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ルディアと王都防衛隊~海の国の入れ替わり姫~  作者: けっき
第1章 傭兵は海で踊る
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第1章 その7

 峠を越えると見える景色が一変するように、海の色も海峡を越えると急激に変化するらしい。コリフォ島を出てますます青みを深める海を眺め、グレッグはぼんやりと故郷の山並みを思い浮かべていた。

 随分遠くへ来たものだ。これでまだ目的地まで半分の航程だというのだから天帝の領土拡張欲や恐るべしである。

 危険なのはジーアンだけではない。聞きかじった話によればアクアレイアがパトロール船を出す余裕のないのをいいことにパトリア海では海賊の出没頻度が上がっているそうだ。船の上での戦闘などグレッグにも経験がないけれど、心づもりはしておいたほうがいいだろう。

 別にこの船を守ってやろうというのではない。共倒れは勘弁というだけの話だ。己には己の帰りを待っている者がいる。そう簡単に海の藻屑になるわけにいかない。


(あいつら元気でやってっかなあ)


 グレッグは王都に残してきた副団長や部下の顔を思い返した。千人いる仲間のうちガレー船に乗せてやれたのはたった二百人だけだ。王国軍人がごそりと街を離れている間、マルゴー兵にはその代役を果たしてもらうとイーグレットは言っていたが、相応のもてなしを受けられているのだろうか。陸上防備の任ならば海上遠征組と違って歓迎されてはいるはずだが、なにせアクアレイアの自国民優遇は度が過ぎるほどだから――。


「ねえ団長、レイモンドって本当にアクアレイア人なんですかねえ?」


 不意に耳元で尋ねられ、グレッグは「あ?」と問い返した。何を言っているのだ、この阿呆は。アクアレイア海軍の船に乗っているのがアクアレイア人でなければ一体なんだと言うつもりだ。

「あいつ王都防衛隊とかいうのなんだろ? 外国人の就ける職じゃねえよ」

 船縁に背を預け、嘆息つきでそう返す。だが脳味噌不足の歩兵はグレッグの返答に満足しなかったようだった。


「えーっ! でも連中とは体格が全然違うじゃないっすか! 猫背であんまり目立たねえけど手足長いし、それに目が」

「目? ああ、目玉の色は確かに薄いな。黒目がちなアレイア人とはちょいと違うか」


 元々が出自不祥な海賊たちの国だからなのかアクアレイア人の身体的特徴はバラバラだ。特に多色多様な髪と瞳はカワセミの羽のごとしである。

 しかし黒目の割合は計ったように一定だった。それはアクアレイア人の特徴と言うより西パトリアに住まう人間全般の特徴だけれど。


「っつーことは混血か」


 周囲を見回しながらグレッグは呟く。いつも昼頃ぶらぶらと物売りついでに遊んでいく青年の姿は甲板のどこにも見当たらなかった。

 明るすぎる目。上から一枚薄膜を被せたように色落ちた瞳孔の。西か東か、いずれにせよアルタルーペの山々より遥か北方の人間の持つ目である。傭兵団にも似た双眸の男がいる。


「母親に似てあの外見ならともかく、父親が外国人なら苦労したろうな」


 グレッグが零すと歩兵は間抜けに「えっ? なんでです?」と聞き返した。


「だってアクアレイアじゃ父親の血筋に重きを置くだろう。母親が自国民でも父親がそうでなきゃ子供は外国人って扱いだぜ。あそこの国籍を欲しがる商人は後を絶たねえらしいけど、いくら金積んでも十年だか十五年以上だか王都に住んでなきゃ申請できねえって話だし」

「へえ、団長物知りですね」


 感心する部下にふふんと笑う。


「ま、姫君の直属部隊に入れるくらいだ。アクアレイア人で間違いねえよ」


 グレッグは革袋を開け、塩漬けオリーブの実を一つ口に放り込んだ。渋味も酸味もなくて美味い。先日誕生日だったレイモンドに一杯奢ってやったところ、返礼によこしてきたものだ。

