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第3章 その7

 一緒についてきてほしい。ローガンとの商談に成功したらアンディーン像を持ち帰っていいかどうかの判断をしてほしい。

 そう頼んだら祭司は意外にすんなりと要求を受け入れてくれた。ジュリアンの言っていた通り、本音では聖像を正しい場所に戻したいという考えの持ち主なのだろう。トリスタン老をよく知るルディアも「彼女ならこちらの案に耳を傾けてくれるかも」と予測していた。当の祭司は神殿を出てからずっと沈黙を保っていたが。


(よし、行くぞ)


 高齢の割にしゃっきり歩く老女を連れてレイモンドは砦へ引き返していた。交渉するのは己だが、側にはルディアもジュリアンもいてくれる。司令官室の扉を叩き、中からの返事を待った。


「なんだ貴様らか。……ってなぜジュリアンが一緒なのだ!? 性懲りもなく人の息子を(たぶら)かしよって!」


 いまいましげに歯軋りするローガンを取り巻きの護衛兵たちが囲む。冷えた石壁にタペストリーのかけられた、軍議用の大きな机があるだけの広い室内に踏み込むとレイモンドはさっそく本題に入った。


「船賃考えてくれるんだったよな? 神殿に保管されてるイーグレット陛下の骨を持って帰りてーんだけど」


 代替案としては予想の範疇だったのだろう。チョビ髭の豪商は下卑た笑みとともに「そんな慎ましいお代でいいのか?」と返してくる。


「それくらい好きにすればいい。今更アクアレイア人が王の遺骨に涙するとも思えんがな」


 あっさり取り付けられた許可にまずはよし、と拳を握った。肝心なのはここからだ。いくらアルフレッドのためとは言え、なるべく聖像を盗むような蛮行には出たくない。禍根を残せば結局は誰のためにもならなくなる。指先に力をこめ、レイモンドは次なる要求を口にした。


「もう一つ、コリフォ島の管理権をジュリアンに譲ってくれ」

「は?」


 この発言にはローガンもぴくりとこめかみを引きつらせた。冷めた目つきで睨まれて、レイモンドはもう一度声を張る。


「カーリス人が街でめちゃくちゃしてるから、あんたの息子に島民の保護とか兵士の教育とかをやらせろっつってんだよ」


 返ってきたのは想定通りの嘲笑だった。青二才への侮りを隠しもせずに豪商はガッハッハと大笑いする。言外にローガンが「船賃の計算もできない愚か者め」と罵っているのは伝わった。だが失礼な哄笑はすぐにぴたりと止むことになる。


「こっちもタダでとは言わねーっての。ほら」


 差し出したのは騎士物語の続編だ。いつどこで商機が巡るかわからないので最低一冊は持ち歩くようにしている。


「……!?」


 ひと目でそれが何か理解した豪商は目を瞠ったままわなわなとこちらに手を伸ばしてきた。ごくりと喉を鳴らしたあたり、カーリスにはまだ新刊が届いていないらしい。


「い、いやいや、こんな一冊程度では釣られんぞ」


 顔は素直に「読みたい」と言っていたがそこは彼も百戦錬磨の商人である。不釣り合いな条件を受け入れようとはしなかった。本一冊で頷かれてはこちらとしても拍子抜けだ。ずいとローガンに近づいてレイモンドは表紙を開いた。


「……ッ!」


 見返しに詩聖のサインを見つけると豪商は呼吸を止めて反り返る。沸き立つ心を抑えようとする様を見るに、思ったよりこの男は騎士物語が好きらしい。そう言えば一時期アニークのもとに出入りしていたローガン傘下の御用商人も騎士物語マニアだったなと思い出した。


「い、いやいや、だからこんな程度では私は」


 豪商はつつけばすぐにも落ちそうに見える。しかしやはり冷徹に損得勘定のできる男なのだろう。パタンと本を閉じると彼はレイモンドの胸に騎士物語を押しつけ返した。


「新刊もサインもいずれ私の力で手に入れる。こんなもので島をかけての交渉をしようとは片腹痛──」

「サインを本物と思ったってことは、あんた今アクアレイアに騎士物語の作者がいるって知ってんだな?」


 思いきり被せた台詞にローガンは再び狼狽する。なんだ、何を言わんとしているんだこいつはという視線を受けてレイモンドはいよいよ取引条件の説明を開始した。


「ちょっと複雑な状況でな、レーギア宮にゃ置いとけねーかもしれねーんだ。微妙な立場の人だけど、コリフォ島なら移るって言ってくれるかもしんねー。アニーク陛下がノウァパトリアに帰国してからの話にはなるが、俺はあんたにあの人のこと任せてもいいと思ってる」


