったようだ。


「砂糖? これ砂糖水なんだ? おお! ほんとだ甘い」


 ラオタオが浸した指先をぺろりと舐める。防衛隊の隣に並び、コナーは更に補足した。


「水に入れた足は曲がって見えるでしょう? でも本当に折れてしまったわけではない。要するに液体には現実と異なる光景を見せる力があるのです。彼は砂糖を用いることでその精度を高めたわけですな。とは言え砂糖水で隠すことができるのは、せいぜいこんなガラス製品だけですが」


 ほう、とヘウンバオスの口から感嘆の息が漏れる。こういうときのお約束で天帝は「例えばなんの役に立つ?」と問うてきた。


「や、役に!? えーと、これは僕がただ興味の赴くままに調べただけのことなので、み、見世物以外になんの役に立つかまでは……」


 しどろもどろになってしまった少年の肩をぽんと叩く。何も縮こまる必要はない。崇高なる知的好奇心のしもべが俗界のための応用など気にかけることはないのだ。


「実験も研究も成果ありきで始めるものではございません。残した資料を後世誰かが拾ってくれて、それが世界を変えることもある。そういうものだと私は考えております」

「つまり今は宴会芸の域を出ないと?」

「ええ、しかし古くは『砂糖一粒は黄金一粒』と言われた高級品です。決して無駄にはいたしません。バジル君、良ければその砂糖水、私に買わせてくれるかね?」


 突然の申し出に少年は大きな瞳を丸くする。彼の手に金貨の詰まった財布を握らせて、コナーは火と鍋を貸してほしいと天帝に願い出た。


「今度は私がこの水を甘いソースに変えましょう」


 レシピはごく簡単だった。砂糖は焦げつきやすいので、火加減だけ注意して煮詰めていく。飴色になれば火を止めて、少量の水を加えて滑らかに。

 鍋から椀に移し替えたカラメルソースをラオタオに差し出す。少し冷やしたそれをひと舐めして狐は「美味い!」と狂喜した。


「ハイちゃん、いいよ! 港はハイちゃんの好きにしてくれ!」


 まあ最初からそのつもりだったけど、とソースにパンを浸しつつ青年将軍は告げる。彼はもう目新しいデザートを頬張るのに忙しそうだった。

 さて、ラオタオがいいと言ったなら宴もそろそろおしまいか。アクアレイアには大きな土産ができたわけだが果たしてこれからどうなるだろう? あまり楽観視はできないと己は睨んでいるけれど。


「ハイランバオス、それにバジル・グリーンウッド。なかなか小気味良かったぞ」


 天帝が二人の功労者を賞する。呼ばれた二人は「ありがとうございます」と深く礼をした。


「船も港もお前の自由だ。我が弟よ、アレイア海をどうするつもりか知らないが、期待しているぞ。いつだってお前は私のためだけに働いてくれるからな」


 ヘウンバオスはにやりと笑う。健気な弟を褒めたのか、はたまた彼の背後にいる人間に釘を刺したのか。おそらく両方なのだろうが。


「ええ、このハイランバオス、これからも我が君に尽くしてまいります!」


 羊の皮を被った狼たちの会話だった。ちらちらと牙を覗かせて飼い馴らせるか互いに隙を窺っている。

 こみ上げる笑みをひた隠しつつコナーはこの一幕を眺めた。

 結構な役者揃いではないか。天帝も、将軍も、――ハイランバオスの内側にいる何者かも。


(だがやはり、偽の預言者より獅子と狐が一枚上手だな)


 何も言うまい。沈黙こそ賢者の美徳。

 この世は舞台、人はみな役者。まぎれ込んだシェイクスピアは黙って彼らを見届けるのみだ。





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