 アクアレイア人は好きじゃないが、あの若者だけは別だ。あれよと言う間に皆の遊び仲間になってしまったし、グレッグも快適な船上生活を送るコツや、帆の上げ下ろし中はどこにいれば安全かなど、偉ぶった海軍は教えてくれないようなことを色々教えてもらっている。王国人以外の血が流れているなら彼の親切さも納得だった。

 次なる寄港地イオナーヴァ島はパトリア海の中央に位置し、アクアレイアの商船だけでなく西パトリアからも東パトリアからも人が集まってくるという。隣国の儲け主義とは一線を画す、志の立派な商人が素晴らしい品々を提供しているに違いない。どんな酒や特産品があるか今から楽しみだ。


「あ、団長! あれがイオナーヴァ島じゃないっすか!?」


 話し込んでいる間に停泊地は目と鼻の先まで近づいていた。

 どこまでも青く透き通る、世界中の光を閉じ込めて波で蓋をしたかのごとき輝く白浜に目を奪われる。暗い水路に藻の臭うアクアレイアとはまるで違う、正真正銘の楽園だ。


「おお、綺麗なところだな! こりゃいいや。王都で留守番してる奴らに何かいい土産探してやろうぜ!」


 船旅も半月を過ぎ、グレッグの気は緩んでいた。同じ頃、アクアレイアでは傭兵団の古参兵らが「うちの団長お人好しだから、身ぐるみ剥がされてないか心配だ……」と唸り合っていたことも知らず。




 ******




「お、おおー!」

「こりゃすげえ! どこもかしこも店だらけだ!」

「団長、どこから回ります!?」


 ガレー船を降りたグレッグたちマルゴー兵は通りの賑わいに歓声を上げた。陰険な海軍兵士に「積み込み作業の邪魔だ!」と追い立てられたことも忘れ、お祭り騒ぎの市に胸を躍らせる。

 コリフォ島でも商店は覗き歩いたが、あそこは防衛拠点のためか地元民向けの小店舗中心だった。売り物もいかにも「家で作った分の余りです」といった風で、土産にするには少々不向きだったのだ。


「団長、ちょいと広すぎますぜ。ここはレイモンドに案内してもらったほうがいいんじゃないですか?」


 軟弱な歩兵が慎重策を取ろうとするのをグレッグは鼻で笑う。我々の本業は傭兵だ。金銭報酬と引き替えに戦うプロフェッショナルなのだ。世間知らずのお坊ちゃまでもあるまいし、アクアレイア領外の島でまで先導してもらう必要はない。


「てめえは腰抜けか? あ? それでもグレッグ傭兵団の一員かよ? 美味いメシが食えて、いい酒が飲めて、ついでに陽気なお姉さんたちとお喋りできる店くらい他人に頼らず見つけてこいってんだ!」

「え、ええーっ! わ、わかりましたよぉ」


 駆け出した歩兵の背中が雑踏に消える。石畳の大通りには談笑が響き、歓声を上げて子供たちが跳ね回った。空は明るく澄み渡り、危険の予兆など一つもない。

 イオナーヴァ島は東パトリア帝国領だが皇帝の支配は強く及んでいないようだ。人々は西パトリアの公用語であるパトリア語を話していて、訛りもさほどきつくない。時折皮膚の浅黒い東パトリア商人とすれ違ってハッとするくらいで、パトリア古王国の島にバカンスにでもやって来た気分だった。


(いいなあ、ここ)


 船から一望したときも思ったが、イオナーヴァ島は緑が濃い。街の向こうにそびえる山も起伏に富み、どこか懐かしさを覚えた。遠慮ない日光だけは故郷と似ても似つかなかったが。


