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ルディアと王都防衛隊~海の国の入れ替わり姫~  作者: けっき
第3章 惑い惑いつ旅路を往く
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第3章 その1

 あれは、そら。あれは、くも。

 はだにふれる、これは、かぜ。かぜは、くさをゆらしている。

 つめたいがつづくとさむくて、さむいときはふくをふやす。

 アニークのくれたふく。あたたかい「ひつじ」のけのふく。

「ひつじ」はくもににているとダレエンがおしえてくれた。しろくてふわふわもこもこして、おいしいにくもたべられる。

 だけどそらにうかんだくもはいろいろだから、どれが「ひつじ」ににているのかはわからない。ひょっとすると「ひつじ」のほうにもいろいろいるのかもしれない。

 ながたびになるからそのうちほんものをみられるわ、といったのはウァーリ。いすにすわって、てんじょうをみあげて、このいえも「ひつじ」のけとかわでつくるのよ、とゆびをたてた。

 なかにいるとすこしくらくて、そとからみるとまっしろな。あれはみんなでねるところ。ゆうがたになるとおなじまくやが「くも」みたいにわいてくる。ひるまはみっつだけらしい。みっつは、ひとつ、ふたつ、のつぎ。

 くるまのうえのまくやには「とくべつ」な「きゃくじん」がのっているのだときいた。「とくべつ」も「きゃくじん」もまだよくわからないけれど、あそこにもひとがいて、ねむったりたべたりしているのだ。うまにのったへいしとはちがうひとたちが。

 あのひとも、まくやのなかにいるのかな。

 いるのだったらあいたいな。

 そらよりあおいめとかみの、

 おれのだいじな──おひめさま。




 ******




「待っ、駄目! そっちは行っちゃ──アルフレッド!」


 勝手に歩き出した騎士をブルーノは大慌てで引き留める。ぐいっと強く手を掴み「離れないで!」と諭してようやく友人は足を止めた。

 ドナを発って早二日。アクアレイア人と鉢合わせる可能性がほぼなくなって騎士を外に出してやれるようになったのはいいけれど、部隊の過ごす幕屋にはまだ彼を近づかせたくなかった。ルディア一人だけならともかく、死者の姿で生き続ける脳蟲(アルフレッド)を誰も受け入れられない今は心惑わすのみである。


「ほら、行こう」


 か細い老人の声で促す。だが彼は言われた意味を理解せず、いつまでも車の上の幕屋を見ていた。まるでどこに宝物が秘されているか本能的にわかるようだ。騎士の視線は王女の仮住まいから離れなかった。


「……ね、行こう。馬が水飲み終わったらまたすぐ出発なんだから」


 今度はジーアン語で告げる。すると小さな頷きが返ってきて、伝わったかとほっとした。

 この辺りは東パトリア帝国領でも特に乾いた土地であるのが知られている。小川の恵みは貴重なため、兵士たちは各々の馬を岸辺で休ませてやっていた。

 車が止まれば大人しく室内に引っ込んでいる理由はない。アニークが外気を吸いに出ていったのを皮切りに幕屋はすぐに空になった。一方ルディアたちは休憩中でも顔を出す気配すらさせなかったが。


(見たことない風景だなあ)


 長針のごとき枯れ色の草に覆われた野を見回し、西パトリアとの気候の差を実感する。海峡を越えれば海の色や水温が変化するように、長い間ドナを外敵から守ってきた山岳地帯を抜けるとそこには荒野と呼んで差し支えない平原が広がっていた。

 見たことがない、というと少し語弊があるかもしれない。正確には見覚えはあった。接合で得たウェイシャンの記憶の中で。だがやはり己の目に映すのが初めてのものはすべて新鮮に感じる。


(ここからどんどん海を離れていくのか……)


