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ルディアと王都防衛隊~海の国の入れ替わり姫~  作者: けっき
第4章 美しいあなたのために
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第4章 その4

 ジーアン族を乗っ取ろう。迷いない目であの方が告げたのは我々が三十二人になってすぐの頃だった。

 当時ヘウンバオスはサルヤクットと名乗っていた。これまでも何度か用いたサルアルカ風の名前である。あちらこちらを放浪し、結局我々は天なる山々(テイアンスアン)にほど近いサルアルカの街に居ついていた。百年前の分裂で馬や羊の頭に入れた同胞が長旅に耐え得る状態ではなかったからだ。

 同じ記憶を有すれども──否、だからこそ獣脳は己が人か動物かわからずに混乱する。一人目の宿主は老人でも病人でも構わないから人間にしておこう。そんな共通認識ができたのもこの頃だった。

 手元には十六匹の新たな蟲たち。彼らの器を確保するのが目下の最優先事項である。動ける人数は多くなかった。三十二人になったと言っても我々の半分は水筒の中を漂っており、八人は獣脳のため役立たず、サルヤクットの手足となって働けたのはたった七人だけだった。

 その七人の筆頭がスー、つまりのちの己である。ヘウンバオスはいつも必ずハイランバオスに水にまつわる名をつけた。固く結ばれた唇が開き、こちらに「スー」と呼びかける、柔らかな響きがとても好きだった。

 まだ世界のことなどろくに知らず、己は一心にサルヤクットを慕っていて、逆らおうなど考えもしなかった。それでももう己自身の真の望みがなんなのか、己は知っていたように思う。


「新しく生まれてきた者たちはジーアン族の子供に入れる。そのためにまずは我々が彼らの内部に入り込もう」


 サルヤクットは密かにずっと計画を練っていたらしかった。砂塵舞う小都の宿の一室で淀みなく入れ替わり案が語られる。

 ジーアン族は遊牧に生きる民。土地から土地への移動生活を宿命づけられた彼らは必要最低限の物しか持たない。冠よりも高帽子、陶製よりも木製の器、身軽でいるために好まれるのは小さく嵩張らぬものばかりだ。それはつまり、大量の文書の保管を前提とする文字文化が彼らの暮らしに根づいていないことを意味した。

 だがジーアン族とて周辺国とやり取りする際は読み書きできねば困るのだ。ゆえに彼らは支配地域の文士や知識人を連れ回し、通訳や代筆を行わせているのである。ほかには医師や職人も複数同行しているそうで「部外者が潜り込むにはまたとない入口だろう」とサルヤクットは不敵に笑った。

 滑り出しは順調だった。我々は何百年も大陸を旅していて十分すぎる知見を身につけていたし、ジーアン族の目に留まるように活動していればあちらから「一緒に来い」とお呼びがかかった。

 従順な新入りたちにジーアン族は支配者の傲慢な態度で接した。彼らの血を引く子供らが少しずつ別人に変わりつつあるとも知らずに。


「これで十六人目ですね」


 信頼厚い医師であれば理由をつけて幼子を預かる程度わけもない。柔らかな喉を絞め、蟲本体を流し込み、耳に生まれを囁けば彼らはすぐに彼らの役目を理解した。

 侵食は進む。ひっそりと。ヘウンバオスも早い段階でサルヤクットの肉体を捨て、子供たちに紛れ込んだ。成長した彼が次代の英雄として頭角を現すのは早かった。初めに計画した通りだ。ハイランバオスらも側で主君を支えるべく次々に身体を換えた。

 ここまで味方の数が多いと入れ替わり自体はさほど難しい問題でなくなる。だが実地で送る遊牧民の生活は(はた)で見るより困難なものだった。余剰の収穫物を貯蔵できる農民と違い、遊牧民には蓄えがほとんどない。養うことを考えると家畜を増やすにも限度があった。

 日々の暮らしに彼らの主食が肉ではなく乳であるのを知る。長期保存可能なチーズや馬乳酒と、並ぶ食事はつましかった。

 しかし馬にせよ羊にせよ、そうたっぷりと乳を搾らせてはくれない。草原は広かったが都市に比べて住む者は少なかった。農耕もできない土地では食べていける人数が限られており、密集して暮らせないのだ。よそ者を囲っておけるジーアン族でさえ普段はばらばらに住んでいて、一つの宿営地に三、四世帯の幕屋がぽつぽつ立つのみだった。