「グレッグ団長ー! 大変です! ご、極上の葡萄酒があー!」

「何っ!? 極上の葡萄酒だと!?」


 数軒先から己を呼ぶ声にグレッグは顔を上げた。ワインと聞いて仲間の数人も色めきだつ。そんな彼らを引き連れてグレッグは斥候のもとに急いだ。

 東パトリアは古くから美酒の産地として知られている。神々でさえ奪い合い、刃傷沙汰になった代物だ。否応なしに胸が逸った。


「おや? これは珍しいお客さんだ。商人でなく用心棒がいらっしゃるとは」


 歩兵の手招きで導かれたのは格の違いがひと目でわかる絢爛豪華な五階建ての商館だった。酒樽を並べて軒先に立つ売り主らしき中年男と彼の連れた子供を見やり、グレッグは「古王国の商人かな」と当たりをつける。

 二人ともやけに肩と胴回りの膨れた派手な上衣を着ていた。仕込んだ綿の量で富を顕示するのはパトリア古王国の富裕層に流行しているスタイルだ。この暑いのに親子は間抜けなお洒落のために耐え忍んでいるらしい。


「兵隊さんたち、ひょっとしてさっき入港したアクアレイアの船の人です?」


 まだ髭も生えていない少年が三白眼を瞬かせて問うてくる。王国軍人だなどと誤解されたくなかったので、グレッグは頷きながら付け加えた。


「そうだ。けどな、俺たちゃマルゴーの正規兵だ。同じ船に乗ってるからってあんな連中と一緒にしてもらっちゃ困るぜ」

「ほう、マルゴー公国の! あの勇猛果敢で有名な?」


 グレッグの返答に喜んだのは父親のほうだった。ちょび髭の商人は興味深げにこちらへ一歩踏み込んでくる。


「私はカーリス共和都市のローガン・ショックリーと申します。これは息子のジュリアンで、今年十二歳になります。いや、まだまだ子供なのですが、早いうちに海に慣れさせようと思いましてね」

「へえ、そりゃいいじゃないすか。俺もその年にはもう戦場へ出てましたよ」

「ほほう! やはりマルゴー正規兵に数えられるようなお方は剣を振るうのも早かったわけですな! ううむ、見れば見るほど力強く頼もしい!」


 いちいち説明しなくてもこのカーリス商人は傭兵と正規兵の違いをわかっているらしい。称賛されて悪い気はせず、グレッグは自然と愛想良くなった。


「この神殿みたいに立派な商館は旦那がお建てになったんで?」

「いやいや! こちらの主人はこの一帯の総元締めです。私は時々こうやって商品の売買に店頭を間借りさせてもらうだけで」

「おや、外しちまいましたか。そこらの商人とは風格が違うんで、お偉い方に違いねえと睨んだんですがねえ」

「はっはっは! いえいえ、私などはまだまだ」

「けど相当な葡萄酒を扱ってるみたいじゃないっすか? 五年後、十年後にはこんな商館を山ほど持つ大商人になってらっしゃるんじゃないですかね?」


 グレッグの褒め殺しにローガンは「いやあ、参りましたなあ」と緩んだ頬を掻く。父を絶賛された息子もニコニコと嬉しそうだ。


「兵士殿、良ければショックリー商会の葡萄酒をお飲みになって行かれませんか? ささ、ご遠慮なさらず、どうぞどうぞ」


 ローガンはジュリアンに酒を注がせてグレッグのもとへ運ばせた。駆け出しの見習いらしく従順に、いじらしいほど懸命に、少年はほかのマルゴー兵にもワインを振る舞って回る。


「よく親の手伝いをするいい子ですねえ!」


 上機嫌でグレッグは杯を傾けた。青空を肴に美酒を味わえるとは幸運な。

 ああ、やはり良い土地では良い出会いがあるものだ!




