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ルディアと王都防衛隊~海の国の入れ替わり姫~  作者: けっき
第1章 傭兵は海で踊る
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第1章 その5

 船旅の順調さは風向きと天候で決まる。ヴラシィを出た当日は南向きの順風に乗れたものの、その後はしばらく逆風が続いた。人力船なので進めないことはないのだが、無理をするほどの日程でもない。そんなわけでヴラシィを出た船団は次なる停泊地コリフォ島まで非常にのろのろ進んでいた。


「ちょっと待てレイモンドォ! てめえだろ、さっきからハートのジャックをしつこく隠し持ってんのは!」

「いやーなんのことだかさっぱりわかんねーな、グレッグのおっさん」

「しらばっくれんな! てめえのせいで俺の手札が死にまくってんだよ!」

「グレッグ団長、封殺セブンスには親子の情さえ通じないんスよ。ささ、次は団長のターンですぜ」

「だから出せるカードがねえっつってんだ!」


 なんだあれはとルディアはマルゴー兵の溜まり場に目をやる。いつも左舷の片隅で暇潰しに興じている兵士たちの輪に今日はレイモンドまで混ざっていた。それもすっかり馴染みきった様子でだ。


「どうも伯父さんに頼まれたらしい。何かあったとき海軍とマルゴー兵の仲裁ができるように、グレッグたちと親しくしておいてくれないかと」


 アルフレッドの声に気づいてルディアは帆柱の陰を覗いた。騎士はこっそりマルゴー兵のカード遊びを見守っていたようだ。


「確かにあの手の集団に入り込むのはあいつの専売特許なんだが……『殺しの七並べ』なんてやって喧嘩しないか心配だな……」

「おい待て。その前に私に言うことがあるだろう?」


 ルディアは呆れて額を押さえる。つい先日レイモンドの無断離脱を叱責したばかりなのに、この男まで何をしているのだろう。防衛隊の面々に指示を出すのはブラッドリーの役目ではなかろうが。


「いや、俺もついさっき伯父さんに『個人的な頼みごとをして悪かったな』と謝られたばかりなんだ。これから了承した旨を伝えにいくところだった」


 アルフレッドは報告が遅れてすまなかったと詫びた。隊員の監督不行き届きだったとも。それがわかっているならとルディアもうるさく咎めるのはやめにする。命令系統の見直しは、というかレイモンドの再教育は考える必要がありそうだったが。


「まったく、あの爛漫さは重宝するが模範兵にはなれん男だな。堅物のお前と仲が良いのが不思議でならないよ」

「そうか? ……でもそうだな、きっとお互い小さい頃を知っているからじゃないかな」


 ルディアに応える騎士の声にはいつになく感傷めいた響きがあった。それは温かなものだったが、同時にどこか仄暗さも滲んでいて、意外な気がして目を瞠る。いつも明るい隊員たちの口からは彼らに見合う温度の声しか出てこないと思っていたから。


「明日はきっと風向きが変わる。次の港ももうすぐだ」


 海の男らしく風を読む騎士は話題を変え、古い思い出や友人のありがたみを語り出したりはしなかった。ただ静かに波を眺め、吹く風に目を細めている。


(小さい頃を知っている、か)


 ルディアは己の過去の記憶を振り返った。父を除けば素のルディアを知っているのはコナーだけだ。だが彼は、敵でない代わりに味方でもない。


(『私は私の理想とする君主に出会う日を待っているだけ』――よくそう言っておられたな)


 家庭教師に就いてもらった当初、コナーは二十歳を過ぎて五年にも満たない若造だった。それなのに彼はどんな知識人にも負けず、歴史でも科学でも哲学でも問うて答えられないことはなかった。天才とはこういうものかとしばしば圧倒されたものだ。

 いつだったか、彼自身がどこかの君主になろうとは思わないのか尋ねてみたことがある。コナーは笑って言ったのだった。本当に国が幸いであるためには賢明な王だけでなく賢明な民が必要なのですよ、と。


 ――あなたが私の望む王となられたら、そのときは平伏しに参ります。


 恩師が出て行ったときの言葉を思い返す。

 まだあの人とは挨拶程度の会話しかしていない。崇拝しているわけではないが、敵わないと自覚している相手には気が引けてしまうようだ。

 早くもっと強くなりたい。今よりも賢くなりたい。どんな敵が襲ってきてもアクアレイアを守り抜けるように。




 ******




 翌日は予報通りの風に恵まれ、ガレー船団はアレイア海の南端に到達した。海峡を越えればそこはパトリア海、二大陸に接する広々とした海域である。

 開放感で溢れているのは視界いっぱいに広がる水平線のためだけではない。アレイア海の外側にはジーアンの魔手が及んでいないのだ。つまり船団は港でうんと羽を伸ばすのも可能になったわけである。


