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ルディアと王都防衛隊~海の国の入れ替わり姫~  作者: けっき
第3章 惑い惑いつ旅路を往く
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第3章 その3

 あれはそら。あれはくも。

 はだにふれるこれはかぜ。はやくはしるとつよくなる。

 うまにのるのはきもちいい。こけたらすこしいたいけど、うんととおくまでみわたせる。

 うまにのってさがしたらあのひとをみつけられるかも。

 とりでをでたらあわなくなったおひめさま。でもいまも、そばにいるのだとおそわった。

 ──ひめさま。おれのたいせつな。




 ******




 幕屋を出てゆっくりできるという話に安堵したことは否めない。ルディアに余計な心労を与えまいと努力してはいるものの、今までと変わらぬ態度で皆と過ごせているかというと頷けたものではなかったから。

 後片付けの済んだ食卓、折り畳まれた卓袱台の横でレイモンドは皿を積む。人数分に一つ足りない木の器。重ねて棚の奥へやり、横滑りする戸を閉めた。

 去来するのは苦い思い。どうしても飲み下しきれない。

 バジルが食卓に寄りつかず、日中は馬で移動していること。知ってはいたが止める気にはならなかった。いくらモモが「アル兄が自分一人で決めたんだよ」と言ったって彼が敵国に秘密の一部を漏らしたことは事実なのだ。情に流されやすい性格はよくよく知っているけれど、今はまだレイモンドには彼の過ちを許容できそうになかった。

 自分もドナへ行けていれば違ったのだろうかと思う。現時点で可能な配慮をするだけだっただろうルディアに代わり、己が何か、バジルの暴走を防ぐ手を打てていればと。


「…………」


 小さく小さく息を吐き、レイモンドは食器類や調理器具の手入れを続ける。大鍋を磨くのはもう何度目かわからない。だがこんなことくらいしかすることもない。ゴロゴロと回る車輪の音に耳を澄ませば思考は一時霧散した。騒音も嘆きの根源までは掻き消してくれなかったが。

 と、幕屋の外で馬がいなないて「止まれー!」とジーアン語の指示が続く。小休憩のあと動き出してからいくらも経っていないのに、もう目的の街近くに着いたらしい。ゆっくりと車が停止し、ざわざわとジーアン兵の騒ぎだす声が聞こえた。


「到着したか。外出許可を取ってくる」


 衝立の裏から顔を覗かせ、出ていった王女が戻るのは早かった。「一人なら街に入っていいそうだ」と入市許可証らしき旅券を手渡され、レイモンドは瞬きする。


「一人だけ? 俺が行っていいの?」


 ウァーリたちが防衛隊に過度の自由を与えたくないのはわかる。だがさすがに単独行動になるとは想定していなかった。通行証が一人分なら誰が使うかは話し合ったほうがいいのではなかろうか。ずっと幕屋に閉じこもっているのはモモたちも同じなのだし。


「ここはお前が行くべきだろう。どこにでも人脈は広げておくほうがいいからな」


 レイモンドの問いにルディアが首を振る。彼女の判断基準では印刷商の己を出すのが最善のようで、ならその指示に従うべきかと思い直した。この中では自分が一番商談に長けているのは間違いない。

「一応東パトリアの街だが気をつけろよ」とルディアはこちらに念押しした。ネブラはここ数年で遊牧民との交流が増えた結果、半ば彼らの冬営地と化しているらしい。それならそれで好都合だ。とにかく寒いと噂の草原の冬に備え、現地人の使用する防寒着を直接買いつけることができる。


「わかった。じゃあ行ってくるよ」


 旅券を懐に突っ込むとレイモンドはまとめておいた荷袋を肩に担いで幕屋の玄関布を捲った。

 ルディア以外の見送りはない。アイリーンはつい先程ブルーノの様子を見にいったし、モモとアンバーはまだ衝立の裏だった。もとよりルディアも全員で連れ立って歩く気はなかっただろう。息抜きだと彼女は言っていたのだから。


「出発は明朝だそうだが、なるべく早く戻れよ」

「うん、日が沈む前には帰る」


 一人だけ抜ける申し訳なさを覚えつつ外へ出る。久方ぶりの空はあいにくの薄曇り。だがぼんやりした灰と青は暗がりに慣れた目にも優しかった。

 荷台の上できょろきょろと周囲を見渡す。まず目についたのは対岸が霞んではっきり見えないほど大きな青い湖だった。ネブラの街はそこから少し離れたところに城壁を築いており、湖とは運河で繋がっているのが窺える。

 岬があるのにどうしてわざわざ水路の掘削などしたのだろう。三方を湖水に囲まれていたほうが防衛だってしやすかろうに。

 変な街だと思ったが、荷台を降りれば理解は進んだ。びちゃ、と足元で泥が跳ねる。空も風も冷たく乾ききっているのに、短い草が伸びるのはどう見てもアクアレイアの低すぎる島にあるのと同じ湿った土だった。

 改めて街を仰げばネブラがいくらか高い土地を選んで建てられたのが知れる。水辺はうんと遠いのに岸がこれだけ水浸しということは、潮の満ち引きで潟が洗われるのと同様にネブラ湖も頻繁に水位が変わって付近一帯を湿地化させるに違いない。よくよく目を凝らしてみれば湖には見慣れた葦原まで育っている。なんだかよそに来たという感じがしなくてほっとした。

