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ルディアと王都防衛隊~海の国の入れ替わり姫~  作者: けっき
第1章 傭兵は海で踊る
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第1章 その1

 アクアレイアの夏は病む。毎年暑くなるにつれ、どこの医院も慌ただしさを増していく。

 原因は明白だ。王都を守る天然の水堀、潟湖があるゆえの弊害だ。

 激しい日射が沼沢地に照りつければ蒸気がむわりと立ち昇る。湿度の高さは体感温度を跳ね上げて、ただでさえ生ぬるい風をいっそう不快なものにした。

 澱むのは空気ばかりではない。ゆったり流れる運河の水も格段に傷みやすくなり、引き潮の後に取り残された水溜まりなど完全に腐ってしまう。

 動かない水は死ぬ。そして死んだ水の臭気ほど健康を害すものはなかった。

 最悪なのは沼や潟の一部が干上がったときである。水に蓋をされていた病魔が放たれ、街中に高熱が蔓延し、人々は生気を吸い尽くされてしまう。そう、今こうしてアイリーンが苦しんでいるように――。


「うう……っ、夏特有の懐かしい吐き気がぁ……っ」


 静かな木造聖堂の整然と並ぶ長椅子にすがって女は身をくねらせた。ずっと寝込んでいたのが起き上がれるようになったのだから回復はしているのだろう。だがいかんせん彼女はいつもの顔色が悪すぎ、どの程度復調したのかルディアには見当もつかなかった。


「アイリーン、無理をしてはいけませんよ。祝福されしあなたの頭脳に万一のことがあれば人類の損失です」

「ああっ! ハイランバオス様……!」


 温かい声がけにアイリーンはうるうる瞳を潤ませる。熱っぽい彼女の視線を受け止めて偽預言者はにこやかに微笑んだ。


「あなたにはまだまだ教えてもらわねばならないことが山ほどあるのですからね」


 アンバーがジーアンの宣教師に成り代わってからそろそろ一ヶ月が過ぎる。堂に入った彼女の演技には何年もハイランバオスと過ごしてきたアイリーンでさえ「本当にあの方が生き返ったみたい」と涙ぐむほどだ。

 ジーアン語を習得するのもジーアン文化を理解するのもアンバーは早かった。結婚してアクアレイアを出るまでは女優志望だったらしい。久々に本気で役を演じられて楽しいと、彼女は大きな困難に嬉々として挑んでくれていた。


「徹底していますよねえ、今じゃ素に戻ってる時間のほうが珍しいですもん」


 感心しきった様子でバジルが役者を褒めそやす。


「モモたちも足引っ張らないようにしなきゃね。皆、うっかり本名で呼んじゃ駄目だよ?」


 斧兵の言にアルフレッドとレイモンドが頷いた。

 ルディアが普段からブルーノ呼びを心がけさせているのと同じにアンバーもまた自身をハイランバオスとして扱うよう隊員たちに言い聞かせていた。常に本番のつもりでなくては勝負どころで通用しないというのが彼女の持論だ。

 ルディアもその意に賛成だった。何しろ自分たちが騙す相手はジーアン帝国の頂点に立つ男なのだ。そのうえ天帝ヘウンバオスはハイランバオスの双子の兄ときている。アンバーが自我を封じて励むのも当然のことだった。


「だが問題はこの先だな。通商安全保障条約を結ばせるのにどう事を運ぶべきか、慎重に策を講じねばならん」


 ルディアは腕を組み、窓の外の海を見やった。墓島の寂れた古い聖堂からは王国湾がよく見える。乾期に入って晴天続きの海は穏やかで、今日も申し分のない航海日和だ。

 だがアクアレイア商船は去年と同じに錨を下ろしたままだった。アレイア海東岸を支配するジーアン帝国が未だ他国商船の寄港を認めてくれないためだ。王国商人が利用できる近海の港は依然ニンフィのそれだけだった。

 グレース・グレディの謀略は退けたもののアクアレイアの経済危機に変化はない。国営定期商船団は一年半もストップしたままだし、折角上がった国王の好感度がまたガタ落ちになるのは目に見えた。

