第4章 その16
はあ、はあ、己の吐き出す息がうるさい。レイピアを杖代わりに急峻な坂を登っていくが、手にも足にももうほとんど力は入っていなかった。
ブルーノは上手くやっただろうか。仲間はちゃんと逃げただろうか。
確かめる術もない。グロリアスに向かった兵は別の兵の一団とサール方面へ戻っていくのを茂みに潜んで見送ったけれど。
剣士を追うのを優先したか、一抹の情か、追手はグレッグを仕留め切らずに去ったようだ。だがせっかく意識を取り戻したものの、この深手ではそう長くもつとも思えなかった。せめてグロリアスまで辿り着ければいいのだが。皆の無事さえこの目にできれば。
崖沿いの古道をよたよたと進んでいく。里は遠いなと息切れしながら。
これは着かない。わかっていた。
歩むたびに背中に走る激痛が騒ぐ。お前は血を流しすぎた。間もなく迎えが来るだろうと。
それでも歩むのをやめなかった。したいことも、できることも、ほかには何もなかったから。
(ルースが死んだのもこの辺りだったなあ)
相棒だった男の顔を思い出す。いつもへらへら笑っていて、口を開けば女の話ばかりしていた。どういう気持ちであいつは死んでいったのだろう。
いやな国で、いやな仕事をさせてしまった。きっともっといくらでも向いていることがあったのに。
チャドも最後はやりたいようにやれたのだろうか。負わなくていい責任など放り出して。
(なんにも知らなかった頃はいい国だって思えてたのに……)
ずるずると足を引きずる。重くて仕方のない足を。
視界もなんだかぼやけてきていた。夜のせいだけでなく暗い。月明かりまで雲に奪われ、こんなでは谷に転がり落ちそうである。だが足は止めなかった。もはやまっすぐ歩けているかもわからないありさまだったが。
(何ができたんだろうな、俺……)
ふらつきながら自問する。自分が面倒を見てやると決めた仲間のことくらいちゃんとしてやれたのかと。
わからない。思い浮かぶのはしてやりたかったことばかりだ。
(まあ、けど、青くなったティルダの顔は見ものだったか)
一度くらいは意趣返しできたと言っていいだろう。嘘にまみれた公爵家に。
お前の胸もすくかな、ルース。
口角を上げて呼びかける。
公爵だってこれからは自分の身を切らねばならない。少しずつ変わっていくはずだ。こんなどうしようもない国でも。
(なんとか王子が生き延びて、幸せになってくれるといいな……)
誠実に過ぎる友人のために小さく祈る。
目指す古城も、夜の終わりも、まだ途方もなく遠かった。
瞳を閉じたら最後だろう。悟っていたが抗えなくて瞼が下がる。
血潮は既に指先まで巡ってはいなかった。
どさ、と軽い音と衝撃。あとは暗闇。背中の痛みが薄れていく。
──それが消えたらもう何も残らなかった。