第4章 その11
どこかで風切り音がした。矢が放たれるときのあの音を己が聞き違うはずがない。見上げれば茜空から細い影が落ちていくところだった。
何かあったのだろうか。ヘウンバオスは林道を進む足を急がせた。間もなく交代となるバジルとモモをねぎらうのに近くまでは来ていたが、岩塩窟付近の様子までは見えない。引き返して村人たちを連れてくることも考えたが、胸が騒いでそのまま坂を駆け上がった。
少しすればどうせ夜番の者が来る。先に状況を確かめておこう。
判断は正しかったのか、それとも誤りだったのか。高く伸びたマルゴー杉の間を抜け、深い横穴の掘られた山肌が見えてくるともう異変は起きた後なのだと知れた。
道の先には鷹に群がられた弓兵と一人で応戦中の斧兵。ラオタオらしき男もいる。そして岩塩窟を封じた重い扉は片側を開け放たれていた。
「おっ、天帝陛下じゃん! 思ったより早かったね!」
こちらに目を留めた狐が軽いステップで斧を避けつついやらしく笑う。彼に武器を向けている小柄な少女はヘウンバオスに気がつくと「ごめん!」と眉を歪めて詫びた。
「ハイランバオスが中に入った! 追いかけて!」
言って彼女は激しく狐に切り込んでいく。今の間に通れということらしい。何があったのか全容は把握できずとも片割れが聖櫃に接近しているのは明らかだ。ヘウンバオスはともかく岩塩窟に駆けた。そのときだった。
「ヘウンバオス様!」
杉の陰から飛び出してきた男に腕を掴まれる。顔を見てすべて理解した。
道理で後手に回ったわけだ。鷹飼いが陥落されていたのなら。
「助けてください。仲間がまだ、退役兵の本体が奴らの手に」
退役兵。ということは、これはドナで死体になった男の中身か。
おそらく本物の鷹飼いと接合済みなのだろう。ハイランバオスが単独で坑道に踏み入ったなら内部の案内も終わっているに違いない。もはや一刻の猶予もなかった。
「脅されただけか? 敵か味方か判別している暇がない。片がつくまでそこで寝ていろ」
「……ッ!」
下腹に拳をめり込ませ、倒れた男が動けぬように思いきり足首を踏み抜く。骨が折れたのを確認すると彼の手から鎌を取り上げ、駆け抜ける際に弓兵の手に投げた。
「あ、ありがとうございます!」
鋭利な嘴につつかれながらも少年は上手く受け取ったようだ。振り返らずにヘウンバオスは岩塩窟に飛び込んでいく。
「…………!」
真っ暗闇のはずのそこには灯りのついたランタンが一つ残っていた。まるで自ら追跡者に分け与えでもするように。
一度来たとき道は覚えた。ランタンの持ち手を掴んで歩き出す。
果たすべき終わりに向けて。




