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第4章 その4

 昼も、夜も、頭の中をまとまりきらない考えがぐるぐると回っている。家族のこと、部隊のこと、ユリシーズのこと、ルディアのこと。

 騎士物語はあれからまた先へ先へと読み進めていた。物語というのはきっと人生のパロディなのだ。喜びも、悲しみも、すべてがそこに詰まっている。

 蝋燭の乏しい灯りを引き寄せてアルフレッドはページを繰った。美しい文章に、沈黙を保つ行間に、織り込まれた世界の普遍を噛みしめながら考える。

 ユスティティアはどうすれば主君と添い遂げられたのか。

 セドクティオはどうすれば幸せになれたのか。

 トレランティアはどうすれば踏みとどまれたのか。

 そしてこれからの自分のことを。

 ルディアにとって己は重い枷になる。大罪人を引き連れて行動すれば防衛隊は民衆に疎んじられる。並の献身ではなんの足しにもならないだろう。むしろ負債は膨れるばかりだ。そうでなくても永遠に続く孤独に苛まれるあの人に、どうすれば己が力になれるのか。


(俺ができる中で一番いいのは多分……)


 最後まで読み終わった騎士物語をぱたりと閉じ、アルフレッドはひっそりと瞼を下ろす。ユスティティアが囚われた後、古城で余生を過ごしたグローリアに──彼女のモデルとなった姫に思いを馳せた。

 パディの詩は毒薬の後遺症に苦しめられた彼女にとって何よりの救いだったはずだ。叶うなら己もルディアの心を支える存在になりたい。でなければ死罪を犯した身の上で、世間の顰蹙(ひんしゅく)を買ってまで仕える意味がないだろう。


「──」


 蝋燭の照らし出す影がふと濃くなったような気がして隣を見やる。ごめんなとひとりごち、アルフレッドは閉じた本の表紙を飾る騎士と姫に目を戻した。

 ほかが全部どうでもいいわけじゃない。

 けれど自分は騎士であることをやめられはしないのだ。




 ******




 すっきりした晴れやかな気分でバジルは船の甲板に上がった。危惧していたような事態にはならず、接見も最初から最後までスムーズで。

 タルバは本当にただ工房に人を増やしたかっただけらしい。中庭の幕屋でも友人はほかのジーアン人に接触を試みようともしなかった。それは単に兵士の大半がコリフォ島へ赴いていたせいかもしれないが、とにかく何も困ったことが起きなかったのは事実である。

 朝一番でドナに渡る商船もすぐに押さえられて良かった。対岸に戻れば己もひと心地つけそうだ。


(これでアクアレイアとはまたしばらくお別れかあ)


 停泊中の船の上からバジルは広い商港を見渡す。吹き込んでくる晩秋の潮風は背筋が震えるほど冷たい。けれどたぷたぷ揺れる波や動き回る荷運び人から目を逸らすことはできなかった。もうじき船は沖へ出て、慣れ親しんだ一切と遠ざかってしまうのだから。


「バジル、しばらく上にいる気か?」


 低い声に呼びかけられて振り返る。見れば草原育ちで寒さなどものともしていない友人が「俺あっちで船酔い対策に早めに横になろうかなと思うんだが」と告げてきた。


「あ、そうですね。気持ち悪くなる前に寝ちゃったほうが賢明だと思います。僕はもう少しここでこうしてるつもりですけど……」


 構いませんかと尋ねる前にタルバはこくり頷いてくる。「何かあったら呼べよ」と船室に向かう友人はいつも通りの彼に見えた。

 宮殿で女帝に会って、タルバの中で何か整理がついたのだろうか。だったらいい。少しは落ち着いてくれたなら。

 自分にとっても悪くない機会だった。タルバがアクアレイアの職人と上手くやれればルディアもドナの大人しい退役兵には軟化するのではないかと思える。主君さえ頷いてくれればタルバの案じる仲間にも接合を施してやれるかもしれないし、そういう風に持っていくのがお互いきっと一番いい。

 道はまだ続いていくのだ。間違えたかもと焦ったが、それならそれで正しい道と合流させるまでである。


(アルフレッドさんとも会えたし、本当に良かったな)


 積荷の点検が終わったのか、出航だと大きな声が張り上げられる。次はいつ帰ってこられるかわからない故郷を瞳に焼きつけるべくバジルは船縁で背伸びした。


(アクアレイアが見えなくなったらタルバさんの部屋に行こう。ほかの仲間の寿命もどうにかしてあげたいって言えばきっと安心できるよね)


 桟橋が、商港が、大鐘楼が、国民広場が、見る間に小さくなっていく。気にかかっていた処刑用の鉄柱もすぐに遠景に埋もれて消えた。

 あれもきっと自分がドナにいる間に取り払われてしまうだろう。波の乙女が騎士を救い出してくれるのだから。


(よし、僕も水銀鏡作り頑張るぞ。アルフレッドさんが大手を振って表通りを歩けるように!)