 ******




 さすがにアクアレイア領を出てまで禁固刑を受けることはなく、レドリーはディランと二人、暮れかけた大通りを歩いていた。が、自由に動けるのはいいものの、どこへ行ってもカーリス人が大きな顔で歩いているのが面白くない。コリフォ島基地の同期が「アクアレイア人のいなくなった席にあいつらまんまと収まりやがった」と嘆いていた通りだった。

 アレイア海東岸をジーアン帝国に奪われて約二年、王国は大船団を組んでの航行を一度も実施できなかった。その隙にライバル海運都市カーリスの進出を許してしまったのである。

 定期商船団を派遣できなかった理由は様々だが、いつもはアレイア海東岸で募っていた船乗りを国内だけでまかなわねばならなくなったのもその一つだ。ただ船を出すだけなら何隻だって出航できるが送り出した船員の数だけ王都の男手は――もっと言えば戦士盛りの若者は減ってしまうのだ。

 ジーアン帝国の出方が読めない以上、王国の防備は万全にしておかなければならなかった。休戦協定を結んで以後も天帝は執拗に通商安全保障条約を締結しようとしなかったのだから。

 今回は正直、マルゴー兵が来てくれたおかげで十五隻もガレー船を発たせることができたのだ。当初の予定ではこの船団ももう五隻少ないはずだった。

 調子に乗ったカーリス人たちはイオナーヴァ島やミノア島近海で海賊行為に手を出しているとも聞く。しかもそのターゲットは定期商船団に頼らず独力で海へ出たアクアレイア帆船だというから許しがたい。

 帆船は風力で進むため乗組員が非常に少ない。つまり緊急時の戦闘員がほぼいないのだ。また大量の荷を積んでいるため無法者には恰好の標的だった。

 基本的に海賊は現行犯で捕らえるしかない。この街にもアクアレイア商船を襲った不届き者が潜んでいるに違いないのに何もしてやれない自分がレドリーにはもどかしくてならなかった。


「ふっざけんじゃねえ! こんなの詐欺じゃねーか!」

「はあー? 飲んだら飲んだだけ支払いをするのが筋だろう! そんなことも知らずに酔いどれていたのかね?」

「金取るなんていっぺんも言ってなかっただろうが!」

「とんでもない言いがかりだな! 商品はすべて例外なく貨幣と交換するものだ! わざわざ言って聞かせねばわからん馬鹿者だったとは……」


 と、突然耳に飛び込んできた騒ぎにレドリーはディランと顔を見合わせた。

 耳の穴をほじりつつ代金を請求するのはカーリス共和都市の豪商ローガン・ショックリー、対する踏み倒しの容疑者はマルゴー公国の傭兵団長グレッグだ。


(なんだ? 何かあったのか?)


 関わり合いになるのを避けるべきか思案する間にディランが「おや? どうなさいました?」とグレッグに駆け寄っていく。味方が来てくれて助かったというよりは見つかりたくない相手に見つかったという顔でグレッグは「どうもこうもねえよ!」と鼻息を荒くした。


「おやおや、アクアレイア海軍さんではございませんか。この辺りの海からは完全に消えてくれたと思ったのに、定期商船団復活の見通しが立ったのですか? せっかくカーリスの時代を謳歌していたところですのに残念ですなあ」


 ローガンの厭味にレドリーは眉をしかめる。この男の情報網なら今回の船団がハイランバオスの送迎を目的としていることくらい突き止めているだろう。わかっていて残念などとよく言えたものだ。