 ローガンの反応は凄まじくわかりやすかった。「さ、作者をコリフォ島に!?」と豪商は声を震わせる。


「ああ、具体的に言うと作者のパディはマルゴーと揉めてんだ。そのせいで今アクアレイアもマルゴー公から睨まれてる。けどカーリスなら多少マルゴーとギスギスしたって別に問題ないだろ? 交易上の利害関係もねーんだし」


 これがどういう条件提示かは正しく伝わったはずだった。ローガンほどの男ならおそらく数年以内には自前の活版印刷機を手に入れているだろう。四台目、五台目と確実に印刷機は増えていく。それはつまり、活版印刷の要である金属活字の製造法が外部に漏れやすくなるという意味でもあった。

 遠くない将来、カーリスもきっと印刷事業に参戦してくる。そのとき彼らがパディを遇する立場であれば今後あの詩人の生み出す一切が共和都市の利益になるのだ。嗅覚鋭い豪商が乗ってこないわけがなかった。


「きッ、貴様正気か?」


 たかが島一つのためにどうしてとローガンの目が言っている。それも要塞と引き換えですらなく住民の平穏のためだけに、と。


「言っとくがジュリアンから一通でも『兵が島民に無体を働いた』って連絡が来たらこの話は全部白紙に戻すからな」


 語気を強めてレイモンドは告げた。ローガンのほうはもう、金の鉱脈を掘り当てたようなニンマリ顔をしていたが。

 おそらくローガンはパディが到着するまでの間だけ兵士を大人しくさせればいいと思っているに違いない。黄金の()る木を囲い込んだ後はまたオリーブを搾り取ってやれと。

 だがこちらも彼が素直に約束を守るとは考えていない。パディをコリフォへやる前にジーアン乗っ取りを完了させ、カーリス人が好き勝手できない状況を作るつもりだ。アクアレイアがこの島を取り戻すまで、彼らがコリフォ島民を傷つけることがないように。


「それでは今日から僕がこの島の総督ですね。兵士に賞罰を与えるのも、街のルールを決めるのも、父様はお口出しなきようお願いします」


 そう言って少年が父親と相対する。ローガンは一瞬「ジュリアンの反抗期が長引くならやめようかな」という弱気を双眸にちらつかせたが、実利に負けて複雑そうに頷いた。


「では参りましょうか、レイモンドさん、ブルーノさん、祭司様。王の遺骨を船に運び入れなくては」


 部屋の外へと促され、レイモンドたちは司令官室を後にする。ずっと黙って成り行きを見守っていた老巫女は厳しい表情を変えないまま一番後ろについてきていた。

 緊張の途切れぬ中、爽やかな風の吹く胸壁通路へと出る。

 あとは祭司がなんと言ってくれるかだった。




 ******




 砦内はどこもあまり日が差さなくて暗いので太陽の光を浴びるとほっとする。眼下にコリフォの街を眺めつつレイモンドはひとまずジュリアンを振り返った。


「ほら、就任祝い」


 手渡したのは先程ローガンから押し返された騎士物語の続編である。少年は「悪いですよ」と固辞したが、純然たる祝福の気持ちは毛ほども持ち合わせていないので「そういうことじゃねーんだよ」と強引に押しつけた。


「これをお前の持ち物にして、ここの兵士に読ませてやれっつってんの。俺が心配してんのはお前とカーリス人の間の溝だよ。せっかく総責任者になっても兵士が言うこと聞かなかったら意味ねーだろ?」

「は、はあ」


 権限を得たのだから命令には従わせられるのでは、と疑問符を浮かべる彼にレイモンドは嘆息する。やはりジュリアンは温室育ちのお坊ちゃんだ。権限を得ても兵が彼ではなく彼の父親を見ていたら今までと同じではないか。