「おお! 灯台の兵士が王国旗を振ってくれてるぞー!」


 右舷から上がった歓声にルディアは前方の島を見やった。アレイア海を出ると一番に見えてくるコリフォ島は、その昔アクアレイアが東パトリア帝国から貰い受けた領地である。

 西パトリア諸国の王たるパトリア古王国に海賊行為を禁じられたアリアドネは、廃業したのち今度は己が海賊を狩る側に回った。軍事力だけは有していた彼女の大胆な起死回生策だった。

 アリアドネは初代国王と親交のあった東パトリア皇帝に「そちらの海上防衛を肩代わりするのでこちらの商人を優遇してくれ」と願い出た。軍船に乏しく、国内の反乱分子を抑え込むのに忙しかった皇帝はただちにこれを受け入れた。

 アレイア海もパトリア海も古くから海賊の出没に悩まされてきた地域である。アリアドネ以外に隆盛を極めた勢力も多々あった。

 だがこの同盟のなされた年から状況は一変する。東パトリア帝国の名の下に王国海軍は討伐に討伐を重ねた。どんな海賊も手口を知り尽くしたアリアドネの追跡をかわしきることはできなかった。

 やがて近海から主だった荒くれ者が姿を消すと、皇帝はアクアレイアが交易ルート上に討伐基地を置く権利をも認めてくれた。コリフォ島は島ごと賜った稀有な例である。もっともこの島はパトリア古王国の目と鼻の先にあるため、アクアレイア海軍の一大拠点とすることで聖王を牽制する意味合いは強かっただろうが。


(ま、それがパトリア古王国に決定的に嫌われた『事件』だったのだろうな)


 地理的には西パトリアに属していながらアクアレイアは東パトリアの庇護を受け、すくすく育っていったのだ。疎ましがられて当然である。大人しくしていればパトリア古王国が甘い汁を吸わせてくれるのかといえば、そんなことはこれっぽっちもないのだが。多分あの国は偉そうにふんぞり返っていた時代が長すぎるのだろう。


「よーし、軍港に入るぞー!」


 操船長の号令に水夫たちが「おう!」と吠える。

 コリフォ島は鎌に似た形状の南北に長い島だ。軍港を含む砦はやや突き出た島の東端に築かれている。

 よく整備された船着場と、出迎えに参じた王国兵の笑顔にルディアはほっと息をついた。ドナでもヴラシィでも良港が惨憺たる有り様だったので、やっと本来の船旅が始まってくれた気がしたのだ。

 その思いは航海に慣れた者ほど大きかったようである。船上のアクアレイア人は誰もが頬をほころばせていた。




 ******




「うわあ! すごーい! 砦の奥が街になってる!」


 丸い頬を薄紅に染め、モモが胸壁通路を駆け下りようとする。大はしゃぎの斧兵を慌てて引き留めるアルフレッドを横目に見やり、ルディアはやれやれと肩をすくめた。

 アレイア海の出入口という要所に位置する島なので要塞化が進んでいるとは聞いていたが、思った以上にコリフォの守りは固そうだ。攻めにくい岬の突端を起点に高い城壁が小さな街を二周もしている。ヴラシィも同系統の城塞都市だがコリフォ島のほうがこじんまりとしているぶん砦町の色合いは濃かった。


「モモもコリフォ島は初めてか?」

「うん!」


 ルディアの問いに少女は頷く。今まで彼女はヴラシィより南へ訪れたことがなかったらしい。


「モモはあちこち行ってみたいんだけど、女は船に乗せない主義の船長も多いからさー」

「ああ、確かに風紀は乱れやすくなるからな。……ん? ひょっとしてそれで今まで妙に大人しかったのか?」


 アクアレイアを発って以来、妙に寡黙だった斧兵を思い出して問う。モモは「えー?」と否定しかけたものの、すぐに「あ、そうかも」と言い直した。


「も、もしかして僕が寝ぼけたフリして寝込みを襲うんじゃとかそんな警戒をしてたわけじゃありませんよね!?」

「バジル、キモいこと言わないで! 違うよー、モモって思ったことすぐ口にしちゃうでしょ? だからジーアン領を出るまではなるべく静かにしておこうって気をつけてたの。ヴラシィとか最悪の最悪だったじゃん!」


 心底うんざりした顔でモモが吐き捨てる。彼女が最悪と称したのは三日三晩続いた例の酒池肉林のことだろう。盛り上がってくると天蓋に引っ込む程度の配慮はラオタオにも見られたが、所詮その程度の配慮であった。

 ルディアやモモだけでなく、アルフレッドにバジル、下町育ちのレイモンドまで「あれはないわ」と口を揃えたほどである。アイリーンに「色好みなのはラオタオ様だけでヘウンバオス様の宴でああいうことは」と聞くまではバオゾを目指す気力も萎えるところだった。