「で、このマルゴー兵たちが何をしたんだ?」


 ローガンを鋭く睨みつけてレドリーも問う。もう大人しくしているわけにはいかなかった。


「おお、そうでした。私は今、ただ飲みできる葡萄酒かそうでない葡萄酒かの判断もできない山猿殿にきちんと料金を払えと諭しているのですよ」

「誰が山猿だ! このコットンデブ!」

「お、お前ら無銭飲食しようとしたのか?」

「馬鹿! 違ぇよ! そいつが俺らにまあ飲んでいけって杯を差し出してきたんだ! なのに後になってあれは商品だったとかぬかしやがって……!」


 なるほど、状況は把握できた。アクアレイア人なら誰も引っかからない初級の悪徳商法だ。


「最初に値段を確認しなかったお前らが抜けてるんだよ。そんなんでよく傭兵団長が務まるな」

「んだとコラァ!?」

「レドリーさん、責めては可哀想ですよ。あなただって何年か前に偽の彫像を掴まされて、十万ウェルスもどぶに捨てたじゃないですか」

「おい、やめろディラン。俺の古傷には触れなくていい」

「とにかく払うものは払わないと、このままでは団長さんが訴えられてしまいます。足りない分は私がお貸しますので支払い額を教えてくださいますか?」


 お節介にもディランは財布を取り出した。ユリシーズの件でグレッグたちの看病を拒んだのを悪く思っているのかもしれない。

 仕方がない。友人が出すと言っているのに自分が出さないわけにいかない。レドリーも金をしまった懐に手を突っ込んだ。ぼったくられたなどと言ってもせいぜい七、八千ウェルスだろう。その程度の持ち合わせなら――。


「では百万ウェルス、この場でご清算いただけますかな」


 突きつけられた金額に目玉が飛び出しそうになった。思わず「はあ!?」と叫んでしまう。一体なんの冗談だと。


「パトリア古王国の偉大な神官殿にお出ししている銘柄でしたのでねえ……。で、支払いは可能なのですか?」

「ひゃ、百万ウェルスも現金で持ち歩くわけないだろが! お、おい、この際だから銀行に走ってやるのは構わないが、返すあてはあるんだろうな?」


 後半はグレッグに向けた台詞だ。傭兵団長は苦々しく「あるにはあるが払う気はねえ」と即答した。


「舐めくさりやがって。テメーの酒が百万ウェルスもするって証拠が一体どこにあるってんだ!? 俺は正当性を感じない飲み代なんて一ウェルスたりとも出さねーからな!」

「なんとまあ! 盗人猛々しいとはこのことだ。証拠なら私の帳簿がありますよ! ねえ、私には百万ウェルス受け取る権利がございますよねえ!?」


 ローガンは開かれた商館の扉の奥に大声で呼びかけた。怪しかった雲行きがもっと怪しくなってくる。

 薄暗闇からのそりと顔を出したのは強面のいかつい老人だった。確かこの島の商業区をまとめ上げている地元ヤクザ――もとい、大商館の支配人の。


「ま、子供でもわかることじゃわな。飲んだら払うのが常識じゃ」


 悪党が商館の主人と結託するのはままある話だが、これは相手が悪すぎる。イオナーヴァ島の大旦那と争って勝てた人間はまずいない。この島の司法には彼の息がかかっているのだ。百万ウェルスは持っていかれたも同然だった。


「なっ、なんでそうなるんだよ!? こいつだって嘘ついたんだぜ!?」

「わしは最初から見とったが、あんたが勝手にタダと勘違いしたとしか思えんな」

「んなワケあるか! 大体見てたならなんで止めねーんだ!?」

「そう言われても普通は酒樽一つ丸ごとプレゼントされたなど厚かましい考えはせん。というか金を払わんなら身柄を拘束させてもらうがいいんじゃな?」


 支配人が言うや否や、屈強な商館の私兵らがグレッグを取り囲む。短絡的なマルゴー兵たちは団長を救おうと野蛮な拳を振り上げた。


「お、おい! よせ、馬鹿!」


 慌ててレドリーが間に入る。

 乱闘でも起こす気か。そんなことをしたって不利になるだけだ。傭兵どもがどうなろうと構いやしないが連中を乗せてきたアクアレイア海軍にまで不名誉が及ぶのはいただけない。いや、この場合、不名誉だけで済むかどうか。