「あのな、お前の見てないところでも兵に行儀良くさせたかったら『こいつの言いつけは守っておいたほうが得だな』って思わせなくちゃダメなんだって。『ローガンに尻尾振るより坊ちゃんのほうがいいや』ってさ。略奪するなとか横暴するなとか叱りつけても逆効果なんだよ。甘い汁も吸わせてやんなきゃ、あいつらこっそり餌場に戻ってくるだろ? わかるか?」


 問えば少年は小さく「は、はい」と答えた。一応彼も自分のやり方はその場しのぎにしかなっていない自覚があったらしく指摘にしゅんと項垂れる。

 だがジュリアンにはどうすれば兵を掌握できるのかわかりかねるらしかった。騎士物語を貸し出すことと島民を害させないことがどうにも結びつかないようで「ええと、つまり、これで彼らに騎士道精神を学ばせろと……?」と斜め上の質問をしてくる。


「いや、だからそうじゃなくて」


 話の通じなさにレイモンドは額に手をやって唸った。純真無垢で健気な少年は「あの、すみません。僕はこれからどうするべきかご教授願えますか?」と真摯な声で乞うてくる。

 そう言われてもとレイモンドは頭を掻いた。いつも息をするように場の空気を読んできたから言葉では説明するのが難しい。兵士たちの読みたがるだろう騎士物語を利用して彼らに取り入っておくのが今回の最善だとはわかっても。


「えーっとな」

「要するに、お前はお前の足場であるカーリス共和都市の人間にまず慕われろという話だ」


 返答に詰まるレイモンドの傍らでルディアが静かに口を開く。さすが彼女はジュリアンの権力者としての課題を見抜いていた。


「お前は表立ってアクアレイアに肩入れしすぎなんだよ。だからカーリス人の反感を買って発言を軽んじられる。カーリス人のことも同じだけ考えてやれ。彼らをよく見て彼らの不足を埋めてやって彼らを安心させてやれ。そうしたら何人かは自分からお前の方針を理解しようとし始める。少しずつでいい、お前はお前自身の味方を作るんだ。でなければ父親のひと言で全部潰される」

「あ……」


 断言に少年は少し震えたようだった。

 王女は続ける。「お前がどんな力を持とうとお前の周りが敵だらけでは決して真価を発揮できない」と。


「兵とよく話をしろ。彼らが何に喜ぶか、何に不快を示すか知れ。どうすれば意志を持って彼らが動いてくれるのか、それでだんだんわかってくる。彼らもお前と大差ない生き物なのだということがな」


 助言を受けてジュリアンはやや動じていた。彼としては「島民に悪さを働くカーリス兵と仲良くしろ」と言われるとは思ってもみなかったのだろう。

 だがルディアの言は真理である。政治というのはきっとバランスを取ることなのだ。立場も考えも異なるたくさんの人間が、それでもなんとか同じ世界でやっていくための。


「兵とよく話す、ですか……」

「ああ、そうだ」


 王女はこくりと頷いた。たじろぐ少年をまっすぐに見つめる彼女は仇敵への憎しみを堪えきれなかった以前のルディアとは別人のようである。

 わだかまりは消えたわけではないだろう。けれど彼女はいつでも前を向いている。そうあろうと努力している。あの王の娘として。


「お前に必要なのは部下からの好意と敬意だ。お前が役立つ者であればお前の周りに人が集まる。お前がお前自身の力でカーリスの中心に立つことができたそのときは、我々(アクアレイア)との関係も望む方向に変えていけるさ」