 実際イーグレットの政治手腕を非難する声はちらほら上がりはじめている。塩と魚だけで生きていくには王国民は増えすぎたのに、まだ商売に戻れないのかと。それに別件での陳情もだ。


「俺たちがユリシーズの後釜に落ち着けたのは良かったが、ハイランバオスの護衛役と言ってもこっそり相談事ができるというだけだものな」


 アルフレッドが口にした罪人の名にルディアはわずかに眉をしかめた。

 一つ問題が解決するとまた新しい問題が浮上する。すぐに片が付くだろうと思っていた暗殺実行犯の処分は意外な形で保留されていた。

 父としてはできるだけ早くユリシーズの刑を執行したいに違いない。何しろ己の命を狙った人間だ。だが今は迂闊に海軍の反感を買えなかった。

 忠誠心のない軍事力ほど他国に目をつけられやすいものはない。隙があると思われては百害あって一利なしだ。ジーアン帝国だけでなく、ほかの周辺国に関しても。


「っとに口の上手い奴だよなー、あいつ」

「脅迫されてたなんて嘘じゃんね? なんで皆信じちゃうかなー」

「海軍内部に彼を庇う人間が後を絶たないらしいですよ。いやあ、日頃から人には親切にしておくものですねえ」

「おかげで私はとんでもない悪役です。ご存知ですか? 最近アクアレイア人は信用の置けない言動を『預言者かぶれ』と言うそうですよ! ああ、私にはもう我が君しか信じられない……!」


 腕を広げて大仰に嘆いてみせるハイランバオス――否、アンバーに「ああ! なんて素晴らしい預言者かぶれ!」とアイリーンが感涙にむせぶ。これで彼女は王国政府にジーアンの動向を探るよう頼まれているのだからお笑いだ。

 防衛隊もニンフィでの任を解かれ、今は王都でハイランバオスとアイリーンの両名を監視するよう申しつけられていた。「くれぐれも聖者殿の機嫌を損ねるな」との厳命付きで。

 情けないほどアクアレイアの弱い立場が透けて見える。だからこそ天帝の弟にしてバオス教教主という好カードの切り方を間違えてはならないのだが。


「すみませーん。王都防衛隊の皆様はおいでですかー?」


 と、そのとき戸外から防衛隊を呼ぶ声が響いた。人気のないのをいいことに防衛隊が臨時兵舎に使っている墓島の無人礼拝堂に誰か訪ねてきたようだ。

 入口に近いバジルが「どなたでしょう?」と問いかけると「海軍のディラン・ストーンと申します」と返事が響く。それはユリシーズと仲の良い、若い軍医の名前だった。


「えーと、なんのご用件で?」

「あ、実はジーアン帝国から使いの方がお見えになっ……」


 軍医が最後まで言い終わらないうちに浅浮き彫りの正面扉が放たれた。飛び込んできたのは緩く弧を描く双眸の狐顔をした青年だ。象牙色の髪を弾ませ、ジーアン絞りの帯紐を揺らし、若者は聖預言者にがばりと抱きついてきた。


「やっほーハイちゃん、久しぶり! 元気に説法してた!? 俺のこと忘れてない!?」


 ――このふざけた挨拶がルディアたちの初めて聞くネイティブジーアン語になった。

 あまりの軽さに面食らう。女優に付き合ってジーアン語を習っていた一同もフランクすぎる「ハイちゃん」呼びに一様に固まった。

 突然の珍客に対応できたのはアンバー一人だけである。聖人然とした笑みでやんわり青年を押し返すと彼女はにこやかに使者の名前を言い当てた。


「ええ、もちろん。ラオタオも健やかに日々を過ごしていましたか?」

「うん、元気元気! ていうか地方配属になってから暇で暇で死にそうでさあ」

「ふふふ、あなたの肌にアレイア海は合いませんでしたかね。ところで今日はまたどうして私に会いにきてくれたのです?」


 滑らかなジーアン語に感嘆の息をつきそうになる。しかもアンバーの頭にはラオタオの情報もしっかり入っているらしかった。「そいつは若いがアレイア海東岸を任されている将軍の一人だぞ」とか「ハイランバオスや天帝とは幼少時からの付き合いだぞ」とか助け舟を出す必要もなさそうだった。