「支配人、この騒ぎは?」


 そこに割り込んできたのは額にやや汗を掻いたブラッドリーだった。騒動を見ていた誰かが呼びに走ってくれたらしい。助かった。これならどうにかなりそうだ。


「おやまあ! ブラッドリー殿、随分御無沙汰じゃったのう」

「私にも色々ありましてね。……で? 傭兵団長殿が不当に高額な金銭を要求されていると伺ったのですが?」

「ほっほ、そんな理不尽な額ではないぞよ。大神殿御用達の葡萄酒を一樽空にしたと言えばわかるじゃろ」

「……ならば妥当な値段は百万ウェルスというところですな。わかりました、私が彼らの支払いを代行しましょう」


 ブラッドリーはグレッグの同意も取らず即決し、証文を書きつけた。手痛い出費だが暴力沙汰にはならずに済みそうだ。

 変に裁判でも起こされてイオナーヴァ島に釘付けになるのは困る。王国海軍はヘウンバオスの誕生日にはバオゾへ到着していなければならないのだ。


「話が早くて助かるが、まさか君たち銀行証書で片付ける気ではあるまいね?」


 ところが意外な人物に話を蒸し返されてしまう。払ってやると言っているのだから素直に受け取ればいいものを、ローガンは真綿で嵩増しした肩を大仰にすくめてかぶりを振った。


「我々は今、アクアレイア人からは現金しか頂戴しないと決めてあってねえ」

「……それはどういうことですかな?」

「商売は何よりもまず信用だろう? 今なお定期商船団の航行を再開できない君たちの発行する証書などいつただの紙切れになるか知れない。そういうものを受け取るのは嫌だと言っているのだよ」

「なんだと貴様!? アクアレイアを愚弄する気か!?」

「よせ、レドリー!」


 ローガンの言い草にカッとして思わず掴みかかりかける。勇んだ腕をぐいと引かれ、レドリーは背後の抑止者を振り返った。


「――」


 ディランか父かと思ったら違った。レドリーを止めたのは超のつく優等生の従弟だった。

 年下のくせに生意気な。きっと親父を呼んだのもこいつだろう。


「金貨か銀貨で百万ウェルス用意できないなら山猿諸君にはガレー船徒刑囚になってもらうしか道はないな」

「は、はあ!? 馬鹿を言え、俺たちはこれからジーアン帝国に向かわなきゃなんねーんだ! 船漕ぎなんてやってる暇は」

「法律は法律だ。ああ、なんならガレー船に積み込んだ荷をこちらにそっくり渡してもらうのでもいいぞ? アクアレイアのレースは高く売れるからな!」


 レドリーはチッと舌打ちした。

 そういうことか。この男は初めからアクアレイアの商売を邪魔するつもりで絡んできたのだ。浮上しかけたライバルをとことん蹴落とそうとして。


「おいおいおい、そりゃねーよ! いくらなんでも人情に欠けるぜ」


 黒山の人だかりから声が上がったのはそのときだった。レドリーは顔を上げ、新たに渦中へ飛び込んできた人物が誰か確かめる。

 ふわふわしたオールバックの金髪に垂れ下がった眉と双眸。背を丸め、長い手足をぶらつかせ、知性の知の字も感じられない軽薄そうな態度をした――。それは平民だけで構成された王都防衛隊の中でも平民中のド平民、だがなぜか顔だけは広いレイモンド・オルブライトだった。



 ハラハラと突っ立っていたマルゴー兵の一人を捕まえて一部始終を聞いた後、槍兵はひょいと人垣を抜け出した。

 ルディアが止める間もなかった。このこじれた状況をレイモンドはどう打開するつもりなのだろう。

 大商館の周辺にはアクアレイア人やカーリス人だけでなく、そこらの人間が集まって成り行きを見守っていた。中には百万ウェルスのおこぼれにあずかれないか様子を窺うゴロツキまでいる。


