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ルディアと王都防衛隊~海の国の入れ替わり姫~  作者: けっき
第3章 新たな守護者へ
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第3章 その5

 卒倒しそうなほどばくばくと波打つ心臓を手で押さえ、通路の奥へと進んでいく。足音を忍ばせて、誰にも見咎められないように。

 こんなに早くジーアンの使者が来るなんて。預言者たちがここにいることを見透かされているなんて。

 考えれば考えるほどティボルトの心は乱れた。とにかく早くあの厄介者どもを城外へ追い出さなくては。「見つかりました」と報告するにせよサール内ではまずすぎる。


「お逃げくだされ! 一刻も早く!」


 角の客室に辿り着くと呼吸も整わない間に叫んだ。冥府に片足を突っ込んだ気分のティボルトとは対照的に、ソファにかけたハイランバオスもラオタオものんびりと余裕ありげだったが。


「どしたの? 天帝陛下のお遣いでも来た?」


 狐の問いに「そうです。そうです」と頭を振る。だからさっさとこの城から消えてくれと。


「岩塩商に紛れればサールリヴィス河を下れます。今ならまだ北パトリアへは追ってこないはずですので!」


 ティボルトは強く二人に勧める。勧めながら、河を下ってくれるなら関所で捕らえやすいだろうとも考えた。もし後で聖王に彼らをジーアンに差し出したことを非難されても「兵が早まってしまった」と言い訳できる。捕り物の舞台がこのサール宮でさえなければ。


「あはは、本当に来てたんだ。ね、それって防衛隊と一緒だったでしょ」


 楽しげな顔を向けられ、ティボルトはぎくりとした。ラオタオの言う通り、確かに使者は防衛隊と一緒だったがなぜ彼が知っているのだろう。

 微笑を浮かべたハイランバオスも「我々の身柄をよこせば軍事同盟を結んでやると持ちかけられました?」と見ていたように言い当てる。

 咄嗟に否定の声が出ず、ティボルトはたじろいだ。


「いいのですよ。少し考えればわかることです。今のあなたが彼らに従わざるを得なかったことも……」


 聖預言者は優しい口調で赦しを述べる。不快にも遺憾にも思っていないと。ただ、と静かに彼は続けた。


「本当にジーアンなどを信用なさるおつもりなので?」


 言葉はティボルトの胸を覆う不安に直接突き刺さった。嵐の中で、自覚する余力もなかった保身的考えが──腹のわからぬ他者への疑念というものが──ハイランバオスのひと言で急に形を持ってしまう。布の家に暮らす野蛮人などどこまで信用できたものかと。


「いや、それは……」

「俺たちを売って帝国にそっぽ向かれたらマルゴーいよいよ孤立無援じゃん。もっとよく考えたほうがいいんじゃないの?」

「う、売るだなんて。私はあなた方に安全に逃げていただこうと」

「ああそう? けど国内で俺らが見つからなきゃ見つからないで困るよね? 納得しないと使者は帰ってくれないだろうしさあ」

「…………」


 返答に窮してティボルトは押し黙った。駄目だ。彼らにはばれている。帝国になびくつもりだったこと。彼らを引き渡そうとしたこと。それでもどうにか説得せねばとティボルトは言葉を尽くした。──否、尽くそうとした。


「黒髪でしたか?」


 唐突にそんなことを問われ、思わず「は?」と尋ね返す。ハイランバオスはにこりと笑んで問いを続けた。


「黒髪の、賢しげな眼の青年でしたか? ジーアンからの使者というのは」


 わけもわからずティボルトは「え、ええ」と首肯する。返答を聞くと預言者は満足そうに口を開いた。


「なるほど! ならばあなたの取るべき道は一つです。使者など殺してしまいましょう」


 物騒すぎる台詞に全身凍りつく。ぶんぶんと首を横に振り「できません!」と悲鳴じみた声で訴えた。使者を殺す。外交上最もやってはならないことだ。そんなことをすれば即座に戦になる。


「騎馬軍がマルゴーに攻め込む理由を作ることはできません。国の寿命が縮むだけです!」

「わかっていますよ。あなた方にやれとは言っていないでしょう」

「は、はあ?」

「使者は我々が殺します。そしてすみやかにマルゴー国外へ逃れます。あなたはジーアン人同士の殺し合いだと弁明できるし、我々を匿っておく必要もなくなる。一石二鳥ではありませんか」

「は、はあ……!?」


 考えても理解はまったく不可能だった。こいつは何を言っているのだと瞬きしながら見つめ返す。ハイランバオスはティボルトの困惑ぶりを面白がるように口元を緩ませた。そうして次に落ち着き払った声で告げてくる。


「待ち人なのです。彼は私を殺しにきたし、私も彼を待っていました。コナーの件はここに留まるための方便だったのですよ。探しても彼に会えないことは知っていました」


 どういうことだ。つまり預言者は最初から天帝の遣いが来るのを待っていたのか? なんらかの因縁があって?


「つい先程もラオタオが申しましたが、ジーアンだけを頼みにする危うさにはあなたも気づいておいででしょう」


 ハイランバオスは妖しく笑んで囁きかける。古王国と断絶しない道も残しておくべきだと。


「あなたに真に必要なのは我々を守り、逃がしたという事実。それさえあれば西パトリアに絶縁状を叩きつけずに済むのです。帝国が掌を返したときに困るでしょう? ジーアンはね、身内以外は同じ人間だなんて思っていませんから。それよりは帝国の脅威に対し、西パトリアに結束を呼びかけ、聖王から銀山を拝領し直すほうがあなたにとっていいのではないですか?」


 ソファから立ち上がった預言者はこちらに近づき、そっとティボルトの手を取った。


「使者団はグロリアスの里へ向かいましたね?」


 青年は神の目を通して世界を眺めているかのごときである。次から次に看破され、堪らずひれ伏しそうになる。


「は、はい……」


 震えて頷くティボルトにハイランバオスは今立てたらしい計画を語った。


「殺すならサール宮よりあちらの古城がいいでしょう。逃亡者が潜んでいてもおかしくはないですし、火薬庫から出火すれば現場が荒れて真相解明しづらくなります」

「火薬庫? いえ、あの城には火薬の類なんてもう……」

()()んですよ。厨房や暖房器具を使用するための燃料を運ぶくらいあなた方にもできるでしょう? たまたまそこに粉末火薬が混じるだけです。それすら知られたくないのなら運び手には始末していい兵を用いればいかがです?」


 始末していい兵と聞き、脳裏を掠めたのはチャドの側付きたちだった。温情で生かしていたが、息子を人質に出すと決まった今は飼い続けても意味のない連中である。


「……わ、わかりました。すぐに手配いたします」


 意を決し、ティボルトは頷いた。ハイランバオスが使者を殺し、北パトリアへ逃れればジーアン軍はそちらへ向かう。情報さえ渡せばおそらく休戦協定は結べるだろう。使者が死に損なったときは潔く帝国へこの二人を差し出そう。今はまだ静観だ。最終的に事態がどう転ぶかを慎重に見極めねば。


「では詳しい段取りはまた後で。使者団を見送ったらお戻りください」


 客室を出るように命じられ、ティボルトは部屋を後にした。冷えきった長い廊下を踏み出せば老体は哀れにふらつく。壁についた手で己を支えてどうにかこうにか前へ進んだ。

 これでいい。きっとこれでいいはずだ。

 震える胸中で繰り返す。

 本当はもう、吹き荒れる風に煽られるままになっていたのだけれど。

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