 帝国からの訪問者はにこにこと、中身の違いに気づきもせずに話を続ける。


「ああ、天帝陛下から『例年通り祝宴を催すので戻れる十将は九月上旬に都に戻るように』ってお達しがあってさ。ハイちゃん昔から布教活動にのめり込みすぎて予定とか約束とか抜けちゃうじゃん? まさか大事なお兄様の誕生日を忘れるわけないと思ったけど一応クギ刺しとこうかなーって」

「なるほど、お気遣い感謝します。ですが九月十日のことだけは何があっても忘れやしませんよ。天を統べる太陽が我らの大地に降臨した記念すべき日なのですから!」


 このやり取りにルディアは「ほう」と目を細めた。どうやらハイランバオスは天帝の誕生日を祝うべく一時帰国せねばならないようである。

 これは好機かもしれない。ルディアはさり気なく立ち位置を変え、後ろから聖預言者の腿をつついた。このひらめきを察しろと女優の背中に念を送る。


「ああっ、ですが待ってくださいラオタオ。そう言えば私は足を悪くしたままなのです。馬を駆って陸路で帰るのは難しいかもしれません……」


 狙い通りアンバーは「水難事故の後遺症で乗馬できなくなった」という設定を思い出してくれた。第一関門をクリアしてルディアはよし、と拳を握る。

 それにしても機転の利く女だ。舞台では予期せぬハプニングが起きたとき、目立たぬ身振りや視線を使ってなんとか意思の疎通を図るというけれど、指で少し触れただけで意図が伝わるとは驚いた。ロバータ・オールドリッチのもとでも如才なく振る舞っていたようだし、きっと彼女は地頭がいいのだろう。


「なーんだ、そんなこと? だったらハイちゃんここの船借りればいいじゃん。ついでに俺の直轄地にも寄ってってよ! 港とか水夫とか使えるようにしとくからさ!」


 当然そう来るしかないという台詞にルディアは内心ガッツポーズを決めた。よし、いいぞ、この流れだ。この流れを耐えて忍んで待っていたのだ。


「なるほど、アクアレイアの船を……? それはかなりの名案ですね……?」


 アンバーはぽんと拳を打つ。ここまで来れば彼女には千載一遇のチャンスの訪れが感知できたようだった。ひらめきは伝染し、バジルやハートフィールド兄妹も徐々に目の色を変え始める。

 この二年、アレイア海東岸の重要寄港地をことごとくジーアンに奪われたがためアクアレイアは水と食料と漕ぎ手を大量に必要とするガレー船団の航行を断念せざるを得なかった。

 だがハイランバオスが船客になってくれるなら話は変わる。聖預言者に安全かつ快適な船旅を提供するために王国は相応の大船団を組まねばならないし、帝国にはこちらの望むすべての港を開放してもらわねばならない。そう、あの傍若無人なジーアンに真正面から「通らせてもらうぞ」と言えるのだ。これを利用しない手はなかった。

 帝国の首都バオゾへ到達するまでには葡萄酒の産地も砂糖の産地も香辛料の集結地もある。軍船が商船を、商船が軍船を兼ねるのはままある話だ。送迎を隠れ蓑にひと稼ぎできるとなれば国民の歓呼は間違いなしだった。


「そんじゃ君たち、上の人によろしく言っといてくれる? ハイちゃんに立派な船を貸してあげてねって。まあ俺たちの馬よりイケてる船なんてないと思うけどさ!」


 嘲弄する口ぶりに多少むっとしたが態度には出さずにおく。せいぜい大国に尻尾を振るしか能のない哀れな小国と侮っていればいい。その隙に我々は我々の生き残る道を探るまでだ。六十年前、初代アクアレイア王がパトリア聖王に笑われながら祖国の基礎を築いたように。