 草原の旅になるとの話だが、青々とした草は生えてはいなかった。ほかより小高い丘の上にはずらりと葡萄の樹が植わり、遮るものなく注ぐ日射を浴びている。この辺りは閉じた平野であるらしい。遠景には山峡が荒野を狭めているのが見えた。アルタルーペの山が尽き、東パトリアの低い山地と出会うところ。あそこを過ぎれば本格的な緑の道が始まるに違いない。


「ブルーノ」

「しっ! その名前で呼んじゃダメ!」


 と、通りのいい声で名を呼ばれ、思わず目尻を吊り上げた。すぐ側には談笑する兵士らがうじゃうじゃといるのである。古龍が古龍でないと知る者たちはいいとして、もし一般兵に聞き咎められでもしたら誤魔化し方がわからない。せめてアルフレッドがアレイア語でやり取りしてくれればいいのだが、二つの言語の同時習得は生まれたての蟲には難しいようだった。


「ブ……」

「だからダメだって。外にいるときは将軍って言うんだよ」


 声を潜めてブルーノは友人を叱る。きょとんと見つめ返されて、また嘆息が深くなった。ジーアン語を先に学習したせいか、はたまたダレエンがジーアン語でばかり彼に話しかけるせいか、アルフレッドはいまだ母国語を操れない。幕屋にいるときはそれでもいいが、こうして外で話すときは厄介だ。

 先にジーアン語に慣れさせ、アレイア語は第二言語として教えたほうが早いのではなかろうか。付きっきりでやっているのに成果のなさに悩んでしまう。その場合、頼まれたアレイア語の指導のほうは数ヶ月後になりそうだが。


(多少気遣ってはくれてるけど、聞こえてくる会話ほとんどジーアン語だからなあ……)


 せめて周りをアレイア語話者だけにできればと考えてブルーノは即かぶりを振った。部隊の皆でアルフレッドを世話することは物理的には可能だが、心理的には不可能だ。彼がもう少し「アルフレッド」らしい振舞いをできるようにならなくてはとても皆に会わせられない。最低でもアレイア語だけは滑らかに話せるようにしなくては。


(けど周りにもっと同じ言語を使う人がいないと覚えられないよね……)


 はあ、と小さく息を吐く。堂々巡りで気が滅入る。

 そのときだった。ブルーノの鼻先すれすれを白馬が横切っていったのは。


「ご、ごめんなさい! 怪我しなかった!?」


 尻餅をついたブルーノの頭上から降ってきたのは焦りの滲むアニークの声。どうやら彼女はジーアン帝国の一員らしく乗馬訓練を始めたらしい。いつものドレス姿ではなく遊牧民の立襟装束で木製の鞍に跨っている。


「あなたたちも乗っていいわよ! 初心者向きの落ち着いた牝馬がウァーリのところに──いやあああああ!」


 台詞の途中でもう馬が走り出し、女帝は無力に水辺へと連れ去られた。彼女を追って幾人かの兵士たちが小川のほとりへ駆け急ぐ。土を払ってブルーノはうんとこしょと立ち上がった。


「……どうする? 馬乗りたい?」

「……!」


 問えば騎士は心なしか嬉しげに頷いた。きらきら輝く双眸を見ていられず、つい顔を背けてしまう。思い出したのはかつての友人。アクアレイアには馬がいないからサー・トレランティアのように馬上槍を振るえないと嘆いていた。

 否応なしに突きつけられる。「騎士」だけがここに残ったこと。


「ねえねえー! アルフレッドくーん!」


 と、今度は遠くでウァーリの高い声が響いた。蹄の足音が軽やかに近づき、ブルーノたちの傍らに艶やかな毛並みの黒馬が立ち止まる。逞しいその背にはウァーリだけでなくダレエンも相乗りしていた。


「ちょっと試し乗りしてみない? この子なかなか利口だわよ!」

「ジーアンでは三つにもなれば誰でも馬上で生活を始める。お前もそんなものだろう? 今日からやってみるといい。最初は一緒に乗ってやるから」


 言うが早くダレエンはさっと下馬してウァーリを降ろす。あれよと言う間に狼男はアルフレッドの腕を捕え、彼を鞍に上げてしまった。腹を蹴られた馬はただちに荒野を駆け出す。二人の背中が遠ざかるのに一分とかからなかった。


