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ルディアと王都防衛隊~海の国の入れ替わり姫~  作者: けっき
第2章 羊の子らが集まりて
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第2章 その4

 天は高く、高く、高く、薄く延ばした水の色。昨日まで星の光を遮っていた雲は晴れ、新たな旅の始まりに相応しい好天である。

 ハイランバオスは大満足でドナ郊外の平野に並ぶ馬と車に目をやった。軍の移動は大所帯になりがちだが、今回も見渡す景色はなかなかに壮観だ。

 馬は二百頭、荷車は大小合わせて五十台、それと貴人を運ぶ用の解体しない幕屋が三つ。一つには女帝と将軍たちが、一つには防衛隊が、最後の一つにはハイランバオスとラオタオとコナーが乗ることになっている。

 何台もの車に渡した板の上、羊毛(フェルト)の家は停泊中の船のごとく鎮座する。幕屋を守る兵士らは既に騎乗済みだった。勇姿を示す五十名は古龍配下の一般兵、その隣の五十名も同じく古龍の従えていた蟲兵である。彼らの内部には古王国にてハイランバオスが使役してきた蟲を紛れさせていた。ほかにはルディアの手懐けた脳蟲患者ら──退役兵の姿をした二十名──が一団の道連れとなっている。

 患者たちは正体を秘し、あくまで改心したジーアンの蟲として「我々を旅に同行させてほしい」と十将に頼み込んでいた。退役兵の方針転換にウァーリもダレエンも不審を感じはしたようだが、結局連れて行くことにしたあたり身内に甘い体質は永遠に治らぬらしい。

 吹き出しそうになるほどすべてが簡単だ。一度離れていった者は戻ってきてもまた離れると彼らは考えないのだろうか? これなら己が帝国に戻りたいと縋っても頷いてもらえそうである。

 堪えきれずにふふっと笑う。すると隣で馬を撫でていたラオタオが「何々? 楽しそうじゃん?」とこちらに顔を寄せてきた。

 それはそうだ。楽しいに決まっている。これからこの世で最も輝かしい人に最高の贈り物を届けにいくところなのだから。

 ああ、あの方はどんな顔をなさるだろう! 想像だけで胸がはちきれそうになる。アーク管理者、ジーアンを脅かす王女、味方のふりをした脳蟲。今ならなんでも揃っている。あの方に何を差し出せば一番喜んでもらえるだろう?

 くすくすと笑みは尽きることなく溢れた。

 本当に楽しみだ。もう一度あの方の手を取るときが。

 身内への甘さはすべてヘウンバオスの尊い愛の表れでもある。寂しい思いをさせてしまったあの方の、側へと早く戻りたかった。




 ******




 見てそうとわかる演技ほど痛々しいものはない。うじゃうじゃと人馬の集う原っぱで「おーい!」と手を振る槍兵を見やり、アンバーは思わず眉間にしわを寄せた。


「よっ! 二人とも久しぶり!」


 にこりと笑いかけられて、その不自然さに息を詰める。薬局から連れ立ってきたモモもにわかに表情を険しくした。


「ディランの身体使ってるとは聞いたけど、意外と様になってるじゃん」


 明るい声は普段のレイモンドと変わりない。変わりないから状況にそぐわず、ちぐはぐさが却って浮き彫りになっていた。明らかな痩せ我慢。レイモンドは憤りを残したままほとんど無理やりいつもの彼を演じている。

 視線を移せば槍兵の傍らで顔をしかめる青髪の王女と目が合った。バジルやモモのためではない。レイモンドが彼女の負担にならぬように全体の和を優先したのはひと目で知れた。


「アイリーンとバジルはもう中にいるぜ。俺らはあの幕屋使えってさ」


 槍兵の示す先には厚いフェルト生地の家。通常解体して運ぶものだが今回は客を囲っておくためにそのまま移動させるらしい。複数台の車と馬に繋がれたその姿はさながら陸を行く船である。居住性の低い船に比べればこちらのほうが格段に過ごしやすかろうが。

 幕屋付近にはさり気なくマルコムやオーベドたちも待機していた。退役兵は第二グループだけを残して全員同行できたようだ。味方の顔ぶれを確認すると緊張は多少やわらいだ。


「じきに出発するらしい。我々も中で待っていよう」


 ルディアの指示でアンバーもモモもレイモンドも荷台に上がり、順に幕屋の玄関布を捲っていく。

 外から見た印象通り内装は至って一般的なものだった。敷きつめられた厚い絨毯。夜は寝床に変わる長椅子。中央にしつらえられたストーブ型のかまども清められており、煮炊きに困りはしなさそうだ。卓袱台(ちゃぶだい)長櫃(ながびつ)、必需品の類もひと通り揃っている。これならジーアン兵たちと同等の生活が送れるだろう。遊牧民の一家のように打ち解け合えるかは別として。


「あっ、姫様。モモちゃんたちも」


 と、人が増えたのに気づいてアイリーンが衝立(ついたて)から顔を出す。狐の寝所から持ち込んだものだろう。目隠しの役を果たすそれは八人家族が暮らせる幕屋をざっくりと四つの空間に分けていた。

 バジルのほうは姿が見えない。やはり出てきづらいのかなと薄暗がりに目を凝らす。すると半分衝立に隠れ、緑の頭がうつむいているのが見えた。


「飯が食えるかと寝床が足りるかの確認はしとかなきゃなー」


 弓兵の存在に気がついていないようにレイモンドが声を張る。内部の設備を(あらた)めるべく歩き出した槍兵と弓兵の目は合わなかった。まるで舞台ですれ違う演者と黒子だ。

 モモはモモで少年に一瞥を向けた後「具合悪いなら寝てなよ」と言っただけだった。突き放す口ぶりではない。しかしまだ当たり前に一緒にいられる空気でもない。のそりとバジルが奥に引っ込むと少女は短い息をついた。