「じーちゃん、なんとかツケにしてやれねーか? このおっさんたちマルゴーの正規兵だし、いざとなったら公爵に請求できると思うんだけど」

「……んお? おおーっ!? レイモンド、レイモンドじゃないか!」


 地元ヤクザの親玉は若者を振り返って目を丸くした。どうも二人は見知った間柄らしい。どこまで伸びた人脈なのだとルディアもぱちくり瞬きする。


「なんじゃお前さん、ちっとも顔を見かけないからてっきり……! おうおう、元気にやっとったか? 今日は商船に乗ってきたのかね?」

「へへへ! 俺さ、王都防衛隊っつーのに入ったんだ! なんと旗艦に乗ってハイランバオス様の警護を務めてるんだぜ?」

「ほほう! あの王女直属部隊か! そりゃあ出世したなあ!」


 喜色満面の表情から察するに、老人はレイモンドに並々ならぬ好意を持っているようだ。これは交渉次第でなんとかなるかもと期待が高まった。


「で、グレッグのおっさんなんだけどさ、実は俺、マルゴーのチャド王子から直々にこいつらのこと頼むって言われてんだ。もうちょっとゆるーい目で見てもらえねーかなー?」


 駆け引きもへったくれもない手を合わせてのお願いにルディアの足がずるりと滑る。いきなりマルゴー上層部との繋がりを示すなどやり方を知らなさすぎである。


「マルゴーの王子? ああ、ルディア姫の婿養子になったとかいう次男坊か。ふうむ、お前さん、やはりわしの見込んだ通りあちこち顔が利くようになってきたのう」


 老練オーラを漂わせる支配人はレイモンドを一瞥し、己の顎に手をやった。突然の長考にローガンがややたじろぐ。このとき翁はマルゴー公国の隠し銀山について思い巡らせていたのだが、それはまだルディアたちもあずかり知らぬ情報であった。


「なっ? 頼むよ! おっさんたちには俺から話して聞かせておくからさ」

「……ふーむ……」


 何度も頭を下げるレイモンドに支配人はにこやかに笑う。どうやら損得勘定は終わったらしい。その結果、天秤はアクアレイア側に傾いたようだった。


「よし、一つ貸しじゃ! 百万ウェルスはわしが立て替えといてやろう!」

「えっいいの!? けど俺が保証人になるのはお断りだぜ!?」

「お前さんの性格くらい知っとるわい。保証人だったらほれ、ブラッドリー殿がなってくれるじゃろ」

「……それで収めてもらえるならありがたい」


 提督の返事に頷いて支配人は奥から書類を持ってこさせる。

 そこに待ったをかけたのはやはりカーリスの豪商だった。


「ちょっ、支配人! 話が違うではありませんか!」

「やかましいのー。お前さんは大金せしめたんじゃからそれでいいじゃろが」

「……ッ!」


 ローガンの目的がただ百万ウェルスをむしり取ることになかったのは明白だ。この腹黒はアクアレイア自慢のレースをまるで質流れ品のごとく扱い、王国にもっと痛烈な打撃を浴びせようとしたのだろう。つまり印象操作である。あの国は潰れかけている、商売の相手にしてはいけないぞ、と。


「あー……その、ええと……。た、助かったぜ、レイモンド……」


 きまり悪そうに礼を述べる傭兵団長にレイモンドは「いいっていいって! おっさんたちに何もなくて良かったぜ!」と朗らかな笑みを向けた。

 この馬鹿はおそらく何も自覚していまい。自分で思うより多くの者を救ったことも、この場の人間にどれだけ強く己を印象づけたかも。どうやら彼の人脈鉱山にはまだまだお宝が眠っていそうである。


「フン、命拾いしたな。泥船に山猿を乗せていたのではいずれ高波に飲まれてしまうだろうがな!」


 と、ローガンの捨て台詞に静まりかけていた場の空気がざわりと波立った。解散しようと船に帰りかけていたレドリーとグレッグが同時に豪商を振り返り、きつく目尻を吊り上げる。


「は? 腐れペテン師がなんだって?」

「しつこいコットンデブだなてめえ!」


 それは奇しくもアクアレイア海軍とマルゴー正規兵の足並みが初めて揃った瞬間だった。


「お、お父様、早く行きましょう!」


 一糸乱れぬ歩みで迫る筋骨隆々の傭兵と海兵にローガンの息子が青ざめる。


「おお、可哀想なジュリアン! こんな子供に息巻くとは、これだから野蛮人は!」


 なんと口の減らない男だろう。呆れを通り越して感心する。

 ハイランバオス送迎団に奇妙な連帯感をもたらしてショックリー親子は退散した。ようやくの一件落着だった。





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