 基盤の脆さにヘウンバオスはとっくに気づいていただろう。天候次第で草原は林にも砂漠にもなり得る。家畜に食わせる草がまともに育つかは雨と気温に()っていた。人の手では操りようもないものに。

 それでもやはり遊牧民は強かった。騎馬と射的に慣れた彼らは数々の都市を圧倒し、必要物資を巻き上げた。夏の多雨に恵まれれば家畜も人口も増やせたし、小規模ながら街に似せた拠点を築くこともできた。けれどもやはり遊牧民は、草原と家畜に命を委ねていたのだ。


「……駄目だ。ここではきっと冬を越せない。早急に、少しでも湿った土地に羊たちを移さなければ」


 ただごとならぬ口ぶりでヘウンバオスがそう言ったのはジーアン族と同化を始めた十二年目。遊牧民の間では「災害(ゾド)は決まった周期で起きる」と言われている。それがちょうど十二年。入れ替わりを繰り返し、ヘウンバオスが初めてジーアンの長となった年の冬のことだった。

 雨は前年の夏から既に少なかった。場所によっては草地が茶色く枯れ果てて宿営などできようもない状態にあるという。となれば起きるのは残った土地の奪い合いだ。増やした家畜と人の数だけ圧しかかるものは重かった。

 南へ向かうと告げられる。草原を南北に流れる川の岸辺を制圧するのだと。そこにはオルデイトゥなる男の率いる部族が暮らすはずだった。武勇に秀でた彼らを攻めて無事で済む保証はない。だが躊躇している場合ではなかった。


「馬を集めろ。今日中に出る」


 準備は即座に進められた。同時に囮として先行する者の名前が告げられる。あの頃皆はなんと呼ばれていたのだったか。些末なことは忘れたが、切込み役が己とダレエン、ウァーリ、ファンスウだったのは確かだ。

 最初の宿主がその後の指向を決めるのか、蟲はいつも似たような器を選ぶ。ダレエンは常に狼のようだったし、ウァーリはすぐに女と同じ服を着た。己も詩歌を奏でるのが似合う身体ばかりだったし、平素の好みとやや離れた肉体を纏っていたのはファンスウだけだったように思う。

 今では後方で戦況を見極めるのが仕事の古龍も昔はよく前線に立っていた。盗賊に襲われたとき、戦火に巻き込まれたとき、危ういところを何度も救ってもらったし、その逆も然りである。「やれやれ。またおぬしの手を借りたか」と感謝されれば「助け合うのが仲間でしょう」と微笑んで返していた。あの頃はまだそれなりに彼への敬意を持っていたから。

 年若く頑健な器を用いていれば古龍は俊敏で強かった。時代とともに配下が増え、自分で武器を取らなくなったから彼は衰えたのである。まあともかく、当時の切れ味は鋭かった。


「さあ行くぞ。おぬしたち用意はいいな?」


 武器と防具の調達が終わるとただちに南下が始まった。

 先行隊の目的は敵に矢を射かけて逃げ、主君が包囲を敷く地に誘い込むことだ。本隊から離れると四人で身を忍ばせながら獲物を探した。


「好みの男がいたからと尻を追いすぎるでないぞ」

「ちょっと龍爺、やめてよね」

「はいはい、二人ともお静かに」


 遭遇はすぐだった。草原の起伏の波に武装した男たちが見え隠れする。水の豊かな土地が狙われやすい認識はあるのだろう。オルデイトゥの一族も警戒を強め、見回りを出しているようだった。それならそれで血気に逸ってあっさり釣られてくれるかもしれない。頷き合って最初の一射を彼らに向けた。

 ハイランバオスの放った矢は手前にいた男の肩を貫いた。遠くでうぎゃっと悲鳴が響く。全員殺す必要はない。ついてきてもらわねば困るのだから。手綱を引いて馬に踵を返させる。追いかけたくなる隙を見せつつハイランバオスは逃走した。


「気をつけて!」


 気遣われつつ草地を駆ける。逃げきらないが追いつかれもせぬ速度を保ち、飛んでくる矢を避けながら。本隊との合流は上手く行った。待ち伏せに遭った敵は皆射殺され、草むらに転がった。一つ誤算だったのは、想定よりもおびき寄せたオルデイトゥの一族が少なかったことだった。


