第4章 その17
一睡もできないまま迎えた朝。ティボルト・ドムス・ドゥクス・マルゴーは倒れ込むように謁見の間の椅子に座した。
ぐるぐると目が回る。思考が回る。
これからどうすればいいのだろう。こうまで進退窮まった状態で。
パトリシアは昨日のうちに古王国へと帰ってしまった。小娘一人どうとでも言いくるめられると思ったのに存外に強情で。チャドに武器を向けられた話は聖王の耳に入るだろう。これでもう本格的な反逆だと見なされるに違いない。
ジーアンの使者のほうも完全に打つ手を間違えた。剣士がグロリアスの里に至る前に口封じできていれば事故と言い張れたかもしれないが、今はもう誰が生き残ったかも、どの情報が誰にどう伝わったかもわからない。
まだ帝国に縋る道は残されているだろうか。公爵家を存続させる方法は。
「ティボルト様、ジーアンの使者殿がお越しです」
どっと汗を噴き出しながらティボルトは開門と案内を指示する。生きていたかとほっとした反面、どこまで裏を知られたと不安で不安で仕方なかった。
そうしてマルゴーの命運定まる時が来る。
謁見の間に現れた一行と、ぞろぞろと連れ立ってきた護衛兵の顔ぶれを見てティボルトは心臓を止めるところだった。グロリアスの古城へやった元傭兵の半数以上が並んだのだから当然だ。ブルーノの姿はあるがグレッグの姿はない。傭兵団の連中がこうも目尻を尖らせている理由は考えるまでもなかった。
「申し開きしたいことはあるか?」
流暢なパトリア語で黒髪の使者が問う。言い訳せねばと焦ったがどう繕えば綻びをなかったことにできるのかは一案も思いつかなかった。
冷たい視線が突き刺さる。いくつもの、これまで見捨ててきた者たちの。
「ないならこちらから話すぞ。ハイランバオスとラオタオはグロリアスの里で見つけた。既に始末は完了している」
聞いた瞬間悟ったのは「もう古王国との関係は終わりだ」ということだった。チャドが王女に乱暴をし、預けられた使者まで死なせたとあっては銀山を守りようもない。
だがだからと言ってジーアンへの尻尾の振り方もわからなかった。こちらが古城もろとも使者一行を葬ろうとしたことは明白なのだ。だから続いた使者の言葉は信じがたいものだった。
「予定通り同盟を締結してやる。調印の準備をしろ」
「なっ、え……っ!?」
驚きすぎて腰が抜ける。休戦協定ではなくて軍事同盟を結んでくれるつもりなのか? 裏切り者の討伐という大目的は果たしたのに?
「な、な、なぜそんな……」
理解できなくて思わず使者に尋ねていた。ジーアンがマルゴーのしたことを許してくれるはずがない。それなのになぜ古城での一件を口にさえしないのか、まったく腹が読めなかった。
「二国の友好の証としてそのうち息女をジーアンに招待する。言っている意味はわかるな?」
は、とティボルトは息を飲んだ。やっと少し使者の考えが掴めてきて。
古王国が求めてきたのと同じことをジーアンも要求しようというのである。東方では妻を何人も娶るのが珍しくないと聞く。ティルダを天帝に、あるいはほかの将軍に輿入れさせろと言っているのだ。
「あ、あの、そ、それは……」
「無理強いする気は別にない。視察の後に利があると判断すれば受け入れよ。それにこちらは息子のほうでも構わないのだ。射撃が得意らしいしな」
どこにいると問われて「い、今は独房に」とたじろぎながら返答する。鋭い瞳をこちらに向けて使者は「出してやれ」と命じた。
「通訳を救ってくれた恩人だ。王子に免じて古城の件は一旦捨て置いてやる。代わりに今後ジーアンとの交渉は彼に代表を務めさせろ。間違っても古王国に引き渡すような真似はするなよ」
「は、は、はい!」
断れるはずもなくぶんぶんと縦に頭を振り続ける。
繋がった。首の皮一枚、ぎりぎりで。
「ついでに銀山の運営も次男に見直させるといい」
使者の用事は済んだらしい。同盟締結の調印が終わると彼らは長居せず城を立ち去った。「残しておくのも気の毒だし、人手不足のドナに移住を勧めた」と護衛兵たちも引き連れて。
嵐は過ぎてくれたのだろうか。判別はまだできない。けれどもうジーアンに従う以外どうしようもない。
「はあ、はあ……」
くたびれ果ててティボルトは椅子に深く沈み込んだ。脱力はあまりに激しく、このまま二度と起き上がれる気がしなかった。




