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ルディアと王都防衛隊~海の国の入れ替わり姫~  作者: けっき
第2章 羊の子らが集まりて
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第2章 その1

 ごめんなと小さく掠れた呟きにルディアが「え?」と振り返る。なんの話だと問いかける眼差しだけをこちらに向けて、彼女は右腕に引っかけた外出用の黒ケープを椅子の背もたれに預けた。

 重厚な木の椅子だ。焼け焦げたような暗い茶色を塗り込まれ、ニスで丁寧に仕上げられた。肘掛けも座面もどっしりして貴人の独房に据えられた調度品を思わせる。椅子の向かう書き物机も、そこに並んだ文房具も、連想させるものは同じだった。──幼馴染が最後に過ごしたあの一室。


「ごめんな、今日、俺だけ皆のとこ行けなくて……」


 もう一度レイモンドが具体的な謝罪を述べると恋人は「ああ」と合点し、気にするなと言う風に優しい顔で首を振った。


「別にいい。寝ていろと言ったのは私だろう」


 ルディアが第一商館の一等宿泊室に戻ったのはつい先刻、正午の鐘が鳴って少しした頃だった。午前中、砦にはバジルやモモが集まっていたはずである。現状を確認し合い、今後の方針を決めるために。

 どうしてもあの二人に会いたくなかった。レイモンドの欠席理由はそれだけだ。顔を見るのがつらかった。ドナに着いた昨日の時点でバジルのことは明確に避けてしまったし、モモにも辛辣な言葉ばかりぶつけそうになって。会えば今度こそなんと言って二人を責めるかわからなかった。そんなことをしたってもう死人は戻ってこないのに。

 だがいつまでも閉じこもっているわけにいかない。心は追いつかなかったが、それでもどうにか寝台を下りてレイモンドはルディアに向き直った。

 なんでもない素振りで問う。「で、これからどうすんだ?」と。


「実はまた状況が変わってしまってな……」


 ルディアはふうと嘆息した。聞けば彼女の思惑とは逸れた方向に話が進んでいるらしい。焦げ茶色の机と椅子が並ぶ横、壁に埋められた暖炉の前、眉根を寄せてルディアが続ける。

 王女曰く、ハイランバオスとラオタオが交渉の場に割り込んできたと思ったら、彼らはすべてを彼らの思うまま取り決めてしまったそうだ。まだ確定ではないもののレンムレン湖のアークが見つかった可能性もあり、二人はコナーを呼びつける手配までしてくれたそうである。


「ファンスウに別人が入っていることも知られてしまったし、退役兵のときのように少しずつこちらの蟲と入れ替える、というのは現状かなり難しくなってしまった」


 できれば十将の二人だけでも先に落としたかったのだが、と渋面のルディアが呟く。とにかく今はダレエンたちも十分用心しているだろうし派手な動きは控えようとのことだった。

 確かにそれはそのほうが良さそうだ。焦って連中に手を出して接合の秘密を悟られては元も子もない。バジルの一件で情報は漏れてしまったものの、まだ誤魔化しの効く範囲ではある。レイモンドは「わかった」とルディアの意見に頷いた。


「どんな形で乗っ取りを決行するかはさておいて、我々が天帝のもとへ向かうのは変わらん。今は一ヶ月後の出発に向けて準備しよう。さっき薬局と工房に寄ってモモとバジルにもそう伝えてきた」


 二人の名を耳にして一瞬ぴくりと指が震えた。強張りかけた表情を繕うためにレイモンドは努めて明るい声で応じる。


「よし、旅支度は俺に任せてくれ。ジーアンの奴らと一緒じゃ西方風の食事や寝床は期待できねーし、不自由しないで済むように色々買い揃えておくぜ!」


 胸を叩いてルディアに告げた。上手く笑えているかさえわからぬまま。

 せめて彼女の前でだけは元気なふりをしなくてはならなかった。すぐに無理をする恋人に余計な気遣いをさせたくない。彼女とて傷ついているに違いないのに己の心痛の面倒まで見させるわけにいかなかった。

 だがそんな胸中は見透かされていたのだろう。「お前は砦の集まりに来なくていいぞ」と先手を打たれる。商館のほうで荷作りを進めてくれ、共有するべき情報はその時々に伝えると。


「え……」


 でも、と断ろうとした言葉は微笑によって遮られた。


「モモも薬局に居させるし、バジルにもガラス工房に居てもらう。……どうせ動けないのなら一ヶ月しっかり休養したほうがいいのではと思ってな。砦にはアルフレッドがいるし、皆まだ近づきたくないだろう?」


 特にお前たち三人は、と言われた気がした。ルディアは口にしなかったが、受け入れられていないだろうと。

 なんと答えればいいのかわからずレイモンドは立ち尽くす。「でもそれじゃ、あんたに負担が」と凍える喉を震わせると「私だって必要なければ会いになど行かないよ」とたしなめる響きの返事があった。


「……少し気持ちを落ち着ける時間を作ろう。このままでは全員駄目になってしまう」


 言ってルディアはこちらに腕を伸ばしてくる。優しい眼差しで見つめられ、いたわり深く抱きしめられ、レイモンドは息を飲んだ。

 肩口にそっと額が押しつけられる。背に回された指に力がこめられる。彼女のほうからこんな風にしてくるなんて今まで一度もなかったことだ。


「レイモンド」


 酷く寒い場所にいるようにルディアの吐き出す息が震えた。

 聞き逃してはならない言葉が告げられる。

 予感は間もなく現実となった。


「お前は絶対、あんな馬鹿な真似はするなよ……」


 うんと頷くこと以外、己に何ができただろう。

 アルフレッドは間違えた。彼は生きねばならなかった。

 こんなにルディアを弱らせて。持てるすべてを灰にして。それでも「騎士」になるなんて。──そんなこと、彼はするべきではなかったのだ。

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