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第2章 その5

 想定より事態は遥かに悪いほうへと進んでいる。ただ銀山の所有を暴かれた程度なら他国と手の組みようもあったのに。

 王国史が古王国を──西パトリアをまとめる理由を作ってしまった。加えてこの二人の客だ。


(聖預言者ハイランバオス、ジーアン十将ラオタオ……)


 ティボルトは執務室に居残る青年たちを見やった。

 使者として訪れたのがジーアンの要人だという時点で悪い予感しかなかった。条件を聞き入れなければ即戦争、最悪の同士討ちになる。それ以上に。


「あなた方の望みは一体なんなのです……?」


 怖々と問いかける。古王国に協力してまで彼らが何を行おうとしているのか。そちらに巻き込まれるほうがティボルトは恐ろしかった。逃げ道のないままにとんでもない災いにすべてめちゃくちゃにされそうで。


「詳細は説明しても意味がないので伏せますが」


 そう前置きして預言者が告げる。


「私たちをジーアン帝国から匿っていただきたいのです。実は少々悪ふざけが過ぎまして、天帝陛下に追われる身となってしまって」


 やっぱりとティボルトは身を震わせた。ネブラにジーアン騎馬軍が集結しているとは聞いていたが、あれは裏切り者を討伐するためだったのだ。古王国に攻められずともこのままではまた帝国の進撃を受ける羽目になるのではないか。考えると眩暈がしてくる。


「……ッ北パトリアへ逃れる準備をいたします。それでよろしいですかな?」


 できるだけ迅速にこの荷厄介な青年たちを追い払おうと問いかけた。けれど二人は満面の笑みで「いえ、しばらく滞在します」と首を振る。


「コナーに会いたいのですよね。公国にいると伺いまして」


 意味がわからず「は?」と尋ね返したが、預言者たちはそれ以上何も語ろうとしなかった。本音を言えば今すぐ彼らを捕らえてジーアンに差し出したいが、そんなことをすれば「なぜ使者に無体を働いた!」と古王国に反逆を疑われるだろう。こちらはどうすることもできない。


「匿ってくださるだけで結構です。もしジーアンから私の消息を尋ねる使者が来ても『会っていないし見てもいない』と言い張ってくだされば」


 簡単でしょうと囁かれても到底すぐには頷けなかった。生きた心地がまるでしない。こんな危険物を抱えたままでは。


「……マルゴーで何をなさる気なのですか……?」


 聖預言者は答えなかった。隣の将軍と見つめ合い、くすくすと不快な笑みを零すのみだ。


「私たちはただコナーに会いたいだけですよ。彼が腰を落ち着ける村落があるはずなのですが、ご存知ではありませんか?」


 会えればすぐに出て行くと言うハイランバオスに差し出せる情報はなかった。あの画家が公国に足を踏み入れたのはグレッグ傭兵団とアルタルーペを越える途中の峠までで、その後は行き先を変えたとしか聞いていない。マルゴー内の村落に腰を落ち着けていたなど初耳だ。


「うーん。ほんとにわかんないみたいだよ、ハイちゃん」

「残念ですねえ。ですがまあ調べてはくださるでしょう。用事が済めば我々は長居の予定もありませんから」

「そっかー。じゃあしばらくはサール宮でごろごろかなー」


 勝手にそう納得し合うと客人たちは黒のロングケープを羽織り直した。旅装で立襟装束を隠してくれればジーアン人とはわからない。安堵して「ひとまずティルダに部屋へ案内させます」と申し出る。


「やった! リッチな客室で頼むよ?」

「ご丁寧にどうも、助かります」


 二人はにこやかに礼を告げ、執務室を出て行った。振舞いだけは親しげに、しかし微塵もこちらを思いやりはせず。


「はあ……」


 無人となった室内にはティボルトの深い嘆息がこだました。

 南からは聖王軍、東からはジーアン軍。

 どうすればかわしきれるのだろう。こんな状況、どうすれば。




 ******




 部屋に行ってもチャドがいないので執務室まで迎えにきたが、余計なことは考えず大人しく待っているべきだったかもしれない。曲がり角から顔を覗かせ、どう見ても怪しいロングケープの客人を眺め、ドブは息を押し殺した。

 公爵家の裏側など覗かぬほうが賢明だ。探しにきた主人の姿も見当たらないし、関わり合いになる理由がない。己は何も目にしなかった。陰鬱な面持ちで出てきたティルダに見つかる前に引き返そうと心に決める。

 それなのにまあなんと目敏いことだろう。ドブが(きびす)を返した矢先、客の一人が「あれっ?」とこちらを振り返った。


「ひょっとしてドブ君じゃない?」


 軽やかに弾む声には聞き覚えなどまったくない。フードの下の狐とよく似た顔立ちも。

 男は少しも怯むことなく大股歩きでドブのもとへ寄ってくる。思いがけない急接近に硬直した後あたふたした。執務室から出てきたということはそれなりの地位にある人だ。誰だったかと思い出そうと頑張っていると「あはは!」と明るく笑われる。


