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ルディアと王都防衛隊~海の国の入れ替わり姫~  作者: けっき
第1章 傭兵は海で踊る
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第1章 その2

 ――遡ること約半月。アクアレイアで水夫の募集が始まったのとほぼ同時、マルゴー公国でも正規兵の招集が行われていた。

 正規兵と言えば聞こえはいいが、この手の呼び出しを受けるのは君主の近侍や親衛隊といった貴族階級の騎士でなく経験豊かな傭兵たちである。要するにマルゴーでは「国家の名で雇ったゴロツキ界の精鋭」を指して正規兵と言うのだった。

 齢三十四になる戦士グレッグも千人の猛者を率いる傭兵団長の一人である。軍団をここまでの規模にするには様々な苦労があった。不慣れな外国での放浪、文句をつけては支払いを拒む諸侯との争い、負け戦からの逃亡。数え上げればきりがないほどだ。

 マルゴー公国は貧しい。領地のほとんどが高い山だから穀物はたいして収穫できないし、生きるためには足りない食料分どこかで働かねばならない。

 六十年前、アレイア公は独立戦争に粘り勝ってアクアレイア王国を得たが、マルゴー公は最後の最後に敗北した。公国として自治権を認めてもらうために豊かな平野部を手放さなければならなかった。その結果、アルタルーペの山々には飢えた領民が続出することになったのだ。

 木と人があるだけのマルゴーに「建材を売ってくれないか?」と持ちかけてきたのはアクアレイアだ。マルゴーはまず森を金にする手段を覚えた。樫の木一本自生しない海の王国は良い客だった。

 次にアクアレイアは傭兵団をよこしてくれと言ってきた。彼らは自国の親であるパトリア古王国と派手に喧嘩したままだったので、都市の形が整うまでは陸上防備に気を抜けなかったのである。

 マルゴーの進む道はこのときに決定した。約束通り隣国を守り抜いた傭兵団は内紛に明け暮れる西パトリアの各地で引っ張りだこになったのだ。

 戦いを稼業にすれば生きていける。その事実を目の当たりにしたマルゴー人は口減らしに子供を捨てるより剣を持たせて旅立たせた。今では傭兵と言えばマルゴー、マルゴーと言えば傭兵と一般常識にまでなっている。国を挙げての一大産業なのだからそうでなくては困るけれど。

 しかしわざわざ公爵が傭兵団ではなく正規兵として自分たちを招集するとは何事だろう。まさかまたジーアンと一戦交えるつもりなのだろうか? あの国とは三月に休戦協定を結んだばかりのはずだが。

 首を傾げるグレッグに答えはすぐに知らされた。ややあって謁見室に現れたマルゴー公ティボルトの差し出してきた羊皮紙によって。


「なーんで俺がアクアレイアの軍船なんぞに乗らなきゃならねえんですか!? 死んだってお断りですよ、こんなもん!」


 不愉快な契約書をぐちゃぐちゃに丸め、声の限りにグレッグは叫んだ。この反応は見越していたか、両腕を広げたティボルトが退出しようと背中を向けたグレッグを引き留める。


「そんなこと言わんでくれグレッグ! もう三人も断られてわしだってつらいんじゃ! ほれ、お前チャドと仲良くしとったろう? アクアレイアで肩身の狭い思いをしながら暮らしとるあの子のためにも今度の仕事引き受けてくれんか?」

「あーっ! 王子の名前を出すなんて卑怯っすよ公爵! つうかチャド王子を婿に出したのは公爵じゃないですか! そうやってなんでも傭兵が尻拭いしてくれると思ったら大間違いですぜ!」

「グレッグ! 礼は弾む! 礼は弾むからああ!」


 身も世もなくしがみついてくる老体を力いっぱい寄り切りながらグレッグは「俺はアクアレイアが大ッ嫌いなんです!」と固辞の意を示す。傭兵団として稼ぎに行くならともかく正規兵の名では関わりたくもない。正規兵ということは、支払いはアクアレイアでなくマルゴー公国がするということではないか。あれだけ荒稼ぎしているくせに、いつもマルゴーを出し抜くくせに、びた一文出す気がないとは一体どういう了見だ。