「ええと、それではレーギア宮にご案内いたしますので、ゴンドラへ」


 ラオタオは麗しき黒髪の軍医に促されて踵を返した。そのまま退室するかと思ったら、帝国の狐は薄い唇を三日月の形に歪めてアイリーンの側へ近づく。


「アイリーンちゃん、相変わらず具合悪そうだけど大丈夫?」

「はっ、はいっ、ラオタオ様っ」


 びくりと病人が長椅子の背もたれに張りつく。至近距離まで屈んでこられ、アイリーンはすっかり腰が引けていた。


「アイリーンちゃんてさあ、化粧とか全然しないの? 結構化けるタイプだと思うんだけどなー俺」

「ひえええ! め、滅相もないです、私なんてとてもとても」

「あはは! そんな謙遜しなくていいじゃん! あ、けどオバケみたいな血色はともかく胸の足りなさは化粧じゃちょっと誤魔化せないかー」

「ううっ……、す、すみません。そこまで栄養が回らなくて……」

「もっといっぱい肉食べなよー! じゃあまたねー!」


 ひとしきりアイリーンを撫で回すと満足したのか無礼が騎馬民族の服を着て歩いているかのような男は軽い足取りで軍医と聖堂を出ていった。扉の向こうに小さな嵐が過ぎ去るとバジルがほっと息をつく。


「カロさんがいなくて良かったですねえ。今の場面、居合わせていたら確実にキレてましたよ」

「なんなの、あのチャラジーアン? カロにうっちゃられても良かったんじゃない?」

「ふっ、二人とも何言ってるの!? カロと私は友達で、べべ、別にそういう関係じゃ」


 アイリーンは真っ赤になって否定した。そんな彼女にアンバーが「そうです、彼女は研究に人生を捧げる偉大な女性なのですよ」と言い添える。どこまでも自然なハイランバオスぶりにルディアたちは改めて称賛の拍手を送った。


「しっかしあのラオタオって奴、いけ好かねー野郎だな。大体アクアレイアの船乗りをタダでこき使うつもりかよ? 俺はそんなの嫌だぜ、なあアル!」


 と、そこにレイモンドがぼけた発言を繰り出してくる。まあそうだろうとは思ったが、この槍兵は何もわかっていなかったようだ。呆れ顔の弓兵が「馬鹿ですねえ、レイモンドは」と嘆息する。


「タダより高いものはないって言うでしょう? ジーアンはそうとは知らず、僕らに護衛艦付き商船団の航行を許可してくれたも同然なんですよ?」

「えっ!? ど、どーいうこった!?」

「どういうも何も……、とりあえず商品目録を作りながら何日か待ってみたらどうですか? ジーアン行きが評議会で決定されれば同行商人の応募も始まるはずですから」


 バジルはぞんざいにレイモンドをあしらった。解説を求めて槍兵は金髪頭をキョロキョロさせるがハートフィールド兄妹は「モモたちも頑張って薬仕入れなきゃだねー」「ああ、いつまでも家が開店休業中なのはな」などと話し込んでいて応じない。不出来な生徒の教師を務めてやるほどルディアもお人好しではなかった。皆に捨て置かれたレイモンドは哀れに礼拝堂内をさまよったのち、バオス教の聖なる御手に拾われた。


「航行は間もなく現実のものとなるでしょう。さあレイモンド、天帝の加護を信じるのです……!」

「ハ、ハイランバオス様! 俺、俺、よくわかんねーけど商品目録作りますう……!」





 ジーアンへ向かうガレー船の漕ぎ手と船団の同行者を募る張り紙が国民広場に掲示されたのは数日後のことである。

 パトリア聖暦一四四〇年七月十五日、王都は久々の航海予告に沸き返った。豪商たちは大急ぎで荷の積み込みを開始し、自前の船を持たない人々は競売で買える積載枠に殺到した。乗組員の抽選も前代未聞の規模に膨れ上がったほどである。どれだけ商船団の運航が待ちわびられていたかが知れよう。

 出発まで時間的猶予はなかった。九月初旬にジーアン首都へ達そうと思えば遅くとも月末には海へ出ていなければならない。

 だがその程度の慌ただしさに戸惑うアクアレイア人ではなかった。予定通り、一秒たりとも遅れることなくハイランバオス護送団は税関岬の商港に集結した。じめじめした湿地の夏の蒸し暑さとは対照的な、うきうき浮かれた表情で。





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