「モモたちも寝るとこ決めよっか。今日からは隣で寝てもいいよね?」


 アンバーは「ええ」と頷く。ディラン・ストーンの仮面を外して。

 限られた人数とは言えドナの街にはアクアレイア人の出入りがあった。何か問題が起きたときハートフィールド家を守るためにはいつ何時でもあの軍医になりきれねばならなかった。

 今日からはただのアンバー・ヴァレンタインとしてモモの側についていたい。自分に何ができるかはわからないが、今の彼女にはきっと支えが必要だ。


「ジーアン式の暮らし方、教えてあげる。経験するのは私も初めてだけどね。甘いものも少しはあるのよ。楽しみにしていてちょうだい」


 狐の記憶を覗いて得た食の知識を披露すればモモは「うん」と笑顔を見せた。東側の壁際の日焼けした長椅子に彼女を促し、アンバーも歩き出す。


「さあ、まずは荷解きしましょう」

「うん、そうしよ」


 ちらりと肩越しに振り返ったルディアはまだ難しい顔をしていた。そのうち彼女も槍兵に呼ばれ、西側の衝立の奥に消えていった。




 ******




 緩やかに車が進み出したことを揺れる幕屋の中で感じる。移動生活に慣れた馬はアニークたちにガタゴト振動を与えつつ、一歩ずつ着実に前へ前へと踏み出していった。

 膝の上から落っこちた本とクッションを拾い上げ、長椅子に深く座り直す。見回したのはドナに来てからほぼずっと変わらぬ光景。己の隣で長い足を組むウァーリ、彼女の足元で胡坐を掻いているダレエン。手入れした爪を眺めたり欠伸をしたり、二人ともこの程度の揺れはものともしていない様子である。

 狼男のすぐ横には彼を真似て敷物に腰かけるアルフレッド。更にその隣には縮こまって正座しているブルーノの姿があった。こちらの二人は簡易な造りの幕屋が崩れはしないかと心配そうな面持ちだ。


「あの、だ、大丈夫なんですか? さっきから座っていても転びそうなくらいなんですが……」


 おそるおそるといった感じで老人の声が問う。それに応じるダレエンのほうは落ち着き払ったものだった。


「揺れるときはもっと揺れる。まだ道も悪いしな。よろけたくないならお前もその辺の長椅子を使え」

「は、はい」


 きょろきょろと幕屋内を見渡して彼は壁際に置かれた別の長椅子へと這っていく。「先生」から言葉を習えと命じられているアルフレッドものそのそと後に続いた。


「え、ええと、お借りしますね」


 居場所に定めた長椅子の座面に縋りつきながらブルーノが声を張る。狼男が「勝手にしろ。幕屋のものは好きに使え」と答えると彼はようやくほっとしたように痩せぎすの胸を撫で下ろした。


(変な感じ……)


 叱られてばかりいたせいか、びくびくした古龍を見るとアニークはなんだか複雑な気分になる。ブルーノはルディアの仲間だというので始めこそ敵視していたけれど、こんなに弱々しそうだと冷たくするのも気の毒だった。

 それに彼はとても親身にアルフレッドの言語習得を手助けしてくれている。未だに騎士はジーアン語とアレイア語の区別をつけられていないものの、根気強く相手をするブルーノのおかげで以前より上手く喋れるようになっていた。

 これならおよそ三ヶ月かけてサルアルカに着く頃には意思疎通の問題はほぼなくなっているだろう。自分で考え、自分で動けるようになればアルフレッドも一人前だ。そうしたら──。


(そうしたら、彼をルディアのもとへ帰さなきゃいけないのかしら)


 ぴたり止まってしまった思考にアニークは目を伏せる。

 彼はこちらの人質だ。彼が主君と居たがっても希望を叶えてやれるかどうか知れない。それに己が恐れているものは、そんな事情とはきっと関係ないのである。

 本を開いて読書するふりをしながらアニークは長椅子の脇、レーギア宮から持ち込んだ剣と鎧に目をやった。

 鈍く光る胸甲や腕甲は「アルフレッド」の遺品である。剣のほうも、いずれ返すと約束した鷹の紋章のバスタードソードだ。まだ物をよくわかっていない騎士に渡すわけにいかないから自分が預かっているのだが、再び彼がこれらを纏って立つ日を思うと憂鬱だった。


(彼は私の騎士じゃない──)


 どうしたってもう手に入らない男である。わかっているのにアニークの「核」は恋心を冷ますことすら許してくれない。

 胸にはずっと穴が開いたようだった。その穴に凍える風が吹き込んでくる。ともすれば身体ごと凍てつかせそうに冷たい風が。

 視線を落とせば本の中ではまだ若いユスティティアとグローリアが楽しげに笑い合っている。取り戻せない歳月が流れた後「いつかこの剣にあなたの名を賜りたかった」と悲しい想いを告げることになる騎士を見て、自分を重ねずにいられなかった。


(側にいられれば良かったのよ。特別なことなんて何もなくても……)


 ユスティティアの告白にグローリアは首を振る。「それはもうサー・テネルにやったのよ」と。

 命までルディアに捧げた赤髪の騎士はアニークに何も遺さなかった。

 その事実がただ虚しい。

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