「ごめんごめん。前にコナーに聞いた子かなと思っただけ。俺と君とは初めて会うよ。知らなくって当たり前!」

「えっ? えっ?」


 なんだ。顔見知りではなかったのかとほっとする。忘れるなんて無礼な奴と叱られるかと焦ってしまった。偉い人はわけのわからぬ難癖をつけたがるし、身構えすぎていたようだ。

 それにしても初めて会う人が「あ、あの子」とピンと来るほど己は特徴的な人間だろうか。どちらかと言えば雑踏では埋もれるほうだと思うのだが。


「ほんとごめんね? びっくりさせちゃったよねえ?」

「あ、いえ、」


 疑念は湧いたがコナーの名前と友好的な男の態度がドブの緊張をやわらげた。あの画家がひととき一緒に旅しただけの傭兵団の少年をよそで話題にしていたというのもまた妙な気がしたが。


「ドブ君この宮殿で働いてたんだ。先生とはその後も交流続いてる?」

「えっ!? えっと……」


 この質問にはどう答えるべきだろうかと喉が詰まった。ドブは今、月に一度グロリアスの里の奥にある小集落までアウローラの養育費を届けにいっているのである。公爵家に殺されかけた小姫の生存を知る者は己とグレッグ、チャドだけで、三人の中では己が一番目立たず動きやすいから。

 実は今日もあの村から帰ってきたばかりであり、さっさとチャドへの報告を済ませようとしていたのだ。

 だがしかしそんなことをペラペラと喋るわけにはいかなかった。厚い絨毯の敷かれた石の通路には客人を待つティルダがおり、じっとこちらの会話に耳を澄ませていたから。


「あー、いや、超有名な人なんで、俺なんかとは……」

「そっかあ。そうだよねえ」


 視線を泳がせつつ答えれば狐目の男ががっくり肩を落とす。彼もあの画家のファンか何かなのだろうか。わからなかったがコナーの話にはあまり触れずにおきたかった。


「あのう、ところであなた様は一体どちらの……」


 気を逸らすべくドブは話題を切り替える。しかし男にはシーッと人差し指を立てられた。どうもこれは聞いてはいけないことだったらしい。


「あっ、すみません」


 すぐさま詫びると彼は朗らかに首を振る。


「いいよ、いいよ。知らない奴に急に話しかけられたら普通お前は誰だよって思うよね」


 流暢なアレイア語。だが本当に彼はどこの人なのだろう。古王国やマルゴーでは見ない感じの黄色がかった肌だけれど。

 もう一人廊下の隅に立っているロングケープは横を向いたまま瞳も髪も見えなかった。ただなんとなく、己などは声をかけるのも許されない高貴な人なのかなと思う。


「ところでドブ君は生活困ったりしてない?」

「へっ!?」


 藪から棒の問いかけに思わず声が裏返る。


「いえ、あの、一応宮殿勤めなので、寝食に困ることは……」


 おずおずと返答すると「わあ、すごい。ちゃんと自分で身を立ててるんだ。偉いねえ」と褒められた。

 なぜだろう。急に母を思い出す。家の手伝いをしたときも、友達の困り事に付き合ったときも、母はドブを力いっぱい褒めてくれた。懐かしいあの響きにどこか似ていたような気がする。


「困ってるならいくらか渡しておこうかなって思ったけど、必要ないか」

「あ、あの? なんで俺にそんな……」


 コナーから話を聞いていたくらいでそこまで強い親近感を覚えるだろうか。逆ならともかく、会ってすぐに金をやろうとする男など見たことも聞いたこともない。


「なんでって?」


 だが彼の優しい双眸を見つめているとまた母の顔が浮かんでくる。知らない人で、性別さえも違うのに、どうしてこんなに重なって映るのだ?


「うーん、そうだな。想像してたより実際の君がずっといい子そうだったから……かな?」


 微笑にうろたえてドブは思わず後ずさりした。

 こういうのを慈愛の眼差しというのだろうか。何かが胸を大きく揺さぶり、わけもわからず泣きそうになる。


「申し訳ありません。これ以上は人が通りかかるかもしれないので……」


 部屋へ向かっていいか問うティルダに対し、ケープの青年が「ありゃ残念」と肩をすくめる。黒布をはためかせ、狐男はくるりとこちらに背を向けた。


「また会えたら話そうね。俺たちコナー先生に伝えたいことがあるんだけど、居場所知ってる人がいなくて長期滞在になりそうだし」

「……!」


 肩越しに投げかけられたその台詞に衝動的に「あの!」と声を上げかけた。コナーになら、伝言だけなら己が預かりましょうかと。

 しかし理性で押し留める。かろうじて「はい、また。話し相手が俺なんかで良かったら」とだけ頷いた。


「ありがと!」


 振り向きざま、狐目の青年がこちらの頭をくしゃりと撫でる。掌の温度までやはり母を彷彿とさせ、彼らが廊下の奥へと消えていった後もドブはしばらく動けなかった。

 公爵家の客。きっと関わるべきではないのに。

 あの人はなんなのだろう。心臓がまだ震えている。

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