「モモずっと戦々恐々としてたんだよ? あいつがモモにも『踊ってよ』とか言い出したら顔に拳をめり込ませればいいのか、それとも股間を蹴り上げればいいのかって……」

「刃向かう気満々じゃねーか」

「手加減という言葉を知りませんよね」

「えーっ? 手加減してるでしょ? 斧を使わない優しさを感じてよー」

「それは変な汚れをつけたくないという斧に対する優しさだろう?」

「あっ、アル兄にはバレてたか」


 今更ながらルディアは「他人の従者に手を出さない」というジーアンの風習に感謝した。実際ラオタオに声をかけられた例は一度もない。一応バオス教に在籍しているアイリーンと違い、防衛隊は完全にハイランバオスの「付属品」だからだ。

 もちろんこちらからラオタオに話しかけてもいけなかった。モノ扱いの人間が勝手な真似をするなと不興を買ってしまうからだ。

 いずれあの男と交渉の席に着く日が来るかもしれない。が、今はまだ要観察である。ジーアンのどこに隙があるか、まずそれを見極めなくては。


「でも良かったね、コリフォ島に着いたのが今日で! レイモンドの誕生日は清らかに楽しもうね!」

「おう! お前らプレゼント期待してるぞ!」


 と、そのとき、突然耳に飛び込んできた台詞にルディアは「えっ?」と目を瞬かせた。市街地に続く軍道を行く隊員たちを振り返れば、お調子者の槍兵がにへらと図々しく笑う。


「今日は八月十一日だろ? レイモンド君はこれで正しく十八になりました! お祝いの品、待ってるぜ!」








 パトリア十二神を信ずる民は、新年を迎えたその日に全員揃って年を取る。いわゆる数え年というやつだ。本当の誕生日は普通遅れてやって来る。

 防衛隊に用意された宿舎代わりの古い聖堂では槍兵のためささやかな祝福の席が設けられる運びとなった。アイリーンが「イヒヒッ、贈り物を選ぶなんて久しぶりね」と魔女じみた笑みを浮かべる。ルディアにとっては初めての経験だった。親族ならばいざ知らず、同年代の仲間の誕生日会に参加するなど。


「そうだねー、ブルーノ今年のモモの誕生日スルーしたもんねー」

「僕の誕生日もですよ!」

「文句を言うな。仕方がなかろう」


 恨みがましい二人の口ぶりに眉をしかめる。三月、四月はまだ彼らに正体を告げていなかったのだ。それにルディアも男の身体に慣れるのに必死で余裕がなかった。


「そんじゃ俺、グレッグのおっさんに島を案内してやる約束だから行ってくるな! 日暮れ頃に帰ってくるから楽しいひとときを任せたぜ!」


 浮かれた足取りでレイモンドは簡素な木造聖堂を後にする。マルゴー兵とはその後も仲良くやっている様子だ。ほかのアクアレイア人に対する傭兵たちの態度は冷たいままなのに、レモン効果か彼だけは日に日に距離を縮めている。


「コリフォ島って何が名産なのかな? ねえアル兄、レイモンドって何が好きだっけ?」

「うーん。あいつの場合、何をやっても喜ぶからなあ」


 オリーブの木が生い茂る小路をルディアたちは並んで歩く。日射しは強いが空気はからりと乾いていて、風も心地良い涼しさだった。コリフォ島は季節によらず過ごしやすいと聞く。保養地に最適だと航海人の間では有名なようだ。


「彼の好物はわかりかねますが、我が君の導きを信じるのなら葡萄酒の購入が吉と出ておりますよ」

「出ましたね、今日の天帝占い……!」

「そっかー、じゃあモモはアル兄と共同出資で葡萄酒にしよっかな」

「おい、まさかお前が選んで俺が払う方式じゃないだろうな?」

「大丈夫だって、百ウェルスくらいならモモも出してあげるから!」

「モモ! この島の葡萄酒がいくらすると思ってるんだ!」


 ハートフィールド兄妹は早々に贈り物を決めたようだ。バジルはオリーブの枝を買い、調理器具に加工しないかとアイリーンに持ちかけている。


「ああ、レイモンド君は食堂の子だものねえ。オリーブ材は長持ちだし、喜ぶと思うわ。そうね、そうしようかしら」


 なるほど器用な者は自作するという手もあるようだ。感心してすぐルディアは己の両手を見つめ、左右に小さく首を振った。

 無理だ。できるわけがない。小刀さえろくに握ったことがないのに。


「……『ハイランバオス殿』はどうなさるのです?」


 ルディアはニコニコ顔のアンバーにそっと尋ねた。もしも彼女が「私は特に何もする気はありませんね」と答えたら己もすっぽかす気でいたのだ。

 防衛隊にとっては友人の誕生日かもしれないが、己にとってはただの一部下の誕生日である。ブルーノの演技を徹底するなら何か用意したほうが無難かなと思う程度のことだった。


「私ですか? 私は手持ちのジーアン織を分けて差し上げようかなと」

「…………」


 ルディアは深々と嘆息した。どうやら己も日没までに槍兵の喜びそうな品を手に入れなくてはならないらしい。だが一体、贈り物などどう見繕えばいいのだろう……?





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