 ジーアン兵たちはもう思い思いに馬を放して遊ばせてやっている。よし、とレイモンドは掌で頬を打ち、力強く一歩を踏み出した。

 上手くやれば必要物資以外にも珍しい交易品が手に入るかもしれない。そう思うと頑張ろうという気力が湧いた。ルディアも喜んでくれるかも。想像して胸を弾ませる。わずかな高揚は呆気なく踏み散らされてしまったが。


「──あぶない!」


 誰かの叫びが響くと同時、何か大きな塊がレイモンドの背を突き飛ばした。決して軽くはない衝撃。驚いて振り返り、そうして更に目を瞠る。

 小柄な黒馬に乗っていたのは夕映えのごとき赤髪の騎士。崩したバランスを立て直せずに彼は地面に落っこちた。

 びちゃり、泥が跳ねて飛ぶ。青年の着た黒い立襟装束を汚して。


「うー……」


 痛めたらしい腰を擦りつつ騎士がそろりと顔を上げる。赤い瞳に捉えられ、レイモンドは凍ったように動けなくなった。

 目を逸らせない。一番見たくないものなのに。


「すみません。おれ、ふちゅういです」


 たどたどしいジーアン語にぞっとする。彼の口から己に向けてそんな言葉が出てきたことに。

 気がつけばレイモンドの足は何歩も後ずさりしていた。アルフレッドは馬を撫でて騎乗し直すとそのまま駆け去っていく。

 後ろ姿が視界から消えるより先に市門へ走り出していた。

 一刻も早くこの場から離れたかった。

 慟哭を堪えきれなくなる前に。




 ******




 ネブラの街には入れなくても外の空気くらい吸いに行こう。そう持ちかけたのは自分だった。先に一人で出ていったアイリーンも心配だし、遠巻きにでもバジルの様子を確認しておきたかったから。

 返事をためらう主君とともに泥濘(ぬかるみ)に降り、ようやくモモはルディアが乗り気でなかった理由に思い至った。荒野を割って突如広がる青い湖。群れ成す黒毛や茶毛の馬群。その中に目立つ赤髪がぽつんと一つ紛れていたから。

 モモが身を強張らせると同時、アルフレッドがこちらを振り向く。正確には兄は「モモたち」に気づいたのではない。「主君」に気がついたのだ。


「ひめさま?」


 馬の駆り方は覚えたのか、軽やかな蹄の足音がこだまする。あっと言う間に騎士はモモとルディアとアンバーの目の前までやって来た。


「ひめさま!」


 さも嬉しげに緩められた頬を見やって王女が露骨に顔を歪める。呼びかけにルディアはしばらく応じなかった。彼女が微動だにしないのでアルフレッドも動かない。兄はただ眩しそうに目を細め、じっと主君を見つめている。

 そのうちルディアが息をつき「降りないのか?」と問いかけた。きょとんと目を丸くしてアルフレッドは首を傾げる。

 どうもアレイア語では伝わらなかったらしい。ルディアが「降りないのかと聞いている」とジーアン語で問い直すと兄は合点して馬の背を離れた。

 まるで異国の人のようだ。首元から風が吹き込まないように襟を立たせた服なんて着ているから余計にそんな風に思える。似た恰好でもバジルはちゃんとアクアレイア人に見えたのに。


「アル兄……」


 呟くも反応は返らない。兄の目は相も変わらず主君だけを見つめている。

 代わりのようにルディアが騎士に話しかけた。


「アルフレッド。彼女はモモ、お前の妹だぞ」


 またジーアン語。わかっているのかいないのか、アルフレッドは不思議そうにモモの顔を一瞥する。


「いも、うと?」


 なんとも興味の薄そうな兄の声を聞きながら、本物の赤ん坊みたいな時期は短いのだなとひとりごちた。

 覚えていなくて当然だ。だってドナにいる間、一度も見舞に行かなかった。行こうと思えば行けたのに、顔を合わせるのを避けた。

 こうして正面から向き合っても思ったよりは動じていない。だが偽りようのないほどに心は乾ききっていた。また会えて嬉しいな、なんて感情ひとかけらも湧いてこない。

 取り乱すほどではないが「初めまして」と笑えるほど冷静にもなれなくて。それでも己がそうしなければならないことはわかっていた。なし崩しでも兄の愚かな決断に最初に「わかった」と頷いたのは自分だから。


「そう、モモだよ。──アル兄」


 モモ、と低い声が呟く。一瞬こみ上げた涙の正体がなんなのか、考えるのはやめにした。喚きたがる心を無視して静かにただ「うん」と頷く。できるだけなんでもないように。


「アルフレッド君、私のこともいいかしら?」


 遅れて兄を囲んだアンバーも改めて自己紹介をした。よろしくね、と彼女もジーアン語で話す。

 そのときぽんと後ろから肩を叩かれた。振り返れば古龍の姿のブルーノと、額に汗したアイリーンが心配そうにこちらを覗き込んでいる。

 いつ見ても顔色の悪い姉弟だ。二人を安心させるべくモモは「大丈夫だよ」と笑った。

 大丈夫。──大丈夫。まったく別の人間に変わってしまったわけじゃない。騎士を夢見た「アルフレッド」はまだここに生きている。

 もう一度始めればいいだけだ。

 新しい自分たちを。

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