「グレッグ、もうお前しかいないんじゃ! 今回はどうしても正規兵でなきゃならん理由があるのじゃよ!」


 公爵の泣き落としにグレッグは立ち去りかけた足を止める。甘いとは思うが苦労続きの老君を見捨てるのも忍びない。とりあえず話だけは最後まで聞いてやることにする。


「正規兵でなきゃ駄目な理由ゥ?」

「そうじゃ、ハイランバオスの護衛を務めたのがアクアレイアだけとなったらジーアンに何を言われるかわからん。マルゴーのために辛抱してくれ。頼む、この通りじゃ!」

「…………」


 グレッグは返答に詰まった。祖国のためと言われると急に断りづらくなる。

 確かに天帝の弟をアクアレイア一国に任せきりにしたのではマルゴー公国の立場が危うい。あの聖預言者を賓客として迎えたのはマルゴーとアクアレイアの二国なのだから。

 ジーアン軍は国境を去ったがいつどんな理由で攻撃を再開するか知れない。それにマルゴーは帝国と境界を接する国の中で最弱なのだ。地理的にも重要な西パトリアへの入口だし、帝国に対してはわずかの予断も許されなかった。


「……チッ、わかりましたよ。行けばいいんでしょ、行けば」

「おお! グレッグ! やはりお前に頼んで正解じゃった!」

「暑苦しいんで手ェ握らないでもらえますかね公爵ゥ!」


 我ながら高貴な身分の人間を相手に失礼極まりない。しかし傭兵団長として名を上げれば君主とも対等に渡り合えるマルゴーの在り方は好きだった。

 公爵は傭兵たちに戦地の情報を与え、向かうべき場所を示す司令官だ。頭がなければ手足は働きようがないし、頭だって手足がなければ何一つできない。貧しい国だからそうやって一体になって生きるしかないのだ。

 よそでどんなに冷遇されても傭兵たちは祖国のために命を張る。マルゴーの街や村はどこも帰還した戦士を温かく迎えてくれるから。

 故郷のためなら多少の我慢も必要か。グレッグは小さく諦めの息をついた。


「それではさっそく契約書にサインと判をしてもらおうかの。ほれほれ」

「ったく、そんな焦んなくたってコロコロ気が変わったりしませんって!」


 またアクアレイアにいいように使われるだけじゃないのかという一抹の不安に駆られつつグレッグはティボルトにペンを借りた。

 かの国の商人はマルゴーから買った木材を海の向こうの砂漠で売り、大量の金銀と交換していると聞く。連中はジーアン以上に油断ならない。「これは君らのためになる」と言っていつも自分たちが多く得をするのだ。

 いいだろう。この機会に我々マルゴー傭兵のすごさを奴らの頭に刻みつけてやる。待っていろ、金の亡者ども!




 ******




 幸先のいいスタートを切るというのはなかなか難しいものらしい。出航の日、険悪な空気に包まれた税関岬を見渡してルディアは深く嘆息した。

 ぶすっと唇を突き出して睨み合うマルゴー人とアクアレイア人は桟橋に整列したきりぴくりとも動かない。両軍の間では和やかな会話はもちろん形式上の挨拶さえなかった。

 急に同じ船団に二百名ものマルゴー兵が同乗すると聞かされたのだ。海軍の反発もわからないではない。「海のことは海の人間で」が彼らの信条であり誇りである。邪魔な山猿を飼うスペースはないぞと毒づくのも仕方なかった。

 だがマルゴーの立場を思えば乗船を拒むわけにいかない。ルディアは新たな問題に痛むこめかみをぐっと押さえた。


「ほへー、二百人ってどの船に乗るんだ?」

「まあ分散はするだろうが、ハイランバオスと同じ旗艦だな。要は我々の乗る船だ」


 レイモンドの問いに答えてルディアは眉間のしわを濃くする。バオゾに着くまで面倒事が起きねばいいが。


「おっ、陛下だ」


 と、そのとき、金塗りの船室付き王室専用ゴンドラが大運河を横切って税関岬に現れた。イーグレットとチャドがハイランバオスの見送りに来たらしい。船頭の隣にはこの船旅の総責任者、ブラッドリー・ウォードの姿も見えた。


