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第3章 その10

 さてどうやら、概ねこちらの思惑通りに状況は整ったようである。初めこそどうなることかと旅の結末を危ぶんだけれど、大量の兵が投入された以外にはイレギュラーも発生せずに済んで良かった。


(大詰めだな)


 荷箱の積み上がる暗い船倉でルディアは古龍と対峙する。

 ハイランバオスを捕らえたファンスウは当然のごとく裏切り者を彼の監視下に拘束した。各船の兵力は再編され、蟲兵と思われる者たちは三隻の船のうち古龍と偽預言者の乗るこの一隻に集められた。

 ──ハイランバオスを合流させれば連中は彼に注意を奪われる。ルディアの睨んだ通りだった。捕縛した程度で油断できる男ではない。ファンスウは彼の逃亡防止に全力を使うだろうし、相対的に防衛隊への警戒は薄まるだろうと。

 船内には今までになく多くの兵士がうろついている。海の上で、これだけの戦力差がある中で、事を起こすのは馬鹿しかいない。今なら護衛と別行動して問題はなかろうと──老将がそう判断するときを待っていた。


「……で、あれの荷物に関して取引したいこととはなんだ?」


 丘の上のあばら家で告げた要望についてさっそくファンスウが問うてくる。古龍が常に引き連れていた蟲兵は、今は誰もいなかった。ルディアが二人きりで話したい、お仲間には聞かせぬほうが賢明だぞと告げたからだ。

 疑わしげな顔をしつつも古龍は一人でついてきた。こちらも一人だったから彼は釣られてくれたのだろう。

 あとほんの少しファンスウの警戒心が強ければ──防衛隊が敵としては軽視され、情報源としては重視されていなければ──きっとこれほど上手く運びはしなかった。


「まあそう焦るな。早くあの男の尋問に戻りたい気持ちはわかるが、こっちもなかなか一大事なのだからな」


 言いながらルディアは下甲板の最奥に位置する第二倉庫を見渡した。手狭な内部にはドナとヴラシィで荷揚げした分だけ四角いスペースが生まれている。小柄な老人を引き倒して首を絞めるには十分な。


「脳蟲の入った小瓶ばかりだったろう? あの男の持ち物は」


 思わせぶりな問いかけでルディアはしばし時間を稼いだ。耳を澄ませば隣の第一倉庫から働く水夫たちの足音がする。彼らはレイモンドによく懐き、日が暮れてからもまめまめしく積荷整理に従事していた。どすん、どすんと荷箱を置く物音は激しすぎる気もしたが、話し声を掻き消すには都合いい。ついでに格闘の騒音も。


「お探しの男だ」


 そう言ってルディアは懐から陶器の小瓶を取り出した。あばら家でくすねてきたそれには少量の液体が入っている。ファンスウは瞠目し、不可解そうに眉をしかめた。


「どういう意味かの?」

「おや、わからなかったか? お前たちを化かしてきた狐だよ」


 台詞と同時、古龍の視線がルディアの手元に向けられる。もったいぶらずに渡してやっても良かったが、まずは摘まんで持ち上げるだけにした。

 ガラス製の瓶ではないから中身は外から視認できない。ファンスウは虚言を疑っているはずである。だから古龍を決定的に動じさせるべく彼の腹心の名を出した。


「ウヤだったか。お前がドナに潜り込ませていた男は」


 色々聞かせてもらったと言えばファンスウは目に見えてたじろぐ。息を飲む老将にルディアは小瓶を差し出した。

 そろりそろり、骨と皮の目立つ手がこちらに伸ばされる。そうして指が罠を掴んだ。


「──ッ!」


 手にした小瓶に古龍の目が向いた一瞬の隙を突き、ルディアはファンスウに飛びかかった。一歩踏み込んで襟首を掴む。勢いのまま引き倒す。

 だが対する古龍も一筋縄では行かなかった。後方にバランスを崩しながらも転倒しきらずに踏みとどまり、ルディアの腹部に肘打ちを見舞ってくる。


「ぐっ……!」


 奇襲に多少怯むかなとは甘い期待であったらしい。ルディアの腕から逃れるとファンスウは第二倉庫を脱しようと駆け出した。増援を呼んで抑え込むのが彼には最善なのだから当然の行動だ。

 だが第一倉庫へ続く扉は押しても引いても開かなかった。レイモンドが扉の前に大きな水樽を動かしたせいである。「アンディーン像を安全に持ち帰るために」積載物の再配置をしている彼が、一時的に第二倉庫を完全封鎖しているのだ。簡単には出られないと知ってファンスウはこちらを振り返った。