「あなたにはあたしが教えてあげましょうか?」


 置き去りにされたブルーノにからかうようにウァーリが尋ねる。「いや、僕は!」と首を振るのが己の精いっぱいだった。ウェイシャンは気楽に乗馬していたけれど、あんな大きな生き物に身を預けるのはやはり怖い。


「あら残念。それじゃ幕屋でお茶にでもする? そろそろ喉が渇いたでしょ」


 にこりと笑んでウァーリがこちらの腕を取る。選択の余地もなくブルーノは彼女とともに引き返した。

 兵士の間を縫って歩く。荷台の上の幕屋を目指して。老人の足をいたわってウァーリはいくらかゆっくりと進んでくれた。

 こんなとき彼女たちは親切だなとしみじみ思う。この器が古龍のものだから大切にしてくれるのだろうが、接合の影響もあり、帝国への冷酷なイメージは随分薄まりつつあった。恩人に対する振舞いを毎日隣で眺めているから余計にそう思うのかもしれない。少なくとも「引き受ける」と決めたアルフレッドに対しては、彼らはとてもいい人だった。

 だからこそ怖くなる。思い出はすべて失い、母国語もほとんど通じず、女帝や将軍たちからは丁重に扱われる──そんな男をどれくらい仲間と思えるものなのかと、またあの懸念がもたげてくる。

 ルディアはどうする気なのだろう。「アルフレッド」はアニークたちを助けてほしいと遺言した。難しい願い事だ。女帝にせよ、将軍にせよ、アルフレッドに優しいだけでアクアレイアに肩入れしているわけではない。だからと言ってルディアがジーアンごとアルフレッドを切り捨てるとも思えないが、それでも不安は晴れなかった。


(もしも今より部隊がばらばらになるようなことがあったら……)


 幕屋に戻るその前にブルーノはもう一度荒野を振り返る。馬と戯れる兵士の一団にやはりルディアの姿はない。

 どうしたらいいのだろう。耐える以外の、触れない以外の方法がわからない。現状維持ではきっと誰も救われないのに。

 いつまで今が続くのか。迷い込んだ迷路の出口はまだどこにも見えなかった。




 ******




 馬上で硬直してしまい、危うく地面に転げ落ちるところだった。幕屋を出たのは気まずさに耐えがたかったからなのに、今度は彼と鉢合わせるとは。

 バジルは借り馬の手綱を強く引っ張った。顎を反らされ、馬が不機嫌に足を止める。だが止まってくれればなんでもいい。これ以上彼に近づかないでさえくれるなら。


(アルフレッドさん……)


 群れを成し、小川に首を突っ込んでいる馬たちのその奥に騎士はいた。服装こそジーアン風の冬着だが、見間違えようもない赤髪の。

 ドナを離れたから表に出られるようになったのか。回らぬ頭でもその程度は悟れたが、どうしていいかわからずに呆然と彼を見つめる。もたつきながらも馬を疾駆させようとする彼を。

 ニャア、と懐で猫が鳴いた。それでハッと我に返った。

 同時に騎士が振り返る。そして確かに馬群を貫いてこちらを見た。


「────」


 雷に打たれたようにバジルは動けなくなった。灰色猫の案じる視線を感じたが、騎士から目を逸らすことができない。

 冷たい汗が頬を伝う。呼吸すらままならなくて指先が震えた。だが彼は──アルフレッドのほうはバジルを風景の一部としか見なさなかったようだった。声をかけてくることもなく、微笑を浮かべることもなく、前を向いて馬と一緒に行ってしまう。


「…………」


 心音がバクンバクンと乱れるのを自力では抑えられそうになかった。

 一瞬で理解する。彼が別人になったこと。

 ほとんど逃げるようにしてバジルは馬を旋回させた。

 この場から離れることしか今は考えられなかった。

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