「これだけか……」


 片手で足りる死体を数えてヘウンバオスが顔をしかめる。こちらが思うよりオルデイトゥはずっと冷静な男らしい。同胞を殺されても怒りまかせでの反撃はしてこなかった。どころか二度目の襲撃では待ち伏せを見抜いて誰も追ってこなかったほどだ。まさか初戦で屠った者たちが霊となり告げ口したわけでもあるまいに。何度仕掛けても無駄だった。彼らはちっともこちらを深追いしてくれなかった。

 オルデイトゥを倒さなければ家畜に草を食わせてやれない。七度目の襲撃の後、本隊の半分も加わって強襲を装うことになった。もう半分は後方に隠れて布陣、回り込んで横から敵を叩くというのがヘウンバオスの描いた絵だ。

 悪い作戦ではなかった。だが戦場には不運がつきものなのだった。



 落馬したのはウァーリである。ただの人間が落ちただけなら一瞥すらくれずに見捨てていただろう。何しろ四方八方で矢が飛び交っているのである。他人にかまけている暇などない。

 彼女の肺には深々と敵の矢が突き刺さっていた。間もなく呼吸不能となり、絶命するのが目に見えた。伏兵が来るにもまだ少しかかるだろう。勝敗がつく前に中から本体が這い出してしまいそうだった。


「何をぼんやりしている!」


 と、短剣の鞘で矢を弾いてダレエンが駆けてくる。獣脳でも誕生から数百年の時が経つ彼は相当人間らしく動ける。恐れを知らず、戦士としても優秀だ。ハイランバオスは手短にウァーリが射られたことを告げた。


「そいつを連れてさっさと離脱しろ!」


 狼男がそう吠える。だが素直に頷くわけにもいかなかった。戦場から兵士が逃げ出したとなればヘウンバオスの統率力が疑われる。若くして一族を治める彼は常に長の座をほかの者から狙われていた。付け入る隙を与えれば身内にも牙を剥かれるだろう。戦闘行動を取っている今、さすがにそれは浅慮なのではと危ぶんだ。

 しかも己はヘウンバオスの腹心の一人なのである。武功の一つも立てないで前線を離れればどうなるか考えるまでもない。ダレエンにしても話は同じだ。ウァーリを救うのに矢のないところまで逃れるべきか、一瞬のためらいが次の不幸を呼び込んだ。


「避けろ!」


 押された拍子、右肩に激痛が走る。湿った上衣がハイランバオスに負った傷の深さを教えた。なんとか馬上に身を伏せて落下しないように堪える。


「大丈夫か!?」

「……っ」


 問いかける声に唇を噛んで頷いた。利き腕をやられるなんてついていない。だがこれなら一人で先に退く言い訳になりそうだった。


「彼女をここに乗せてください……。私がなんとか本陣へ連れ帰ります……」


 切れ切れに伝えるとダレエンは馬を飛び降り、事切れそうなウァーリを腕に抱え上げた。間もなくずしりとした重みが鞍のすぐ手前に加わる。落とさないように彼女を支え、ハイランバオスは馬を蹴った。


「ご……め、あり……がと……」


 無防備このうえなかったのにさして追撃を受けなかったのは、異変を察したファンスウがこちらを守って矢を射てくれていたからのようだ。胸中で感謝を述べつつ逃げるに徹した。

 蠍の本体が姿を見せたのは間もなくのことだった。それなのに血はどくどくとハイランバオスの肩口から流れ続ける。太い血管が傷ついたのか、そんなに出るかと呆れるほどだ。視界は色を失って、水の入った小瓶の蓋を開けるなど簡単ではなくなっていた。

 しかし彼女を死なせてはヘウンバオスが悲しむだろう。悲嘆に暮れる表情も尊いには違いないが、失望は買いたくない。骸の目から涙のごとく零れた蟲を血まみれの手に掬い、ハイランバオスはともかく落とすまいと努めた。

 体液の中でなら蟲はしばらく生存できる。かつて己もそうやって守られた。途切れそうな意識を繋ぎ、主君のいる本陣を目指す。白黒に明滅していた世界の中で、そのときふっと黄金が見えた。