「なんのつもりだ?」


 緊迫の滲む問いかけをルディアは鼻先で笑い飛ばす。


「ウヤから得た情報だ。お前の身体能力は並の兵士と変わらない、一対一なら若いほうが勝つと」


 そう続けると古龍は扉を離れて一歩ずつ後退した。間合いを取ろうとしても狭い倉庫ではすぐに後ろがつっかえたが。

 レイピアはもう抜いていた。あばら家で拝借した小瓶には治療薬──瀕死のレイモンドを救ったあの脳髄液──も入っているし、ファンスウがどんな傷を負おうと問題ない。大切なのは彼を確実に仕留めること。この男の本体を手に入れることである。


「──残念だったな。ハイランバオスはまだ渡さん」


 逃げ場のない小空間でルディアは剣を閃かせる。刺突に適したレイピアの刃はまっすぐに老将の腹を貫いた。


「き、さま……っ」


 どさり。重い音を立ててファンスウが床に伏せる。

 流血を広げないようにルディアはケープを脱いで血溜まりに放った。乾いた布は見る間に赤く染まっていく。


「どう……して…………」


 こんなにあっさり「帝国十将の器」を傷つけられるとは思っていなかったのだろう。ファンスウは意識を手離す瞬間まで事態を把握しきれぬ顔でこちらを睨みつけていた。

 千年も生きる彼らのほうが蟲についてよく知らないとは皮肉な話だ。しかし身内を実験の対象にできなかった彼らでは脳髄液の効能など知る由もないのが当然かもしれない。

 もしジーアンにこちらと同じだけの情報が渡っていればとても太刀打ちできなかった。この先も「接合」について漏れることがないように重々気をつけていかなければ。




 ******




 手足を縛っていた縄がはらりと解かれて足元にわだかまる。ううんと大きく伸びをしてハイランバオスは数時間ぶりの解放感を楽しんだ。

 ああ、やはり自由はいいものだ。のびのびとやりたいことをして生きるのが生物の最大の幸福なのだ。


「まったくもう、酷い目に遭わせるんですから。もう少しで拷問されるところでしたよ?」


 聖像を納めた棺のすぐ隣、塩の荷箱に腰かけて肩をすくめる。すると王女が「ほかにやりようがなかったんだ。しかし予測はついていただろう?」と顔をしかめて自己弁護した。

 それはまあ確かにそうだ。アクアレイアに一筆送った時点でもう十将の誰かは来るなと見越していた。故郷に戻った姫君が帝国にどんな振舞いをしているか、どんな均衡を保っているかも想像力を働かせれば察せられた。だから別に全然怒ってなどいない。むしろ今後の激動にわくわくしているほどである。


「ま、いいじゃん。こうしてゆっくり話はできるようになったわけだし」


 間近で響いたその声にハイランバオスはふふっと笑った。若々しい言葉遣いと老人のしゃがれ声のちぐはぐさに。

 人払いされた第一倉庫には己を含めて十名ほどが集まっていた。古龍の姿を借りたラオタオ。王女ルディアにアイリーン、少し見ない間に出世した様子のレイモンド。それから監視の蟲兵たち。

 ファンスウの部下に入っているのは己の荷物から消えていた五匹の脳蟲たちだろう。皆諜報員として有能な者だから成りすますのは得意である。ラオタオも面白そうな役回りだ。まあそう長く居座りそうな身体でもないが。この中で一番自分を楽しませてくれそうな人物はやはり──。


「コナー先生にお会いした」


 ルディアの台詞ににっこりと口角を上げる。ほらやっぱり、彼女はアークに辿り着いていた。


「ヴラシィに入る前にある程度すり合わせをしておきたい。カーリスで別れた後のこと、まずは聞いてくれるな?」

「もちろんです」


 ハイランバオスは頷いた。

 さあ一体王女はどんな企みを打ち明けてくれるのだろう。独創的で愉快な話ならこちらも願ったりである。




 ******




 ──どうすればいいのだろう。

 ──己は一体どうすれば。

 寝ても覚めても不安感を振り払えず、出口のない迷宮に閉じ込められた気分だった。何をすればこのどうしようもない悩みはどこかへ消え失せてくれるのだろう。

 あてどなくタルバは砦の中庭をうろつく。幕屋の間に酒瓶が転がる中を。

 表面的にはやはりドナでは何も起こっていなかった。退役兵は相も変わらず無益な享楽に溺れており、彼らの欲を満たすべく小間使いたちは今日も雑事に追われている。

 バジルとはぎくしゃくしたままだった。今まで彼とどんな風に過ごしてきたかタルバはすっかりわからなくなっていた。己にとって何が一番正しいことか、それすら今は判断できない。