 ルディアの言葉にジュリアンが息を飲んだ。カーリスとアクアレイアの因縁をどうにかできる未来があるかもと聞かされて少年は頬を熱くする。


「そ、そうですね! わかりました、頑張ります! もっと視野を広げて僕、いつかあなた方に恩返しできるように──」


 ふっと小さく息が漏れた。苦笑いするルディアのほうから。

 清算ならしてもらったよと聞こえたのは幻聴ではないだろう。


「ジュリアン・ショックリー。聖像とコリフォ島民を守ってくれて礼を言う。今しばらく彼らを頼むぞ」


 唐突に求められた握手に少年はあたふたと腕をばたつかせた。レイモンドも彼とは長い付き合いになりそうだなと頬を緩める。


「よーし、そんじゃお前はさっさとその本を兵士たちに見せびらかしに行ってこいよ。こっちのことはもう俺たちだけで平気だからさ」


 背中を軽くポンと叩けばジュリアンは「えっ? いや、お供しますよ?」と戸惑った。


「だからアクアレイア人について回るんじゃなくて、今はカーリス人との仲を深めろって」


 そう返すと少年は完全に理解した顔で拳を打つ。


「あっ、確かにそうですね。そうか、そういうことか、なるほど──なんだか上手くやれそうな気がしてきましたよ! ……もう少しご一緒したかったのも本心ですが……」


 名残惜しそうに少年はこちらに辞去を告げてきた。「じゃあ僕は失礼します。お二人とも、お元気で」と向けられた小さな背中にレイモンドは控えめに手を振る。

 これでまあ島民の安全については手を打てただろう。仮にジュリアンが兵とこじれたままであってもパディを送り込む約束が効いている間はローガンとて無茶な搾取はしないはずだ。

 さて、とレイモンドはいまだ沈黙を保ったままの老巫女を振り返る。傍らのルディアもまた口元を引き締めて彼女を見やった。


「…………」


 祭司は厳粛な面持ちでこちらを見つめ返してくる。しわ深く読めない表情がますます緊張を掻き立てる。

 この人がいいと言わなければ聖像を持ち出すことはできないのだ。第一声がどうなるか、心臓はどきどきと早鐘を打っていた。


「一つお聞きしたいのですがの」


 十人委員会の賢老によく似た小さな口がうごめく。老巫女は巫女というより手練手管の政治家に似た鋭さでもって尋ねた。


「ジュリアン殿が実権を握るのならひとまず安心とは思います。しかしその、騎士物語の作者殿が島に来られた後のことはどうお考えで?」


 祭司の疑問はもっともだった。レイモンドたちが帝国乗っ取りを企んでいるなど知りもしない彼女にとって、ローガンが目的を果たした後のコリフォ島がどうなってしまうかは切実な問題だろう。「再び島民が危険に晒される可能性があるのなら聖像は渡せませぬ」ときっぱりと告げられる。


「や、そこはちゃんと考えてるから大丈夫。あのさ、えーと、ローガンが作者を呼んだら何しようとしてるかっつーと、俺と同じ活版印刷なんだ。で、この活版印刷ってのは機材の次にインクがめちゃくちゃ大事なのな? 乾きの早い新型特製インクじゃなきゃ大量に仕損じが出るだけだから」


 レイモンドは活版印刷機で本を作る流れについて言及しつつ、己が仕掛けた罠についても説明した。ローガンは印刷機とパディが揃えばいくらだって詩を刷れると考えている。だが実際にはそうは行かない。新型インクの製法だけはレイモンドとパーキンが門外不出にしているからだ。他国に技術を盗まれてもアクアレイアが印刷界のトップに立ち続けられるよう、関わる人間が最小限で済むインクだけは仕入れ先も秘匿しているのである。


「けどコリフォ島の連中には──ていうかあんたには、そのインクの作り方を教えとこうと思ってる。島民がインク作れるってわかったらカーリス人だって島外に売り飛ばそうとはしねーだろ? まあ多少上手く立ち回る必要はあると思うけどさ」


 亜麻仁油があればそのインクが作れると言えば老巫女はなるほどと納得した。あの背の高い薄紫の花ならばパトリア海のどこでも見られる。オリーブの収穫にも亜麻布の袋が使われていたくらいだ。


「アクアレイアがコリフォ島を買い戻すまで、それでなんとか凌いでほしい。五年、いや──三年以内に絶対そこまで持ってくから」


 レイモンドの口にした具体的な年数に祭司は驚いたようだった。わずか目を瞠り、彼女はじっとこちらの双眸を見上げてくる。


「この島をカーリスのモンにしたままじゃ交易に支障が出るし、十人委員会も見捨ててはおかねーよ。約束する。だから頼む。俺にアンディーン像を持って帰らせてくれないか?」