「────!!」


 聞き取れなかった絶叫は、多分あの方が己の名前を呼んだ声。同胞の深手に動じて彼はすぐに駆けつけた。馬上からまずは骸が降ろされる。次いで介助の手を借りた己が。寄りかかって目を伏せたまま「彼女は戦死しました」と言うとヘウンバオスはたちまち声を失った。


「死ん……」


 ちらと視線だけ上げて絶句する彼を見やる。白い額。嘘だと言ってほしそうな双眸。それを見たら満足し、右手の蟲を差し出した。


「器だけです。ご安心を」


 致命傷を負っているかもしれないのに頭をごつんと殴られる。「ご無体な」と訴えるも取り合ってはもらえなかった。肩の痛みを誤魔化してふふっと笑う。状況としては笑っている場合ではなかったのだが。

 ヘウンバオスはすぐに手勢を進めたが、伏兵が着いたときにはオルデイトゥは退却した後だった。やはりあの男には勘付かれてしまったようだ。一人だけ急に後退を始めたから、まだ後方に敵が隠れひそんでいると。

 この失敗は手痛かった。味方に死者まで出したのに何も得られなかったからだ。それでもなおヘウンバオスは川の獲得を諦めていなかった。東西より南北のほうが植生に多様さが見られること、ゾドに耐え得る植物が多いことを彼は見越していたのである。

 ハイランバオスが後にアークから得た知恵はヘウンバオスの先見の明を証明して余りあった。否、先見の明と呼ぶのもおかしな話だ。彼はただ大陸を巡り学んだことを腐らせなかっただけである。

 長い年月が蟲たちを怠惰にしても、帝国の強大さが彼らに胡坐を掻かせても、彼だけは休むことなく走り続けた。類稀なるあの方と私たちは一つだなどと、度しがたい幻想を抱く蟲たちをただ乗りさせて。


「この次は私も出る」


 ヘウンバオスは待ち伏せをやめた。どうせもう手の内は知られているのだ。損害を出さないように立てた策ではオルデイトゥを釣れなかった。であれば彼を戦場に引きずり出す力をぶつける以外にない。頭さえ倒れればどんな部族も散り散りになるのだから。だが愚策には違いなかった。全力と全力でぶつかり合えば互いに多くの死者を出す。この次はウァーリだけでは済まないだろう。


「全員明日の進撃に備えろ」


 明敏なヘウンバオスには珍しく決行を告げる声には焦りが滲んでいた。次第に痩せ細る家畜の姿が堪えているのか、はたまたウァーリやハイランバオスが死にかけたことが堪えているのか、彼は迷い、その分決着を急いでいるように見えた。

 ──なんだか少しうきうきした。苦境に置かれたヘウンバオスがいつになく輝いていて。

 これは詩だと、そう感じた。試練と祝福を繰り返す詩。天上で光る星のための。彼の歩みはすべて詩になる。我々は同じ詩の中で生きている。

 そうして始めた八度目の襲撃。出し惜しみせず兵を投入したこちらに対し、オルデイトゥも一族の総力で迎え撃った。

 だが数も腕も集団としてのまとまりも、ほんの少しあちらのほうが上だった。そして劣勢のとき味方につけるべき運もヘウンバオスに微笑んでくれなかったのである。





 オルデイトゥが落馬した。彼を討ち取る千載一遇のチャンスだった。体勢を立て直そうとする彼にジーアン族の兵士たちが殺到する。オルデイトゥは一時戦場に孤立した。

 味方と合流しようとする彼を阻止して兵の動きが入り乱れる。ヘウンバオスは遠目にそれを確かめて静かに弓に矢をつがえた。

 完璧な騎射だった。オルデイトゥの喉元めがけて矢はまっすぐに放たれた。死角となる斜め後ろからの攻撃だ。どんなに強い男であっても避けられるものではない。

 だからまったくの偶然で、オルデイトゥが矢を見もせずに身を伏せたとき、直感的に勝てないと悟った。少なくともこの戦場では。

 飛びついた馬上でバランスを崩しつつオルデイトゥはヘウンバオスに返礼の矢を射てくる。ハイランバオスは咄嗟に馬を前へやった。射抜かれたのは主君ではなくまたもや己の肩だった。

 叫び声。それからすぐに「戻るぞ!」と同じ声が撤退を告げる。戦いはまだ続けられるのに甘い人だ。目から蟲を出す羽目にはならなかったものの、これで進退窮まったのは確かだった。

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