 決意を新たに強く拳を握りしめる。

 バジルがタルバの不在に気がついたのは、白帆を張った船が海門を通過してアレイア海へ出たときだった。




 ******




 ──はあ、はあ。息を切らせて船着き場を駆け抜ける。何人もの水夫や商人を追い越して、船を降りるとき頭から引っ被った誰かの黒いケープを揺らして。

 商港を出てすぐの岸辺で手を上げればゴンドラが寄ってくる。申し訳ないと思いつつ無賃で対岸につけてもらい、タルバは方形広場に上がった。

 高い塔の脇を過ぎ、鉄の柱を横目に見ながら出てきたばかりのレーギア宮へ逆戻りする。門番は何度か顔を合わせた覚えのある蟲兵で「(サソリ)に会いたい」と言えばすぐ通してくれた。第十世代ともなると誰が誰の系譜だったか把握するのも面倒だが、こちらのことは知ってもらえていたようだ。

 ウァーリなら己の話を聞いてくれる。確信できる相手でなければきっと走り出せなかった。将がほかにダレエンしかおらず、宮殿の兵がほぼ出払っていたのも大きい。

 今なら余計な人間にまで話が広まる心配はなかった。バジルのことも、先にドナに帰してしまえばすぐには手出しできないはずだ。

 タルバは駆ける。つい先程別れの挨拶を済ませて出てきた幕屋へと。どうかウァーリが親身になってくれますようにと祈りながら。


「──あら? 朝の船で帰るって言ってなかった?」


 不躾に玄関布を捲ったのに彼女の対応は鷹揚としていた。何から話すべきかわからず、タルバはしばし呼吸を整えるに終始する。


「忘れ物か? ついでに茶でも飲んでいくか?」


 広い幕屋ではダレエンが絨毯に、ウァーリが長椅子にゆったり足を伸ばしていた。ノウァパトリア人の姿をしていてもこの二人は変わらない。いつも性格そのままの恰好である。

 ウァーリにタルバの記憶はないが、タルバには彼女の古い記憶がある。蟲が「親」に弱いのは例外なくその記憶のせいだ。だが逆に、蓄積された記憶から誰が信頼に値するか「子」は推し量ることができる。

 仲間のためにウァーリはいつでも惜しみなく自分の力を貸し与えた。直近の親ではないにせよ、ほかにこんな頼み事をできる相手はいない。


「どうしたの? 酷い顔よ?」


 心臓が変な風に跳ねている。

 言えば何かが捩じれて戻らなくなるかもしれない。けれど。


「俺たちの、寿命を延ばす方法があるって聞いた……」


 乾いた声がタルバの喉に張りついた。告げた瞬間蠍と狼が顔色を変える。

 ドナで起きている静かな異変を語るべくタルバはウァーリの前へ進み、そのまま膝から崩れ落ちた。


「……今から俺が話すことは皆にはまだ黙っててくれないか? バジルを酷い目に遭わせたくないんだ。多分全部、俺のためにしてくれたことだから──」


 額を床に擦りつければ蠍は「ちょっと落ち着いて」とこちらを助け起こしてきた。順序立てて説明しろなど求められてもそんなこと上手くできない。一つずつ言葉を繋ぎ、なんとか今日までの経緯を口にする。


「防衛隊の隊員が、新しい小間使いを連れてドナの砦に来た日から、何か変だと思ってたんだ。皆の様子も、バジルたちの様子も……」


 声が震える。もう後には戻れない。それだけ嫌にはっきり悟った。

 話は伝わったのだろうか。ウァーリを見てもダレエンを見てもわからない。ただ二人ともタルバには読み取れない表情で目を合わせるのみである。

 風さえ吹かず、沈黙はどこまでも重かった。




 ******




 常には聞かぬ、ばたばたと騒々しい足音が女帝のサロンに近づいてきたのはまだ昼前のことである。

 不穏な気配を感じ取り、アルフレッドは本を置く。囚人が武器など持つのは言語道断とわかっていたが、ソファを立ち上がるとすぐにアニークの手を引き、彼女の甲冑コレクションが陳列してある壁際へと身を寄せた。


「アルフレッド君、いるかしら?」


 が、足音の正体は宮殿内に踏み込んできた暴徒ではなくウァーリとダレエンの二人だった。なんだと軽く息をつき、早とちりに赤面する。見れば今朝には港を発つと言っていたタルバの姿もそこにあり、それで気配が多かったのかと納得した。


(あれ? けどバジルがいないな?)


 アルフレッドが平常心でいられたのはそこまでだった。「その子から離れて」とウァーリに冷たく命じられ、違和感を覚えながらもアニークと数歩の距離を取る。ダレエンが女帝を背中に庇うのを見てやはり「?」と困惑した。


「あたしたち、初めにきちんと言ったわよね? もしあなたたちが嘘をつけばこの部屋に死体が転がることになるって」


 話がまったく見えてこず、アルフレッドは眉をしかめる。「なんのことだ?」と問いかければ彼女はきつく目を吊り上げた。


「しらばっくれないで。蟲を延命させる方法があるんですって?」


 思わず息を飲んでからまずい反応を示したことを自覚する。常になく険しい目つきのダレエンに「返答次第ではただではすまんぞ」と凄まれ、完全に言葉に窮した。

 アルフレッドはちらとタルバに目を向ける。彼は額を青ざめさせ、すっかり固まりきっている。出所はあそこかと鈍い己でも想像できた。

 バジルは彼と親しそうだった。ひょっとしたら誰にも秘密だと言って教えてしまったのかもしれない。


「ちょ、ちょっと待って。何? なんなの?」


 緊迫の空間におろおろと割り込んできたのはアニークだ。彼女は腰のナイフを抜いたダレエンの腕に抱きついて必死で歩みを止めようとしていた。対する帝国の狼は荒っぽくそれをあしらったが。


「お前が答えないのならお前の妹に聞くまでだ。──モモ・ハートフィールドを呼べ。全部綺麗に吐いてもらう」

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