「伯父さん!」


 憧れの男を目にするやアルフレッドが正しい姿勢を更に正す。敬礼する彼の前でゴンドラは岬の突端を回り込み、商港の空いた桟橋に取りついた。


「王都防衛隊の諸君、ご苦労。今度の旅路でも今まで通りハイランバオス殿とアイリーン殿の身辺によく気をつけるように」

「はい! ブラッドリー提督!」


 アルフレッドの頬は紅潮し、瞳はきらきら輝いている。先月まで中将だったブラッドリーが海軍の頂点に立ったのが嬉しくて堪らない様子だ。だが提督と呼ばれた本人は気まずそうに苦笑いするだけだった。

 おそらく実力で掴んだ地位ではないからだろう。彼は我が子の減刑を乞うて退いたシーシュフォス・リリエンソールの穴を埋めたに過ぎない。内心の当惑は見て取れた。

 船室からは次々と見知った顔ぶれが降りてくる。糸目の夫も、色白の父も、前に会ったときと変わらず健やかそうで安心した。


「我が公国の兵たちも初めての長期航海だ。よろしく頼む」

「お任せください、チャド殿下」


 興奮状態のアルフレッドに代わってルディアが王子に応対する。

 幾度となく言葉は交わしているものの、まだ彼と夫婦になった実感は薄い。チャドはルディアよりブルーノに夢中のようだし、身体を返した後が大変そうである。


「ハイランバオス殿、道中お気をつけて。戻ってこられるにせよ、別の土地へ赴かれるにせよ、王国海軍がしっかり送り届けさせていただきます。安心して海の旅をお楽しみください」

「ご厚意に感謝します、波の国の王よ。私はこの国がとても気に入りました。天帝にもよくよくそのことをお話ししておきましょう」


 アンバーとイーグレットが友好的に握手を交わす。当然だがハイランバオスがグレースでなくなってからの両者の関係は良好だった。

 しかしいくら懇意になったとはいえ客人のための送迎船が行き来できるのはせいぜい年に一、二度だろう。その程度では王国の不況を回復はさせられない。この旅で必ず東方交易再開の糸口を掴まなければならなかった。今のままではアクアレイアはじりじり弱っていくだけだ。


「そうそう、例の絵ですが間に合いましたよ。さきほどコナー本人が持参してまいりました。天帝陛下にお気に召していただけると良いのですが」


 聖預言者から手を離したイーグレットは金のゴンドラを振り返った。コナーと聞いてルディアはまさかと目を瞠る。ヘウンバオスを祝うべく稀代の天才に絵筆を執らせたとは聞いていたが、その当人が今日ここへ完成品を運んできたということは――。


「急に乗員を増やしてしまい、申し訳ございません。ジーアン帝国を訪問する機会など滅多と巡らぬものですから。ハイランバオス殿、どうか私も道連れにしていただけませんか?」


 ゴンドラの船室からひょこりと顔を出したのは、画家にして歴史家、発明家にして兵法家のコナー・ファーマーだった。ルディアにとっては元家庭教師であり、王族に必要なすべてを教えてくれた恩人である。知性溢れる黒い瞳も、穏やかながら鋭さを秘めた物腰も、まるで昔と変わっていない。

 一瞬でアルフレッドと同じ顔になり、ルディアは慌てて口元を引き締めた。

 なんという僥倖だろう。まさかこの人に同行してもらえるとは。


「これはこれは、我が君もきっとお喜びになられるでしょう。あの方は技術者や知識階級の者と話すのが何よりお好きですからね」


 いよいよハイランバオスぶりの板についてきたアンバーが会ったこともない天帝についていけしゃあしゃあと語ってみせる。コナーは三白眼をにこやかに細め、「良かった」と微笑んだ。


「よーし、出航急ぐぞ! 全員乗り込めー!」


 ガンガンと鐘を鳴らして水夫の急かす声が響く。

 船着場でイーグレットら王族が手を振る中、聖預言者とその付き人と防衛隊、天才画家と商人と船乗り、王国海軍、マルゴー兵らを乗せたバラエティ豊かなガレー船団はアクアレイアを旅立った。

 パトリア聖暦一四四〇年、七月末日のことだった。





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