第1章 その3
ジーアン兵だらけの中庭を突っ切って、主館最上階に位置する狐の寝所まで引き返す。そこでルディアは「なんのつもりだ」とエセ預言者に詰め寄った。
わざわざコナーを連れて天帝に会いにいこうなど正気の発言とは思えない。聖櫃の管理人たる師を守れと言ったのはお前だろうと。
でんと大きな寝台と、長椅子、テーブル、いくつかの衝立が置かれた以外何もない一室には狐に器を返却させられたアンバーがディラン・ストーンの姿で腕組みしていた。その隣では交代を手伝わされたらしいアイリーンがびくびく身を震わせている。馴染みきらない老体の膝をさすってブルーノも聖預言者に噛みつくルディアを見やっていた。
「先程も申しましたが、発見は絶望的と思われていたレンムレン湖のアークが見つかったのですよ? これは多少計画を変更してでもお祝いに駆けつけねばならないではありませんか!」
ハイランバオスは悪びれない。将軍たちの中身を換えてからこっそりと天帝に近づく算段をしていたのに、正面から堂々と彼の敬愛する王を訪ねる意思を示してくる。
「あのな、そのアークだってお前が勝手に見つかったと思っているだけ……」
だろうがと続けようとした文句は最後まで言えなかった。人差し指をそっと唇に押し当てられ、物理的に声を封じられる。
「アークは見つかったんですよ。これは本当に確かなことです」
エセ預言者は自信たっぷりに言い切った。なおも訝るルディアに彼は推測の根拠を説明してくれる。
「アレイアのアークはマルゴーの山中にあったでしょう? 聖櫃は動かされてさえいなければ巣に流れ込む川の上流にあるのです。
十将が集まるように指示されたサルアルカは大山脈を挟んでレンムレン国のほぼ真向かい。少なくとも我が君は、聖櫃の場所の見当はつけられたと考えて間違いありません」
言って詩人はアクアマリンの双眸を輝かせた。「さすがは我が君、深く険しいあの山から一粒の宝石を探り当てるなど不可能だと思っていました!」と。
「や、山……?」
「ええ、そうです! レンムレン湖に雪解け水を運んでいた天山です!」
詩人は語る。空を割り、砂漠と草原を分かつ壁として君臨するその山脈は、ジーアン語でテイアンスアン──「天なる山」と呼ばれて恐れられていると。万年雪に覆われた高峰。侵入者を拒む絶壁。誰も深部に足を踏み入れたことがないというその山は、アルタルーペと多分に重なるところがあった。アークが眠っているとしたらそこ以外にはないという。
ハイランバオスの補足を聞いてルディアはごくりと息を飲んだ。彼の狙いがついぞわからず。
仮に予言が真実だとしてこの男はどう動くつもりなのだろう。天帝の前に姿を晒すなど危険極まりない行為だ。まさか本当に「お祝いに駆けつけたいだけ」ではなかろうな。
「当初は古王国をけしかけ、アクアレイアを奪ってやきもきさせる予定でしたが、いやまったく嬉しい誤算でしたね! 我が君は卑賤な私が想像する以上に素晴らしいお方です! 数少ないヒントからこうして本命に辿り着いてしまうのですから!」
頬を薄紅に染めた詩人はきゃっきゃと狐の手を取って踊る。ラオタオのほうも「楽しみだね! アークを囲んで皆で祝杯を挙げなきゃね!」と大層乗り気な様子だった。しまいには二人ともとんでもないことをのたまい出す。
「我々の悲願、祖国レンムレン湖の再発見はなされたと言っても過言ではないでしょう! まさに大団円ですね! こんな日が来るなんて、我が君に過酷な試練を与えて良かった!」
「ほんの百年だけだけど延命もできるってわかったし、後は皆でアークを守りながら楽しく暮らしたらいいよね! 接合のこと教えるのと引き換えだったら天帝陛下も俺たちの裏切りくらいお手打ちにしてくれるっしょ!」
さっと額から血の気が引いた。
この二人、本気で元の陣営に戻る気なのか?
だから本来の肉体に戻ったのか?
いくら彼らの背信の結果アークが見つけ出されたからと言って。
「ちょっと待て、話が違──」
預言者と狐のダンスはそこでぴたりと静止した。剣に手をやり、ルディアは退路を確保しもって身構える。だが緊張はたちまち一笑に付された。
「──とまあ、故郷の母たる聖櫃が見つかり、道を別った片割れも舞い戻り、あの方が喜びの頂にあるタイミングで総入れ替えを行うのがドラマティックで最高なのではないでしょうか?」
あはっと彼は残忍な欲望を開示する。こちらと手を切るつもりは微塵もないようで「大丈夫ですよ。協力してくださったお礼にアクアレイアはあなた方にお返しします」と再度の約束がなされた。
「そ、そうか……」
無駄に明るい返事にルディアは脱力する。けれどまだ安堵はできなかった。アークには蟲の心を強く惹きつける力がある。あんなものを目にすればいかに冷血なこの詩人にも里心がついてしまうのではないかという気がした。
「途中で気が変わったりしないだろうな?」
念押しするとハイランバオスは「ええ!」と微笑む。
「レンムレン湖のアークは既に機能を停止していますから。我が君をぬか喜びさせる以外なんの役にも立ちません」
聖櫃はもう死骸なのだと詩人はあっさり言い捨てた。ひとかけらの親愛も、郷愁の思いすら滲ませず。
「あなた方は我々に振り回されているという体でも、人質がいるので仕方なくという体でも、なんでもいいのでサルアルカまでご同行ください。快適な旅を保証しますよ! 美しい草原と空は忘れがたき思い出となるでしょう!」
ハイランバオスはすっかり出来上がった酔っ払いのように鼻歌なぞ口ずさむ。ラオタオも上機嫌で「そんじゃさっそく例の鷹を回収してマルゴーに飛ばしにいかない!?」と詩人を誘い、ステップを踏んで部屋を出ていった。
アンバーを振り返れば少女然とした軍医の肩がすくめられる。無言の女優は「好きにさせるしかないわね」と言いたげだ。長いジーアン生活で彼らをよく知るアイリーンも災害を見送るように閉ざされた扉を見やった。何度も階段を行き来したせいでまだ膝が痛むらしいブルーノも深々と息をつく。
「……とりあえず、しばらくは尋問や拷問を受ける心配はなくなったと考えることにしよう」
ダレエンたちも下手に防衛隊をつつけなくなったのは事実だ。
奇妙な取り合わせではあるが、草原と砂漠の境界テイアンスアンの山々まで、将軍たちとルディア一行は旅の仲間となるようである。