 脳裏にはアルフレッドのつらそうな顔が浮かんでいた。恩返しにこだわったジュリアンの気持ちが今はよくわかる。受け取るだけの、弱いだけの、自分をどうしても許せないのだ。救われたのにという実感が強いほど。だから絶対にここだけは退けない。


「わかりました。波の乙女はあなた方に預けましょう。石工や島民には私から説明しておきます」

「──!」


 老巫女の返答にレイモンドは歓喜した。輝く瞳で彼女を見つめ、勢いのまま棒切れじみた腕を取る。


「あ、ありが──」

「けれどもう一つ聞きたいことが」


 ぴしゃりと祭司は不躾な手を払った。仕えているのが処女神だったら拳では済まないぞという振舞いにレイモンドは「あっすんません」と大慌てで背筋を正す。


「失礼しました。聞きたいことって?」

「アンディーン像はどうやって船に運ぶつもりです? 先程あなたはローガンに『陛下の骨を引き取る』と仰せでしたが、まさか遺骨と同じ棺に納める気でいるのですか?」

「ああ、うん、そうだよ。だったらあのサイズの聖像も堂々と船に持ち込めるだろ?」


 一つ目の質問はまだ想定内のものだった。ただし彼女の次なる反応は完全に想定外であったけれど。


「……それには同意できかねます。死は穢れの最たるです。アンディーン像と骸を一緒にすることはなりません」


 えっとレイモンドは硬直する。「で、でも陛下は、宗教的にはアンディーンの夫なんだし」と食い下がってみたけれど、老巫女は首を縦には振らなかった。援護を求めて隣のルディアを振り返る。しかし王女はこの展開を多少なり予測していたようで、目を伏せるだけで特に反論はしなかった。


「いや、でも……!」

「本国の神官たちも良い顔はしないでしょう。古王国に至っては聖像の神威が下がったと考えるやもしれません。あなたもひとかどの商人ならそれが聖像を持ち帰る意味を半減させる行為だとおわかりになりませんか?」


 諭されてレイモンドは押し黙る。──神威が下がる。老巫女の言うように、聖像がそう見られたら幼馴染を助ける力が失われてしまうかもしれない。何があってもそんな事態は避けなければならなかった。


「でもさあ……っ」


 すぐ側にいるのにルディアのほうを向けなくなる。祭司はただ粛々と、神託でも授けるようにアクアレイアに必要な「奇跡」を語るのみだった。


「棺には聖像だけをお入れなさい。ほかの者にはイーグレット陛下の遺骨だと偽って。そしてアクアレイアに戻ったら海を進む間に不可思議な夢を見たと、波の乙女が王国湾でドレスの裾を広げていたとでも言うのです。それから棺の蓋を開ければ陛下ではなく壊れたはずの聖像が見つかるのだから、民衆も諸手を挙げて迎えるでしょう」


 建国記にでも載っていそうな筋書きにレイモンドはぎゅっと拳を握りしめる。老巫女に「我々もあなた方が持ち帰ったのは確かに陛下のご遺体だけでしたとすっとぼけねばなりませんから」と言われれば頷く以外仕方なかった。


「それじゃ陛下は──」


 どうしても声にできなくてレイモンドは喉を震わせる。

 祭司はどこまでも冷静だった。アンディーンの神格を保ち、コリフォ島民を守るため、奇跡の裏の証拠隠滅を提案する。


「レプリカと一緒に海に沈めるほかありません。保管は島民が嫌がりますし、カーリス人に見つかれば捨て置いてはもらえないでしょうからね」


 くらりとその場に立ち眩んだ。

 立場も考えも異なるたくさんの人間が、それでもなんとか同じ世界でやっていくためにバランスを取るのが政治なのだ。ルディアと生きていくのなら早く痛みに慣れねばならない。


「……わかった。先に神殿へ戻って準備していてくれ。用を済ませたら我々もすぐそちらに向かう」


 先に祭司に頷いたのはやはりルディアのほうだった。一体彼女はこんなことを何度繰り返してきたのだろう。そしてこれから何度繰り返していくのだろう。

 来たときと変わらぬ歩調で去っていく老巫女を二人で見送る。

 十一月にしては眩しい陽光が無人の胸壁に降り注いでいる。

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