 厨房棟の裏手から主館の最上階を見上げる。先日なぜかファンスウが手勢に解体させてしまった鏡の間に友人はいるはずだった。

 手がけた作品を台無しにされて悔しかったはずなのに、迷宮を組み立て直す手伝いを己は少しもできずにいる。

 バジルは一体蟲の何を知っている?

 どこの誰からどうやってそんな情報を手に入れた?


(防衛隊──)


 彼に何か伝えられたとしたら、工房を訪れたあの三人でしかない。ごくりとタルバは息を飲む。恩人を突き出すのも、恩人の仲間を突き出すのも、結局のところ同じ話だ。


(どうすればいい?)


 途方に暮れて立ち尽くしているときだった。誰かにポンと背を叩かれたのは。


「どうしたの? こんなところでぼんやりしちゃって」


 振り返ればすぐ後ろに空き瓶を三本も抱えたケイトがいた。彼女はタルバの額を見やり「酷い顔色よ?」と弧を描く細い眉を歪める。


「…………」


 何も答えられずにタルバはただ沈黙した。そうしたら見かねたケイトが瓶を置いてこちらの腕を引っ張ってきた。

 裏口から更に目立たぬ低木の陰に連れられる。普段なら二人きりだと喜べたのに、今は露ほどもそんな感情は湧かなかった。


「……ねえ、もしかしてバジル君と喧嘩した? 最近ずっと落ち込んでるし」


 案じる声にタルバは首を横に振る。「あら、違うの」と彼女は少々意外そうに瞬きした。

 喧嘩じゃない。喧嘩などでは断じてない。そんな単純な話ならどれだけ気楽にいられたか。


「黙っているべきなのか、打ち明けるべきなのか、どうしてもわからないことがあって……」


 気がつくとタルバはそう漏らしていた。「どっちを選んでも絶対誰か不幸にはするんだ。だから自分がどうすればいいかわからない」と。


「…………」


 話があやふやすぎたせいだろう。ケイトは初め言葉が見つからないといった様子で黙り込んでいた。事実をそのまま伝えるわけにはいかないが、少しでも胸を晴らしたくてタルバは一つ例え話をすることにする。


「自分の家族みたいに大事な存在と、自分のこと助けて世話してくれた恩人が対立して、戦争みたいになってたらケイトはどうする?」


 ケイトにそれを問う意味をタルバはわかっていなかった。知らなかったから彼女が瞠目した理由も、傷跡だらけの美しい顔を張りつめさせた理由もまるで見当がつかなかった。だからその後に向けられた、どこか苦しげな微笑が瞼に焼きついただけだ。


「黙っているか、打ち明けるかで、どちらに味方するか決まるの?」


 彼女は静かに尋ねてくる。「うん」と頷いたタルバの脳裏にはいやな未来図が浮かんでいた。一つは約束したくせに恩人を守れなかった自分。一つは同胞を見殺しにして生き延びたひとりぼっちの自分。

 怖かった。今までこれほど迷ったことがなかったから。誇りを持って選べぬ道を走ったことがなかったから。天帝宮を去るかどうか思い悩んだときでさえこうまで心を引き裂かれてはいなかった。

 どうしたらいいのだろう。自分はどうするべきなのだろう。

 己が苦悩する間にも仲間の命は刻一刻と終わりに近づいているのに。


「……正しいか間違っているかじゃなくて、何に一番残っていてほしいのかを考えて決めればいいと思う」


 不意に響いた穏やかな声にタルバはハッと顔を上げた。まっすぐにこちらを見つめ、ケイトはそっとタルバの両手を包み込む。温かな血潮の通う優しい手で。

 彼女は何を乗り越えてきた人なのだろう。わからない。わからないが彼女の声は胸にしみる。


「あなたはとてもいい人だもの。あなたの選んだ答えを私も信じるわ」


 決断しようと思えたのは、多分その瞬間だった。

 偽りのない信頼と乙女の笑みがタルバに力を与えてくれた。

 迷っている暇はない。走り出さねばならないのだ。

 何もかも手遅れになる前に。

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